希望学 |
会長が自殺したけど、生き恥晒すぐらいなら死んだ方がましということで、「その時点で幸福な方法」を選んだのですね。幸福って絶対的なものではなく、相対的なもの なわけですね。
はた目には、地位も名声もあっていかにも幸福そうなのに、幸福じゃない人もいる。
幸福と希望は違うね。幸福は相対的、歴史的、比較的なもので、後ろや横をみないと、分からないもの。希望は未来に作ろうとするもの。どちらも、「ある」ものではなく、「感じる」もの 。
WEBで検索してみたら、「比較幸福学」というのが、ありました。(幸福学というのはない)京都大学が主監での本格学問です。なぜ「比較」なのかというと、やはり私の考えと似てます。私は「歴史的」「相対的」と考えましたが、彼らは「幸福は比較してみないとわからない」と考えて「比較幸福学」ってネーミングしてます。中身は文化人類学的なものでした。
心理学を嫌いなのは、心の影をほじくり出すようなところがあるからだ。「深層心理学」がそうだね。大学の頃はハマッていたけど、その理由で心理学そのものを毛嫌いしていた。でも僕が今「創ろう」としてるのは、まったく正反対で「高層心理学」とも呼べるもの。うーむ、このネーミングはいいなぁ。
深層心理の先に無償の愛などない。高層心理の先にあるのだ。高層は深層を否定するのでななく、「含んで超える」。高層心理は希望学と合体するのだ。もちろん比較幸福学は取り込む。