*<第二節>生物の肉体の改良(進化) に現れる生命と知性の働き

*自然淘汰=自然消滅  一般的に理解されている自然淘汰説によれば全ては偶然の変異であると説明されるが。 これだけで全てを語り尽くしたことになるのであろうか。よく計算してみると 自然淘汰説だけでは、全ての生命が消滅し尽くされてしまう式しかなりたたない。  

@生命は全ての部分が同時に有利にならない限り、不利になってしまうことをまず考えてるべきだ 例えば、眼球には網膜、水晶球、角膜、結膜、ガラス体など多くの部品がある。しかしこの中の視神経が一本切れただけでも、ほかの目のパーツは無駄になってしまい生存にも適さなくなる。心臓にしてもこれが一つダメになってしまったら他の臓器がどんなによくなったところで、不適格者となって しまうだろう。しかしわれわれ生物においては細部にわたって無駄というものが一切存在しないのである。変化の都度に、何万回となく続いて有利な方向に変化しなければならないのだ。  

Aはたしてこのような全ての部分が同時に有利になる確率はどれくらいあるだろうか?一〇のコインを放り投げて偶然全てが表になる可能性は一〇二四分の一である。換言すれば一〇二四匹の個体のうち たった一匹以外は全て不利となってしまう。  しかも細胞はコインの表裏といった単純なものではない。一つの細胞をとってもミトコンドリア、 ゴルジ体など、その数は一〇どころではない。仮に一〇として計算しても、一〇の細胞が同時に有利 になる可能性は一〇二四の一〇乗(一〇二四万*億*億*億=一〇二四〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)分の一しかない。 網膜ひとつとっても一〇億以上の細胞があり、これが全て有利になる可能性はどれほどのものか想うと想像を絶する。しかも変化は一回だけではない。間違いなく目はすぐに見えなくなるだろう。能動的生命がないまま全てが偶然によっていては全世界の生物は数日のうちに間違いなく死滅するだろう。  

Bもしこの確率のなかをくぐり抜けてきてのが我々だとしても、前提となった生物がすくなすぎる。 例えば魚から馬になるのに五億年かかっているが、その間に五〇〇年に一回だけ変異がおこったとすると一〇〇万回の変異で馬に到達しなければならない。  このとき、仮に変異する部分を一〇としよう。すると一〇二四匹の魚が先に存在しなければならな い。先の計算に基づきその変化が一〇回おこったとすると一〇二四の一〇乗匹の魚が先に存在しなければならない。では一〇〇万回の変異のなかで一匹の馬が生まれるまでに先に何匹の魚が存在しなければならないのか?計算では一〇二四の一〇〇万乗匹必要となるのだがこれがどういう数字か想像できるだろうか?全地球を最初に魚が何万キロも覆い尽くされてもまだ足りないのだ。(成層圏ですら 上空五〇キロ,上空五〇〇〇キロで外気圏を通り抜けて惑星間空間に入ってしまう)如何だろうか?これが偶然では進化しないことを実証するには充分な根拠ではないだろうか? 進化は偶然的な変異の自然淘汰だけは説明できない、生命と知性とを必要とする。

 

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