アストロ・バイオロジー

松井孝典

 

宇宙からみる生命と文明

 

 


21世紀はフロー型文明のへの転換こそが必要だ。

松井孝典 東京大学大学院教授
人間と環境の関係を100万年オーダーのタイムスケールで眺めてみよう。環境破壊の歴史は、人類が生物圏から分化し、「人間圏」を創造したときに始まった。地球の誕生から今日までの歴史を「火の玉」から「文明」の5段階に分け、構成する諸要素の関係によって地球の歴史を捉え直そうと説く松井先生の壮大な時空スケールのお話をうかがうと、私たちの文明が抱える問題が別の角度から見えてくる。
松井先生
プロフィール
地球をシステムとして捉える
地球生成のプロセスを探求する過程で、地球をシステムと見る重要性に気づく。
地球史を5段階に区分
地球史は、物質圏の<分化>の歴史としての<環境汚染>の歴史でもある。
「人間圏」の誕生
地球システムのモノやエネルギーの流れに人間が関与することによって「文明」を築いた。
フロー型文明への転換が必要
ストックに依存する文明は短命だ。フロー型文明のお手本は江戸時代。
現在は地球史の折り返し点にいる
俯瞰的な視点から環境問題を捉えなおすことが大切。

 

 

地球をシステムとして捉える

 ぼくは「地球をシステムとして見る」ことによって、環境問題に新しい視点を導き入れることができると思っています。まず、なぜそういう考え方を打ち出すようになったかについてお話ししましょう。これは環境問題とは関係のない地球科学から始まっています。
 地球にはなぜ海が誕生したのか、あるいはなぜ海の水が1.4 ×21乗kgという一定の量で保たれているのかなど、地球の生成進化を考えると不思議なことがいっぱいある。ぼくの研究はそんな疑問を追求し、地球ができるプロセスを詳細に分析していったことからスタートしました。

 たとえば、地球に海がどのようにできたか──。原始地球は火の玉状態で誕生した。地球に降ってきた材料物質の中に含まれていた水がガスとなり、ガスがたまって原始大気となります。原始大気になる過程で地表が溶けマグマの海ができるのですが、原始大気と溶岩とが接していると、大気との間で構成成分のやり取りが起こる。このやりとりの結果として、原始大気中にある水の量が一定に保たれる。「溶解平衡」というメカニズムであるマグマの海と大気の間に相互作用があるということです。従来の地球科学の考え方では、これらは関係のないものとして考えられていたのですが、そうではなくて、地球ができるときには、原始大気もマグマの海も、あるいはコアの部分も、表層から中心までが密接に関連していることがわかってきたんです。それで、ぼくは、地球というのは一つのシステムとして、全体の変化を見なければいけないんだなと考えるようになったわけです。

 システムとは一般的には、複数の構成要素からなり、その要素間になんらかの関係があるものをさします。地球システムも、何重もの階層構造からなっているけれど、ここでは大気圏、海、生物圏、大陸地殻、海洋地殻、マントル、コアなど基本的な構成要素だけを考えてみます。これらの構成要素は、基本的にはすべて違う物質からなっていて、構成要素間でエネルギーやモノの流れなど相互のやりとりが生じているわけです。構成要素を箱としてとらえると、その箱の間の関係性を探りながら全体を見ていくのが、地球をシステムとして見ていくということなのです。

 

 

地球史を5段階に区分

 さて、地球システムの構成要素は、現在のようなものが地球の歴史の初期の頃から存在していたわけではないことを知っておくことが大切です。ぼくは地球史を、「火の玉地球」から「水惑星」の時代、大陸が誕生した「陸・水惑星」、生命が誕生し、オゾン層が形成された「生命の惑星」、人類が農耕をスタートし、人間圏を形成した「文明の惑星」の時代へと、大きく5段階に分けていますが、その区分ごとに地球システムの構成要素は違います。
地球史の時代区分
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 そして、地球に新しい構成要素が加わるたびに、構成要素間のエネルギーの流れや物質循環に変化が生じ、地表環境の状態が大きく変わってきた。つまり、地球が分化し、新しい物質圏が誕生するたびに地球が「汚染」されてきたのです。
 大陸が生まれると、海が大陸の物質によって汚染され、pHが大きく変わる。あるいは生物圏が生まれれば、光合成によって大気中の成分に酸素が加わるという具合です。地球にとってみれば、これらはみんな環境問題だったということもいえるわけです。
 そして、5段階目、「人間圏」の誕生は、地球にとってエポックメーキングな出来事になりました。
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「人間圏」の誕生

