<性>

 生命に性別は必要だろうか?生命のうち性別があるのは半分以下だ。性が存在しなくても繁殖は完璧に遂行できる。事実、多くの意味で無性生殖の方がはるかに効率がいい。なにせ相手にめぐりあわないリスクそのものがないのだから。高校の時にアオミドロの実験をしたことがあるがろうか?アオミドロはナイフで半分に切っただけで、何の支障もなく繁殖していく。一匹が二匹、二匹が四匹といったぐあいだ。

 タンポポには雄しべも雌しべもない。一輪で全能の性をもっていて、昆虫の助けを借りなくても、完璧な種を風に運ばせて、世界中で成功をおさめている。

 君はすこし驚くかもしれないが、これと同じことをやっている生物が、昆虫にも魚にも、両性類にも爬虫類にもいるのだ。モーリーという魚は水槽のなかに一匹だけでどんどん繁殖するし、トラサンショウウオは単性、オスの絶滅したあるトカゲはメスだけで繁殖することを学んだ。

 有性生殖の際立った利点は、それによって多様性がもたらされることだ。遺伝子をすこしばかり混ぜ合わせるのである。無性生殖の個体郡のはうか増えるのははるかに早いが、無性生殖は柔軟性という恩恵があたえられる。子供一人一人に微妙な差があるため、環境が厳しい挑戦をしてきても、誰かが対応できる可能性が高まる。進化のスケールにあてはめて挑めてみると大型の生物ほど進化がのろい為、性が分かれていることがわかる。

 このせっかくの機能を損なうものがあるとすればそれは近親相姦だけだ。近親相姦のタブーはなにも人間だけではない。猿でも虎でも、魚でも近親相姦は本能的に避ける。自然界では基本的にタブーなのだ。植物は一輪の花に雄しべと雌しべをもち雌雄同体で相手を判別する自由すらないように思えるが、このタブーは守られている。ユリの花粉などは、自分自身の花柱であることに気がつくとすぐに自己消滅してしまうし、アボガドは、雄しべと雌しべの開花時期をずらし自身での受粉はさけようとするシステムが働いている。自分自身で受粉してるのは、パンジーくらいのものだ。

 性があるからこそ、進化も加速する。人間のような大型の生命体が今なお絶滅しないでいるのは、ただただ性のおかげといってもよい。さもなければ小型で変化の速い寄生生物や病原菌にすぐさま絶滅に追いやられるだろう。

 こう考えると性の別はただの防疫機構の一手段になってしまう。個体を守るのに、DNAが一組より二組のほうが有利といっただけである。その他の事は、−例えば、蝶の美しい羽や女性の美しい顔すら、セックスする為の広告塔にすぎなくなる。

 しかし、人間になるとセックスにもう一つの意味を持つ。人間のセックスは子孫繁栄のはかにコミュニケーションの手一段を意味する。 愛のあるセックスは形而上のなにかをもたらすだろう。

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