*三 時間と空間の壁を突き破るもの 

生物の体に縛られている我々の生命はあまり自由ではない。だが、もし純粋な生命が存在し、そしてその生命を我々が時間と空間との関係においてとらえようとするならばどうなるか?  

物質は空間的に(延長的に)制約され、今占めている空間を超えられないため、同時に二力所に存在することが不可能である。したがってお金でも何でも他人に与えれば、その分本人は貧しくなる。しかし知恵や愛などの生命的なものは、他人に与えても、なにも失うものはない。むしろ、ますます増える傾向すらある。

つまり、空間を超えて存在することができ、過去、現在、未来の時間の壁すらも突き破って持続し浸透することができるのである。  それ故、「物欲に縛られる人」は「奪い合いの人生」を送り「生命的なものを重んじる生き方をする人」は「与える人生」をおくれる。実際、生物の世界では、基本的に進化した生命度の生物ほど個 体相互の「与える傾向」があるようだ。

 したがって、もしも<厳密に自力で実在するような純粋な生命>が存在するならば、その存在は、限り なく多くの生命を分与し続けることが可能だろうし、「与える」インパルスも限りなく強いに違いない。

その生命はどこにでも、そして、どんな大きな空間にも、どんなに小さな空間にでも、完全なアイデンティティを持って偏在するだろう。つまり空間的にも自由なのである。 生命は空間的制約に縛られず、求めるところに現存するのである。

 

HOME

E-mailはココとクリック