1973年

オートポイエシス

autopoiesis

マテュラナ/ヴァレラ

 チリの生物学者
生物と非生物を特徴づけているものは、はたして何であろうか?
この問いに対して出された回答はいくつかあった。
最初にこの問いに答えたのは40年代のベルタランフィの一般システム論だった。
1950年代にはサイバネティックスが提唱され、
60年代には自己組織系が提唱された。
70年代に入るとさらに発展した形で、M・アイゲンのハイパーサイクル説、H・ハーケンのシナジェティックスプリゴジンの散逸構造E・ヤンツの自己組織化
そして、オートポイエシスが提唱された。(自己制作理論、自己創出性などとも翻訳される。)
 
 
オートポイエイシスは、初めに構成要素が存在するのでなく、システムが作動することよって構想要素が産出され、次に産出された構成要素間の関係によってシステムが再産出される循環関係をとるシステムである。
ここからに見いだされた生物の特徴は、常に自分自身を更新し続け、一方で、その更新プロセスを制御して構造としての統合性を維持するようにできているという点である。
 
オートポイエーシスの視点は次の4点に集約される。

  1. 自律性
  2. 個体性
  3. 境界の自己決定
  4. 入力と出力の不在
自律性は生物が外部的な刺激や環境条件の下で、自己を保持し続ける、動的平衡と理解できる。
個体性は栄養素を取り入れて自分自身の一部分に変換し組み込むことだと理解できる。
境界の自己決定は例えば免疫システムによって自己と非自己の境界を区別している生物の特徴を思い出してほしい。
ここまではなんてことない有機体論である。独自の理論とはいえない。
しかし問題は入力と出力の不在だ。
オートポイエーシスの推進派であるルーマンは「閉じて作動するが、故に開いている」と言い、「閉鎖性は開放性の前提である」と言う。
-----よけいに分からない!
極意を伝授しよう。
1)前3つの特徴、自律性、個体性、境界の自己決定は、自己産出プロセスの視点で特徴付けられている。どのように自分の構成要素を産出しているかという視点である。
2)こうして、産出プロセスを中心に有機体を捉えると、構成要素が有機体を構成し、その有機体がまた構成要素を産出する循環となっている。そしてこの循環プロセスは自己自身への回帰するような閉域ができていると言える。
この循環が有機体の唯一の必要条件だとする。
この時、従来のオートポイエイシスが従来のシステム論と決定的に違う視点に立っていることがわかる。つまり。入力や出力はシステムの外にある「観察者からの視点」であり、「システムの自身らの内的視点」ではないということだ。
3)オートポイエイシスでは、産出関係と作用関係を区別して考える。このとき、入力や出力は作用関係であり、産出関係を決定していないことが分かる。
 
それにしても「システムには入力も出力のない」というのはやはり言い過ぎだったようで、後にヴァレラ自身より、「システムには入力も出力もあるが、入力や出力はシステムのあり方を直接決定しない」と内容を変更した。
-こうなると若干わかりやすい。わかったような気になる。
しかしどうしてこのような視点が必要なのか?
それはオートポイエイシスの構想が神経生理学に基を置くことによる。
例えば、視神経では、光の入力とその作用が機械的でない。神経システム、外的刺激を受容してそれに対応した反応をするのではなく、むしろそれ自身の能動的な活動によって視覚像を構成する。
 
作動することによって、内部と外部の区別をするのであり、作動に先立って内部も外部も存在しない。
さてこんなシステム理論を組み上げてなにをしようというのか?なにができるというのか?
視点の違うシステム論の提示は、新しい世界観の提示に他ならない。そうした論理の適用範囲は、生命科学、経済学、社会学、生態学、科学論、精神医学等々驚く程広い。
例えばクーンのパラダイム論は外部からの視点で論じられており、それ故「共訳不可能」な認知の枠組み自体が存在し多元的となるであるが、オートポイエイシスの視点、つまり行為者自身の視点に立てば、この多元性自体が成立しない。
 
関連→システム論史
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188 オートポイエーシス第三世代システム 河本英夫 1995年 青土社