1925年

量子論

 

1900年にケルビン卿がニュートン力学の立場から「もはや物理学の分野を雲で覆っているのは「黒体輻射の問題」と「マイケルソン=モーレーの実験の問題」のたった2つしかなく、やがてその雲も疑いなく、なくなるだろう」との勝利宣言を行った。しかしこの2つの雲は晴れるどころか、やがてニュートン力学を根底から覆す事になるのである。

「黒体輻射の問題」の雲にはプランクによってエネルギーには分割できない最小単位があるとした、「量子仮説」がうちだされた。ここで提出されたものは、ニュートン力学のすべての運動は連続的に変化するとしたアナログな式から、段階的に変化するとしたデジタルな定数である。

「マイケルソン=モーレーの実験の問題」の雲には、アインシュタインにより、やがて相対性理論となる「光電効果」が提出された。光は波であり、同時に粒子であるという2重性理論から、機械論的なエーテルなどの存在を不要にしてしまったのである。

ある土地の一年間の降雨量を確率としてはしることができるが、はたして5日後に降るかどうかは極めて不確定である。このように時間の単位を短くすればするほど、誤差は大きくなる。

これは原子の世界でもおなじに言える。

放射性原子の崩壊について考える時、ある時間内の崩壊する原子核の確率は求められても、いま顕微鏡のなかにある、原子核はいつ崩壊するかは解からない。

ミクロにみることはマクロにみるより不正確になるが、マクロでとらえると、どのレベルで見ても確率でしかありえなく、確率には絶対ということは含まれないというパラドックスが起こる。

この発想にもとづいて確立されたのが量子力学であるが、この誕生にはエピソードがある。

1925年にド・ブロイの物質波から発展させたシュレディンガーの波動方程式が発表され同じく1925年にハインゼンベルグの行列力学が発表されたのだが、この二人は1926年に激烈な論戦を行なっている。最初の年は シュレディンガーに還付なきまでに叩きのめされたが、ハインゼンベルグは翌1927年に不確定性原理を発表したことにより、この対立する2つの数学式の関係が意味をもった。これが量子力学の誕生である。

自然界を動かすのは確率である。

すべて近似値であり、反応の傾向でしかない。数学を用いた、記述による科学的知識の目指した、デカルトの「延長されたもの」は絶対をもとめたことにおいて、まさにスタート方向から違えたのだ。皮肉にも、デカルト、ニュートンのパラダイムは量子論によって、粒子の世界における古典物理学の適用範囲をはっきりと彼ら自ら編み出した数式に示され、終焉をむかえた。

量子力学

ただし日常の物理現象を記述するには、ニュートン力学が未だに有効であり、日常の世界では量子力学の方法を用いるのは、原理エラーにもなりかねない。

HOME

ご意見はparadigm@dreamドットコムまで

Amazon.co.jp のロゴ

 
|