精神の二重構造とトランス状態
初期の個人的無意識は一種のごみ捨て場であったのだろう。もし私達が周囲のことに逐一注意を払っていなければならないとしたら、大切なことは一つも結びつけられずに戸惑い続けていただろう。
考えるという能力は、比較的低いレベルで分析された予備知識の背景があって始めて発揮できる。シーンとした森の中で「ポキッ」と小枝のおれた音がしたときだけそれを意識の表面に引っ張りあげる事できるのはこの為だ。車の運転やスポーツもこの二段構えのシステムにより、うまく行えるのだ。あまりに基本的なことを故意に意識することによって結果的にはかえって混乱させることになるからだ。
音楽的才能というのも無意識の産物であるのに違いない。意識を自発的な意志により低下させること、意識的にトランス状態を採用することは、無意識の才能を生かす最良の手段とされているが、なかなか常人にはできたものではないのだろう。
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