第13宇宙論の将来予測
「予測は非常に難しい。特に将来については」ニールス・ボーア
「私は未来のことは決して考えない。もうすぐそこまで来ているのだから」 アルベルト・アインシュタイン
将来の予測はしばしば失敗する。空飛ぶ車はまだどこにもないし、誰も月に住んでいない。 しかしときには、予測が少しは当たることもある。たとえどのように作用するかを知らずとも、H・G・ウェールズは放射性元素のはたらきによる強力な爆弾を予測した。ま さにそれが重要なことである。未来学者、サイエンス・フィクションの作者や現代の預言者は新しい技術をおおむね正しく理解している。しかし、彼らはもっとも重要な出来 事をいつも見落としている。 それは考え方の革命的な進歩であり、それによって夢見た技術が本当に実現するのである。同じことが科学者にもあてはまる。ニュートンの時代の誰も、相対性理論や量子物 理論を予期しなかった。19世紀の物理学者が単にエーテルの存在を確かめようとしていたとき、彼らはエーテルという概念を捨て去ることにつながる道、アインシュタイン、 ブランク、ボーアによって導かれる二つの物理学革命へとつながる道と踏み出しかのだった。ちょうどそれらの物理学者が将来の発見を想像できなかったのと同じように、現 代の物理学者もやはり暗闇にいるのだと私は思っている。さて、そう断ったうえで、私自身の予測を述べることにしたい。22世紀の視点から宇宙論の歴史を振り返る体裁にし て書いたものである。以下の項目が歴史的なことに始まって、まったくの推測となり、最後にはもっとも奔放な空想へと移行していくことを、あらかじめお断りしておく。
ブリタニカ百科事典(2100年版)より 宇宙論(歴史)
『科学の一分野としての宇宙論の歴史は、1915年に初めて発表されたアルベルト・アインシュタインの一般相対性理論の進展とともに、20世紀初期に始まった。その後、数年でアインシュタイン方程式の多くの解か発見され、宇宙が時間とともにどのように進化するかを示した。アインシュタイン自身は静的な宇宙を示すために方程式に手を加えた。しかし1929年、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルが宇宙は膨張していることを観測的に測定し、宇宙は静的ではなくきわめて高密度で高温な状態か ら数十億年以上も進化してきたという結論に至った。
ビックバン理論として知られるようになった結論は、宇宙の進化の説明として受け入れられた。この理論を支持する証拠は宇宙に存在する水素、ヘリウム、その他の軽元素 の相対的な存在量、それに宇宙マイクロ波背景放射の観測などであり、それぞれはビッグバン理論によって正確に予測された。
1990年代、宇宙マイクロ波背景放射の詳細な観測によって、宇宙は伝統的なユークリッド幾何学の法則のとおり幾何学的に平坦であることがわかった。宇宙が平坦であ ることは、インフレーションと呼ばれる超高速な膨張が宇宙のきわめて初期に起こったという仮説を支持するものだった。21世紀初期に行われた宇宙マイクロ波背景放射のさ らなる研究は、2030年代の重力波の観測とともに、インフレーションの時期が実際にあったことを確証した。
1990年代に遠方の超新星が観測され、それらは当初予想されたよりも暗いということがわかった。このことは、宇宙の膨張速度が加速していることを示唆した。そのこ とを支持する他のデータとともに、その観測は宇宙のエネルギー密度の大部分(およそ70パー・セント)がダークエネルギーと呼ばれる形で存在するという結論を導いた。
1970年代から天文学者は、宇宙の物質密度の大部分がダークマターと名づけられた見えない形で存在することを知っていた。大型ハドロン衝突型加速器と呼ばれるスイ スの粒子加速器が多数の新しい素粒子を発見した2010年になるまで、この物質の正体は明らかにされなかった。これらの新しい種類の物質の多くは、超対称性理論によっ て予測される物質であると特定された。それらの粒子の一つのニュートラリーノは、ダークマターに対するもっとも有望な候補と長く考えられてきた。ダークマターが実際に ニュートラリーノからできていることは、宇宙からやってくる高子エネルギー:二ュートリノ、ガンマ線、陽電子の観測を通じて2016年に確認された。
2020年、ニュ ートラリーノ・ダークマター粒子が地下深くの検出器で初めて直接的に観測された。 ダークエネルギーの正体はダークマターの正体よりも特定しがたいことがわかり、その発見後ほぼ80年の間、謎のままたった。アインシュタインの一般相対性理論と量子物 理理論を統一した2070年代のKohler‐Stravas理論が進展して初めて、この領域にかなりの進展があった。20世紀後半と21世紀前半のひも理論を引き継いだその理論は、振 動する粒子−重力ひもの特定の種類に関係するエネルギー密度の存在を予測した。そのエネルギーは、20世紀後半に初めて発見されたダークエネルギーであることがその後確 認された。
