パンドラの箱の神話をしっているかな?

神からて開けてはいけないと言われた箱を開けた結果、あらゆる苦難が世界に飛び出し、最後に「希望」が残った−というもの。

この解釈は主に2つあります。 1人は苦しくても『希望』を持って生きていける。希望は神の罠である。人が希望を持つことで、苦しみを 長く味あわわせる為。どっちだと思う?

 

このギリシャ時代からの神話を克服しないと、僕の希望学は完成しないことに気がついたのだ。

神の罠は、ニヒリズムで、僕の嫌うところ。だだ、どう克服すればいいのだ?

たしかに希望には麻薬的要素がある。乱用は身の破滅。

ああ僕の「希望学」のピーンチ!

 

がんばれ希望学!

僕の考えはこうだ。希望はかならず行動とセットにすること。「いつかきっと小説家になれる」という希望を持つなら、同時に一行でも
小説を書いたり、出版社にメールを打ったりしてみる。そう「希望の箱」そのものを開けてしまえ!

やったね!ギリシャ時代以来の人類の悩み解決!

 

「希望の箱」 その中に入っているのは、一体何なのか…?

それを見つけるのは、あなたなんだよ。

行動の結果なら例え駄目も、人は納得して生きていけるのだ!神の罠を克服したぞ!

「希望学」完結!(と思う)


パンドラ2

そもそも箱って、どうやら女性のアソコを意味するそうだ。

神はアソコを開いてはイカンと教えたのだね。そうあの中には、すべての厄災が詰まっているのだ。

ソコの中にある希望とは・・・赤ちゃん?

ほかの神話もみなSEXに関係するよね

 

イブは蛇にそそのかされて禁断の実を食べるのだが、この蛇は男のアレのこと。

日本古来の天地創造の神話でも、神は、海を長い棒でぐるぐるとまぜ、最後に棒の先から、しずくがポタポタおちて、それが、日本になったとされている。もちろん棒のしずくは、精液のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

  

ゼウスは誇り高ぶっている人間を制圧する為に、 パンドラの箱ぱんd上に送って、罰を与えた。
パンドラは、祝福ではなく呪い、すなわち戦争、苦痛、死、病気その他すべての苦難で満ちた箱を持っていった。ゼウスの思惑どおりに、パンドラは好奇心から箱を開け、苦難は解き放たれて、人間の間に広がった。あわててパンドラが箱を閉めると、箱の中には「希望」だけが残り、パンドラは再び箱を開け、その「希望」も解き放った。
実は、この希望もゼウスの策略だった。残酷さの総仕上げとして、ゼウスはまやかしの「希望」をも人間に与えたのである。
人間達が絶望のあまり、天界の父の意志によって自分たちに課せられた苦難の報酬から逃れようと、自殺をはかるのを阻止するためであった。


パンドラの犯した最大の罪は、箱を開けた事ではなく、最後に一つだけ箱に残っていた「希望」までも解き放ってしまったことであると言われている。

ギリシャ神話で誰でも知っている話に「パンドラの箱」がある。
 この話で誰しもが疑問に思うことは、災厄を封印した箱「パンドラの箱」に、何故か「希望」が入っていることであろう。
 では希望は災厄なのだろうか
 間違いなく災厄である。
 こんな格言もある。
 「人は二つのことから過ちを犯す、絶望と希望から」

パンドラの箱にはオチがつけられています。
  この解釈が実に様々です。

  ・箱の中に希望が残った。なぜなら希望は臆病だから。

  ・箱の中に希望が入っていた――それはゼウスの罠である。
   人が希望を持つことで、より多くの苦しみを得ることになったのだ。

  ・箱の中に希望が残った。だから人類は希望を持ち、辛くても生きていくことが出来た。

  ・最後の災いが飛び出す瞬間、パンドラは慌てて蓋を閉めた。
   その災いこそが”予知する力”である。
   これを得てしまったら人類は未来に希望を持てなくなっただろう。

ゼウスを怒らせた人間たちに罰を与えるのだと主張している。パンドラは、祝福ではなく呪い、すなわち戦争、苦痛、死、病気その他すべての苦難で満ちた瓶を持っていった。ゼウスの予想どおりに、パンドラは好奇心からかめを開け、苦難は解き放たれて、人間の間に広がった。残酷さの総仕上げとして、ゼウスはまやかしの「希望(elpis)」をも人間に与えた。彼らが絶望のあまり、天界の父の意志によって自分たちに課せられた苦難の報酬から逃れようと、自殺をはかるのを阻止するためであった [註4]。この神話の基本的な主題はイヴEveの神話においてもなじみのものである。

ギリシャ神話のエピソードの一つ「パンドラの箱」。
パンドラが開けてはいけない箱を開けると、病気、貧困、憎悪、嫉妬、犯罪といった、
あらゆる災いが飛び出してきた。
そして最後に出てきたのは『希望』。
これによって人は、どんなに苦しくても『希望』を持って生きていけるようになった、
というお話。
でも…。その結論は本当に正しいのかな?