 「人間圏」以前には人類は生物圏の中に閉じこもって生きてきたのだけれど、今から1万年前に人類が農耕牧畜をはじめたときから、地球は新たな局面を迎えたといっていい。狩猟採集と農耕牧畜の違いは、どの物質圏のモノやエネルギーの流れを利用するかにある。前者が獣を捕まえたり、木の実をとったり、生物圏のモノの流れやエネルギーを利用する生き方であるのに対して、後者は地球システムというもっと大きなパイのモノやエネルギーの流れに関わる生き方です。たとえば、森林を焼いて畑地に変え、食糧となる植物を栽培し、家畜を飼育する、これらの営みは地球の表層付近の物質循環を変えたり、太陽から入ってくるエネルギーの流れを変えたりする。

 このような生き方を人類が選択したとき、地球システムに「人間圏」という新しい構成要素が加わったと考えられる。それが現代いわれている環境問題の発端といえるのです。ただ、農耕牧畜の開始によって地球システムのモノやエネルギーの流れに人間が関与するといっても、その規模はそれほど大きくはなかった。なぜなら基本的には地球システムのフローに依存するだけの生き方だったからです。ところが、産業革命以後、ことに現代の高度技術文明の時代になると、地球構成要素のストック(資源)を利用するため、地球システムのモノやエネルギーの流れに関与する度合いが大きく変化してきた。

 たとえばモノの流れでいえば、物質が移動するためには駆動力が必要になります。以前は、地球システムにある駆動力に頼るだけだった。外部の太陽光や、地球内部の熱などですね。それが、人間圏の中に駆動力を持つようになったんです。そうすると、物質の移動のスピードがとてつもなく速くなります。
 たとえばの話、オーストラリアの大地に埋まっている鉄鉱床が地球システムの駆動力によって日本まで移動するには、何千万年という時間がかかるけれど──マントル海流でわずかずつ移動しているわけです──、船などの交通手段を使って運べば、あっというまに移動させることができる。人間圏の中に駆動力を持つということは、このように、地球システムのモノやエネルギーの流れを決定的に変えてしまうのです。その駆動力の中心となっているのは化石燃料であって、現在起こっている環境問題は、人間圏が駆動力を持つことによって地球システムの持っている物質循環のスピードを飛躍的に速めた結果生じたといっていい。化石燃料は、地球システムが何億年もの時間をかけて大気中から地殻に固定した有機炭素を、100年くらいのタイムスケールで大気中に戻しているということなんですから。
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フロー型文明への転換が必要

 人類は今、地球システムの中に、新たに人間圏という構成要素をつくって生きている。ぼくはその生き方を「文明」と呼んでいます。文明の形態は地球システムのフローに依存するものと、ストックに依存するものとに大きく分けることができる。前者は農業社会に、後者は工業社会に対応しますが、フローに依存する文明は長寿型、ストックに依存する文明は短命型です。

 以前、エジプトを訪れたときに感じたのは、エジプトは3000年にわたって安定した文明を築いたのに、その文明を代表する都市が存在しなかったということでした。今でもエジプトの農村地帯ではフローに依存した生活をしていて、その生産様式はファラオの時代と変わりがない。そのことがエジプト文明を長期間存続させた理由ではないかと思います。高度な都市文明を誇ったインダス文明が1000年で滅びたのと対照的であるといえます。

 これから私たちが考えなければならないのは、ストック型の文明からフロー型の文明に移行することではないでしょうか。その参考にすべきなのは、日本の江戸時代の社会です。日本は島国であって、大陸のように、ある地域のストックがなくなれば、他の土地に移動して新しい文明をつくるといったことができなかった。しかも、江戸時代には鎖国政策がとられていたから、そこに住む人は有限性による限界ということをよく知っていたのでしょう。
 このような社会が利用できるのは、基本的にはストックではなく、フローです。極端にいえば、1年間、日本列島に降り注ぐ太陽や雨によってつくられたものを、生活物資であれ、エネルギーであれ、1年間で消費していく社会のスタイルです。そういう完全循環型に近い社会が江戸時代でした。

 文明というものを考えるとき、このことは重要な意味を持っています。これまでの文明は、大陸的な意味での「拡大」によって発展してきたのですが、これからは地球システムのなかで半永久的に存続できるフロー依存型の文明に移行しなければならない。 同じ島国でもイギリスの場合は、持続型ではなく拡大をめざしたわけですが、これは支配階級が土地を所有しようとしたかどうかということに関係しているのではないでしょうか。江戸社会の支配階級であった武士は、土地も家も所有していなかった。いわば「レンタルの思想」で社会を運営していったわけです。

 人間圏の成立は、人間による地球の所有という側面を持っています。つまり人間圏の拡大は所有の拡大であり、欲望の拡大だった。日本の江戸時代の例が注目に値するのは、物質とエネルギーの意味では停滞していても、別の意味での豊かさを持った生き方がそこにあったということであり、私たちのこれからの生き方に重要な指針を与えてくれると思います。

