1964年 |
二つの文化 The Two Cultures |
C.P.スノー C.P.Snow |
スノー>文学的知識人を一方の極として、他方の極には科学者、しかもその代表人物として物理学者がいる。
そしてその二つの間をお互いの無理解、ときには(若い人たちの間では)敵意と嫌悪の溝が隔てている。だが、もっと大きいことは、お互いに理解しようとしないことだ。この分離は社会的に大きな損失になる。
ソフィー>元々一つであった「知」が、これほど分離してしまった原因はなんなのだろう。
プラトテレス>一つは科学が細分化し、科学の中ですら、隣の知には無関心が許され、統合性が無くなってしまっていることがあげられるだろう。
文化も同様に細分化して統合が無くなってしまている。
双方の極がそれぞれ複数化してしまったことにあるのだろう。
一つの文化の時代に育った古典的知識人は、科学の難解さより、複数化する知という未曾有の出来事に対応できず、シェイクスピアが数ある知の一つに格下げされることに違和感を持ったのかのしれない。
ソフィー>この二つはもう一つになれないの?
プラトテレス>いや、これ答えるにはレヴァインに登場してもらおう。
レヴァイン>事実の世界と価値の世界、客観的と主観的という区分けはもはや不要で「知的、道徳的、審美的、社会的、経済的および政治的共同体が生み出す文化の総体」のなかで繰り広げられる言説として眺めてみると二分法は霧散してしまう。
プラトテレス>つまり、一つの文化へ収斂する言説モードにすぎないという見方もあるってことだ。
でもそうした言説として捉えた場合にもっと根深い二つの文化が現れる可能性もある。
すべての言説は原典テキストの中に、たとえ明示的でなないにしろ含まれ、その後の言説は、この元となる言説が言説を生んでいるにすぎない。原典の注釈と解釈以外に新たな言説の登録を認めないという「テキスト文化」と、望遠鏡での新しい観測などによる「新しい何か」を追求する「レジストリ文化」の対立だ。
ソフィー>テキスト文化とレジストリ文化を融合させることはできないのかなぁ?
プラトテレス>それは宿題にしておくよ。
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180「 二つの文化と科学革命」 C・P・スノー The Twi Cultures C.P.Snow 1964 年 (訳: 松井巻之助 1967 年) みすず書房
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