これは、遺伝的に優秀なものだけを出生させようという学問で、真面目に学問を志すもののは、真剣に勉強しなければならないとされていた。その行き着く先はいい電子分析の結果を国家機関に登録し子供を生んで良い人間といけない人間を決めるようにすれば、最も簡単だとまで考えた。

起源:古くは、プラトンの「国家」でもふれられている。

発展:19世紀後半にきわだったものとなる。優生学が関心をもたれるようになった根底には、当時の哲学で信奉されていた2つの考え方があった。人類は完全な存在をめざして進歩をつづけるという信念と、もっとも信頼できて有効な知識形態とみなされた科学への信仰である。

 

近代:一九二〇年代,三十年代にはドイツで盛んになった。しかしこれは思想上の奇形種であった。

この思想は、かのヒトラーの源流となっている。この中では、アルコール中毒症はアイルランド系の遺伝子、貧乏はイタリア、欲張りはユダヤ系の遺伝子のせいとだというのである。アンドリユーカーネギーも熱心な優生学支持者で研究所まで役立している。

 ドイツではヒトラー後もこの思想を振り払うことは難しく現行の法律の中でも残っている。パスポ ート法というのがあり、ドイツの国境外にいても「生物学的に望ましい」ドイツ人とみなされた人たちに、自動的に市民権を与えている。一方、すべての「生物的非ドイツ人」たちは、市民権を得るためにあたっては、一連の質問に答えなければならない。そして一九九一年まで、その質問の中に「あなたの鼻の形は?」という項目があったのだ。

アメリカではこうした遺伝子と優生学を結びつける悪例を批判しながら、行動と遺伝子を結びつける研究が行われている。米兵たちは自分のDNAを軍部に提出することになっている。例え肉片となっても本人の肉体と確 認できるようにだ。しかし最近の目的はホモの遺伝子を発見しその兵士を排除することにむけられて いるという。

いまでは人類改良の悪夢の一〇〇年とされているが、もし生物学の進歩が、道徳観念を次々と変えていくことを要求したら、それを人々が受け入れるようにさせるのはどうしたらよいのだろう。

たしかに全ての人が公平に生まれてきているわけではないのは明らかだし、全ての人種が同じように才能があるという保証はない・・・・

もちろん教育が大切だが、なかでも、宇宙の中で、生物世界で、社会でそして科学的事実の本質の中で人間がどういう位置にいるかという現代科学の視点を教えるべきだろう。

種の多様性が次の発展となっているのは間違いない。