パンドラの箱の寓意
 
  ギリシャ神話に「パンドラの箱」というのがある。定かでないが、以下のような物だったと記憶している。
 

 
神様ゼウスは、人間を懲らしめようと考えていた。
 
懲らしめようと決心した理由は、食い物が原因らしい。お供え物の食い物を選ぶ権利のあるゼウスは、プロメティウスと
いう神様に仕組まれて、外見はおいしそうなだが、中身は骨だけの食い物を選んでしまった。残り物にありついた人間
は、外見はまずそうだが、中身はおいしい肉を食った。
 
ゼウスが、人間を懲らしめようと思ったのは、おいしい肉を人間に食われたのが、原因だと言うから、「げに、食い物の
恨みは恐ろしや」とは、良く、言ったものだ。
 
だいたい、自分で選んでおいて、選択を誤ったからといって、良い物にありついた方を懲らしめるなどと言うのは、「逆
恨み」もいいところだ。
 
神話の神様というのは、日本でも、同じだが、余りにも、ドロドロしている。
 
しかも、禄な奴じゃない。ストリップショーをやったり、相撲を取ったり、大暴れしたり、近親相姦をしたり、殺しなど日常
茶飯事だ。
 
そんなゼウスが、鍛冶屋の神様に、泥で人間を造らせ、戦いの神様のアテネが綺麗な服を着せ、美の神様アフロビー
テが、妖艶は美貌を与えた。
 
パンドラと名付け、地上に派遣した。これが人間の女性の始まりになった。
 
ということは、地上の人間世界は、男ばっかりだったと言うことか。
 
しかも、プロメティウスの弟(弟は人間として地上に住んでいたようだ}の下に派遣したという。
 
神様ゼウスにまずい物を食わせるようにしくんだ、兄貴のプロメティウス神への復讐みたいなものだ。
 
「綺麗な女には毒がある」てなもんで、周囲は、反対したようだが、弟は、パンドラを迎え入れた。弟の下に送ったの
は、嫁入りという概念でなく、女工作員を派遣したような物だろう。マタハリか、李香欄といったところか。
 
派遣に当たって、神様ゼウスは、パンドラに箱をくれた。神様達からの贈り物だという。
 
まあ、選別みたいな物だろう。
 
神様ゼウスは、パンドラに付け加えた。
 
「この箱は、決して開けてはならない」
 
なんたる神様だ。箱をやるに際して、中身も言わず、開けるなという。
 
開けちゃならない箱なんざ、タダのお荷物よ。こんな物を抱えて行くだけで大変だ。
 
とはいえ、適当でふざけたゼウスの神様のおっしゃるとおり、パンドラも、しばらくは、箱を、開けなかったのだが、「貰っ
てしまえば、こっちの物よ」てなもんで、開けてしまった。
 
開けるなと言うのに開けてしまったということで、パンドラの箱という神話は、「女性というのは、好奇心の強い存在」の
例えに使われるようになった。
 
しかし、男性も女性も変わらない。「開けるな」と言われれば、開けたくなるのが人情だ。
 
誰でも、神様に隠れて、開けて中身を見るだろう。
 
子供がクリスマスプレゼントを、前夜に見つけて、待ちきれずに、開けてしまうような物だ。
 
パンドラは、箱を開けて、ビックリ玉手箱!
 
