ゲーテ格言集 Johann Wolfgang von Goethe |
さまざまなものを未来に望んでいる眼には、小さなことことは、じきに映らなくなってしまう。
無益な人生は、早く死んだも同じです。
自分自身の道をあるいて迷っている人のほうが、他人の道をまちがいなくあるいている人々よりも、私には好ましい。
すべての階級を通じて、一段と気高い人は誰か。どんなことを前にひかえても常に心の平衡を失わぬ人。
自己が自己であるために、支配することも服従することもいらぬ人間が、偉大な幸福な人間である。
あせりはあせりによって十倍も罰せられる。あせって目標を引き寄せようとすれば、それを遠ざけるだけだ。
君はどこもまでさまよい歩く気か、見よ、善いものはすぐ近くにある。
幸福をつかむことを覚えるがよい、幸福は常にそこにある。
誠実な君よ、何を信じたら教えてあげよう。生を信じよ、生の教えは雄弁家や書物よりもはるかによい。
喜びには悩みが、悩みには喜びがつきものだ。
苦しみが残していったものを味わえ!苦難もやがて過ぎてしまえば、甘い。
自己を集中し、早く正道に立ち返ることを求めなさい。
暑さ寒さに苦しんだ者でなければ、人間の値打ちなんてわかりはしない
何でも初めは難しい、ということわざ、これはある意味では真理かもしれないが、しかし最後の段階に登るのこそもっとも困難で、それに至るものはまれだ。
小事に喜びを感じる人を見たら、思え、その人はすでに大事をなしとげているのだ。
空はどこへ行っても青きということを理解するために、世界一周旅行をするにはおよばない。
世には、なに一つまともに企てないがゆえにあやまつことも全然無い人間がいる。
自分たちの置かれているいかなる境遇にも善処しえられず、まら、いかなる境遇にも満足しえない謎の人物どもがいる。こうしたことから、楽しみもせずにあたら人生を消耗する恐るべき抗争が生じてくるのである。
男なんてとか女なんてとか、一般化した名詞で考えるのはおやめなさい。みな違うことを言っているなどと、矛盾した存在にみえてくる。目の前にあるただ一人の人を信じなさい。その人の言葉だけを信じれば、たちまち矛盾は解決するだろう。
おまえの努力は愛の中にあれ、お前の生活はそのおこないであれ。
半時間ぐらいでは何もできないと考えているより、世の中の一番つまらぬことでもする方がまさっている。
あまりに多くを要求し、複雑錯綜したものに喜びを感じる人間は、常に昏迷の危険にさらされる
光と精神。前者は物理的なもののうちに、後者は倫理的なもののうちに力をふるっているが、考えるkとはできても劣化することはない最高のエネルギー
行為または忍耐によって改善しえられないような境遇は一つもない
こうして今は心安らかに世間を旅していける。入り用なものはどこだって、手に入れることができる。持ち歩くものはだた一つ、かけがえの無いもの、愛。
くり返し二度三度よんで飽きないものは何か。恋人のくれた心のこもった手紙。
人間らしく幸福にするために愛は気高い二人を寄り添わせます。
身分の高下などまったくどうでもよい。つねに人間性の洗礼を受けることだ。
私は人間だった。それは戦う人だということを意味している。
人間というものは、決して自分自身をしることができず、決して自分自身を純粋に客観的に観察することができないものだ。他人は私自身が自分を知るよりももっとよく私をしっている。
人間は、なんと知ることの早く、行うことの遅い生き物だろう。
真実がしごく簡単なのに腹を立てる人がいる。しかし、真実を実際に役立てるにはずいぶん骨がおれることを、彼らは考えるべきである。
人間はすべて自然のうちになり、自然はまたすべてのうちにある。自然の極致は愛である。愛によってのみ、人は自然に近づくことができる。
われわれが不運かまたは、自分の過失かによっておちいる魂の悩み、それを癒すことは、知性には全くできないし、理性にもほとんどできない。時間がかなり癒してくれるが、断固たつ活動こそはそれを癒す十全の力をもっている。
