ライ麦畑でつかまえて

ライ麦

「ライ麦畑で」を1ST訳と、村上訳版を両方買ってきて読み比べています。実は僕、二冊右目と左目で同時に読めるんだ。翻訳が日常の仕事だからくせかなぁ。

超ださい。

お疲れ。村上春樹訳は、超超超超超超超超ダサい。こいつ元訳の日本語版から今言葉風に置き換えてるだけだよ!最悪なのは元訳の訳語を迂回しようとして、そこだけ古すぎる単語つかったりあまりにバランスが不自然。

時代背景

例えば、その英語の原本が、1940年のNYを舞台にして、1951年に発行されていたら、邦訳に「チョベリバ」とか使うのを、どう思うかい?

語源

翻訳本の解説に偶然ドリフターズの字を見たことあるかい?死んだ、いかりや長介が私にその本を手に取らせたようです。「ライ麦畑で…」のネーミングは、「ドリフの麦畑」の元歌と同じスコットランド民謡からなんだってさ。「誰かさんと誰かさんがチュッ…」

つかまえ

つかまえてってのは、「私をつかまえて」なのか「つかまえてみたことがある」という意味なのかで主客が逆転する。つまり、つかまえ役か、つかまれ役かってこと。

THIS IS A PEN

THIS IS A PENのAなんて翻訳しない。この口語調が、読者を本の中にシンクロさせるのだが、野崎訳では、YOUを省略して、読者が主人公になりきってしまう。ところが、村上訳はイチイチYOUを君と訳す。つまり、主人公になりきれない。君という話しかけられ役を割り振られてしまうのだよ。

3この本の核

そもそも、「ライ麦…」は、主人公になりきりが恐ろしいのだ。ジョンレノンを撃った時、チャップマンは片手にこの本を持っていた。声明文は「ライ麦…の読書促進をはかるため」大統領レーガンを撃った男も そうだった。英語版では、なりきりが「核」なのだ。頭の中で自分の言葉のように響くような翻訳!でも村上にはそれがない。

ストーリー1

翻訳の事ばかりで中身を話してなかったね。ストーリーは単純。夏目の「坊ちゃん」と同じ。「新任の青年教師が大人の世界に失望し田舎へ」です。ライ麦では、もう少し年齢が低い(学生) 。坊ちゃんは熱血漢だがライ麦では、屈折寸前。

ストーリー2

ただ最後の二章節だけ違う。坊ちゃんの話に二段落ちが着くのだ。坊ちゃんは、失望して終わり。ライ麦では、このコだけを僕は守ればいいんだ。あとは、長いものに巻かれてもかまわない。と成熟して行く。僕的にはライ麦の勝ちと思った。

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ストーリー3

救われた気分になったのも一瞬。最後に実はこの告白の全ては、精神病院の患者の独白だったのだ。つまり主人公は、大人になれず悩みのすえ精神崩壊したのだ。そして、読者も狂気にかり立てる。「ライ麦…」シリーズおしまい。

  なぜライ麦か? なぜライ麦か?多分ライ麦のカビから幻覚剤が取れるからだと思う。

中世の狼男伝説も、魔女狩りもカビたライ麦パンが原因だと読んだことがある。

 

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口語訳

追伸:「ライ麦…」の口語訳なのだが、僕とまったく違う意見の人がいる。村上訳のほうがいいというのだ。「はやい話が、いまこんな言葉で話す若い奴はいない。文語体であればいかに古典的なものであろうとも、普遍的なものとして評価することが可能だろう。しかし口語はそうはいかない。」僕はそうは思わないのだが…?

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壁の落書き

追追伸:原文は1951年の発刊です。妹の学校の壁の落書きは原文では、Fuck you!。村上訳では、「ファックユー」、野崎訳は、「オマンコシヨウ」。どっちがいい? 僕は絶対「オマンコ」が好き。(誤解しないでね)