全体のねらいイデオロギーの対立が終焉し、それとともに文明の衝突が予告されている。事の当否はともかくとして、キリスト教文明とイスラム文明を生み出した母胎として古代地中海世界があったことは忘れるべきではない。そこには、オリエント、ギリシア、ローマを中心としながらも、多種多様な人々が人類史上最初の試みと創作を行った舞台でもあった。その壮大な文明の歴史をふりかえることによって、現代文明の源流をさかのぼるだけではなく、21世紀の展望を開く機会にしたい。
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農耕や牧畜が広がり、灌漑農業が営まれるなかで都市が生まれ、そこに文明が誕生したと言われる。メソポタミアとエジプトにおいて、宗教と王権はいかなる関わりをもっていたか、また、文字の発明は人間の社会にどんな影響をおよぼしたか、などについて考えてみたい。本村凌二(東京大学大学院教授)本村凌二(東京大学大学院教授) 楔形文字:変化がはげしい シュメール人 何系がわからない ギルガメッシュの中に洪水伝説がある。これを メソポ チグリスは不定期に氾濫し、非常に悲観的な人生観をもっていた。神は3000もいた。死後の世界観がない。 セムが巻き返す ウル第三王朝ージグラットの建設 エジプト文明ー動物を神々とするのは、狩猟民のルーツ 民族:ハム語系 ヒエログリフ:3000年間 変化がない ピラミッド:奴隷か? 墓からは、男女半々、子供もでる。 出勤簿:母危篤の為,帰省。二日酔いなどの理由記載がある。 契約書がでてきた。パンとビールを与えるとかいてある。 7月~10月は農閑期でこれを救済する国家プロジェクトであったようである。 メソポタミヤ文明
鉄器と戦車の使用は、人類の歴史に多大の影響をおよぼした。それまでゆったりと流れていた歴史は急速に動きだし、諸民族の興亡がめまぐるしくなった。古バビロニア王国は崩壊し、エジプトの諸王朝も大きな動揺をくりかえしている。そうしたなかでも新しい文化が創造されていることに注目したい。同上同上
非セム語系・・・シュメール人、エラム人(イランに当たる地域) セム系・・・アッカド人、アモリ人(アムル) 印欧系・・・ヒッタイト、ミタンニ (この登場が新しい、交流が始まる)メソポタミヤの諸民族
都市と都市の戦いは、神と神の戦い ハムラビは力をもったー首都バビロンをつくりハムラビ法典を制定(最初の法ではなく、地域の集大成)同害復讐原則「目には目を歯には歯を)ヒッタイトに滅ぼされる。 ヒッタイトやミタンニは戦車を持っていた。 エジプト人:来世概念がでてくる トトメス 3世 戦車により アジアまでユーフラテスまで領域を広げる。芸術の復興 エジプトのルネッサンスといわれることをする。アメンラーを廃止し、唯一神アトン神を決める。史上初の一神教。 次のツタンカーメンはアメンラーを復活させる。 アッカド王国において、非セムとセムが融合していく、
前2千年紀末には東地中海世界で民族移動が激しくなり、「海の民」の出現で広い地域で混乱がおこった。さらには、フェニキア人、アラム人、ヘブライ人などが姿を現し、なかには西地中海や中央アジアにまで進出する勢力もいた。地中海沿岸地域における諸民族の混迷の諸相をたどっておきたい。同上同上
ダビデ王とその子ソロモン王のことはヘブライの民は栄えたが、その後分裂 フェニキア人:海の民の技術を取り入れ、船をつくる。アフファベットもつく。 青銅時代から鉄器時代にはいる。ヒッタイトが独占していたとされるか、海の民は知っていたようだ。
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前1千年紀初頭における騎馬遊牧民の脅威と騎乗技術の普及は強大な権力を出現させることになる。アッシリア帝国は初めてオリエント全土を統合し、やがてペルシア帝国は東地中海からインダス川流域におよぶ広大な覇権を築いた。これら世界帝国の成立をめぐって、その世界史的意義を考えてみたい。同上同上
