はじめに-ポリシー 
このサイトをオープンしてすでに5年が過ぎました。この間アクセス・カウンターは30万に達し、E−mailの受信は1000通を超えました。
 その中で、いろいろな意見を受け、間違いの指摘をされ、反省し、webを訂正し、時にはテーマごと消してしまったwebページもありました。現在のバージョンは出版物に置き換えたとすると第100版ぐらいの改訂版ぐらいになるのでしょう。
 こうしたスクラップ・アンド・ビルドはネットワークがあって初めて可能になったものです。
 それ故、このサイトは私が書いたというより、ネットワークに参加している多くの人の意思から産出されたものであって、私は単なる編集者なのかもしれません。
 そのプロセスの中から、このサイトに対するポリシーが生まれてきました。今のところ5つです。 それは、1)気軽に、2)「知る」から「理解する」への切り替え、3)「言説による理解」、4)無限の底辺、そして5)中立にです。以下にひとつひとつポリシーを説明していきます。
1)気軽に:
  欧米では、サイエンスを文化的に「鑑賞」する伝統は依然として存在するが、日本においては、ほんのわずかで、学術的な、インターナショナルなものでなければならないという思いこみが蔓延している。 もっと気軽にサイエンスに触れて欲しい。
音楽鑑賞とおなじように「サイエンス鑑賞」は楽しみのひとつのジャンルである。
科学という個人を超えた大きなウネリに触れ、サイト訪問者の心になにか起動するものが芽生えれば、それでいいと思っている。
 
2)「知る」から「理解する」への切り替え
古代の知識者は知られていることをすべて知ることができた。
しかし現代においては、知られていることがあまりに多すぎて、ほんの一部の専門家にしかなれない。そして好奇心そのものを削ぎ落とすことすら強要される。
例えば、星の運行というひとつの事象を考えたときに、星があまりに数が多すぎてその全てを「知る」ことはできないが、その原理を我々は「完全に理解」している。
「知る」では、全てのことを知ることはできないが、「理解する」を鍵にすれば、全てのことを理解できる可能性がある。
 物理学者のなかにも「理解」を重要視しない人たちがいる。
道具主義」といわれる人たちだ。その主張は、科学の理論は結果の予測をすることであり、予測と結果に整合性があれば、理論は何でもいい、あるはまったくなくてもいい−という考え方だ。 これが、科学を無機質に非人間的にしている、元凶である。
 コペンハーゲン解釈は深刻な道具主義に犯されており、そういう意味で排除される。
科学は何故を問うてはいけないというのは実証主義、道具主義であり、真の説明を与えることを阻害している。
理解の導入によって、科学に人間性を復活させることができることを望んでいる。
3)「言説による理解」:
 数学の目標は数学的確実性ではない。まして数学的真理ではない。数学の目的は数学的説明なのだ。
数学的説明によらない、言説での説明による理解は真にありうる。

 故にこのサイトでは、理数的表現を極力避け、「サイエンスの 言説による理解」といった立場をとって書こうと思う。
4)広く:
 このウェブサイトが対象にしているあらゆる分野で同時に「理解」を深めること、何百にも分かれた巨大な知識群を連続的な総体として捉えることとは大変難しい。しかし無限の底辺をもたない限り、真の統合に到達することはありえない。
無理な統合はしない。「知る」から「理解する」に切り替えることによってそれまで、バラバラだった科学が必然的に一つの知に統合されてくる。
5)中立に:
最後に誤解をさける為にあえて申し上げるが、このサイトでは、発展途上の理論も取り上げるが、どの立場を主張することもない。まして結論もない。
ただ、「問いの空間設定」を展開しているだけだ。あくまで、中立的 にすすめて行きたい。
 
ネットワークを通じたフィードバックを繰り返していけば、いつか本当に究極のシステムが産出されるかもしれません。
みなさまよりのメールを心よりお待ちしております。
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