波乗りと精神 |
連載 波乗りと精神 第九巻 http://www.sc-fan.com/ss09.html
21: 茶湯の変遷 |
22:茶道の成立 |
23:歌道と茶道 |
24:香木と香道 |
25:古今伝授と連歌道 |
26:絵の雪舟 |
27:ゴ−ギャンの絵 |
28:テイクオフ「開かれゆく魂」 |
29:知性と本能 |
30:クル−ソ−漂流 |
41:神秘主義 |
42:誰のために書くのか |
43:夢と現実 |
44:波乗りと芸術 |
45:音楽の精神 |
46:西洋から見た東洋 |
47:ヨーガ・スートラ |
48:サーンキャ哲学 |
49:パタンジャリのスートラ |
50:坐法と調気法 |
51:制感の修行 |
52:サンヤマ(「綜 制」) |
53:キリスト教神秘主義 |
54:ヨギ・キリスト |
55:ニイチェとソクラテス |
56:「悲劇の誕生」科学と芸術 |
57:「敗れし者への共感」(ジョエル・チューダー) |
58:ジェリーとジョエル |
59:敗北と漂泊「敗者の思想」 |
60:日本人の霊魂観(結び松) |
61:世阿弥という詩魂 |
62:実朝の和歌と波 |
63:宣長と物のあわれ |
64:冥想録と私 |
65:詩と形式(暗号の解読と聖地の喪失) |
66:鎌倉武士の精神 |
67:蔵人と武士道(三島由紀夫) |
68:武蔵と『五輪書』 |
69:沢庵と武者修行 |
70:臨済の家風 |
71:日常と非日常(ポッツと菩薩道) |
72:一休と骸骨 |
73:道元と山水経 |
74:正法眼蔵と修証義 |
75:六道遊行 |
76:天動説と地動説 |
77:時代おくれ |
78:第一線 |
79:大拙と幾多郎 |
80:「カリフォルニアランド」 |
81:「タオ自然学」とカプラ |
82:東洋思想の道(タオ) |
83:アートマン・プロジェクト |
84:「ダルマ・バム」から「サーフ・バム」へ |
85:波乗りとドラッグ |
86:唯一者とその所有 |
87:三態の変化 |
88:時流に反して「オールドスクール」 |
89:自力道と苦行道 |
90:戦争と平和 |
91:機械文明と神秘精神 |
92:ポッツとサーフィン道 |
93:METAPHISICAL- surfing a higher level |
94:HOLY SPIRIT |
95:隠者サーファーの系譜・・・<1> |
96:隠者サーファーの系譜・・・<2> |
97:波乗りと浄土 |
98:捨聖一遍 |
99:南無阿弥陀仏 |
100:なみのりだ佛 |
81:「タオ自然学」とカプラ ジェイコブ・ニードルマンの『聖なる伝統と現在求められているもの』が刊行された1975年は、プリブラムやボームのホログラフィ理論の提唱や、フリッチョフ・カプラの『タオ自然学』が出版されて、科学と神秘主義の関係が論議された年でもあった。カプラはこの本の成功に気をよくし、世界各地を講演して歩くとともに、第二作『ターニング・ポイント』を続けて書いた。さらに第三作『グリーン・ポリティックス』(C・スプレトナックと共著)を発表後、エコロジーのシンクタンクを設立して、生命のシステム理論に着手した。ここで注意すべきことは、ジェイコブ・ニードルマンがはじめ医学を志し、途中で医師から形而上学者になり、大学で哲学を講じたように、フリッチョフ・カプラはウィ−ン大学で高エネルギ−理論物理学の博士号を取得したのち、スタンフォ−ド大、ロンドン大などで教鞭をとりながら、専門外の神秘主義に目覚めたことである。カプラは、『タオ自然学』を書くきっかけとなった神秘体験について、「コズミック・ダンスへの招待」という序文で次のように述べている。運命が変わる物語の序章はこうだ。・・・ 「本書を執筆するきっかけとなったのは、五年前のある美しい体験である。夏も終わりに近いある午後、海辺に腰をおろし寄せくる波を見つめながら、わたしは自分の呼吸のリズムを感じていた。と、その時、とりまくすべてが壮大なコズミック・ダンスを舞っていることに気がついた。まわりの砂や岩、海や空気が振動する分子あるいは原子で構成されていること。その分子や原子が粒子からなりたち、たがいに他の粒子を生成、消滅させつつ相互作用していること。そのようなことは物理学者であるからには当然承知していた。また、地球の大気には「宇宙線」(コズミック・レイ)が絶えず降り注いでいて、高エネルギ−粒子である宇宙線が大気に突入する時に、衝突を無数に繰り返しているのもわかっていた。これらのことは、高エネルギ−物理学の研究にたずさわる者としてなじみ深い現象ではあっても、それまでは、グラフや図式や数学理論をとおしての体験にすぎないものであった。ところが、海岸に腰をおろしていたこのとき、これらの体験が生気をおびて甦ってきたのだ。
