1962年

パラダイム論

クーン

 

コペルニクスの地動説が天動説にとって代われたのはなぜか?

一般的には、単純に、より合理的な考えが受け入れられたのだと考えられている。

しかし、初期の地動説はその予測性において天動説に劣っていた事実も指摘され、単純に合理的なものが受け入れられたとは結論しがたい。

この疑問にクーンは「科学革命の構造」(1962年)の中で次のような結論を出した。

まず、地動説と天動説の依拠しているパラダイムには根本的な違いがあるから、「共訳不可能」(共に理解することは不可能)であるとし、

それ故、決して客観的に証明されたのではなく、科学者集団の集団心理上の変化が起こったからにすぎないとした。

ニーチェによって神は殺された。そしてクーンは科学という新しい神を殺したと言ってもいいだろう。

クーンのこの論が強烈な論争を巻き起こしたのは、実は、それまでの論理学的傾向が強かった科学論に歴史的視点を導入したことにある。

 

  

プラトテレス>いやいや、それは中世キリスト世界があまりにいい加減すぎたからで、「共訳不可能」性は昔話にすぎない。現代は、そんな障壁はもうないといっていいだろう。パラダイムはむしろ合理的に必然的に進化しているといってもいいだろう。今では「共訳不可能」ってキーワードも「どうせ、あいつらには理解できないんだ」という逃げ道ぐらいにしか使えない。

ソフィー>脱共訳不可能世界へってわけね。

プラトテレス>それこそパラダイムの転換になるだろうね。

ソフィー>古いパラダイムを捨てて、新しいパラダイムにシフトすることは、進歩といっていいんでしょ?

クーン>いや我々が新しいパラダイムを受け入れるたびに、古いパラダイムが失われてゆく、しかもどっちが正しいかなんてわからないとしたら、進歩と確定することは不可能なんだ。

プラトテレス>それからクーンはホパーとはいくつかの重要な点で見解と異にする。決定的に違うのは、<規範的な科学的定理でさえ、永遠ではない>とした点だ。

ソフィー>???それじゃあ、あなた自身のパラダイム論によれば自身のパラダイム論も永遠ではないってことね。

クーン>その通り、パラダイムは永遠に完成されることはないんだ。

ソフィー>パラダイム論はパラドックスしているわ!!

クーン>そうかもしれないね。でも僕の新しい神殺しだけは無罪と考えて欲しいね。僕はいたずらに神格化された科学を再び地上に引き下ろしたにすぎないんだ。

反論→

1)オートポイエイシス視点よりの批判:パラダイム論は外部からの視点で論じられており、それ故「共訳不可能」な認知の枠組み自体が存在し多元的となるであるが、オートポイエイシスの視点、つまり行為者自身の視点に立てば、この多元性自体が成立しない。

2)ドイッチュによるクーン批判:クーンの理論には致命的な欠陥がある。この理論はあるべきパラダイムからもう一つのパラダイムへの移行を、ライバル説明の客観的な長所によってではなく、社会学的あるいは心理学的用語で説明している。しかし科学を説明の探求として理解しない限り、科学が前のモノよりも客観的にいい説明を次々に見出してきたという事実は説明が付かない。

したがって、クーンは、前のものに取って代わった科学的説明が客観的に改善されていることを、あるいは改善はたとえ原理的にせよ可能であることを、あっさり否定する羽目になっている。

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科学革命の構造

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