神の発明

中沢 新一 

プラトは信者ではないが、一応教養として。

科学や哲学からGODの本質にせまろうという試みはありましたが、spiritの思考からGOD の本質に迫ろうとしたものものはなかった。

第一次形而上学革命---神の発見

第二次形而上学革命---科学革命

第三次形而上学革命---科学の狭量さを取り除き、神を地に足の着いたものする。

日本語の神は2つの意味がある。

超越的な神-ゴッド

自然そのものに宿るカミ-スピリット

視点のひっくり返し

スピリット族の中からゴッドは発生した。

むしろスピリットからGODの離脱は必然はなく、本質的な進化はおこってない。

人の求めにより、スピリットをGODとして勝手に格上げしたけだ。

一神教が自分だけは特別だというのは、むしろ例外的である。

「超越」:「超越」は心の内部で起こる。スピノザは「内在的超越」と呼んでました。

「超越」な脳の感情の一形態にすぎないのかもしれない。

「世界はスピリット」で満ちている」という考えは、普通「アニミズム」の一言でかたづけられるが、脳や心の中に住んでいる、外界と自由に行き来していると考えると、そんなに簡単ではないと思えるだろう。

第3章:GODにならなかったグレート・スピリット

スピリットは、我々が意識を取得する以前から我々の脳にすんでいたかもしれません。

同時にその中でも秀でた「いと高き神」「グレートスピリット」も含まれていた。

しかしあくまでも数々の神の中である。唯一神にはなろうとしないのだ。

ではいつ唯一神が現れたのか?

第4章:自然史としてのGODの出現

王の出現により平等が崩されたがそれでも、平等なコミュニティーに神と人は暮らした。

それが破られたのは、モーゼの出エジプトの後である。

モーゼが助けたのは、60万人奴隷(ヘブライ人)であった。せっかく自由にしたのに、彼らの精神は、奴隷のままであり、新たな主をもとめていた。

ここに神は一気に異状な高まりに達した。ここで人類史上初めて一神教の思想が芽生える。

モーゼは、奴隷の身分から自由人への変化には、人間の根底的な変化(新たな自己意識と再誕意識)が必要であり、いかなる『奇跡』をもってしても奴隷を自由人に変ええないことを悟ったのだ。

だから奴隷を通じ、故意にあたらな支配者たる一神教が作られたのでる。

終章:未来のスピリット

スピリットの危機

スピリットの復活などといって喜んでいる場合ではない。

神はとっくに死んだ、 商品化されたスピリットがいまや死のうとしている。