宇宙から流れ落ちるエネルギーの滝(カスケード)、その中で、リズミックに脈打ちながら生成・消滅する粒子、さまざまな元素の原子。それらとわたしの躯の原子がともにエネルギーのコズミック・ダンスを舞うのをわたしは「観た」。そのリズムを感じ、音を「聴いた」。そのとき、わたしは、それがヒンドゥ−教徒の崇拝するダンス神シヴァのダンスであることを知った。それまでに、わたしは理論物理学の分野で訓練を重ね、数年間にわたって研究活動に従事していた。と同時に、東洋の神秘思想に心ひかれ、東洋の思想と現代の物理学にきわめて深遠な類似性があると思い始めていた。とりわけ、量子論の不可解さを想起させる禅の不可解さにひかれることが多かった。・・・」 物理学者が神秘家になる例は、歴史上、数多く見ることができる。たとえば中間子の存在を予言してノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の晩年に、われわれはむしろ、物理学者であることを忘れた一神秘主義者の言動をみることができた。つまり、物理学と神秘主義の間には、目に見えない相互作用があるのだ。カプラは、『タオ自然学』の第十四章で「湯川秀樹のひらめき」について述べるとともに、物理学者が力よりも相互作用について語りたがる事情に言及している。しかし、現代物理学の細部にもまして重要なことについて彼は、この本が刊行されれた七年後の改訂版(1982)の序に、「かつて、示唆されたことはあっても、深く探求されることのなかった物理学者と神秘主義者の世界観のさまざまな相似性を発見したとき、わたしは自分がいずれ常識となるべき当然のことを明らかにしているにすぎないと強く感じていた。そして『タオ自然学』を執筆しながら、時に、自分が書いているのではなく、わたしをとおして書かれていると感じることさえあった。」、と述べている。つまり1975年という一時期を画し、コズミックに存在する目に見えない何ものかの働きかけによって、このような思想的活動が特定の人々を通して、いっせいに起こされたのは何故だろうか。・・・それは、「陽が極まれば陰にその場を譲る」という中国のことわざがあるように、驚くべき進化の動向の始まりをわれわれは目撃しているのだと、彼はいう。陽が極まれば、陰にその場を譲るとは、古代中国の知恵「タオ」の原理にほかならない。 「いまこの瞬間をはじまりと看做す」という点で、カプラとニードルマンの認識は一致している。1970年代に突然沸騰したニューエイジ運動は、彼らが始めたのではなく、彼らによって「目撃」されたのである。カプラの神秘体験が、海辺に腰をおろし、寄せくる波をみつめながら体験されたことは、たんなる偶然ではないだろう。波が押し寄せる海岸、それ自体が、神秘なのである。東洋の神秘思想家が、あらゆるものを基本的な合一性のあらわれとして体験するという場合、たとえば陰と陽というような対立概念も、すべてが包含された統合体の中では、その差異も相対的であるに過ぎないことを自覚していた。対立とは、思考領域に属する抽象概念であり、そのために相対的である。「美を美と知ったとき、醜が存在する。善が善と識ったとき、悪が存在する。」(『老子』)というように、ひとつの概念に心を集中する行為、そのものが対立概念を生む。神秘思想家は、こうした知的概念の領域を超越し、そうすることで、あらゆる対立が相対的であり、両極的な関係にあることを識る。善と悪、苦と楽、生と死、陰と陽なども、べつべつ範疇に属する絶対的な体験ではなく、同じ世界のふたつの側面、単一世界の両極に過ぎないことを悟るのだ。対立はすべて両極的なもの、つまり統合であるという意識が、人間のめざすもっとも崇高な方向のひとつである。
カプラには『ギーター』と鈴木大拙を同列に述べるような危ういところがあり、ニードルマンが指摘したような、異質文化相互の理解には限界があることを暗示している。また、海岸における彼の体験は、改訂版の248ページに提示された絵のように、踊る神のシヴァのすがたが、宇宙大に拡大されて目撃されたことから、彼に本を書かせたのはシヴァ神との暗示もある。つまり『タオ自然学』のカプラには、インドから東洋哲学に入り、日本を経て、中国にたどり着いたような図式が透けてみえる。対立するものはすべてが相互に依存しているから、その拮抗がどちらか一方の全面的勝利に終わることはけっしてない。つねにふたつの側面の相互作用のあらわれだ。これを中国では伝統的に「陰」と「陽」という原形的な極をつかって、この陰と陽の背後にある「統合」を、タオと呼んだ。これは陰陽二極間の動的な相互作用である。カプラは、タオを円運動として考えた。円運動は、ベルグソンによれば進化の停止であり、閉じた世界である。進化および開いた世界は、直線運動だった。しかしこの円運動にある種の投影をほどこすと、相対する二点間の直線運動と化す。この直線運動は直線とはいえ、あくまで二極間、すなわち陰と陽との振幅にすぎなくなってしまう。だからタオはもう一度。、円運動にもどって考える限りにおいて、対立概念は統合され、超越される。ここで陰と陽は、男と女に置き換えられ、波乗りの原理に関連してくるが、このテーマは大問題として、のちの『エクスタシー』に譲らねばならない。
