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見えざる神の手

1776年アダム・スミス

 

  平和ボケといわれるわれわれの耳には世界の緊張にきしむ音は聞こえてこない。しかしテロなどという極端な行動で、抗議しようとするものなどの爆音がクローズアップされたことによって、ようやく意識するようになった。

そして「世界的経済は低迷している。そして貧富の差は拡大されている。アダムスミスの見えざる神の手は間違っていたのか」という論調が目立ってきた。

自由競争という神の手は収奪の手であるというのが、そのほとんどの主張である。

 

ケネディーが潮が満ちてくれば、すべての船が持ち上がるといっていた。

しかし現実には神の手は機能不全である

まず、神の見えざる手とは何か?

その理念は人類の幸福にあるのは、間違いないが、それを得るためには、マーケットの存在が必要とされる。

マーケットがなければ、人は、一人で、衣食住のすべてを、考え、つくらなければならない。

分業によって創造された効率的な価値をマーケットを通じて交換させる。

確かにマーケットは、自然から最小限の力で最大の富を作り出すことができる。

まずは、分業で富をつくり、しかる後分配しようということだ。

しかし、1776年のアダムスミスには、想像もできなかったことがある。

@国家を超えた分業A資源の有限性だ。

 

@国家を超えた分業

もともと貿易のルールでは、相手国にある物資に競争商品を当てることは、世界ルールで禁止されていた。これを最初に破ったのがイギリスだ。

その後、自由貿易は進み、さらに国家を超えた分業が行われるようになった。これにより、競争力のある国家とそうでない国家が生まれた。

ひとつの国家の中では、金持ちと貧乏人がいても、金は循環し、国家も税による調整に入る。

しかし、国家をまたがると富の再配分は国家や宗教、民族間の緊張により実行されず、落差は広がる一方なのである。

国家間の分業と再分配に速度にギャップがある。これを是正するには、市場を閉じるか、再配分の速度をあげるかのどちらかである。

A資源の有限性

もともと、神の手は、数量や価格の一般均衡をもたらすのみで、不足している物を生み出してくれるわけではない。

資源は有限だが人の欲望は無限だ。その欲望に対してこの惑星はあまりに小さい。アメリカ人の食卓と同じ物を全地球の人々にいき渡させるに必要な耕地面積は、この惑星2つ分だ。

すでにわれわれの地球は、資源的限界にきており、いつまでも、自然の伐採に制約を設けない。エネルギーを無尽蔵ととらえる。人口爆発をコントロールしない。 といった姿勢をつづけることはできない。

そして、この小さなパイは等しく分け与えられてるのではなく、上位数百人で食べ尽くし、貧困層の40%の人の手元には、富全体の3%しか行き渡ってない。

 

しかし、欲望と再分配は無関係で、例え我われの欲望を縮小しようとしても、国家間の緊張を解かないと富の再配分は実行されない。

 

 

 

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