出てきたのは、金銀、パール、ダイアモンド、サファイアなどの宝石ならぬ、ガラクタが出てきた。
 
現代の人間世界に存在する、憎しみ、嫉妬、恨み、悲しみなどといった不幸の類のガラクタの山が出てきたのだ。
 
神様は、それを、パンドラの箱の中に封じ込めていたのだろうが、これを、パンドラが開けてしまったという次第だ。
 
まあ、人間としては、「クダラナイ物をよこしやがって!」と神様の殴り込みを掛けたいところだ。しかし、その中に、「希
望」というのが、混じっていたという。
 
ガラクタの中に混じっていた唯一の宝石みたいな物だ。
 
斯くして、人間の祖先であるパンドラは、箱を開けたお陰で、人間は、不幸を一身に背負うようになったが、唯一、「希
望」という幸せも得ることになったという。
 
執念深く食い物の恨みを、持ち続けていた神様ゼウスの復讐を受けてしまった。
 
「なんじゃらホイ」といったギリシャ神話のパンドラの箱の話だ。
 

 
パンドラの箱の神話をつらつら考えてみる。
 
パンドラの箱」というのは、何だろう。何か、寓意がありそうな気がする。
 
人間の女性だけが持つ物だ。しかも、何かが、収まる箱だという。開けることもできる。
 
分かった!
 
(この辺は、天の邪鬼思考をするから、すぐに思いつく)
 
パンドラの箱というのは、人間の「女性の骨盤」だ!
 
動物というのは、四つ足歩行するので、骨盤が開いていない。人間の女性だけが持ち、他の動物の雌が持っていな
い。
 
人間の女性というのは、白骨化しても、骨盤が開いているから、すぐ分かる。
 
動物で、白骨を見て、雌雄の区別をするのは不可能だ。
 
(骨になっても、「女である」ことのアイデンティティーを主張する?)
 
絶賛に値する、しぶとさだ。(?)
 
神様が、パンドラという女性に与えたのは、まさしく、骨盤であろう。
 
「骨盤を開けるな」というのは、いわば、「男性を迎え入れるな。一生、処女のままでいなさい」とパンドラに諭したような
ものだろう。
 
神様は、「男なんざクダラナイから、一生処女のままでいると、裏切られたり、嫉妬に駆られたり、暴力をふるわれたり
といった不幸を背負わなくなるから、絶対、男を迎え入れたら、駄目だよ」といったのかもしれない。
 
しかし、パンドラは、神様の言うのとを聞かず、処女を失ってしまった。
 
(昨今、未婚の女性が増えているのは、ゼウスの神様の言いつけを思い出したのだろうか?)
 
男との交わりは、不幸の始まりだったのだが、唯一の希望は、骨盤の中から出てきた「赤ん坊」という希望だった。(?)
 
