1997年 |
量子力学のイデオロギー |
佐藤文隆 |
シュレ猫>くそ!あのやろーあのロイドメガネをかけたあいつ、思考実験だけじゃあきたらず、この俺をホントに毒ガス実験にかけやがったんだ。
ソフィー>あなた、シュレ猫?どこから来たの?
シュレ猫>そうとも、天才・シュレ猫さ。俺はどこにでもいる。生と死の重ね合わせ。時間と空間の重ね合わせ。存在と存在の重ね合わせ。いつだって、どこにでもいるのさ。
シュレディンガーの猫
シュレディンガーが1935年にコペンハーゲン解釈をした思考実験。箱の中に猫を閉じこめ、観測器による電子の観測位置の結果よって、毒ガスが発生する仕組みになっている。
この場合、箱の中の猫が生きているか死んでいるかは観測者が蓋をあけるまで、確率でしかはかれない。コペンハーゲン解釈によれば、確認したときに波動関数の収縮が起こったと説明が付けられる。
シュレディンガーは「それはおかしい」と主張したのである。
そう、明らかにおかしい。猫の生死は未知であって未決定ではない。
EPRパラドックスも量子力学では、観測前は不確定で観測の行為により確定されるとする。しかも同時に確定する。スピン状態の重ね合わせなどと表現される。明らかにおかしい。実際には空間を飛行中に電子の向きは決定している。
つまり決定されていることも記述できないのが量子論の記述方法なのである。
このようなパラドックスがあるかぎり量子論は不完全だとされる。
コペンハーゲン解釈
こうした点に、「わかる」ことは必ず必要といえるだろうか?-と考えたのがコペンハーゲン解釈だ。
その対象を操作「できる」ことが全てではないだろうか?
考えてみると我々自身の体すら本人がその仕組みを「わかる」わけではない。
それでも手や足は思う通りに動かせる。
もちろん反対を唱えるものもいる。
アインシュタイン>神はサイコロを振らない
ドイッチュ>コペンハーゲン解釈なんて道具主義解釈にすぎない。コペンハーゲン解釈なんていまや誰も信じていない。
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117 「量子力学のイデオロギー」 佐藤文隆 1997 年 青土社
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