ここでは物理学者がなぜカプラのように、神秘主義者になるかという問題を考えている。彼は「不確定性の原理」で知られる物理学者ウェルナー・ハイゼンベルクの言葉を、『タオ自然学』の冒頭の扉に誌している。すなわち、・・・「異なる思想の流れが出会うところ、人類の思想史上もっとも実り多い発展がある。これはかなり一般的な真実であろう。その流れは、さまざまな人類文化に起源をもち、時代や文化状況、宗教の伝統なども異なっている。しかし、それらがひとたび出会えば、あるいは少なくともたがいに作用しあうほど双方の関連が強まれば、そこにまったく新たな、きわめて興味深い発展が起こることは、まずまちがいないと言ってよい」。ここで出会ったのは、現代物理学と神秘思想であり、西洋と東洋である。これをカプラは、「ブッダへの道と核爆弾への道」というわかりやすい比喩で述べている。どちらの道を選ぶかは個々の科学者の自由であるとして、その半数が軍のために働き、すべてを破壊する巧妙な手段を日夜研究しているのが現状だ。その傾向は弱まるばかりか、21世紀に入っても、増大の一途をたどってる。この限りない巧緻と創造性を浪費している時代にあっては、カプラのように、ブッダの心ある道が強調されてしかるべきだ。 世界を破壊の道から救うためには、科学者がまずカプラのように、海岸に坐ることだ。なぜなら、現代物理学はその素粒子の世界の探求によって、非日常レヴェルでの対立概念の統合化に進み、東洋の神秘思想と紙一重のところまできているからだ。外見的には矛盾し、両立しがたい概念が、じつは同一世界の異なった側面とみなされる例は、相対論の四次元世界だけではない。それは粒子と波の概念によって統合されたケースで、もっとも顕著に知られている。原子のレヴェルでは、物質は粒子でもあり、波でもある。どちらの側面を見せるかは、状況次第だ。この二面性は、光(電磁波)にも見られる。光は、量子(光子)の形で放出され吸収されるが、この粒子が空間を伝わっていくときは、波のもつあらゆる特徴をそなえた振動電磁場としてふるまう。電子は一般には粒子と考えられているが、この粒子束が小さなスリットを通ると、光とおなじく回折現象をおこし、電子も波のごとくふるまうという。粒子が波であり、また波は粒子でもあるという事実を、物理学者が受け入れるには長い時間が必要だった。 ( May 23 , 2002 ) |
82:東洋思想の道(タオ)
フリッチョフ・カプラはその『タオ自然学』の第二部「東洋思想のタオ」のなかで、ヒンドゥー教・仏教・道教(タオイズム)・禅に分類して、その思想をかなり手際よく述べている。しかしそれは手際よいだけに、深いとはいえない。たとえばヒンドゥーの『ウパニシャッド』や仏教の『大乗起信論』からの引用は、前者が必ずしも的を得ているとはいえず、後者の参考文献が鈴木大拙の " The Awakening of Faith " (1900)であるように、起信論の真意が伝わってこない憾みがある。さらに 禅のところで" Zen and Japanese Culture " や " The Essence of Buddhism " などからの引用で、すべて鈴木大拙の名前で出されているものの多くが、直接大拙の思想ではない点に、われわれはとまどいを覚えてしまう。つまりこの本は、西洋人が西洋人のために書いた東洋思想の本であり、東洋人が読むことを想定して書かれてはいないのである。したがってわれわれが読む場合には、西洋人が東洋思想をどう理解しているかの範囲にとどめられるべきだろう。まして、この本によって東洋思想を学ぼうとする初学の日本人がいたら、それこそおかしなものである。 そもそも「ニューサイエンス」という言葉自体が、この本を震源として日本でできたというが、このような言葉に象徴される文化の安易な逆輸入は、かえって問題を複雑にする。ジェリー・ロペスが "SC " で「サーフィン道」の提唱を行なったのは1982年だが、いま思えば、このような時代の風潮に対して、日本人のさらなる奮起とこころの自覚を促したのが彼の真意だったかもしれない。ところで、このニューサイエンス自体は、一方に「宗教を証明する科学」として期待する議論があれば、また一方では「一部の西洋科学者による一時的な東洋主義」と否定的な反応を示すアカデミズムがあるというように、対立的構図があってしかるべきだった。しかし、そのようなことすべてに目をつぶってでも、全面的に支持しなければならない本質的な理由を、この本は持っていた。それが伝統的コミュニティからの情動的かつ挑発的否定論に対し、肯定的な市民運動と結びつく活動家の議論に集約して、発展してきた源泉でもあろう。しかし、日本での表面的な議論の繰り返しをよそに、アメリカ・イギリスでは論客が多数登場し、すでに「トランスパーソナル心理学」の成立を見た。
