食いしん坊のイライザはチョコレートとイチゴのタルトでつられてヒギンスの家にいることになる。

Hをマスターして、競馬場に行くが「ケツひっぱたけ」と言って周囲を驚かせてしまう。内面まで、レディーになっていなったのだ。

さらに訓練をつづけて、教養を身につける。

そして舞踏会にでる。ついに言語学者に「ハンガリー王妃」とまで言わせる。イライザを本当にレディーと誰もが認めたのだ。

してやったり、男どもは有頂天。「どうだ俺様の腕前は」

「やっと終わったうんざりだ」           

イライザは急に泣き出す。ヒギンスはその理由がわからない「なぜすねる?」

「大佐は家政婦が意地悪でも?」「NO」「私がひどいことを?」「NO」

ヒギンスなりにやさしい言葉をかける「チョコ食べる」「結構よ」

「気楽にしろ、もう終わったんだ。心配しなくていい」「あなたにはそうでしょうよ、いっそ死んでしまいたい」

「なぜそんなことをいう」「私にはわかりません。」「あなたは「もう終わった」と」

「私はこれからどうしたら」「いい相手を紹介してあげるから結婚したらどうだ」「君は器量もいいし、ないてないときは」

服を返し、買ってもらった、指輪をはずし暖炉に投げ込む。

「ひどいことをするね。私は心のそこまで傷ついた」

「よかった少しは気が晴れたわ」

ヒギンスが去り一人になると、あわてて暖炉から指輪を拾い、また指に嵌めようとするが、戸惑う。

家出の時にフレディーにあい「言葉はもうたくさん、ほかにはなにもないの

夜空の星の話より、愛の証拠を見せて

希望や夢の話より、燃える愛を見せて

この唇が私を求めるなら、言葉はいらないキスをして

その腕が私を求めるなら、言葉はいたない抱いて

じれったいのよ、年をとってしまう

早く愛の証をみせて

自分の居場所を生まれた町に求めたが、すでには、そこには自分の居場所はなかった。

「もうここには用はないわ」

翌朝イライザがいないことに気がつく

ヒギンスには「スリッパと投げつけられた。ひどいことを言われた。ショックだったよ。」と大佐にもらす。

警察に捜索を依頼しようとするが、メイドが「彼女は泥棒でもないし、紛失物でもない」

ヒギンス「5ポンドも払ったんだ私のものだよ」

大佐が警察に電話するが、「身長170ぐらい、目の色は・・髪は・・」いちいち答えにつまる。

しかしヒギンスはブラウン・ブラウンと彼女の細かいところまで、知っていた。

もとの町にもどるが、もう自分はなじめなくなっていた。

イライザはヒギンスの母のところにいた。母は理解していた。

「言葉は教授に教わったが、紳士淑女の礼儀は大佐に教えていただきました」

 

「私を花売り娘以上に扱ってくださいました。レディーと花売り娘の違いは女の作法ではなく、男の態度で決まります。しかし、ヒギンス教授にとって、私はいつまでも花売り娘。

でも大佐の前では、いつでもレディーになれる。」

「もう十分だろまだごねるのか」

「スリッパの番人として戻れというのね。」「そんなこと頼んだことない」

「君が戻りたいというなら今までとおり扱う」

「大佐は花売り娘を貴婦人にあつかう」

「私は貴婦人を花売り娘に?」

「礼儀などたいしたことない、大事なのは、誰にでも同じ態度ととることだ。私は他の女も同じようにあつかう」

ここで、イライザはひとつ理解した。もうお互いの誤解は解けた。

あとは、感情の部分の問題解決。

「ののしられようと、殴られようと平気です。無視されるのだけは嫌です。」

「私は君の前をとおりすぎるバスか?」

「人の気もしらないで通り過ぎるバスよ」

「もう、あなたなしで平気」

「君はひとりでやっていける」ここまで言って急に自分の気持ちがわかり始める

「だが私がどうなるか考えたことはないのか」

「一人でやっていけばいい」

「君の助けなどいらん。だが寂しい」イザベラは彼の気持ちが伝わってきたと感じたが、ちょっと意地悪をいった。

「蓄音機に私の声が入ってるでしょ?寂しければ聴いて。機械は裏切らないわ」

これにヒギンスは「でも、君の心は戻らない」とこたえてしまった。最後の詰めのところでまたボタンを掛け違えた。私のこころはあなたのものなのに、そんな冷たい女と思われるなんで心外だという

イライザは今度は本当に怒った。

「なんてひどい人。どこまで女心を責め立て苦しませるの。なんのために戻るの」

「君がいると楽しい」「飽きると ほおり出す?」

「いやになったら出て行っていい。君は自由だ!」

ヒギンスのいってることは、男の強がりと気づきだした彼女への気持ちの間を一言ごとに乱高下する。

 