今回は、そんなパンドラの箱の結論『希望』について迫ってみましょう。

<希望って、何なの?>

希望を持つことが、常に正しいかと言うと、それはまた疑問。
中途半端な希望ほど、辛いものはない。
いつかは報われると信じて、何度も同じことにチャレンジしている間に年を取って
しまい、ふっと「私の人生は何だったんだろう…」と思うことだって、有り得るかも
しれないよね。

ねえ、本当の意味での「希望」って、一体何だと思う?

「光」? 「エネルギー」? 「喜び」? 「力」?
どれも甘いわね…。

…希望はね、

               「麻薬」なのよ。

<人生の痛みを>

「いつか日本一の調理師になりたい」
「がんばって留学する!」
「舞台女優になってみたいー!」
大きさの大小はあっても、どんな人でも、心の底に必ず持っている夢。
誰もが無意識にせよ、その夢に向かって努力している。

でもね、当然だけれど、その道のりには挫折がつきもの。
つらいとき、苦しいとき…。

「いつかきっと、夢はかなう」。

こんな『希望』を持つことで、あなたの心は癒される。
自分の中の痛みを、一時的にでもマヒさせてくれるの。

これがないと、人はいつか今の痛みに耐えかねて、自分の夢をあきらめてしまう。

これと同じことが、医療で行われている。
手術のとき…。神経痛があまりにひどいとき…。
医療において鎮痛のために『麻薬』が使われることがなければ、手術などの治療は
成り立たないでしょう。

だから、希望は『麻薬』なのよ。

でも、もしこれが不適切に使われていたらどうなると思う?
医療と関係なく、実際に麻薬を乱用した人は、いつか神経を侵されて廃人になって
しまう。
それと同じように、希望を乱用している人は、
           
              どうなると思う?

<希望を乱用すると…!?>

「今はうまく行ってないけど、いつかは多分うまくいくだろうなぁ…」
「今日はほんっと楽しくなかったけど、1年後には大学出るから…」
「フラれた彼女のこと、どうしても忘れられないから…。また付き合ってもらえたら
いいなぁ…」

見たくない現実から目を背け、ひたすら『希望』に身を浸す。
今は満たされない自分を、いつか何かが変えてくれると信じて…。

これは、『希望』が間違って使われた末期症状。
麻薬中毒の症状に匹敵する、最悪の事態なの。

じゃあね?
手術での鎮痛などのように、夢の達成のために正しく使われた『希望』と、このように
中途半端に自分をごまかすために使われた『希望』。
これは、どこが違うか、分かる?

<希望の、違い>

それこそが、『行動』がともなっているか、いないか。
手術の際には、ちゃんと「手術」という行動がある。
でも乱用してしまっている人は、何もせずにただ無気力に暮らしながら、漠然と
『希望』に身を任せている。『無行動』のまんまにね。

だから、あなたが本当の意味での『希望』を持とうと思うのなら、
必ずセットで『行動』をつけること。

「いつかきっと小説家になれる」という希望を持つなら、同時に一行でも
小説を書いたり、出版社にメールを打ったりしてみる。
「いつかは会社をやめて、ベンチャーを起こして年商○億…」と希望を抱いたなら、
同時にネットで起業のノウハウについて調べたり、誰か詳しい人に電話したり
してみる。

希望には、必ず行動をセットに。
今の生活から逃避するためだけに『希望』にすがって、あとは何もしないのは、
間違った『希望』の使用法なのよ。

これこそが、セクシーメソッド『パンドラの右手』!
自分自身の手を動かすことが、何より大切なことなのよ。

<もう一つの箱の中身は>

パンドラは、箱の中から様々な災厄を出してしまった。
そして最後に箱を開くと、中から出てきたのは『希望』。

でも、もしあなたが希望の箱を開いたのなら、あともう一つだけ箱を開けよう。
大事なのは、『開ける』こと。

その中に入っているのは、一体何なのか…?

それを見つけるのは、あなたなんだよ。