ところで、ニードルマンにしろ、カプラにしろニューエイジの論客は、「リアリティ」ということをいう。カプラは、リイアリティは同じ「ひとつのもの」である、という荘子の言葉を引いて、ものごとの根底にあるひとつの究極的なものをリアリティと呼び、このリアリティが「タオ」だという。タオは本来「道」という意味だが、その道は「宇宙の道(プロセス)」に通じ、ヒンドゥー教のブラフマンや仏教のダルマカーヤに相当すると説いている。ヒンドゥ−神話のテーマは、神の自己犠牲による宇宙の創造である。神の創造は「神の劇」(リーラ)とよばれ、リーラの神話は魔術的色彩の濃いものであり、ブラフマンはこの「魔力」を使って、自ら宇宙になりかわる。わたくしは別のところで、波乗りはリーラ(遊戯)であるといった。これはペルシアのツァラトストラの言説による。ブッダはおおよそ、ギリシアのピタゴラスやヘラクレイトス、中国の孔子・老子、そしてペルシアのツァラトストラと同時代の人だった。そのうえでカプラは、ブッダを「セラピスト」と名づけた。彼が理解する仏教の「無常」観は、ヒンドゥーや禅の理解とともに、ユニークだ。 ブッダの死後、仏教はヒーナヤーナ(小乗)とマハーヤーナ(大乗)の二つに別れた。小乗派は仏陀の言説を忠実に守ったが、のちに発展する大乗派は形而上学的要素を強めた。仏陀自身は、形而上学的なものは認めない立場にあり、むしろサイコセラピー(精神療法)を説いた人だと、カプラはいうのだ。人間の魂にあらわれたブラフマンは「アートマン」とよばれる。ブラフマンは宇宙の原理である。この原理つかさどる「魔力」が、『リグ・ヴェーダ』にでてくる「マーヤー」の本来の意味だという。聖なる魔術師の「力」という意味は、時代とともに変わり、いつのまにか魔力に縛られた精神を意味するようになった。「この世は幻である」というマーヤーの現代的意味は、われわれをとりまく形態や構造や事象が、自然のリアリティではなく、魔力に縛られた精神が勝手に計測し分類した概念でしかない。しかしヒンドゥーの自然観によれば、マーヤーの世界はダイナミックなリーラで、その躍動的な力を「カルマ=業」という。『ギーター』では、すべてのものに生命を与える創造の力が、カルマである。つまり、その意味も本来の宇宙的レヴェルの創造力から、人間的な今日レヴェルまで引き下げられると多分に心理的な側面を持ち、われわれの宇宙観自体が断片的になって、環境から孤立して行動できると錯覚し、カルマに縛られる。 ヒンドゥーにうけつがれたこの『ヴェーダ』の世界は、のちの仏陀にいたってバラモンの異端となる。悟りをひらいた仏陀は、同僚の修行者に「四諦(したい」を説いた。その第一部が「ドゥッカ(苦)」だった。すべてのものは去来する。すべては一時的であるに過ぎないうもっとも基本的な事実が、受け入れがたいがゆえに、苦が生じた。仏教の根底には、流れと変化を、自然の基本的特徴としてとらえる「無常」観がある。仏教はその心理的影響に関心が強かったが、中国人は流れと変化を自然の根本的な要素としてとらえただけでなく、変化のなかに人間が従うパターンを発見した。賢者はこのパターンを把握し、それに合わせて行動することによって、道と一体になる。自然と調和を保ちながら、あらゆることをなしとげる。タオの特徴は、このパターンである宇宙の周期的性質を知り、行動することにある。「道にしたがい、天と地の自然のプロセスに身をまかせる者にとって、全世界は手の内にある。」という准南子の言葉は、タオイストの自信に満ちあふれている。
タオはすべて、両極の力のダイナミックな相互作用からあらわれる。中国人は、状況が極限に達するとかならず、正反対の方向に逆戻りすると信じているからだ。この周期的パターンは、陰と陽の対極を導入することによって明確な構造をもつ。古代中国のシンボルである「対極図」は、陰と陽のダイナミックな相互作用を意味し、その対称(シンメトリー)は、静的なものではなく、絶え間なく回転する周期的な動きを表わしている。西洋人にとって、対立するものすべての絶対的一体性を認めることは、大変むずかしい。しかし東洋では、あらゆる対立の超越がなければ悟れないと考えられてきた。タオは対極の絶え間ない相互作用であることから、何かを得たいと思ったら、かならずその逆から始めなければならない。多すぎるより足りない方がよく、やり過ぎるよりしない方がよいとされる。これでは進歩がないと考えてしまうかもしれないが、退歩とは、着実に正しい方向に進むことだ。近代社会は生活水準を高めるのに忙しく、生活の質を犠牲にしている事実を忘れている。中国も最近は経済発展が著しく、伝統を脱して近代化が急である。しかし、サーファーのように近代社会の中でクオリティー・ライフを実現しようとすれば、タオのような古代思想は有効だろう。 なぜなら、それは賢者の生き方だからである。 もともとタオイズムは、理性的知識より直観的知恵を重視し、基本的にこの世界からの解放の道であることによって、ヒンドゥーのヨーガやヴェーダーンタの道、また仏陀の八正道などに類似した。何か得たいなら、その逆から始め、何かを保つなら、その中に、それと反対のものを見い出さなければならない。『老子』に微明(びめい)というのは、「縮めるには、まず張らねばならない。弱めるのは、まず強めねばならない。廃するには、まず興さねばならない。奪うには、まず与えねばならない。」・・・たとえば、ハタ・ヨーガのアーサナもこれと同じ原理である。タオイズムでは、このような行動のあり方を「無為」という。『荘子』によれば、無為とは、何もしないで黙っていることではなく、万事を、自然のままにまかせ、その本性をみたすことである。けだし、肝に銘ずべし。