「私があなたにもとめているのはやさしい心よ。」

「ドレスがほしかったんじゃない。あなたといると楽しかった。あなたを好きになったから。愛してくれなくてもいい。もっとやさしくしてくれたらそれでいい。」

「そのつもりだよ。大佐だってそのつもりさ。君は馬鹿だな」

「ひどいわ」

「なぜわからん。甘い言葉で誘ってくれる男じゃないと、無視されたと怒る。

私が冷たいというなた他の男を捜せ。誰とでも結婚しろ!」

「あなたと話すといつも悪いのは私ね。でも、もう踏みつけにはされないわ。フレディーと結婚します。」

またまたひどいことをいいあう。それは互い好きだからにすぎないのに。

 

一人部屋にもどる道で、イキガリと感情の起伏の激しい歌をうたう

あたまにくる でもあの顔を見ないと朝が始まらない。

今では私の一部。私は一人でも大丈夫なのにでもあの顔がわすれられない。

結婚に失敗してぼろぼろ。いい気味だ。もどってきても家には入れさせんぞ!

でも私は心が広い。でも部屋にはいれない。

だが、彼女を忘れられない。

 

蓄音機を聞いていると、イライザが現れれ続きという「顔も手も洗ってきたよ」

抱きしめた気持ちでいっぱいなのに「スリッパはどこだ?」といって帽子で顔を隠す。

でもそれは、テレ隠しに過ぎない。それをイライザは見抜いていて、前に2−3歩でて、笑顔で横にたたずむ。


 

イライザが舞踏会で素性がばれなかったのは、ヒギンスは自分の腕によってと思っている。

実は、ヒギンスに対する愛により内面から本当のレディーに育っていたのだ。

それをヒギンスは見落とし、いつまでも夜の花売り娘扱いし、「もうたくさんだ」という。

彼女も自分をうまく表現できず、指輪を暖炉に投げ入れる。「ひどい女だ。私は心から傷ついた」といわれる。

再会しすこし素直な面を見せるヒギンス

「だが私がどうなるか考えたことはないのか。だが寂しい」

イライザは心を開こうとするが、

「でも、君の心は戻らない」といわれて本当に怒った。私の心はあなたのものなのに、そんな冷たい女と思われるなんで心外だというのだ。

「なんてひどい人。どこまで女心を責め立て苦しませるの。なんのために戻るの」

愛する為以外は戻る理由はないのに。

ヒギンスはまだ半分わからない。

「君がいると楽しい。でも。いやになったら出て行っていい。君は自由だ!」

「私があなたにもとめているのはやさしい心よ。」

「ドレスがほしかったんじゃない。あなたといると楽しかった。あなたを好きになったから。愛してくれなくてもいい。もっとやさしくしてくれたらそれでいい。」

「そのつもりだよ。<大佐だって>そのつもりさ。君は馬鹿だな」やっぱりわかってない大佐はどうだっていいのだ。

「あなたと話すといつも悪いのは私ね。でも、もう踏みつけにはされないわ。」

 

一人になって、彼女の愛に気がつく。

蓄音機を聞いていると、イライザが現れれ続きという「顔も手も洗ってきたよ」

抱きしめた気持ちでいっぱいなのに「スリッパはどこだ?」といって帽子で顔を隠す。

でもそれは、テレ隠しに過ぎない。それをイライザは見抜いていて、前に2−3歩でて、笑顔で横にたたずむ。


イギリスには階級社会がある。上流・中流・ワーカー。時代は婦人参政権運動のさなか、女性が階級を飛び越えるという自己実現を目指す。しかし、レディーのレッスンに入ったのは、頭でっかちな、独身主義者。

ヒギンズ教授の言うことは、男なら少なからず思っていること。そうだそうだ、良くぞここまで言ってくれたと思う男はいるだろう。

発音を身につけ着飾って競馬場にでかけるが、中身までレディーになってなく、底が割れる。本当の教養を身に着けてないと、レディーになれないのだ。

教授は「君ならできる」「君ならできる」とピグマリオンと施す。イライザの態度も変わってくる。「私は一晩中踊れたのに・・・」というような部分があるでしょ。ここら辺からイライザがヒギンズ教授に恋しているのだなぁ

 

変身しました、さあ、何もかも手に入れましたと言う、単なるシンデレラストーリーではない。そこから一歩も二歩も踏み込んでいる。舞踏会の後、イライザが荒れてから物語が女性の成長という元の路線にもどる。

教養を身につけた結果、自我に目覚めはじめたが、「売るものが体しかなくなった。私はどうしたらいいの」ーとまだ自立できていない。だから、この時の歌は、「私がほしいなら言葉より抱いて」となる。

