意識、無意識、集合無意識 と3因子
  アンナちゃん

WILL,JOY,SENSEは、まず、心理的次元として発現するスピリチュアリティー3’の3要素、パーソナリティー特性なのか、能力なのかはまだよくわからないのですけれど、私たちが体験するものと、とらえています。

WILLですが、これは一番近いのがアサジョーリのサイコシンセシスでいう、「意志のはたらき」概念です。その方の持つ資源を最高度に発揮するような方向に、決断し行動する意志です。欲望を押さえつけるようなものではなく、むしろ協力して可能性が花開くような方向に使う意志です。つまり意識化して、根源的な倫理(コールバーグの6段階?)に基づいてというか、宇宙の進化に調和するようなというか、そういう方向をさししめすものです。
男性的な感じや、理性、認知レベルに関連しているようで、冷静で静かな青色で表しました。

JOYは、実存的喜びでしょうか。チクセントミハイのフロー概念にも関連していますが、フローそのものではなく、フローを通して体験する世界(自我意識がなくなっている)に似ています。うちから湧き上がる、喜びで、出来事や外界とは無関係なものです。生きていることそのものから湧き上がってくるようなもので、困難さの中に見出せる深い喜びです。・・・この二つを分けたほうがよかったでしょうか・・・ううううん。生きる根源から来る熱い思いなので、赤で表しました。

SENSEは、超越的次元に関する気づきで、いわゆる一般的によく使われる意味でのスピリチュアリティー1かもしれません。光の3原色に無理やり当てはめて緑にしましたが、印象としては赤と青の混ざった紫が一番近いですね。高次元であり、統合であり、波長が短くエネルギーが高い・・(おっと、またまた飛躍してます・・・)

スピリチュアリティー1:超越的次元に関する感受性、体験能力など

これらがユングの意識、無意識、集合無意識に対応するというのは、その場の思い付きです。笑

意識と無意識の統合(昨日の話では、そんなものないということでしたが)が、ひとつ上の次元で可能になる、そこで現われるのがスピリチュアリティー2でしょうか。

スピリチュアリティー2:時空を超越したリアリティーとして現われてくるもの

この場合に使ってるスピリチュアリティー2と、SENSEのスピリチュアリティー1、3因子モデルでいうスピリチュアリティー3’は少しづつ違います。

スピリチュアリティー3:WILL,JOY,SENSEのすべてを含み統合したもの。すべてのすべて、ONENESSでしょうか。
スピリチュアリティー3’:スピリチュアリリティー3が心理的側面として表れ測定観察可能な側面です。



と書きながら概念の捉え方をもっとはっきりしないといけないし、適切な言葉を考える必要にも気がつきました。


サイコシンセシスでいうと・・・

WILL ,JOYと、SENSEを同じ次元で語っていいのか、同じような丸で表してよいのかという問題も出てきます。
WILL.JOYの統合がサイコシンセシスでいう、パーソナルサイコシンセシス、その次に、SENSEとの統合過程があり、それがトランスパーソナルサイコシンセシス、という捕らえ方もできると思います。

ロゴスよりエロスが得意なので、頭が混乱してきました。
HUGのほうが楽でよくわかってやっぱり、いいですね。

どうぞよろしくお願いいたします。




甲田発言:

おそらく尾崎さんが初めに書かれている「心理的次元として発現するスピリチュアリティ」の「発現」の意味について、ていねいに考えてみればよいと思います。ミンデル的な「プロセス」の概念もロジャーズのなる(becoming)ということも、関わってくると思います。
 赤ん坊がやがて大人になるとか、未熟な技能を熟練させていってプロになるというときのように、ここには必然的に,ある潜在的なものが顕在的なものに移行するという経験、つまりはプロセスが関わります。

 そこで、WILL・JOY・SENCEはやはり同一に扱えないもののわうに思われます。少なくともそれを意識・無意識・集合的無意識のようなプロセスをはらんだ概念にあてはめることは、誤解をまねきやすいのかと思います。
 
 ユングは臨床の中で「個性化」というプロセスに注目していましたから、意識と無意識の「結合」はともかく、「統合」は問題にしていません。なぜなら、「統合」は一つの理念型(モデル)であるのに対して、「結合」は生きる過程の上で確かめられるものだからです。

 そこで、プロセス論的にーモデル図としてはよいとしてもーWILL→JOY→SENSEと考えられるかもしれませんね。全部あわさった「白色」というのはモデルとしては「理念」としてのONENESSで、ただ、生きる過程としては現実に機能しうるものということになります。