ところで、フリッチョフ・カプラが『タオ自然学』で言おうとしたことは、いま述べたようなことではない。彼が東洋思想を借りてまで言わねばならなかったのは、現代社会のあり方が、あまりに「陽」に傾きすぎたことである。陽とはつまり、合理的、男性的、攻撃的であり、科学者がその典型である。陽が極に達すれば、かならず、陰に戻らねばならない。ちなみに陰とは、直観的、女性的、神秘的であり、その典型がサーファーである。神秘的知識の獲得は、主体の根本的な変革を意味する。物理学者は神秘家と対照的に、物質の研究から着手し、物質の深層を探ることによって、万物の本質的合一性を自覚するにいたる。つまり内なる領域に向かった神秘家と同じ結論に達したというのである。両者は「相補的」である。ともに必要とされていて、世界をよりよく理解するうえで補いあう関係である。ものごとの内奥にひそむ本質を知るのに神秘思想は必要だし、科学は現代生活に不可欠である。いまこそ、神秘的直観と科学的分析の、ダイナミックな相互作用が望まれている。このような認識に達したカプラでも、現代物理学の世界観が現在の社会に合致しているとは、とうてい思えない。なぜなら、この社会には、自然のなかに見い出される調和のとれた関係が反映されていなからだ。したがって彼は、次のような結論でこの本を締めくくった。・・・ 「そのようなダイナミックなバランスを達成するには、いままでとはまったく違う社会構造と経済構造が必要となろう。それこそが真の意味での文化革命である。われわれの文明の存続は、そういった変革の成否にかかっているかもしれない。究極的には、東洋神秘思想でいう「陰」の姿勢をなんらかのかたちでとり入れられるかどうかであり、すべては、自然の全体性と、自然と調和して生きる道(タオ)とを、われわれが体験できるかどうかにかかっている。」 ( May 24 , 2002 ) |
83:アートマン・プロジェクト
1970年代のカリフォルニア・ムーブメントのおける意識革命の熱気が、その多くはファッション的にもてはやされ、現実回帰とともに忘れ去られていったなかで、フリッチョフ・カプラのような現代物理学者が出て、科学者の立場から東洋神秘思想をとらえ、科学者自身の根本的姿勢を問う「ニューサイエンス」がうまれた。一方で、同じカリフォルニアという土壌から、ほぼ時を同じくして、東西の心理学および形而上学をブーツストラップ的に統合して、「トランスパーソナル(超個)心理学」がうまれたのを、単なる偶然として見過ごすわけにはいかないだろう。ケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト』は、カリフォルニアのニューエイジ・ムーブメントに現代心理学の一ページを加えるにとどまらず、悟りの実体験と意識の進化論を堂々と打ちあげたのである。カプラの『タオ自然学』は1975年に刊行されたが、ウィルバーのそれは、筆者の「はしがき」によれば、1978年冬となっている。1975年から1980年にかけては、日本に未曾有の「西海岸(カリフォルニア)ブーム」が席巻し、それが運動面ではサーフィン・ブームとなり、心理面ではメディテーション・ブームとなって同時に開花したのは、記憶にあたらしい。 つまり、サーフィンとメディテーションは、ニューエイジ・ムーブメントとともにカリフォルニアから、ほぼ同時に入ってきたことになる。しかし現実には、両者の間には淡い関係しかなく、またニューエイジ運動そのものの本質も、ほとんど日本に伝わっていないように思われるのは、ひとりわたくしの不勉強ゆえだろうか。これはゆゆしき問題である。ともかく、すでにカプラの「ニュ−サイエンス」を概観したわれわれが、ここでウィルバーとその「トランスパーソナル心理学」に立ち寄らざるを得ない理由は、それがニューエイジのなかで最良、かつ硬派の流れに属するものだといわれるからである。ただし、この『アートマン・プロジェクト』で引用されている厖大な文献の多くは未訳であり、また専門用語も多いことから、われわれはその東洋的神秘主義との関連において理解してゆくしか方法がない。要するに、「アートマン」なのだから・・・。
