前書き

サイエンスの鑑賞

 H-Aki

 

 コペルニクスが1543年に「天球の回転について」を出版した時にも、ガリレオが1632年に「天文対話」を出版した時にも、そしてニュートンが1683年に「プリンピギア・マセマティカ」を出版した時にも、サイエンスは部外者でも、ある程度の教育を受けていれば理解可能なものであった。

 しかし、その後アインシュタインが「相対性理論」を発表したときにサイエンスは今までとは全く違う領域の知となった。ある日突然鏡をくぐりぬけて、専門家にしか理解できないものなってしまったのである。

 生物学の分野においても1930年あたりの遺伝学を契機に完全に理数化され、今では、分子生物学や化学指向の強い分野でも、あまりに理数的で、多くの生物学者が理解できなくなっている。  

 狭く深く、広く浅く、広く深く

このウェブサイトが対象にしているあらゆる分野を同時深めることは、何百にも分かれた巨大な知識群を連続的な総体おして捉えることとは大変難しい。しかし極力広い底辺をもつことによって、サイト訪問者の心になにか起動するものが芽生えれば、それでいいと思っている。

 故にこのサイトでは、理数的表現を極力避け、「サイエンスを鑑賞する」といった立場をとって書こうと思う。

 おそらくこのサイトに対して反論のメールの内、一番多いのはこうした立場に対してだろう。

 欧米では、サイエンスを文化的に「鑑賞」する伝統は依然として存在するが、日本においては、ほんのわずかで、学術的な、インターナショナルなものでなければならないという思いこみが蔓延している。

 このサイトにそうした古くから蔓延している書物との「ズレ」を感じてくれれば、私の思うところである。

 

 最後に誤解をさける為にあえて申し上げるが、このサイトでは、発展途上の理論も取り上げるが、どの立場を 主張することもない。

ただ、「問いの空間設定」を展開しているだけだ。あくまで、中立的な鑑賞ですすめて行きたい。

 

HOME

ご意見はparadigm@dreamドットコムまで

Amazon.co.jp のロゴ

 
|