2091年、宇宙論の科学は一般に宇宙論の歴史で最大の発見とされるものを経験した。ジュアビス革命として知られるこの発見は、一連の実験からもたらされた…… 』
最後に予測の無益さを私自身に戒め、ここで止めよう。私はダークマターの正体について、あるいは量子物理の進展について、またそのような理論がダークエネルギーの性 質の理解をもたらしうる可能性について、それなりに筋の通った推測をしたかもしれない。しかし、革命の進行を予測することは無駄足である。
科学の新しい発見について、私はこの章で書いているような可能性を考えている。そして私には、素粒子物理学や宇宙論の大発見なしに、次の10年が過ぎるとは想像するこ とができない。 そのことについて私よりも経験を積んだ回僚たちがこういった。そんな見方ができるのは、私がまだ、予想していたはずの一連の発見がまったく手に入らなかったとか、その 他の失望のせいですっかり疲れきっていない若い科学者であるからだよ、と。きっと彼らのいうことが正しいのだろう。結局のところ、30年前ほとんどの素粒子物理学者は大 統一理論の発見まであと数年だと考えていた。もしも私が1970年代後半の若い研究者だったなら、おそらくすっかり 1この段落はかなりの推測である。 2この段落はばかばかしいほどかなりの推測である。 3ばかばかしい以上に「ばかばかしい」ことを表す言葉は何だろう? 失意に沈んだにちがいない。
にもかかわらず、宇宙論と素粒子物理学の将来についてそれなりに客観的な見通しについて思いをめぐらすとき、私は心踊る気持ちにならずにいられない。現在さまざまな 実験の開発が進められ、組み立てられ、配置されつつあり、それらは信じがたいほど大きな可能性を秘めている。中でも発見のチャンスがもっとも大きいと考えられるのは、 さきほどの未来の百科事典でも触れた大型ハドロン衝突型加速器である。
大型ハドロン衝突型加速器(LHC)は、スイスのジュネーブの地下約100ヤードに埋められた延長17マイルに及ぶ円形トンネルで陽子のビームを加速する。先達の約99 ・999999パーセントで反対方向に進む陽子の二つの流れが正面から衝突する。それぞれの衝突は最高14兆電子ボルト(1万4000ギガ電子ボルト) のエネルギーを もつ。これまでのところ、粒子加速器で研究されるもっとも高い再ネルギーの粒子の衝突はフエルミ国立加速器研究所のテバトロンで、2000ギガ電子ボルト未満であった 。テバトロンは目覚ましい活躍をした機器であるが、LHCは大きな前進である。
加速器が達成できるエネルギーの大きさは、その実験で研究できる粒子の種類、あるいは(潜在的に)発見できる粒子の種類に直接関係する。E=mc2というアインシュタイン の関係式は、ある質量をもった粒子をつくりだすにはそれと等価なエネルギーを必要とすることを意味する。これまで発見されたもっとも質量の大きな素粒子であるトップク オークは、およそ175ギガ電子ボルトのエネルギーと等価な質量をもつ。これまでに発見された二番目と三番目に大きな質量の粒子はZボソンとWボソンであり、それぞれおよ そ90ギガ電子ボルト、80ギガ電子ボルトの質量をもつ。それら以外の既知の素粒子のすべては数ギガ電子ボルト以下の質量である。しかし私たちは、これらのみが宇宙に存在 する素粒子なのではないと確信している。 超対称性が自然界に存在するなら、およそ数十ギガ電子ボルトから数千ギガ電子ボルトの間の質量をもった多くの新しい素粒子が存在するはずで、それらはLHCで発見する のにまさにふさわしい。そしてたとえ超対称性が存在しないとしても、その範囲の質量をもった何かがきっと存在しそうである。すでに知られている素粒子の一覧は完全なも のではない。LHCが稼働した後、新しい発見が何もないとは考えにくい。 粒子加速器は素粒子物理学で何かを発見するための唯一の方法ではない。地下の検出器、巨大なニュートリノ望遠鏡、ガンマ線や反物質を発見する人工衛星や他の実験は、 もっとも有望なダークマター候補の多くを協同して確かめたり、除外したりするにちがいない。
宇宙論はさらなる発見のための機が熟しているように見える。COBEとWMAPを上回る性能を待つ、プランクと名づけられた人工衛星による実験は、宇宙マイクロ波背 景放射の最高精度の地図をつくろうとしている。超新星の探査もまた今まで以上に精密なものとなり、宇宙史のさまざまな段階の宇宙の膨張速度の測定の粘度を高め、ダーク エネルギーの本質についての真の理解に近づくことができるだろうと私は期待している。
