オスとメスの世界では、普通オスはメスを引きつけるため大変派手で積極的なのものだ。しかし自然界での過度なオシャレは時として命取りになる。孔雀など最たるもので、あんなに派手にしてるが故、ほかの動物に発見されやすく、メスより短命に終わる場合が多い。しかしそのリスクを犯してもメスを求めて羽を広げるのは性(さが)の深さをあらわすのものだろう。

 しかし、例外的なものもなかにはいる。シギダチョウは、出産こそメスがするが、あとの家事分担はすべて平等でおこなう。だから、この鳥はオスもメスもほぼ同じ大きさで、色も同じようにくすんだ安全な色となっている。クツノオトシゴでは、性の役割が逆転している。オスが卵をかえすための袋をもち「妊娠」「出産」し、子育てまでやってしまう。したがって、ここでは、メスのはうが色鮮やかで、積極的だ。

 哺乳類を万物の霊長の人間とそれ以外の下等動物と分ける見方があるが、それと同じ見方をすると鳥もコヤツクリとそれ以外と分けられる。一般の鳥では性の存在が基本的にオスを派手にしてるがその全部が自分の体を飾るといった方法にでる。しかしコヤツクリは違う。外観は雌雄同色だがオスは、派手な家を建ててメスの迎えるのだ。自然界でもっとも強力な力のひとつである性的な選択をめぐる力が「外在化」されているわけである。家は事実上二次的な性的な特徴を表す外在化した着衣となる。かくてこの鳥のオスは安全とメスの両方を手にいれることができたのだ。問題は家をつくるといった行動の結果について自覚をもっているかだが・・・そして人間も・・・??

 遺伝子の基本命令としては、オスに対しては「できるだけ多くメスと交わりなさい。そして、子どもができたら、次のメスと交わりなさい」メスに対しては「できるだけ優秀なオスと交わりなさい、そしてそのオスがほかのメスと交わるのはすべからく妨害しなさい」となる。

 生物学的に考えると人間の恋愛は四年もすれば子育ての使命をはたし、別れても支障ないそうだしかし結婚してからも実に四〇年〜五〇年ぐらいも一緒に暮らす人もいる。これほど長い期間結びついていられるのは、何故か?

 いまや男と女は単なる生物的な分類ではなく、むしろ文化的区分けといってよく、それ故に通常生物のオスメス関係と逢ったものになったのであろう。

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