知覚融合


 アジアとオーストリアの間に一万三千もの島が存在する。インドネシア諸島ポリネシアだ。地図にものってない小さな島もたくさんある。「ヌス・タリアン島」もそのひとつだ。

 この島に一度聞いたら一生忘れられないような音楽があるという。全楽器が自然と共振し耳を完全に素通りして魂を直撃するほどの音の滝にさらされる。この島にティアという名の女の子がいる。この子の秘密を知るに従って、この音が育った訳が想像できた。この子は全ての音や声を色付きで見ることができるのだ。ティアだけが特別というのではなく、この島ではこれが常識らしい。その子が、私達に投げかける質問は、「音に色がついてることもしらないの?色がなくてどうして音楽を聞くことができるの?」「ドラムが話をするとき、やわらかい砂のような茶色の絨毯を地面に敷いて、踊り子はその上で、空気に漂う音楽に手をさしのべ、銅鑼が緑や黄色をよび、私達の周りに森を造るのがみえないの?」という具合になる。この子からわかったことは、感情でとらえて、その物事にピッタリくる色を頭に中で創りだしてしまう能力があることだ。例えば、ケンカしている時は黒い霧につつまれ、親しく話してる時は、ピンクの光に包まれる。

私達も子どもの頃からこれを信じ続けさえすれば、同じことが出来たに違いない。しかし、もうここまで押し付けの文明に毒されてしまうと、もはや、二度と音の風合いを触ったり、味のイメージを見たりはできないだろう。夕焼けの香気も,ヒグラシの泣き声の涼しい色も永遠に失ってしまったのだ。これらのことは最近大脳生理学の分野で「知覚融合」として注目され始めたばかりらしいが、長い間、私達自信が否定してしまった為、他の子どもじみたことと一緒に、知覚融合もどこかに片づけてしまったのだ。残念なことに。今でこそ染料やペンキが発達して赤や紫がそこら中にあふれているが、昔はそれこそ自然の色しかなかった。

 考えようによっては私達は大変色慣れしたどぎつい世界に生きている。昔は暗く長かった冬が過ぎ去り春の到来とともに咲く桜の色が本当に目に突き刺さんばかりに輝いて見えたのだろう。白といえば雪の白、緑といえば葉っぱの緑、青と言えば空と海の青ぐらいと、あとは蝶や花のいろどりしかなかった世界。昔の人はただそれだけで自然を大切にしようとする心が自然にわき起こってきたのだろう。

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