<<第一章>>生命の直感  

最初に「肉体」と「生命」と「生物」の三つの概念をまず明確にしておきたい。

まず「肉体」とは物質である。

「生命」はその肉体を高度に組織化している「内的な能動原理」である。

「生物」は「肉体」と「生命」の両者からなるものとして区別して話を進めたい。

*本当に生命は存在するのか?

「生命なんて存在しない。人間は超精密な機械にすぎない。いわゆる生命的なものは、物質から生じたものであって、物質的に高度な活動以外の何物でもない。生命の神秘は迷信であった。」

こうした話をしばしば耳にする。しかし本当にそうだろうか? もし自分の恋人が超精密機械だったら、愛や幸せを感じるだろうか?もしそうなら人生は味気なく 孤独なものになってしまうのではないだろうか?それどころか自分自身が精密機械だったならどうだろう?

人間はこの超精密機械とは根本的に何かが違う。その違いは何なのか?それは生命の有無ではないだろうか?

生命の存在はなにも難しく考えることはない。実際は誰もが日々体験的にはっきりと直感していることである。人は誰でも自分が<自由のある生命的な存在>であることを直感している。

又、生命がなければ「私」という意識すらもあるまい。「私」という意識は生命の直感以外の何物 でもないからである。  同時に我々は他人の中にも生命の存在を直感している。

自分の恋人を超精密機械のように真面目に思っている人はいない。相手の中に自由な愛情の主体が存在し、それが(必然的ではなく)自由な愛によってこちらを愛してくれる(愛さない可能性があったにも関わらず愛してくれる)からこそ、幸せを感じるのではあるまいか?

そこには自由な愛情の主体の存在がどうしても感じられる。その主体が生命だ。そして、愛は生命そのものが直感するものと言えるだろう。

 

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