ケン・ウィルバーはまず、『アートマン・プロジェクト-- 精神発達のトランスパーソナル理論』の基本テーマについて、その冒頭で、「発達とは進化であり、進化とは超越であり、超越の最終的ゴールはアートマン、ないし<唯神>における究極的統合意識にほかならない。あらゆる動因(ドライヴ)はその<動因>の部分集合であり、あらゆる突き上げはその<引き>の部分集合である・・・そしてその動き全体をわれわれは<アートマン・プロジェクト>と呼ぶ。」と述べているが、なお不十分と思ったか、エリッヒ・ヤンツの「自己超越による自己実現としての進化」、という言葉を引用している。神秘主義について述べながら、最初のわずか数行のなかに、「進化」という言葉が三度も繰り返されると、われわれはまず面喰らう。「神による神への、仏(ブッダ)による仏(ブッダ)への、ブラフマンによるブラフマンへの動因・・・ただしそれは、まず人間の精神という媒介を通して遂行され、エクスタシーから破局にわたるさまざまな結果を生む。拙著『エデンから』で描こうとしたように、もし人間が究極的にはアメーバーから出発したものならば、人間はまた究極的には神への途上にあるわけだが、その間われわれはアートマン・プロジェクトなる驚くべき中宿(なかやど)の影響下に置かれている。そしてこの進化の全運動は、最後にただ<統一性>のみが残るまで、ひたすら統一から統一へと継続し、アートマン・プロジェクトは最終的にまさに<アートマン>そのものの衝撃のうちに解消するのである。」 われわれはすでにヒンドゥーの源流である『ヴェーダ』を瞥見してきた。また、『ウパニシャッド』で論争になったのは、人間が無から生じたか、有から生じたかであって、彼らは初めから人間だった。アメーバーから進化して人間になったとするダーウィンの進化論は、『旧約聖書』の創世記にも矛盾する。なぜなら、神は、神の姿に似せて人間を創造したと信じられてきたからだ。先に「天動説と地動説」の論議があったように、科学がいかように証明しようが、神秘主義の立場では、まったく問題にならない。つまり、ケン・ウィルバーなるニューエイジの論客はいったい科学の立場なのか、それとも神秘主義の立場なのか、はなから曖昧である。フリッチョフ・カプラは、その中間の板ばさみにあって、結局、エコロジーにいった。これは科学が現代的に変型したものだろう。ケン・ウィルバーはこう言う。「さて、これよりアートマン・プロジェクトの物語がはじまる。これはわたしが見たものの分かち合であり、わたしが思い起こしたもののささやかな捧げ物である。これはまた読者が草履から払い落とすべき禅の埃(ほこり)であり、最後に、ただ唯一在るところのあの<神秘>の前では一つの嘘であることを忘れてはならない。」・・・いったい、神秘の前でつく嘘とは、どんな嘘なのだろうか。
ウイルバーはまず、精神より下位の段階やレヴェルを本能的、衝動的、リビド−的、イド的、動物的、サル的とし、人類のなかでもっとも発達した魂たちにおいては、どのような形の統一性が発現しているのだろうかと問う。そのために真に高次のパーソナリティーの例を探し出すこと、この問題を直視した人々として、まさにベルグソンをあげ、トインビー、トルストイ、ジェームス、ショーペンハウエル、ニイチェ、マズローもまたしかりという。人間の最高段階を代表するの者として、彼らが口をそろえてあげたのは、世界の偉大な神秘家や聖者たちの名前だった。そこで、偉大な神秘家--聖者という形をとって、極度に進化し、発達したパーソナリティのすぐれた母集団があるのなら、それは人類そのものがサルより進んでいるのと同じくらい、神秘家--聖者は平均的な人類よりもはるかに進んだ存在であると、ウィルバーは仮定する。したがって、意識の最高レヴェルや超意識について彼らが語った上位段階の細かい記録を、西洋心理学によって入念に描写され、研究された下位および中間段階のレヴェルにつけ加えるならば、かなりバランスのとれた、包括的な意識スペクトルのモデルにたどり着けるにちがいない。これが彼の目論みであり、目指すところだった。
さて、問題の意識レベルをウィルバーにならって、下位から順に五階建ての建物にたとえると、一階はプレロ−マ的およびウロボロス的段階、二階はテュポーン的自己、三階は自我的領域、四階はケンタウロスの領域、五階が微細領域となる。このうち四階のケンタウロスまでは、この本のおよそ三分の一をしめるが、西洋心理学で説明はついている。ケンタウロスとは、彼らが名づけたもので、心と身体が調和的に一体である統合された自己。それは実存主義の人々によって探索され、復活された哲学を意味し、のちに実存心理学になったものである。前者はキェルケゴールとニイチェにはじまり、フッサール、ハイデッガー、サルトルに至り、後者はビンスワンガー、フランクル、ボス、メイ、ブーゲンタール、そしてマッディに至った。ウイルバーはいう。「わたしはまた、超言語的、超概念的ケンタウロスこそ、ベルグソンのいう<直観>やフッサールのいう<純粋直観>の本源だと考えているし、あえてそれを強調しておきたいと思う。ベルグソンやフッサールがケンタウロスを超え、さらに高次の諸領域を見たことを否定するわけではないが、総体的にいって、彼らの哲学がケンタウロス特有の指向性、ヴィジョン・イメージ、直接的な知覚的把握といったリアリティを、もっとも鮮やかに反映していると感じるのである。」 ケン・ウィルバーが、心的内省力をもたない身体感覚意識(テュポーン的)と、心的内省活動を包含する真の経験的意識(ケンタウロス的)との広大な開きを、はっきり理解していた数少ない人の一人としてフッサールをあげるとき、こうしたテーマの展開を『イデーン』に見ていたし、ベルグソンにおいては『形而上序説』を参考にしていた。