ネアンデルタール

 

…ネアンデルタール人は、類人猿とヒトとの中間の存在ではなかったし、またミッシング・リンクでもなかった。彼らは、私たちと同じ人間であった。ただ彼らは、私たちとは異なった種類のヒト、原始的形質と進歩的形質とを独特な形で混ぜ合わせたヒトを代表していたのだ。新人の勝利について、必然であったものは何もなく、仮に更新世の運命がねじくれていたとすれば、あるいは私たちの代わりにネアンデルタール人が今日までヨーロッパに居住し続けていたかもしれない。

ネアンデルタール人について考えることは、我々自身について考えることである。

ネアンデルタール人の謎──彼らは、一体何物だったのか?「人間」であったのか、それともサルだったのか?人間であったとすれば、我々「現代人」とは、どういう関係があったのか、それともなかったのか?あったとすればどんな関係があったのだろうか?彼らの「血」は我々の中を流れているのか?それとも、彼らは我々とは違う種で、進化の袋小路に入り込んでしまったのか?なぜ、彼らはいなくなってしまったのだろう?

「我々」と、どんな関係があったのだろう?どんな差があったのだろう?

言語か?
性行動か? 道具か? 知能か? 社会システムか? 出産率か?

何が、彼らを滅ぼしてしまったのだろう…。

我々は、一体なにものなのか?どこから来たのか?

本書を読むうち、ゴーギャンでなくても、この疑問を抱かずにいられなくなるだろう。

人類の誕生には、多起源説と単一起源説がある。同時期に世界各地で同時発生的に進化が起こり、お互い混じりあいながら進化して現代に至る、というのが多起源説であり、一方の単一起源説とは、文字どおり単一の種がどこか(アフリカと考えられている)で進化し、その種が、既にいた種を「結果として」駆逐してしまった、とするものである。

このどちらの説が正しいのか。誰も知らない、分からない。日本では「イヴ」の存在のみが大きく取り上げれてしまったせいで、単一起源説が定説となってしまったような感があるが、必ずしもそうではないのだ。まだまだ、議論の余地がある。分子時計の話ももちろんだが、それだけではない事は、本書を一読すれば分かる。「過去はたしかに一通りしかない」のだが、どの道筋が真実であったのだろうか。

ネアンデルタール人と、クロマニヨン人は交配していたのだろうか?そもそも交配できたのだろうか。それとも全く別の種であったのだろうか。この点は、まだ議論されている。

ネアンデルタール人は、どんな暮らしをしていたのか。近年の研究に寄れば(これまでの定説・あるいはまだ学校では教えられているのではないかと思うが、いわゆる「原始人」のイメージとは違って)、かなり高度な「人」であったらしい。そこまではどうやら確かであるらしい(そのため、よけい彼らがどうして絶滅してしまったのかが「謎」であるわけだ)。

ネアンデルタール人は一種の共同精神のようなものを持つ存在であったのではないか、という。

 

 

 

「DNA鑑定」が明らかにした人類の起源

1997年8月20日 The Economist


2006年 ネアンデルタールのDNA分析に成功

 

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 現代人はネアンデルタール人の直系の「子孫」なのか、それとも途中から枝分かれした「親せき」にすぎないのか。古くから議論されてきたこの問題に、ついに決着がつきそうだ。ネアンデルタール人の化石からとったDNAを調べたところ、人類と直接の「血縁関係」はないことが判明したのである。

 

 ネアンデルタール人といえば誰でも絵に描いたような「原始人」の姿を思い浮かべるはずだ。体型はずんぐりしていて前かがみ、眉の上の骨が突き出た顔が特徴的である。今やヒトにいちばん近い生物といえばチンパンジーくらいのものだが、かつてこの地球上にはネアンデルタール人やハイデルベルク人など、種の異なる「人類」がいくつも同時に存在したのである。

 

 とりわけネアンデルタール人については、1856年にドイツのネアンデル峡谷で骨が発見されて以来、現代人との「血のつながり」をめぐってさまざまな議論があった。これまでみつかっている最も古い骨は約30万年前のもので、現代人よりかなり前からヨーロッパや中東に住んでいたことがわかっている。これらの地域に現代人がいちばん早く登場するのは約10万年前のことだ。ところがネアンデルタール人は少なくとも3万年前までは生きていたので、2つの異なる「人類」が共存していた時代があったことになる。

 

 

●現代人はアフリカで生まれたという説が有力に

 

