クローン

 

1997年2月ついに人類は神の領域に踏み込んだという声がある。ほ乳類のクローンを誕生させてしまったのである。

その後牛や猿など次々にクローン体の成功が発表されている。

 今はまだサル止まりだが、人間のクローンができることはこれにより証明されたようなものだ。

このクローンを作るのにはさして最新の技術開発を待ったわけではない。バナナや、カエルを作るのと同じ技術で十分なのだという。

クローンの分類

クローンは2x2のマトリックスで考えたらどうだろうか

 

 

 

 生物系

情報系

ハードクローン

生物・生命として

バイオテクノロジー

人工生命

ソフトクローン

知能として

記憶移植

人工知能

                       

ハードとしてのクローンはすでに完成されたといっていい。

しかし、クローンが道徳的基準に振れるものであるのは間違いない。そして、我々自身を考えることでものある。それ故、意見は尽きることがない。

はたして何処までが人の領域か?

「神」という言葉を使ったのは、「自然な生命のルール外」という意味です。(私は徹底的な無神論者です。)
人間が技術的におこなえることは、しょせん人間の領域にすぎないのでしょう。

 ただ、この問題の「善」と「悪」の基準は、数の論理、用途の論理によって変わってしまうことを考えるべきなのでしょう。

 例えば、我々人類のDNAが数万年後に誤copyの結果、深刻な種としての絶滅の危機にさらされたとしたら、優勢種のみを選んで、人類保全をはかることは「悪」と言えるのでしょうか?

 但し、今はその時期ではない。人類は生物として失敗作という烙印を押されているわけではなく、ここまで生き延びたことを考えると成功作に違いないだろう。生命の勝敗の定義も定かでないが、ただ社会の作り込みに失敗しているだけです。「人類絶滅」くらいの重い動機が無い限り、賛否両論あるなかでは、ヒト・クローンは作ることはできない。作られたクローン自身が反対論者になることもあり得るわけですから、そんな重い業(ごう)を新生児に背負わせたくないもんです。

さらにクローン体の母体の病歴を見れば生物学的な将来が分かってしまう。自分が何歳でガンを発病するか分かってしまったらどうなるのだろう?クローン体の人権の問題を考える。

 


 

優生学の復活:

クローンは優生学の悪夢の復活を予見させる部分がある。いまでは悪夢の100年とされ表面上消え去っているが、いまでも思想としての「優生学」は生きている。

遺伝子の多様性:

優生種のみを育成させるようなことになった場合、遺伝子系が近いものが多く存在してしまって、絶滅してしまいそうな気がする。つまり、近親相姦と同じことが起こる。人間が「養殖モノ」になってしまうわけだ。

優占種を生育させる試みは昔もあったし、

それから近親相姦は確かに自然界の唯一のタブーです。

猿でもさけるし、花でも雄しべと雌しべの開花時期をずらして自己受粉をさけたり、自己受粉だと気がつくと枯れてしまうシステムをもっています。自分自身で受粉してるのはパンジー類ぐらいでしょう。(無性のタンポポなどは例外です。)

詳細:
../COLUMN/FAULTOFSEX.HTM

 

クローンは上記の2x2のマトリックスの内、どこに当てはめても問題がおこる。もっとも問題のなさそうな、AIを考えてもが、もし完成できたとしても即、人権問題が浮上する。

遺伝子可逆性について
課題:クローンを作ったことによって”遺伝子が可逆だ”ということを証明したという意義の方が大きいのではないかと思います。

 

追伸:また複雑な気持ちにさせるニュースが飛び込んできました。

クローン技術によって、首から上のないマウスが作られました。このマウスから臓器の提供を受ければ、別の臓器に疾患のあるマウスは生き延びられるというのです。臓器体製造工場とでももうしましょうか。

これが人間に適用されたらどうなるのだろう。受け入れられれば確かに医療革命になるでしょう。しかし……。死を目前にした人を前に、他人が倫理なんのといえないはわかってりる。

もし体がなくて、臓器だけが培養できるのなら、受け入れられそうな気もするのですが……。

追伸2:またまた新しいニュースが飛び込んできた。最近この手のニュースって多いですね

1998年1月にはシカゴの科学者リチャード・シード博士が「年間500人クローン人間を生産する」との発表をした。すぐに金も技術も無いことが判明して、だれも相手にしなくなったが、このようなことは金と技術があれば科学は突っ走ってしまいそうなのです。

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