この実存的ケンタウロスから、『アートマン・プロジェクト』第八章の「微細(サトル)領域」に至ると、突然、インドの神秘家オーロビンドが出てくる。つまり、プレローマとウロボロスの単純で幼児的な融合、つぎに生物学的身体自己という一歩進んだ統一性。さらに心的ペルソナとその影が統合された全的自我。この下位レベルの意識が、いっそう高度な統合として現われたのがケンタウロスだとウィルバーはいったが、そのすべては西洋の伝統的な心理学にいう<粗領域(グロス)>に属していた。それを超えたところに「微細領域」と「元因領域」があり、そこから先は意識ではなく、無意識の領域となる。アートマン・プロジェクトは、この意識の深層構造を明らかにしたうえで、われわれの魂が直感するアートマンを、現実に実現しようとする衝動をバネしている。 ( May 25 , 2002 ) |
84:「ダルマ・バム」から「サーフ・バム」へ ケン・ウイルバーの『アートマン・プロジェクト』は、「無意識の類型」(11章)からの後半に、異常な情熱が込められている。しかし、それは同時に、この本が問題の多い書物であることをも否定しない。わたくしは問題がもっと明確になるまで、いまはまだ、発言を控えたいとおもう。ただ、ひとついえることは、トランスパーソナル心理学の提唱は、基本的に現代人の倒錯した心理のうえに、成り立っているという事実である。したがって、それがもし学問であったとしても、その学問は必然的に、倒錯せざるを得ないのではないだろうか。・・・そして現代人の倒錯したエロスとタナトスについては、『波乗りと精神』の第二部『波乗りとエクスタシー』のなかで明らかにしたいと、わたしは思っているのである。この点に関して、やや唐突ながら、吉福伸逸(よしふくしんいち=1943ー )の『トランスパーソナル・セラピー入門』(1989)のなかに、ケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト』について、この本の訳者のひとりとして、ひと際注意を惹く意見が述べられている。・・・「ウィルバーやトランスパーソナル心理学が考える人間の究極的な目標や欲求とは、神になろうとする衝動、あるいは全体と一つになろうとする衝動です。神という言葉をあまり使いたくはありませんが、その神であるアートマンと一体化する欲求を人間はもちつづけている。しかし同時に、絶対に現状の自己の姿を手放さないままでそれを求める。ですから、自分をまったく変化させることなくそのままアートマンになろうとする、そうした矛盾に満ちた衝動そのものを、アートマン・プロジェクトとウィルバーは呼んだわけです。絶対にアートマンになれない状態を保ったままで、アートマンになろうとする矛盾あふれる人間の営み、そのたくらみをアートマン・プロジェクトと呼ぶということです。」 いかにも興醒めな解題ではあるが、ここにもわれわれ現代人の欺瞞と倒錯は、あまりにも明晰に指摘されていた。つまりそれは、ウィルバーがその序文(「はしがき」)の最後に述べた謎の一行に対する、醒めた解説でもあった。繰り返しになるが、すなわち「これはまた読者が草履から払い落とすべき禅の埃であり、最後に、ただ唯一在るところのあの<神秘>の前では一つの嘘であることを忘れてはならない。」・・・ この言葉を浅薄にとらえるのはやさしい。しかし、それを現代心理学の眼から見るならば、現場おけるきびしい認識の視点は、理想論を遠ざけもしよう。ピアジェやサリヴァンに代表される発達心理学では、人間心理の発達を階層的にとらえるが、ウィルバーは同様に意識の階層構造を、「意識のスペクトル」として大きく前個・個的・超個的状態の三段階に分けた。この考え方の基本には、現状からすぐに悟りへ向かおうとする東洋的自我の否定論に一定の歯止めをかけ、自我を一度健全な形で確立したうえで、そこからさらに上位の発達段階に進む。つまり、我をもっていない人間は無我にもなれないという考えから、自己のアイデンティティの確立がまず急務とされ、そのうえでアイデンティティの超越について、はじめて語る資格を得るというわけである。
ここにウィルバーが唱える「前超の虚偽」や「範疇錯誤(カテゴリー・エラー)」の問題が指摘された。彼が前個的状態と超個的状態をの取り違えを指摘するとき、わたしが思い浮かべたのは、「精神の三態の変化」を説いたニイチェである。ただし、ウィルバーが範疇錯誤というとき、具体的にはカプラの『タオ自然学』や『踊る物理学者たち』に代表される物理学と神秘主義の相似性について、異なったレベルの混同の回避が意図されていたようだ。 吉福伸逸は『タオ自然学』の訳者の一人として名をつらね、日本におけるニューエイジ運動およびトランスパーソナル心理学の提唱者でもあるが、総じてこの偉大なカリフォルニア・ムーヴメントの渦中で、冷静かつ客観的な視点を奇妙に維持している。