 発見されてから1世紀ほどの間、科学者たちはネアンデルタール人が現代人の祖先である、あるいはそうかもしれないと考えていた。現在でも、ミシガン大学のミルフォード・ウォルポフ氏らは、現代ヨーロッパ人がネアンデルタール人から進化し、ほかの世界各地でも地元の「原始人」がそれぞれ現代人に進化したと信じて疑わない。

 

 ところが1980年代になると、この説は厳しい批判を浴びることになる。カリフォルニア大学バークレー校の故アラン・ウィルソン氏が集めたDNAのデータによって、現代人は20万年前より少し前にアフリカで生まれたという説が有力になったからである。これが本当なら、ネアンデルタール人と現代人の間には直接のつながりはないということになる。それでも一部の古人類学者は、ネアンデルタール人と現代人の間で、少なくとも混血ができた可能性は否定できない、としている。

 

 だが、こうした論争にもついに決着がつく日が来たようだ。それも意外なほど明快な形で・・・・・・。

 

 ドイツ・ミュンヘン大学のマティアス・クリングス博士らは、1856年に発見されたネアンデルタール人の骨からDNAを取り出し、現代人のDNAと比べてみた。すると、確かに似てはいるが異なる点があまりにも多いため、現代人がネアンデルタール人から進化したとは考えにくい、という結論に達したのである。この研究報告は、7月に科学誌「セル」に発表された。

 

 日本でも大ヒットした映画『ロストワールド』では、DNAの復元技術によって現代によみがえった恐竜たちが大暴れする。だが、残念ながらこれは実現不可能な「作り事」にすぎない。DNAの分子は実際にはそんなに長持ちしないからだ。だが、理想的な条件の下でなら、DNAの分子は最高10万年までは壊れずに残っている場合がある。そこでクリングス博士は、ネアンデルタール人の骨が発見されたドイツ西部の涼しい洞くつの中なら、その条件に近いので調べてみる価値がある、と考えたのだった。

 

 

●ミトコンドリア・イブはネアンデルタール人ではなかった?

 

 ネアンデルタール人の骨を管理している博物館との長い交渉の末、クリングス博士は3.5グラムの標本を手に入れた。そして試行錯誤をへて、ついにDNAの抽出に成功したのである。

 

 研究チームが目をつけたのは、骨の中に残っていたミトコンドリア(細胞内でエネルギーを作る小器官)のDNAだった。ミトコンドリアは、細胞の核とは別に独自のDNAを持っている。1つの細胞に核は1つしかないが、ミトコンドリアはたくさんあるので、それだけ多くの遺伝子が残っていることになる。だから大昔に死んだ動物の標本から抽出するには都合がいいのだ。

 

 さらに、卵子が受精する際には精子のミトコンドリアは入り込まないため、ミトコンドリアの遺伝情報は母親からしか伝わらない。つまり父親の遺伝子による影響がないため、何世代にもわたって母方直系の遺伝子をたどることができる。また、ミトコンドリアの遺伝子が変化するのは突然変異による場合だけなので、そうした変化の積み重ねを調べることによって祖先をたどることも可能だ。(前述のウィルソン氏が「人類アフリカ発祥説」を唱えるようになったのは、現代人のミトコンドリアDNAを調べた結果だった。)

 

 クリングス博士は、ネアンデルタール人のDNAから379個の塩基配列を再構築するのに成功した。(人間のDNAは、4種類の塩基という物質が並んでできており、この配列の仕方で、遺伝情報が伝わる仕組みになっている。)また、世界各地の現代人からDNAを集めて、同じ位置関係にある379個の塩基配列をネアンデルタール人のものと比べてみたところ、平均27ヵ所で食い違いが見られた。現代人同士でも食い違いはあるものの、その数は平均して8ヵ所にすぎない。

 

 こうしてDNAを詳しく分析してみたところ、ネアンデルタール人と現代ヨーロッパ人の遺伝子の間には直接の「血縁関係」はないことがわかった。さらに、人類共通の祖先はアフリカで生まれ、それがネアンデルタール人と現代人にどこかで枝分かれしたことも明らかになった。

 

 もっとも、ネアンデルタール人が現代人との間に子供がもうけた可能性はまだ残っている。つまり理屈から言えば、現代人の女性だけがネアンデルタール人の男性と交渉をもち、男性はネアンデルタール人の女性とまったく性交渉をもたなかった場合には、ネアンデルタール人のミトコンドリアは現代に伝わりようがない。しかし、そんなことがありうるだろうか。確かに現代の女性には、「野性的」な男性に魅力を感じる人も多いようだが、そんなことが実際に起きたとは考えにくいのである。

 

The Economist 97年7月12日号

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