家出をして、花売りをしていた町に戻ったが、ここでも居場所がない。資産だけは中流になった父親にあうが、中身はワーカーのままだった。

改めて自分が教養を身につけていることを自覚し、ヒギンスの「言葉責め」も必要だったと感じ、自分が自立した女性と自覚できたとき、愛も現実のものとしてとらえることができた。教授を愛するレディーになれていると確信するのだ。「もうここには用はないわ」と教授への愛に突っ走る。
 

ヒギンスの母にイライザが会いにいくのは、教授への愛をゲットするために行くのだ。しかし、教授は相変わらず、夜の花売り娘扱いをする。

彼女はもう、自分が嫌いな、自立してない女性ではなくなっているというのに。女一般という大くくりで見るしまっている。もっとその子だけをみてれば、わかるはずなのにね。もう彼女はアホなレディーではないというのに。

教授は自分の信念に反してイライザと愛してしまったことに葛藤する。それを隠すために高慢な態度に出たんでしょう。
ヒギンズの強がりは最後に崩れて寂しさのあまり後悔していた。(←イライザの飛び出した目的完了)

ヒギンスは最後まで、「好きだよ」っていえないんですね。
イライザはヒギンズ教授の性格も理解していたし、ヒギンズ教授が強がっていたことも見抜いていたんだと思われる。大好きなのに好きと言えない男とそれを解ってくれる女。理想です。

イライザが戻ったわけは、自分が確固とした個人であると自覚したイライザが、
ヒギンズ教授は「神」でもなんでもなく、自分は教授と対等の人間だと理解し、
その上で自分が教授に愛情を感じていることを悟ったからだと思う。



86.ヒギンズ教授宅の美術セット、丁寧で重厚でいいな〜。蔵書にあふれたクラシカルな知的空間。一瞬ですが広角でフレームいっぱいに広がる蔵書を捉えたショット、お〜〜と歓声を上げました。そこに不似合いだった薄汚れた花売り娘が、少しずつその空間に同化し、ラストにはその空間以上にヒギンズ教授の心の中にもいなくてはならない存在となる様は、痛快であります。さ〜、オードリーといっしょにお〜どりましょう。うっ、靴を投げないでね。 彦馬さん 8点(2004-09-03 01:13:44)




83.とにかく長いのに、ほとんどそれを感じさせない。完全に世界にのめり込んでしまう。ストーリーは単純で特に個性を感じさせないが、音楽がいい。見終わった後、あわててサントラとDVDを買いに行った。内容的には、あまり共感できなかった。時代のせいもあると思うが、あそこまで女性に品を求めるのは、はっきり言って差別なのでは?前半のイライザのほうが、表情も仕草も生き生きとしていて見ていて愛らしい気がする。なんだかわざわざ男が自分好みの女に育てているようで、あまりいい気分はしない。それでも大変後味のいい映画に仕上がっている。オードリーの力もあるかもしれない。まぁ、あまり深く内容を考えなければ、観ていて楽しい作品。 揺香さん 8点(2004-07-05 17:06:42)




80.どんなに外見を素晴らしいものに変えても、人間の感情は別ですね。幸せかどうかも、又、別の基準ですよね。批判を覚悟で、あえて言えば、私が大金持ちだったら、こういう遊び(?)をやっちゃいそうですね。オードリーみたいな女性だったら、そのまま恋に落ちるだろうな。あ、いや、も、勿論独身だったらの話です。 パセリセージさん 8点(2004-06-23 19:29:58)




77.男尊女卑が酷くて、観ていてつらかったです(私は男ですが)。物語の中の事とはいえ、ヒギンズ教授の傲慢な言動にはイライラしました。まぁしかし、わざとそういう部分を前面に押し出した作品なのかもしれませんが。 しまうまんさん 5点(2004-06-14 00:51:50)

76.ミュージカルの嫌いな私の、唯一大好きなミュージカル映画。






72.原作は皮肉屋で有名な劇作家のバーナード・ショーによる「ピグマリオン」(操り人形)。


70.シンデレラストーリーはいいですね〜。まぁ、王子様役は精神的に子供なおっさんでしたけど・・またそれが良かったりした。 モチキチさん 8点(2004-03-08 09:42:45)

69.「オードリー・ヘップバーンが主な主演映画で演じ続けてきたテーマは『自己実現』。」と別の彼女の主演作のページで書いたのですが、この作品は同じテーマでもなんだかずっこけていて彼女が主演した作品の中では点数は辛くなってしまいますよね。自分で設定した「自己実現」の公式にわざわざ当てはめるのは不当かもれませんが、汚い言葉使いの花売り娘が持っていた資質を磨いて淑女に変身するということを「自己実現」と呼ぶことは出来るかもしれないけれど、言語学者による発音の矯正からそれが始まるなんて、なんだかみじめでオードリーが可哀想になってしまいます。言語学者よりもう少しましな職業の人(例えばスーパーモデルかタレントをスカウトする人)に自己実現を助けられるのだったらじっくり見る気がおきたと思いますが・・・。オードリーもレックス・ハリソンも好きな俳優なんだから変な役やらせないでほしいと思います。(レックス・ハリソンは「ドリトル先生」役が歌を歌う役柄で最高!)音楽はすばらしいです。 かわまりさん 5点(2004-03-05 14:53:56)
 