小国が群雄割拠の時代に一度なる。騎馬遊牧民が、力をもつ。
エジプトの美術は、幾何学的な枠に嵌めようとする。 エートス:理想 パトス:情感
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ギリシアでは、化石の発掘は行われており、これが、神話時代の怪物として現れる。 |
ギリシアの悲願はペルシャの制圧であった。マケドニアから出発したアレキサンダーは 長い槍を方陣に組み、無敵を誇り、5倍のペルシャを制圧。しかしギリシア神話での神々は、はるか大遠征をおこなう。自身と神と思い込んでいるアレキサンダーは遠征を終えることなく、インドまで達する。しかし部下の望郷の懇願により、引き返す。帰りに高熱に犯され、三十数歳で死ぬ。 途中エジプトも制圧し、ファラオにもなっている。 |
BC5:コントラポスト:彫刻の重心を左右対称を突き破る。 アルカイック後半:エートス あるべき姿中心 クラシック期:生命感、動き。パトスの動き かつ秩序がある。 パルテノン神殿:アクロポリス(高い都市) 女神アテナBC447 エートスとパトスのバランス 造形活動にかかわる3者 注文主(アテナイ)作る人(技術者)受け取る人(市民・同胞) パルテノンには1箇所の直線がない。台、軒、柱の傾き、破風彫刻 |
エトルリア文字が後のローマ字になる。王が存在。クラシス・ケンテュリア制、 スピキオとハンニバル: 自国をどう呼んでいるか?=SPQR 元老院と市民 ローマは独裁政、貴族政、民主政 全てがあったが、バランスが取れていた。征服しつつ、取り込むことに大きくなる。 ピリビオスの分析によれば、ローマ人の神々には (慎み)がある。ギリシアの宗教には 個人救済 (観)しかない
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500年にわたり共和制を維持してきたが、カエサルは、帝政を引こうとした。その反感により殺された。 その後継は、共和制を形だけ残し、兼任という形で支配していった。 身分構成は、奴隷。解放奴隷、自由人、騎士、元老 |
パルテノン後: クラシック:初期:エートスにパトス 盛期:パルテノン 豊麗様式:精神的な変化 後期:マケドニアとの融合 これらの変化は造形活動にかかわる3者が変わっ ヘレニズム期:アフロディーティはプラトニックとエロティシズムの両方を担当していた。 ミロのビーナスは、どこか古風、体はS 頭はクラシック 建築ようしき。中庭がある。アトリウム 美術を調べるのは、「精神をどう表すか。」 |
3世紀の危機」 通貨の改悪はインフレーションを引き起こし、軍人皇帝の時代にはいる。 コンスタンティヌス:皇帝の権威が失墜し、新たな求心の道具が必要であった。宗教にその有効性を認めた。 当時、宗教は自由であったが、争いがあった。
宗教により権威を高めようとした。キリスト教を公認する。 逆にこれによりキリスト教は堕落する。 テオドシウス:391年宗教間の争いがはげしくなり、異教を禁止し、キリスト教を国教化する。 このテオドシウスは395年に逝去し、ローマは息子たちにより東と西に分裂する。
4ー5世紀:奴隷階級は自由人となり、小作し、自ら、農作物をつくりだす。これが、都市の衰退となった。
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没落ととるか新しい時代の息吹ととるか? コンスタンティノープル教会 なぜ没落したのか?
学者の数だけ没落説があるが、これだけいろいろ出てくるのは、やはり、老衰。 衰退・没落ではなく、新しい文明の息吹なのである。 その後3つの文明(カトリック世界、ギリシア正教世界、イスラム教世界)になったが、全て一神教であり、文明の衝突の開始 禁欲的になった。 その後はポストローマ期と呼ぶ
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