新しい発見をもたらしてくれそうな発見がこんなにもあるので、私は楽観的な見方が的外れであるとは感じていない。しかし公平さを保つために、しばらくの間、私に悲観 論者の帽子をかぶらせてもらおう。その帽子を深くかぶれば、私は前とは違う22世紀の百科事典の項目を想像できる。それはこんなふうに終わる。
『これらの観測は、大部分の宇宙のエネルギー密度がダークマターやダークエネルギーと呼ばれる検出されていない物質やエネルギーの形で存在するという結論を科学界にも たらした。科学界では、このダークマターは一般的に弱く相互作用する大質量の素粒子からできていると予想されていた。しかし大型ハドロン衝突型加速器のような実験がそ のような素粒子を何も発見しなかったとき、このコンセンサスは徐々に失われた。大型ハドロン衝突型加速器やその後の国際線型加速器の稼働中に、超対称性理論によって予 想された「超対称性パートナー」の多くを含む多数の新しい素粒子が発見されたものの、ダークマターに対する候補であるような十分に安定なものはなかった。
この意外な事実から、ダークマターが弱く相互作用する粒子からできているという仮説が葬り去られた。それ以来、ダークマターの主な候補は迫力のみを通じて相互作用す る素粒子となり、それらを直接検出することは非常に難しくなった。
ダークエネルギーの本質を特定する努力は、20世紀後半のダークエネルギーの発見以来、ダークマターの探求と同様にほとんど前進しなかった。ダークエネルギーが存在す ることはいろいろな測定から確認されたが、ダークエネルギーが何であるかは現在においてもまだほとんどわかっていない。』
私は、この結果を最悪のシナリオと考えている。発見するのがほとんど不可能であるものを探し出すために何年も何十年も費やすと想像するのは、本当に気が滅入ることだ 。幸いにも私には、このシナリオはありそうに思えない。たとえダークマターが重力のみを通して相互作用するとしても、他のより重い素粒子がダークマター粒子へと崩壊す ることが加速器実験で研究される可能性がある。同じように、ダークエネルギーの謎を解くための突然の発見が近い将来に起こらないということも、まずないだろうと私は思 う。
もっと一般的にいえば、これらの謎に取り組んでいるたくさんの物理学者の独創性を信頼している。私たちが今取り組んでいるダークマターの探索で何も見つからなかった としても、新しい研究方法が開発されるだろう。非常に優秀で創意に富んだ同僚がたくさんいる。彼らが力を合わせれば、解決策の見つからない問題はそれほど多くはない。
私が想像したシナリオのどれもが、いつかダークマターとダークエネルギーの真実として示されるものとはまるで違うということも十分にありうる。私の博士号の指導教官 だったフランシス・ハルゼンはかつて私にこういった。「君が思いついた事柄が正しい確率は、思いつかなかったことが正しい確率よりもたいてい小さい」。それで少しもか まわない。発見は科学を面白くする。パズルの新しいピースが初めて発見されるときはいつも、全体像が突然目の前に現れる可能性がある。クロスワードパズルで一語を埋め ると、突然、次の語やその次の語がひらめくことがある。それと同じように、科学の最初の発見からたくさんの発見が引き続いて起こることがよくある。ダークマターの正体 の発見は、科学的な進歩のドミノ効果を起こすことができるだろうか? それが大統一理論の発見や、ダークエネルギー、万物理論の理解にまでつながることかありうるだろ うか? 私にはわからない。予期できない発見がどこへ導くかなど、誰にもわからない。私はただいつの日か、そんなことが起こるのを目にしたいものだと願っている。
訳者あとがき 『見えない宇宙(原題Dark Cosmos)』には、宇宙論のことがびっしり書いてあると信じて読 み始めた方も多いかもしれない。広大な宇宙に、現代の科学をもってしても「見えない」何か があるとは、なんと想像力をかきたてられる話題であろうか。読者の皆さんはきっと宇宙に対 する好奇心や想像力にかきたてられてこの本を手に取ったにちがいない。しかし、読み始める とやがて、ずいぶん小さな世界 素粒子 がこの本のもう一つの主役であることに気づ くだろう。原子や原子核、陽子、電子、それに中性子、さらにはニュートリノなど、この本の 話は素粒子の話ではないか! そう、まさしくこの本は、宇宙論と素粒子論を結びつけるとい う、宇宙論のなかでも比較的新しい分野の「素粒子宇宙物理学」について書かれている。「宇 宙の広大さを実感できるような詰だと思ったのに」とか、「大宇宙のロマンを語っていること を期待したのに」とがっかりした読者もおられるかもしれない。しかし、素粒予診と宇宙論と は密接に関係しており、現代の宇宙論は素粒子論を抜きにしては語れない。この本を読んでい るうちに、宇宙を理論的に探究することの面白さが伝わってくるはずだ。