67.ヒギンズ教授の言うことは確かに男尊女卑だが、男なら必ず思っていること。誕生日を忘れたぐらいで怒るなと。僕は笑いが止まりませんでした。ごめんなさい。 nothing-to-loseさん 7点(2004-03-04 09:30:25)






63.教授の女性観にとても同感できる。良くそこまで言ってくれた!最高 孤島の鬼さん 10点(2004-01-25 23:16:27)




57.《ネタバレ》 シンデレラストーリーという訳で、非常に設定はよく有るパターン。しかし、そこに極上の歌や踊りを織り交ぜるとどうなるか? 更に極上に愛らしい女優を起用するとどうなるか? 更に極上の吹き替えをほどこすとどうなるか? 素晴らしいんです。ミュージカルでは「雨に唄えば」という非常に優秀な作品も有るのですが、歌や踊りのシーンは「雨に唄えば」よりもこちらのの方が好きです。「雨に唄えば」は非常にコミカルな動きが中心ですが、こちらは派手さは無いけど、古典的な良さの有る雰囲気です。面白いシーンは競馬場。婦人たちとの会話で、最初は丁寧に喋っているのだけど、ところどころに「ヤッチマッタ」というような発言。徐々にボロを出してしまうイライザが非常に微笑ましく笑ってしまう。とどめは「ケツをひっぱたけ!」。失神している婦人もいました。メッセージ性もなかなか良いですよ。ヒギンズ教授は、最初は事も有ろうに「賭けと実験」でイライザの教育を試みました。女性を小馬鹿にしていて「男性は偉い」という偏見の持ち主です。ところが最後にはイライザ抜きではいられなくなる。つまりは、女性(イライザ)の存在感を認識したことを意味しています。最後に教授は思い深げに、汚い言葉を使うイライザの録音を聞いていましたね。この描写での僕の勝手な解釈は「正しい言葉」よりも「人の存在感(心)」が大切だというメッセージだと思っています。 おはようジングルさん 10点(2003-12-19 18:00:50)(良:1票)




54.どうにも要領を得ることが出来ない。出だしから最後まで、「決められたルート」をたどっているよなシナリオが、妙に「作品内へ」深入りさせてくれなかった。気がついたら、なが〜い話の割りに、在り来たりなハッピーエンドだし・・・。シンデレラ・ストーリーに胸をときめかすのも悪くはないが、オードリー演じる娘の魅力がイマイチつかみ取れなかった。結局、「素」でいる事が一番なのでしょうが、それでも、視野の狭い女性に対し、個人的には「素敵な女性」とは感じられませんでした。これまた、知識はあっても大人気ない男性にも、同じく魅力は感じられなかった。でも、世界観や、衣装、演出はとても良く。楽しく見させて頂きました。 sirou92さん 4点(2003-12-05 18:36:59)



52. 自分だけの淑女を育て、かつそれにほれられるってのは万国共通の男の夢(と勝手に断定)  
これはぜひ字幕で観ないと、ことばが変化していく過程がわかりにくいですよね


 






46.「踊り明かそう」の歌がとてもいい。あと、発音の練習中に口に含んだビー玉を飲み込んでしまった瞬間のオードリーの顔は傑作。一瞬であるが、本当になんともいえない表情。 six-coinさん 7点(2003-11-08 01:29:20)



44.オードリーが本当にカワイイ!!歌もどれも良かったです。お父さんが結婚式に行くまでの歌が好きです。あと、個人的に教授が「母さん!母さん!」って叫ぶ所が大好き!教授が可愛く見えました。最高にお洒落な映画ですね。 Ronnyさん 10点(2003-10-28 01:24:15)

43.魅力的に変身して、ステキな恋を実らせるって、大好きな展開です。






35.教授の頑固さと女性への奥手さが最後で盛り上がりを作る。 最後、教授が1人自宅に帰りイライザの声を蓄音機で聞いてるところは哀愁が漂いすぎです。



33.学校の授業で昔、見せられました。「女はだめだ〜」みたいな歌が散々しつこいくらい続いたのがいやでいやで仕方なかった。 しずくさん 5点(2003-07-21 20:16:07)

32.「レディと花売り娘の違いは、どう振る舞うかではなく、どう扱われるかです」。ちょいと、エンリー・イギンズさんよ、この名台詞、耳の穴かっぽじって聞いときな。腐れキャベツだの、ドブネズミだの、一生ドブ板暮らしだのって。でも、大将が言う「大事なのは、誰にでも同じ態度をとること」も、ごもっとも...。 トバモリーさん 10点(2003-07-16 15:17:29)

 




26.オードリーってどうしてこんなに可愛いんだろ〜!










