1975年

知のアナーキズム

ファイヤアーベント

 

ファイヤアーベント>国家と宗教の間には政教分離があった方がいいと思うかい?

ソフィー>あったほうがいいわ。だから国家が宗教を利用することもできないし、宗教が国家になることもないのよ。イスラムは別だけど。

ファイヤアーベント>その通り。でも、ああ!なんてこった。国家と科学の間にはまったく分離ないんだ。

ソフィー>政教分離は国家の側から宗教家による浸食を切り離したものだわ。

ファイヤアーベント>科学者は国家の覇権なんて目的にしてない。逆に科学の為に国家による浸食を切り離さなきゃならないんだ。当然科学と宗教も分離しなければならないから、「科政教分離」と考えなきゃならない。

ソフィー>そうすると政府が、核兵器や毒ガスを作るように命令できなくなるのね。たしかに一つの理想ね。

ファイヤアーベント>僕は科学の発展には、国家以外にもいろいろな制約がある。特にホパーやクーンなどの科学方法論上の特定の規則という制約だね。これも国家の制約に似たり寄ったりの程度にすぎない。

科学の発展の為にできる唯一の原理は「なんでもありさ(anything goes)」つまり、自由にまかせるべきなのさ。

ソフィー>でも逆に科学が暴走した時に政府の歯止めがきかなくならない?

ファイヤアーベント>だから科学には他からの借り物ではない哲学が必要なんだよ。つまり、科学が他の知識様式に勝っているなんて全くのナンセンスなんだ。まだ一人立ちすら出来てないんだよ。

実際には、科学に確立された方法論は存在できないのに、あたかもそれを持つかのように、科学という権威が君臨しているのが現状なのさ。

ソフィー>でも「なんでもありさ」という立場には、「何でもありはダメなのさ」という立場も含むの?

ファイヤアーベント>僕の考えでは「否定する」ということをまず排除する。縮小均衡の方向に答えはないんだ。「科学ではダメさ」とか「何でもありはダメ」はこの考えに反する。なんでも取り込んでいく、拡大発展の方向に何でもありってことさ。

ソフィー>それが、わるい考えでも?

ファイヤアーベント>そう、そのとおり。例えば、宗教でも、「あり」さ。

「科学以外は頭にわるいからやめてしまえ」というのは縮小均衡の考えだ。

知識というのはそういうものではない。くだらない知恵を排除して最後にいい知恵だけが残るというものではない。くだらない知恵もいい知恵も全て丸飲みして、ようやくいい知恵が生まれてくるのさ。

 

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