しかも、人間の女性だけが持つ開いた骨盤というのは、人間を動物世界の頂点に立たせた素晴らしい子孫製造工場
だった。
 
頭の良い子供が生まれる機能を持っている。
 
人間は、強さではライオンにかなわない。背丈もキリンにはかなわない。足は勿論、馬にかなわない。
 
何の取り柄もない人間が、パンドラの箱のお陰で動物世界の頂点に立てるようになった。
 
動物には見られない女性の開いた骨盤がどれだけ、人類発展に寄与してきたかという論は別の機会に記述する。
 
ギリシャ神話も、適当でふざけた神様の話に思えるが、「パンドラの箱」には、深遠ともとも言える寓意が込められてい
るような気がしてならない。
 

 
反社会的の行動
 
 母親にとって、一つの潜在的不安は、男の子が、思春期になって、母親に暴力を振るうようになることである。
 
男の子が、女の子と同じだと思っていると、とんだ、しっぺ返しをくらう。
 
赤ん坊のころは、母親にすべて、頼りっきり、成長しても、母親のいうことを良く聴く。
 
ところが、思春期のある時期に、突然粗暴性を発揮し、母親に手を出す存在になる。
 
赤ん坊そして幼年、少年時代の子供の姿は、そこに存在しない。
 
母親は、途方にくれてしまう。
 
何故、このようなことが起きるのか。
 
男の生態あるいは、男の行動特性に対する無知に起因する。
 
男というのは、根底で、「反社会的行動特性」を、常に持っている。
 
母親がそれを知らず、女性と同じような感覚で、子育てすると、子供から殴られて初めて、自分の生んだ子供に粗暴性
があるのを感じてしまう。
 
「昔は、いい子だったのに、何が原因で、暴力を振るうようになったのかしら?」
 
子供に殴られながら、自分を責めている。
 
親というのは、損な商売だと、つくづく、思ってしまう。
 

 
動物の牡は、雌を巡って、争う。
 
オスの遺伝子によって、排他的に、自分の子孫を残そうとする行動である。
 
そのためには、ライバルの、オスをやっつけなければ、子孫を残すことはできない。
 
綿々として受け継がれてきた遺伝子が、オスに要求していることである。
 
本質的に、反社会性と粗暴姓を持っているのである。
 
それを、母親が女性流に解釈して、自分の子供は反社会性と粗暴性をもっていないなどと考えるのは、楽天的な考え
方である。
 
と同時に、それらを持っていないと、子供の代で子孫は滅びることになる。
 
根源のところで、動物の延長上にある男の子は、この反社会性と粗暴性を持っているのは、ある面では、正当であり、
人類の存続のためには必要なことである。
 
この本源的行動特性を知った上で、男の子の育て方というのは、別の育て方をしなければならない。
 

 
オスがメスを巡って取り合うとき、オスとの争いが起きる。
 
この争いというのは、自分の子孫を増やそうとする遺伝子がなさしめているもので、利己的で反社会的なものである。
 
「争いはやめて、コイントスでもやりましょう」とはいかない。
 
自己の存在儀をかけ、相手を傷つける争いである。
 
オスの争いは、雌の争いとは違う。メスの争いは、社会性のある「競争」という形で、争いをする。相手の肉体を傷つけ
る争いをするという遺伝子は持たない。
 
オスの争いは、「闘争」という争いをする。
 
相手の固体を殴って、やっつけ、自己意思を相手に強要する。
 
そこには、社会性など微塵もない。「自分がよければ、すべて良し」とする価値観しかない。
 
粗暴性の世界にもルールがある。
 
「闘争」の中では、相手に力を持って、勝てなければ、自己意思を後退させるというルールである。このルールを無視す
ると、力の強いものに殺されてしまう。さらには、争いが嫌だということで戦わないと、存在すら否定される。
 
男の争いは、すっきりしている。
 
「競争」の中では、負けても、戦い続けるのがルールである。女の争いは、際限がない。
 

 
人間の男性は、理性という尺度を持ち込んでくるので、反社会性とか、粗暴性というのは、表に出ないことが多い。
 
しかし、オスの行動の本源的部分が、体の中にあることは事実である。
 
それが時として、獣の顔をして、表面にでてくる。
 
母親が、思春期の男の子に対して、感ずる違和感である。
 
オスが持っている本源的行動特性を知っておれば、子育ての段階で粗暴性に対しては、力による屈服を相手に強要
し、反社会性に対しては、理性を教育できると思われる。
 

 
二本足歩行の女性への影響
 
 「立てよ、歩めの親心」という言葉がある。
 
赤ん坊の成長を喜んで見守る両親のさまを表している。
 
天邪鬼の視点をもってすれば、歩行器具など、買い与えて、「早く立て、早く歩け」というのは、ご無理な注文だ。親馬鹿
チャンリン、これに尽きるといったところだ。
 
足の筋肉がついてないのに、歩かせたら、O脚か、X脚になるのがオチだ。
 
さらに、四つ足でしっかり歩かせておけば、腰の力が格段に強くなる。
 
二本足で、歩かなければならないことを考えるとき、ハイハイを十分させて、腰の力を十分つけさせておくことで、将来
の腰痛を防ぐことができる。
 
人類が、数万年かけて覚えた2本足歩行を、1年そこいらで、歩行器具を与えて、早く、赤ん坊に習得させようとする考
え方が土台無理な話だ。
 
あせることはない。どんなに歩くのが、遅い子供でも、一生、四つ足で歩こうとはしない。
 
人間は、四つ足歩行には、向かない構造に進化してきた。
 
後ろ足が太く長い。四つ足歩行には向かない。必然的に、二本足歩行をするようになっている。歩行器具など買い与え
て、「立てよ、歩めの親心」というのは、ただ単に、歩行器具メーカーを喜ばし、親の自己満足をかなえるだけの行動に
過ぎない。
 