16.イギリス映画を見る上ではイギリスの階級社会を頭に入れておくと面白さと理解度がだいぶ増します。「アッパークラス」「ミドルクラス」「ワーキングクラス」の3つですがこれは現在も歴然と存在します。特にアッパーとワーキングはお互いに「気の毒な奴等」と思っている人が多い(ように思える)です。と偉そうにうん蓄を並べましたが、この映画もそうすると単なるシンデレラストーリーではなくイライザが教養を身につけるまではよかったけれどその後行き場に困って困惑しますよね。それより大変なのはイライザのお父さんであの年までお金はないけれど自由にやってきた生活が180度変らされてしまう。一般的に上昇志向の強い日本人が見れば「お金持ちになって良かった。チャンチャン」ですがイギリス人が見たら「おやまぁ」とすごい悲喜劇になっているのです。若い頃この映画を見たとき、ヒギンズ教授は好きになれなかったけれど少々年を取ってから見るとどんなに偉い教授さんでも男っていつまでもガキなのね(そういう男性が多い)とまぁかわいくも思えると言うものです。私の1番好きなミュージカル映画です。 Jadeさん 10点(2003-01-11 16:37:41)



13.ミュージカルは苦手なんですが、楽しく見れました。





 



8.なんでだろうミュージカル映画って苦手なのにヘプバーンが出演してると楽しく見れてしまう、それも彼女の魅力なのだろう。やっぱりかわいらしい人ですヘプバーンは。

7.。後の「プリティ・ウーマン」など、これをベースにしたシンデレラ物語は数多いが、この作品を超えるものは未だに出ていない。






3.大好きなのに好きと言えない男とそれを解ってくれる女。理想です。

 


両方とも64年の映画なので時代背景が一緒のせいか「婦人参政権」の話が取り上げられています。両方ともイギリスの話だし、「メリー・ポピンズ」の衣装も「マイフェアレディ」と酷似。両方とも競馬場が出てくるし、真面目で偏見な男が変化していく物語だし・・・
なんだか似ています。そうやって比べながら観ると面白いですこの二つ。
 


11-113 :名無シネマさん [sage] :04/07/04 23:06 ID:veo6zoYW
マイフェアレディ
ラストでイライザが教授に対して怒りをぶつけますが、
どうしてもイライザの言っていることに共感できません。
最初に観たときは「これは私がまだ子供だから判らないんだ」と思いました。
が、大人になった今でも納得がいきません。
言っていることは分かりますが、そんなに怒らなくても・・・と思ってしまう。

疑問に思いませんか?

 
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11-114 :名無シネマさん [sage] :04/07/04 23:08 ID:0uD5SeUe
>>113
女心がわかってないですね

 
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11-479 :名無シネマさん :04/07/29 13:26 ID:e8u38Hf3
マイフェアレディ
ヒギンズ邸を飛び出して、ヒギンズ母の家で決別したのに
ラストでヒギンズ邸に戻るのかがわからん


 
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11-481 :名無シネマさん [sage] :04/07/29 13:56 ID:7ul8KQcY
>>479
それが恋

 
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11-491 :名無シネマさん :04/07/29 18:31 ID:0rkS8xg/
>>479
「I could have danced all night!」で「私は一晩中踊れたのに・・・」というような部分があるでしょ。
そこでイライザがヒギンズ教授に恋しているのが分かる。


だが、ヒギンズ教授にとって、イライザは気に入っていたが研究作品という愛しい物でしかなかったのでしょう。
それが家を飛び出してヒギンズ母の家で対話した時は言葉が美しくなっただけではなく、
自立心を身に着けた女になっていて、ヒギンズ教授の中で愛しい物から愛しい人へと変わる。
(作品ではなくなったことはイライザを「パートナー」と言ったことからわかる。)
ヒギンズ教授の女性蔑視の理由は女性には自立心がないことだから。
だが、ヒギンズ教授には自分の信念(独身主義・女性蔑視?)があるため、
イライザへの愛と自分の信念が葛藤していた。だから、それを隠すために高慢な態度に出たんでしょう。
ヒギンズの強がりは最後に崩れて寂しさのあまり後悔していた。(←イライザの飛び出した目的完了)
イライザはヒギンズ教授の性格も理解していたし、ヒギンズ教授が強がっていたことも見抜いていたんだと思われる。
そして寂しくただずんでるヒギンズの元に帰ってきたのさ。

