1985年 

認知革命

ガードナー

第1部:認知革命

第1章:「メノン」がもたらしたこと

 

 

第2章:認知科学の基礎と築く

ヒクソン・シンポジウムと行動主義への挑戦

行動主義心理学派は20世紀の初めから20年間心理学のスタンダートをなり、揺るぎ無いものになっていた。

その考えは環境によって人の心は決定されるということである。個人が自らの考えや意志によって行動しているというのではなく、環境から要素を受けて動かされていると考える。

これにヒクソン・シンポジウムで意義をとなえたのがラシュレーだった。

ラシュレーは、「行動における系列秩序の問題」を講演した。

1)「言語系によって提起されるべき問題は、私にとって、ほとんど全ての他の大脳の活動の特徴たるべきものだと思われます」

の一言において、行動主義心理学派が切り捨てていた、意志とか目的を持ち込んだ。

2)心理学でも、神経生理学でも刺激と反応の間の連鎖は直列ではなく、並列に展開される。要因AがBを引き起こす

 

ウィーナーのサイバネティックスの出版1948年この会議と同年

1946〜サイバネティックス会議が年に1回計10回行われた

人類学者のベイトソンはフィードバックの考えをとりいれ「二重拘束」理論に取り入れた。

オッペンハイマー:心理学者のとらえる知覚の問題と、当時原子物理学や素粒子物理学で大きな問題になっていた、原子や素粒子の水準で研究をしようとするとき生じる観測の問題との2つの問題間に対応があるかもしれないということであった。

不確定性原理から出てくることの意味が困惑するものであり、考えあぐねていたのである。

不確定性原理によれば素粒子の位置と速度を同時に測定できない。測定しようとする行為が影響を与えてしまうのである。

ブルーナーも観察者の態度や期待が、「客観的データー」とされるものに与える影響について調べていた。

 

第3章:認知科学―最初の10年間

 

第2部:認知諸科学―その歴史

第4章:理性・経験・哲学の地位

デカルト:

ロック:

カント:

第5章:心理学―方法を実質と結婚させる

 

第6章:人工知能―「エキスパート・ツール」

フォン・ノイマン:

ワインゼンバイム:愛や道徳の無ければもしも理解できるAIが誕生しても冷酷で、残忍で人間を抹殺しかねない。

ドレイファス:コンピューターは目的や欲求をもっていないし、ある状況に巻き込まれることもないから、全ての事実を同等にしか扱えない。

<アインシュタイン>やあ古典的な批判が飛び出したね。でもこれは、AIと人間の本質的差を

ミンスキー、ヒントン、アンダーソン:並列主義

サール:中国語の部屋:強いAIへの批判として

バークレーの反論:中の人は理解してないかもしれないが、それは中の人もシステムの一部にすぎないのであって、システム全体としては理解しているのである。

サール:ではそのシステム全部をその人の頭の中にいれてしまったらどうなるだろう?それでもこの人は理解しないだろう。

エールの反論:コンピューターをロボットに入れて実世界で生活させ学習ればいずれ理解できるだろう

サール:それは形式的記号操作以上のものであるかもしれないが、反論ともなっていない。なぜなら、セットされた学習機能以上の学習機能は更新できないだろう

バークレーの反論:脳シミュレータ論:中国人が中国語理解にたずさわっているときの脳のニューロンの発火状態をプログラムはシミュレートするのだという考え方である。

サール:ではもっと大きな部屋にニューロンと同じ配線を組んで中の男に同じように、そのスイッチをオン・オフさせたとしよう。その結果正しいカードを提出されるようにしたとしても中の男はやはり理解していない。

理解というものレベルの設定を間違えている。

理解するのは脳ではない人間というフローなのだ。

同様に理解するのはプログラムではなくてシステム全体なのだ

身体があって、本能があってはじめて理解は存在しうる

 身体がないといけないのか?

我々の脳に身体の内部モデルがあってそれをうごかすことによって体が操作されると考える

 

機械の生存本能?

 

 

 

第7章:言語学―自立への模索

 

第8章:人類学―個別的事例を超えて

 

第9章:神経科学―還元主義との戯れ

神経科学の分野においても還元主義は猛威をふるった。

特に脳の機能について「局在論」が長い間猛威をふるっていた。1880年〜1975年ぐらいが彼らの華の時代だ。

すこし残酷なようだがら切除法という方法を用いた。

つまり、脳を少しずつ切っていったんだ。

例えば、左脳を損傷すると言語障害になるとか、読み書きの障害は左頭頂葉と後頭葉

ラシュレーが実験に組み入れたのは他でもない切除法だ。彼らはより精密に検証したんだ。1960年代だね。

その結果「脳の部分が特定できる反応は無い、そのような研究は望みなし」と結論づけたんだ。

つまり脳は高度に組織化された単一の器官と考えたんだね。

第3部:認知科学の統合へ向けて―現状と見通し

第10章:外界の知覚

 

第11章:心象は想像が生み出した空想物か

知覚についてのギブソンの見解

アフォーダンス

ギブソン批判

ギブソンは不変項の検出の難しさを低く見積もりすぎていた。

第12章:カテゴリー化された世界

 

第13章:人間は合理的か

 

第14章:結論―計算パラドックスと認知的挑戦

人間の思考の先導的モデルをコンピューターに求めるのに2つの大きな疑問がある

第1に、やったことの正誤については、コミュニティーの中に存在するということ

第2が生物系との違い

 

認知科学の究極的ゴールは音楽や絵画などの芸術を楽しみ、創作し、愛を理解できる機械の理論を作り出すことだ。当然非還元的にね。

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132「認知革命」 知とかがくの誕生と展開 ハワード・ガードナー The Mind's New Science Howard Gardner 1987 年 (訳: 佐伯 1987 年) 産業図書

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