眠りは殻だ、脱ぎ捨てよ!世に人はみな臆しためらおうとも、雄雄しく立ちことをなせ。心得てすばやく手をつける、すうぐれた人のなしえぬことのあろうことか
一つ所に執着するな。元気に立って、さあ行こう!頭と腕に快活な力があれば、どこに行ってもうちにいるようなもの。太陽を楽しめば、どんな心配もなくなる。めいめい勇んで出かけよう。世界はこんなに広い
人は常に迷っている。迷っているあいだは常に何か求めている。
何事につけても、希望するのは絶望するのよりよい。可能なものの限界をはかることは、誰にもできないのだから。
昨日が曇りなく公明であったら、今日は力強く自由に働ける。明日にも希望がもてる。明日も同様に幸福であれと。
人間は現在を貴び生かすことを知らないから、過去にこがれたり、未来に媚をおくったりする。
何かを探そうとするなら、遠くを探すな。
実り多いものだけが真実である。
出来上がったものが硬化しないように、作り変えるために、永遠の生きた活動が働いている。それは活動し、創造的に行動し、先ず形をなし、ついで形を変える。瞬間とどまることはあってもそれは外見だけである。永遠なものは一切のもののうちに活動し続ける。万物は存在に執着するならば、崩壊して無に帰すほかないのだから。
安らかに寝ることを欲するのか。私は内的な戦いを愛する。なぜなら、もし疑うことがなかったら、確実なことを知る喜びがどこにあろう?
才能は静けさの中で作られ、性格は世の激流の中で作られる。
人間はけだかくあれ、情け深く優しくあれ!そのことだけが、われらの知っている一切のものと人間とを区別する。
人は最初から人に生まれたのではない。人になっていくのである。
性急にやらねばならぬこともたくさんありますが、節度を保ち、不自由を忍ばねば、手に入れることのできぬものもあります。それは、「徳」です。「徳」とは、縁続きの「愛」も同様です。
我々はどこから生まれてきたか−愛から。我々はいかにして滅ぶか−愛無きため。我々は何によって自己に打ち克つか−愛によって。我々も愛を見出し得るか−愛によって。長い間泣かずに済むのは何によるか−愛による。我々を絶えず結びつけるのは何か−愛である。
結婚生活は一切の文化の初めであり、頂上である。それは、乱暴者を穏やかにする。また高い教養のあるもにとっては、その温情を証明する最上の機会である。結婚生活は解消し得ないものでなければならない。結婚生活は多くの幸福をもたらすもので、それに対しては、個々の不幸なんか、一切ものの数ではない。
もはや愛しもせねば、迷いもせぬ者は埋葬してもらうがいい。
気持ちよい生活を送ろうと思ったら、済んだことをくよくよせぬこと、めったなことに腹をたてぬこと、いつも現在を楽しむこと、とりわけ、人を憎まぬこと、未来を運命にまかせること。
あせることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔を作る。
ここで今これ以上骨をおっても無駄だ!バラならば、花さくだろう。
すべてをすぐにさぐろうとするものがあろうか!雪が溶ければ、ひとりでに見つかるだろう。
思索なんかする奴は枯野原で悪霊にぐるぐるひきまわされている動物みたいなものです。そのそとまわりには美しい緑の牧場があるのに。
経験したことは理解したことだと思い込んでいる人がたくさんいる。
気分がどうのこうの言って、なんになりますか。ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。今日できないなら、明日もだめです。一日だって無駄に過ごしてはいけません。
財貨を失ったことは僅かを失ったことだ。気を取り直して新しく手に入れなければならない。信頼を失ったことは多くを失ったことだ。再び得るには多くの努力が必要だろう。勇気を失ったことはすべてを失ったことだ。もはや埋葬されるしかないだろう 。
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