 
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11-499 :名無シネマさん [sage] :04/07/29 20:28 ID:SBfYHJZO
>>479
一段落してるみたいだけど、補足として。

原作の「ピグマリオン」ではイライザはヒギンズ教授の元を離れてフレディと結婚する。
「イライザはフレディと結婚するんですよ」という、教授の大笑いで終わり。
これについて原作のバーナード・ショウは、
「イライザはヒギンズ教授の元に戻ることはない。ガラテアがピグマリオンを愛することはない。
なぜなら、ガラテアにとってピグマリオンは恋愛の対象ではなく、神のような存在だからだ」
と書いている。
(ピグマリオンは自分の作った石像ガラテアに生命を与えるが、そのガラテアを愛してしまう)

しかし、映画の脚本を書いたアラン・J・ラナーは、
「ショウ殿、どうかお許しあれ。私にはあなたが正しいとはどうしても思えないのです」
とことわってあのようなラストにした。

イライザが戻ったわけは、自分が確固とした個人であると自覚したイライザが、
ヒギンズ教授は「神」でもなんでもなく、自分は教授と対等の人間だと理解し、
その上で自分が教授に愛情を感じていることを悟ったからだと思う。

「ちゃんと手も顔も洗ってきたよ」という花売り娘の時のセリフは、
私は花売り娘のときからずっと私自身だった、というアピールも込められているはず。

それに対する「イライザ、ぼくのスリッパはどこだい?」というヒギンズのセリフも、
ぼくのやり方だって変わらないよ、という返答で、
イライザを愛していながらも、ベタベタした恋愛対象ではなく、
「味方の軍艦」として尊重しようという、
互いに相手を認め合った愛情表現ってわけだろう。

 
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11-510 :名無シネマさん [sage] :04/07/30 02:36 ID:zujWtIA0
>>499
質問とは無関係ですが少し異論があります。
戯曲の「ピグマリオン」は1938年に映画化されていて、
そのときの台本は原作者のショーが書いています。
おっしゃる通りイライザはフレディと結婚しますが、
映画の最後に後日譚が追加されて「マイフェアレディ」と同じラストになりました。
─ 来る前に手も顔も洗ってきたよ。
─ 僕のスリッパはどこだね、イライザ。
というくだんの台詞は、原作者のショーが書いたその映画の台本に出てくるものです。
そのため、ヒギンズとイライザは結ばれるべきだという評が相次ぎ、
それにこたえてショーが、「二人が結婚することはあり得ない」と発言したわけです。
ラーナーは、このフレディとの結婚の事実をカットして「マイフェアレディ」を書きました。

 
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11-512 :名無シネマさん :04/07/30 03:08 ID:qe5OaJQQ
>>499
最後の「スリッパはどこだ?」は帽子で顔を隠してることからしてヒギンズの照れ隠しと解するのが妥当だろう。

個人として接してなかったヒギンズのやり方が今後も変わらないのでは、
イライザはヒギンズの元では個人として認められないことになる。
それではあまりにも不条理すぎる。

 
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>>512

私は、
>個人として接してなかったヒギンズ
と、思い込んでいたのはイライザであって、
「ぼくのやり方もピッカリング大佐と同じで、誰に対しても同じ態度をとっているだけだ」
というヒギンズ教授の言葉を聞いて、
個人として認められていなかったのではないと分かったからこそ、
イライザは冷静に自分の気持ちを考えることが出来て
教授の元へ戻ったんだと思っているだけ。
 

ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスの外。そこではイライザという一人の娘が花売りをしています。フレディという青年がイライザとぶつかり、思わずイライザは悪態をまくしたてますが、その言葉はなまりだらけでとても聞けたものではありませんでした。それを偶然聞いていたのがヒギンズという言語学者。「何故英語がしゃべれない?」とつぶやきながら、ヒギンズは友人であるピッカリング大佐と自宅に帰っていくのでした。
 

翌日イライザは精一杯のおしゃれをしてヒギンスの家を訪ねて行きます。彼女は今の生活に嫌気がさし、将来は小さくてもいいからまともな花屋を開きたい。それにはもっと上品に話せるようになりたいという一心でやってきたのです。最初は冷たく追い払うヒギンズでしたが、突然彼にひとつの考えが浮かびます。「イライザを半年の間にどこの上流社会のパーティに出しても恥ずかしくないようにしてみせる。」というものでした。そのヒギンズの言葉にピッカリング大佐は「出来っこないさ」と言い、二人の間で賭けが成立します。
 

その日からイライザの特訓が始まります。なかなかうまくいきません。ヒギンズの特訓は深夜まで続き、イライザは自分とヒギンズに腹をたてていきます。しかし特訓の成果が身を結ぶ日がやってきました。イライザ・ヒギンズ・ピッカリング大佐は各々の気持ちを喜びの歌に託して歌い、踊ります。
 

