1960年

ブーツストラップ

J・チュー

世界は何から作られているかという問題に、これまでの科学は要素分解的にとらえていた。つまり原子から原子核、原子核から核子、素粒子、クォークというぐあいに物質の最小単位の追求をしてきた。これがそのまま物理学の発展史ともなった。

1961年にチューが発表したブーツストラップ理論はこの根元探しを否定するものであった。

この理論的構築にはハイゼンベルグのS行列理論が使われる。

仮に粒子A,B,Cの3つが存在するとしよう。AとAを衝突させるとBとCが生成され、BからはAとC、CからはAとBが生成される。こうしたネットワークのなかでは、粒子A,B,Cのどれが根元かを問う事はナンセンスになるとしたもの。

コズミック・ウェッブともいわれ、基本的視点は

「自然は根源的実在には還元できない。素粒子間の関係性だけが存在する。」

「つまり、特定の粒子が、他の粒子に対し優位性をもつことはない。全体と部分は対等、平等なのである。」

「したがって、自己調和という形で理解されるべきだ。」

というものだ。

さらに、ブーツストラップ仮説は、現代物理学の全てを統合する事ができる。それは下記のブーツストラッパーの基本3原理からだけで見て取れる。

  1. 相対性理論から導き出されたもの:反応の確率は、実験の行われた場所と時間によって結果が変わってはいけない。
  2. 量子論から導き出されたもの:特定の反応の結果は確率でしかとらえられない
  3. S行列から導きだされたもの:エネルギーと運動量の空間の移動は粒子にしか行なえない。

いかがだろうか?現代物理学の相対性理論、量子論、S行列がすっかり内包される考え方なのだ。

科学の方法論ではなく、むしろ認識の問題、リアリティの問題を扱っているようにも感じる。

さらに1970年末にはトポロジーの導入によってこの理論はさらに飛躍し、粒子とみなされていたクォークは関係性のパターンととらえている。こうして考えると未だ発見されないクォークの説明が簡単についてしまう。

その結果ブーツストラップは3つに分かれてきました。

最初の応用研究はハドロン・ブーツストラップです。

次二番目の応用はレプトン・ブーツストラップ

そして三番目がフォトン・ブーツストラップです。

もうおわかりですね素粒子表の全面的に書き換えようとするものなのです。

クォーク理論が科学界で広く支持されているのは、その対象性の理論によって、新粒子の検出ができる点にあります。加速器は大型のものほど、光速に近く速度で粒子を衝突させることができるために、いまや一機、スペースシャトル数機分もかかるのです。この巨額の費用を捻出するには、あらかじめ予測を提出できないと建設ができないのです。

そこで、ブーツストラップによる新粒子検出の予測を数式化する研究を始めたところ、トポロジー数学に行き当たったのです。

ブーツストラップへのトポロジー数学の導入はみごとな成果をもたらしてくれました。ハドロン、レプトンの分野で新粒子の存在が予測可能になったのです。そして従来クォーク理論でしか引き出せなかった成果の大半を引き出すことが可能となったのです。

クォークは粒子ではなく関係性のパターンであると考えると、クォーク理論の限界をすっきりと解決できるからです。

もうクォーク理論は必要ないとは言いませんが、その根拠の大半は代替可能となったのです。

そしてフォトン・ブーツストラップでは、まだ研究途中ですが、もっと驚くべき成果を引き出す鍵となりそうです。

量子論の不連続な変化が起こるというパラドクスは量子論の時間と空間のがはじめから存在するものとしてとらえていることから生じているという仮説が成り立つのです。フォトン・ブーツストラップ仮説では、時間と空間は同一のプロセスの部分ととらえます、すなわち、不連続な変化は最初から存在している時間と空間の中で観測されているのではないのです。

こうした錯覚をおこさせてしまった原因はフォトンによるものです。我々はフォトンによって時間と空間という感覚を与られているのです。

しかしフォトンを他の素粒子と同等にとらえるとしたらどうなるでしょうか?

フォトンの影響を除外しないと素粒子の世界は見えてこないのです。

確かに、ブーツストラップの概念はあまりに革新的です。博士の時間と空間の仮説が証明されるとベルの定理を完全なものとする可能性があります。

そうなると、相対性理論の登場、量子論の登場以上に科学全体を書き換える影響を持つことになる。

そうなる可能性は充分あります。プランクの光量子仮説にはじまった新しい物理を完成することになります。

チュー>陽子が観測されても大統一理論の傍証にすぎないですが、それに近くなりますね。でも陽子は絶対に崩壊しない。

ブーツストラッパーは何より何が優れているとか劣っているとか考えないのだよ。クォーク理論の陣営にも知らす知らずブーツストラッパー的発想で研究している人のいるし、自然と歩み寄ってきている。

こうしたブーツストラップ・ビジョンをもっている人のことをそう呼んでいる。

それは世界観の提示よね。哲学っぽい科学ですよね。

ブーツストラップは、現代物理学の全てを統合する事ができる。その成功がもたらす影響は物理学だけじゃないってことだ。われわれの還元主義・機械論的世界観そのものを崩壊させることになる。

還元主義・機械的世界観の崩壊が早いか、陽子の崩壊が早いか楽しみだ。

チュー自身の意見によれば、陽子崩壊が観測されれば、自分の理論は崩壊するとしている。

 

その後、陽子と中性子は更に小さな3つの粒子で創られているというクォーク理論が注目され、ブーツストラップは誤りであったとされる。

しかし、このモデルは相対性原理と量子論の原理と数学的無矛盾性しか必要としない。単に、方程式が解けなかったというだけであり、アプリオリに不可能というわけではない。解がないわけではない。いつかその式は解かれ自然全体が出現するかもしれない。

 

それでもブーツストラップは、その方程式の解から、いくつかの成果をもたらした。

その一つは後に究極の理論に一番近いと言われる程のものとなったのだ。

南部陽一郎、ホルガー・ニールセン、レオナルド・サスキンドはブーツストラッププログラムで得られた解が摩訶不思議な結果であることに気が付いた。

基本素粒子には、長さだけがあり、直径がゼロで空間を占めていないという奇妙なものになってしまったのだ。

これは、クオーク理論のような原子論とブーツストラップのような反原子論をとりまとめることができたのだ。

それは、今日我々がヒモと呼ぶ物の幕開けだ。

 

 

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