決定論と自由論

 

この世の始まりから終わりまで、すべてがあらかじめ決定されているのか?

我々が自由にできる余地などないのか?

この問いは科学が発見される以前から、ユダヤ教対キリスト教の中にあった。

ユダヤ教的思想:過去、現在、将来の全ては聖書の中にかかれ決定済であるとする潜在的「構造主義」である。ヨーロッパの大思想の多くはこのユダヤ教の思想を背景にもっており、フロイトやマルクスのインスピレーションの元ともなっている。

キリスト教的思想:「自由」を基本におき、潜在的「実存主義」である。

 

この2極のパラダイムの中で科学も長い間思想的影響を受けてきたが、量子論の発展により新たに「確率論」が付け加えられた。

 

近年ではカオスの導入により、

会話している相手も異なったカオスのピークに存在しており、その相手が次にどう動くかは自分のカオス側からは、予測不可能なのである。

 

我々は不完全な観測者であり、それ故主観的には自由を得られる。

HOME

ご意見はparadigm@dreamドットコムまで

Amazon.co.jp のロゴ

 
|