ヒギンズはテストの為に、イライザをアスコット競馬場に連れて行きます。そこは貴族の紳士淑女はもちろん、時には女王様まで来るという社交場です。イライザは時々、昔ながらのひどい言葉使いを出してしまいますが、回りの人には素晴らしいジョークにしか聞こえません。そんな中に昔オペラハウスの外でぶつかった青年、フレディもいたのですが、彼はイライザがその時の娘だとはまるで気がつかず、イライザに夢中になって行きます。
 

それから6週間後、ヒギンズは最後の挑戦に乗り出します。なんと大使館で行われる大舞踏会イライザを連れて行こうというのです。着飾ったイライザ舞踏会に姿を見せた時、その気品のある美しさに参加者の全てが魅了されます。イライザは皇太子のダンスのパートナーを立派につとめ。挑戦は大成功で終わります。
 

舞踏会も終わり、帰宅したヒギンズは有頂天です。しかしイライザは空しさのあまり浮かぬ顔です。彼女はヒギンズと言い争いをし、家を出ていきます。そして昔花売りをしていたオペラハウスの前に行きますが、昔の仲間達はだれも彼女に気がつきません。イライザにはもう戻る場所が無くなってしまったのです。一方ヒギンズはイライザが家出をしたと大騒ぎしています。ヒギンズにはイライザの気持ちがまるでわかりません。イライザはフレディとの婚約をほのめかし。とりつくろったような態度でヒギンズに言います。「さようなら、ヒギンズ。もうお会いする事もないでしょう。」ヒギンズはこの言葉を聞き、初めて自分の心がイライザにある事を知るのでした。
 

書斎で一人座っているヒギンズ。ソファにもたれ、イライザの昔の言葉を録音機で聞きながら、ぼんやりしています。ところが・・・いつの間にか録音機から流れる言葉は本物の言葉に変わり、そこにはイライザが立っているのでした。


─── ヴァレリー(フランスの思想家)  


 映画好きな人なら、オードリー・ヘップバーンの『マイフェア
レディ』を観たことがあるのではないでしょうか。花売りのみずぼら
しい娘イライザが、言語学者ヒギンスと出会い、彼の指導や援護に
よって魅力的な女性に変身し、社交界で注目の的になるというストー
リーですが、原題は「ピグマリオン」といいます。これはハーバード
大学の心理学者ローゼンソールらが実験で明らかにした「ピグマリオ
ン効果」から名付けられたものです。

 実験では、小学校の生徒を対象に、知能テストを行い、一部の生徒
の成績が急速に伸びるだろうと教師に報告しました。任意に選ばれた
生徒で、テストの結果とは関係ありません。にもかかわらず、教師は
その生徒たちの可能性を信じ、期待しながら教育活動を続けました。
それが生徒たちにも伝わり、驚くほど成績が向上したといいます。

 似たようなものに、行動主義心理学の実験として知られる「ホーソ
ン研究」があります。

 工場の生産性と照明の関係を調べるために行なった実験で、被験者
の作業員たちは、「みんなの中から選ばれた」「期待されている」と
感じたことで、予想以上の仕事ぶりを発揮しました。

 いずれも、期待されることが、どれだけよい結果を生むかを示して
います。可能性を信じ、期待をかければ、相手はその期待に応えよう
として能力を発揮するのです。

 たとえば、ちょっと難しそうな仕事を任されたとします。自信なげ
な顔をしているあなたを見て、「これぐらい、できるだろう?」と言
われるのと、「大丈夫。君ならできるよ」と言われるのでは、やる気
もガゼン違ってくるはずです。

 期待を受け入れることは、プラスの自己暗示をかけるのと同じ効果
があります。「君なら、できるよ」と言われれば、「そうだ、できる
かもしれない」という気持ちがしてくるから不思議です。その期待に
応えようと頑張った結果、うまくいって自信を持ちます。「期待され
ると、プレッシャーになる」と言う人がいますが、まったく期待され
ないのではハリもありません。

 自分の能力を高めたいとき、自信を失くしたとき、あるいは人に能
力を発揮してほしいとき、期待効果は思わぬ威力を発揮します。自分
で自分に期待し、人からも期待されるようにするのはもちろんのこ
と、人にも期待をかけてあげましょう。それは相手だけでなく、あな
たにとっても、大きな成果を生む結果につながるはずです。

 


◆コラム 「マイフェアレディになろう」 
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今は無き映画中の『永遠の恋人』に、オードリ・ヘップバーンがいる。
あの妖精のような怪しい魅力は、未だに世界中の人々から愛されている。
『ローマの休日』などは、テレビの映画劇場で未だに放映される人気映画である。