 バブルの崩壊以後、経済が停滞し、政府はやっきになって景気のテコ入れをしていますが、私たちはいつまでも右肩上がりの経済成長を期待してよいのでしょうか。このままストックを使い続け、地球システムのフローを乱していけば、あと100年くらいで人間圏が崩壊するのは目に見えています。地球の資源は無限ではありません。ストックに限界がある以上、右肩上がりの永続的な成長はありえないと考えるのが、ごく普通の考え方ではないでしょうか。
 実は環境にとっては、景気がわるいほど都合がいい。景気が良くなるということは、資源をそれだけ多く使い、拡大再生産を図ることなのですから。だから環境対策と景気対策は明らかに矛盾しているわけです。

 人間圏はこのままでは100年ももたない。地球の人口収容能力には限界がある。世界の人口が増えつづければ、生きていくための食糧すら不足するでしょう。右肩上がりの成長を続けながら持続的な成長が可能だとするのは、幻想を追いかけているにすぎないのです。実際に食糧がなくなり、食べ物に困ったとき、それが幻想であったと気づくでしょう。いま日本は多くの食糧を輸入しているから、食糧不足などはあまり関心の対象にはなっていません。けれども、地球の資源で養える以上に人口が増加すれば、地球的な規模では、必ず食糧難が発生するわけで、そのとき、日本が食糧難に直面しないという保証はどこにもないのです。

 ぼくは人間圏が地球システムのなかで安定的に生き延びる方法は、江戸時代のような、地球のフローに依存した生き方だけであると思います。いかに意識的に、積極的にフロー依存型文明をつくれるかが、そのカギになっているんです。
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現在は地球史の折り返し点にいる
 これから人間圏がどうなっていくのか。短期的なスパンでどうなるかはぼくにはわからない。我々がどんな生き方を選択するかにかかっていますから。でも、時空スケールをうんと長くとって、地球という星がどうなるのかは見えます。
 50億年後に地球がどうなるか──。

 今のままでは、まず100年ぐらいのうちに人間圏がなくなる。そして、太陽光度の上昇とともに、二酸化炭素は次第に減少していきます。人間圏がある間は、太陽が明るくなっても、温度の上昇分を相殺する負のフィードバックが働き、地表温度がある程度一定に保たれていたわけです。過去にも地球は、これとおなじことをやってきた歴史があります。でもその結果として、長期的には大気中の二酸化炭素は減る。二酸化炭素の濃度が現在の10分の1くらいに減少すると、この地球上で光合成生物が生きられなくなります。そうすると、僕が生物圏と呼んでいる物質圏は消失してしまうと考えられます。そうして最終的には、太陽の勝ちになって、地球システムが応答できなくなって気温が上がりはじめ、海や湖の水が蒸発します。その過程で大量の雨が降り、大陸が削られてなくなる。こうして私たちの地球システムを構成する要素である物資圏が1つずつなくなっていきます。最後はというと、太陽が赤色巨星となった段階で、表面が地球規模くらいに膨らんできて、地球はどろどろに溶けて蒸発して銀河系に消えてしまうわけです。このように、地球の未来というのははっきりわかる。
 地球の歴史は、今ちょうど折り返し点にきているということです。これからは、これまでたどってきた道を逆にたどり始める。ガスから火の玉状態になり、これが冷えて海になり、大陸が生まれ、生物圏が生まれ、そこから人間圏が生まれ、現在の地球システムになった。これから以降は、この逆の過程をたどって終焉に向かうと考えられます。
 そういう視点で環境問題を捉えなおすと、また違った考え方が生まれてくるでしょう。環境問題については、今まではそれを科学的にきちんと考える枠組みすらなかった。環境問題を、いいとか悪いとかの倫理的な問題で捉えても意味がない。もっと俯瞰的な見方が必要です。地球の歴史で見れば、人間圏という物質圏を分化させた、まさにエポックメーキングなことをやったことにその原因があるのですから。

 人間の未来を考えると、人間圏というものは、ひとつの実験をやっているようなもので、よくわからないところがあります。人間圏をつくって生きることそのものが、試行錯誤を繰り返しながら生きているようなものです。100年で終わるかもしれないし、1万年もつかもしれない。人類は生物種としては絶滅はしないでしょう。1万年以前の人間のように、生物種のひとつとして、生物圏のなかで閉じて生きるとすれば、地質的な時間スケールでも生き残れる。でも、ぼくが「人間圏」と呼ぶ、物質圏の存続スパンについてはわかりません。今後われわれがどんな生き方を選択するかにかかっています。

 ぼくがものを見る視点というのは、俯瞰的な見方です。地表に這いつくばって見るのではなく、空からものを見ている。空から見るのであってもその高度によって見える時空スケールには違いがある。ぼくの場合には宇宙に出てしまって、月のあたりから地球を見ているわけで、これが今、人間が持っている俯瞰する高度としてはいちばん高いだろうと思います。こういう高度から人間のあり方や地球がどうなっているかを考えることが大切だと考えます。
 人間の存在を絶対視するのではなく、相対視してみる。人間の歴史だけでなく、宇宙、地球、生命の歴史を踏まえたパラダイムで、現代を見つめ直し、価値観を問い直していくことが必要でしょう。
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