本当の親心は、「立つな、歩くなの親心」で、しっかりとハイハイをさせて、背筋を鍛え、十分足の筋肉がついてきたとこ
ろで、歩行させ、O脚・X脚を防ぐ。
 
しかしながら、「立てよ、歩めの親心」というのは、自分の子孫に四つ足動物から、早く二本足歩行の人間になってほし
いという気持ちの端的な表れで、これが、人類の進化を支えてきたのであろう。
 

 
人類が、二本足歩行することで、特に大変化したのは、女性だろう。
 
その内、いくつかを上げると、女性が動物の雌と違って発情しなくなった。
 
動物の雌は、発情しない限り、交尾しない。
 
脳の下部にある脳下垂体から、信号となる分泌物が子宮と脳に送られて、発情になると考えられる。
 
脳は発情信号で、雄との交尾を容認し、一方、子宮は、受精する体制を整える。
 
発情というのは、性(セックス)と生殖を一体的に惹起させる機能である。
 
ところが、女性は、発情せず、性と生殖を分離できるようになった。
 
おそらく、二本足歩行によって、地球重力の影響を受け、脳下垂体から下のほうにある子宮には信号となる分泌物が
行くが、脳下垂体の上部にある脳には信号となる分泌物が生き辛くなったせいだと思われる。
 
四つ足動物であれば、脳と脳下垂体の垂直落差が少ないために、脳と子宮に、分泌物が行くのにそれほどの差がな
い。
 
垂直歩行に変化したことによる人体への影響は、すべて、地球重力を抜きにしては考えられない。
 
足が、第2の心臓といわれるが、足は、地球重力に逆らって、血流を頭部に流す役割をする。ところが、脳下垂体は、
発情信号の分泌物を、地球の重力に逆らって、脳まで押し上げる力がなかったと考えられる。
 
かくして、女性は発情の呪縛から逃れ、性と生殖を分離できるようになった。
 
これが、女性の行動に及ぼす影響については後述する。
 
 もう一つが、女性の骨格を変化させたことである。
 
骨盤が開いた。
 
これは、10ヶ月の間、胎内に子供を宿してきた数千万年の積み重ねに中で、胎児の重力を支えるために、骨盤が開
いたと考えられる。
 
四本足動物は、骨盤でなく、腹で胎児の重力を支える。したがって、骨盤が開かなかった。
 
骨盤は、雄も雌も変わりない。白骨化した骨から、動物は雌雄の区別はつかない。
 
人間の女性だけである。
 
ここに、進化の不思議さがあるのだが、女性は、思春期になると骨盤が開いてくる。
 
妊娠に備えて、予防的に、骨盤が開くという進化を遂げた。
 
予防的変化は、動物に数多く見られる現象である。
 
周囲の環境に合わせて、色を変えるカメレオンなど、色を混交させることで生き延びた体験が、色を変える能力を持つ
ことができるようになった。
 
逆に言えば、将来に備えて、予防的に身体を変える力がない個体は、生き延びられなかったといえる。思春期に、骨盤
が開く女性の子孫だけが、これまで、生き残ってこられたといえる。
 
人間の骨盤という家にすれば、屋台骨とも言える存在を、思春期に変化させるという行動で、女性の体内のエネルギー
を大量消費すると考えられ、それが、体格を小さくし、そして、体力を犠牲にした。
 
この女性の骨盤形成の影響が、人間に対してどのような影響を与えてきたかについては後述する。
 
 二本足歩行の影響は、人類が必然的に負わされた腰痛という問題にも関係してくる。
 
腰で、上半身の体重を支えるために、人間は、腰痛で苦しむことになった。
 

 
人類の二本足歩行の影響は、女性を通じて、人類を動物世界の頂点に立たせたと考えられる。
 

 

 

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