 そこで今日のテーマは、彼女のヒット作『マイフェアレディ』を取り上げる。

 昔、ギリシャのキプロス島にピグマリオンと言う名の王がいた。彼はある時、
象牙で作られた石像の女性に恋をした。

 王が象牙の石像に向かって『君は綺麗だ』『君は綺麗だ』『君は綺麗だ』
『君は綺麗だ』・・・と毎日つぶやくのを聞いた女神のアフロイティは、とても
可愛そうに思い、とうとう石像を本物の女性に変えたのである。

 これが有名な『ピグマリオン効果』の話である。映画『マイフェアレディ』は
これを題材として作られた。 その筋書きは・・。

 ヒギンスと言う名のある紳士がヘップバーンの演じる花屋の娘イライザ
半年で貴婦人にして見せると友達と賭けをした。

 そして彼女に『君は貴婦人になれる』『君は貴婦人になれる』『君は
貴婦人になれる』『君は貴婦人になれる』と毎日、毎日言い続け、最後には
とうとう本物の貴婦人にして結ばれると言う話である。

 彼は花屋の娘、イライザを最初から貴婦人として扱い、『君には気品がある』
『立派なレデイだ』と話しかけ、立派なドレスやアクセサリーを身につけさせ、
どんどん彼女をその気にさせて行った。

 これが素質のある人を徹底して誉める、その気にさせる事により、その資質を
早く、見事に開花させる心理学手法『ピグマリオン効果』と呼ばれているもの
である。

この『ピグマリオン効果』は『予言の自己実現』と呼ばれている心理学的な
現象であるが、実際、色々なところで活用されている。

例えば卓球の天才少女『福原愛』選手は、『ピグマリオン効果』が見事に
働いた事例だと考えられる。

 面白い点は『ピグマリオン効果』を自分自身対しても、効果があると言われ
ている点である。 

 だから毎朝、鏡に向かって話しかけよう。『貴方は美しい、魅力的な存在』だと。
心のちょっとした持ち用で人生は大きく変って行く。

  <アメリカパテント大学 ナレッジMBAスクール教授 山崎秀夫>
 


言葉責め調教マイフェアレディー教授と花売り娘 言葉責め調教
fromJFカサイ
☆投稿者コメント「いまだにどうしてイライザ(オードリー・ヘップバーン)がラストでヒギンス教授(レックス・ハリソン)と結ばれたのか合点がいかない。テロリストなどに誘拐・監禁された人が共に暮らすうちにテロリストに心理的シンパシーをおぼえる「ストックホルム症候群」の一種でしょうか?」
……ワタシもこれと「プリティ・ウーマン」は合点がいかなかったが、そうか、ストックホルム症候群か。激しく納得。

 


時代は婦人参政権運動のさなか、女性が階級を飛び越えるという自己実現を目指す。しかし、レディーのレッスンに入ったのは、頭でっかちな、独身主義者。教授の言うことは、男なら少なからず思っていること。良くぞここまで言ってくれたと思う男はいるだろう。

 

競馬場ではにでかけるが、本当の教養を身に着けてないと、底が割れる。教授は「君ならできる」とピグマリオンと施す。イライザの態度も変わってくる。「私は一晩中踊れたのに・・・」というような部分があるでしょ。ここら辺からイライザがヒギンズ教授に恋しているのだなぁ

 

変身しました、さあ、何もかも手に入れましたと言う、単なるシンデレラストーリーではない。そこから一歩も二歩も踏み込んでいる。舞踏会の後、教養を身につけた結果、自我に目覚めはじめたが、「売るものが体しかなくなった。私はどうしたらいいの」ーとまだ自立できていない。だから、家出の歌は、「私がほしいなら言葉より抱いて」となる。

昔の町に戻ったが、ここでも居場所がない。資産だけは中流になった父親にあうが、中身はワーカーのままだった。改めて自分が自立した女性と自覚できたとき、愛も現実のものとしてとらえることができた。教授を愛するレディーになれていると確信するのだ。「もうここには用はないわ」と教授への愛に突っ走る。
 

教授への愛をゲットするために母に会いに行くのだ。しかし、教授は相変わらず、夜の花売り娘扱いをする。彼女はもう、自分が嫌いな、自立してない女性ではなくなっているというのに。女達という大くくりで見るしまっている。もっとその子だけをみてれば、わかるはずなのにね。もう彼女はアホレディーではないというのに。

教授は自分の信念に反してイライザと愛してしまったことに葛藤する。それを隠すために高慢な態度に出たんでしょう。
ヒギンスは最後まで、「好きだよ」っていえないんですね。
イライザはヒギンズ教授の性格も理解していたし、強がっていたことも見抜いていたんだと思われる。大好きなのに好きと言えない男とそれを解ってくれる女。理想です。

 

 

 

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