幸福は絶望の上に
哲学の目標は幸福です。
絶望しよう、 絶望を楽しもう
著者はフランスの哲学者
要点は、余分な欲望を持つなということ。
これはキリスト教で世界にとって、画期的なことだそうです。
しかし、絶望をdespairと使っている。違和感を感じるな。絶望を辞書で引くと 「lost hope」 「hope less」とかが載っているが、どれもいまいち。
そこで 東洋的な「無」とか「空」を思い出してみた。決して悪い意味ではない。
英語だと、実際いい訳があるだろうか?
聖書にも無は使われるが、「信仰がなければ、一切は無だ All is vanityといいほうに解釈されない。
般若心経の日英対訳をみると「空」はemptnessと使われているが、「むなしいさ」を感じる。イキイキしてない。
一切を削り取り、削り取ったことすら削り取ることが無であり平安なのだ。
de-emptyless
目標を持ってない願望