それを可能にしたおもな理由は、彼がメディテーションの現場から、サーファーに<転身>したことと、無関係ではないだろうと、わたしくしは思う。なぜなら、われわれは波乗りの現場から、メディテーションの世界に魅せられたからであり、両者は範疇錯誤ではなく、ひとつのものだからである。しかし、彼をふくめてニューエイジの論客が口をそろえて唱える、彼らの<軽薄さ>とは、いったい何だろう。・・・ 彼は前掲書のなかで、サンフランシコ州立大学の哲学教授ジェイコブ・ニードルマン(当時)にふれて、「僕は彼を個人的にも知って入るんで須んが、彼にはニュ−エイジ一般に見られる軽薄さがないんですね。どうしてもニューエイジ関係者には少々軽薄な人が多いんです。未来をバラ色にみていて現実には地に足がついていない人が多い。けれどもジェイコブは全然そうじゃない。このジェイコブ・ニードルマンや、ハーバード大学の神学の先生として有名なハーヴェイ・コックスなどを中心に、西洋の伝統的な宗教のなかに残っている修行体系を掘り起こそうという動きがあり、その影響もだいぶあります。」(「西洋の伝統の見直し」)
これはニュ−エイジ運動とキリスト教神秘主義について述べたものだが、そこにはグルジェフの影響が強い。しかしわれわれが見のがせないのは、ニューエイジ運動における、禅の流入である。ケン・ウィルバーは『アートマン・プロジェクト』のなかで、瞑想について、「超越を補助する持続的な手段(パス)」と定義したうえで、その実践を例によって三つの主要な範疇に分類している。最初はサハスラーラにおいて頂点に達する「応身クラス」で、パタンジャリによって例証されている。つまり、ヨーガだ。第二は、上位微細領域をあつかう「報身クラス」であり、キルパル・シンによって例証されている。そして三番目の「法身クラス」は元因領域を扱うが、これはタントラ的なエネルギ−操作によらず、微細な光や音への没入を通してでもなく、意識自体の元因領域の探求および自己性や分離した自己感覚の探求を通して働く。それはあらゆる形の主体・客体の二元論が根こそぎにされるまで続き、禅仏教やヒンドゥ−教ヴェーダーンタなどに例証されると説く。そこでウィルバーは、禅を、「集中的−没入的な瞑想様式」と「受容的−脱焦点的な瞑想様式」の二つにわけた。前者は停止によって、後者は見つめることによって、低次の自我的変換を断ち切る。すなわち集中的な公案(臨済禅)または受容的な只管打座(曹洞禅)による「禅」の実践である。 このような禅のカリフォルニアへの流入についても、さきの吉福伸逸の『トランスパ−ソナル・セラピ−入門』に、簡潔な記載がある。・・・「最初に欧米で受け入れられるよになったのは、やはり禅です。鈴木大拙が1950年代から多くの仏教経典を一般にわかりやすく英訳し、さらには自分自身で自分自身で禅の精神を英語で表現していった。奥さんが英国人だったことも普及のうえですごくよかったと思います。大拙の影響で、1950年代にニューヨークやパリを中心にビートニックという詩人たちが出現しました。彼らは合理性を超えた、ある種逆説性をもった禅的な物事の考え方を、自分たちの詩の手法に採りこんでいった。当時、彼らはダルマ・バムと呼ばれていました。ダルマというのは仏教では法ですね、バムは乞食という意味ですが、一種の乞食のような格好をしながら禅的な表現をしていった。それが、観念的ではあれ欧米に禅が入った最初の流れです。」・・・鈴木大拙については、すでに見たように、鎌倉・円覚寺の釈宗演に参禅したことから、公案による臨済の禅がまず欧米に広まった。それでは只管打座による曹洞禅は誰が広めたのだろうか。
吉福の続きを聴こう。・・・「そういう土壌のなかで六十年代になって初めて、日本の曹洞宗から鈴木俊隆老師という人がアメリカに派遣されました。俊隆老師は、鈴木大拙が概念の上で禅を広めたのに対して、修行体系そのものをもちこんだ。サンフランシスコに有名なサンフランシスコ禅センターというのをつくって、そこで実際に禅の修行ができるような状況を整えたんです。トランスパーソナル心理学というのはニューエイジと呼ばれる流れの一部だといえるんですが、驚くべきことに、このニューエイジの「これは」と思う人の大半が禅センターを通過している。ちょうどぼくが1971年から74年までカリフォルニアにいたんですけれど、その頃からずっとそういったいろいろな人が来ていました。禅センターが果たした役割というのは驚くほど大きい。」・・・これは考えてみるとちょっと妙だ。禅や東洋思想がアジアからカリフォルニアへ流入し、それがニューサイエンスやトランスパーソナル心理学として、日本に環流した。今度はわれわれあがそれを通じて、東洋思想をカリフォルニアか学んでいるのだ。つまり、その流れはダルマ・バムからサーフ・バムへ、ごく自然に伝わったのである。両者が一卵性双生児のように似ている証拠には、<軽薄>という否定的要素にまで及んでいる。 ( May 26 , 2002 ) |
85:波乗りとドラッグ 以上、見てきたところによりわれわれは、カリフォルニアにおいて波乗りが、東洋の神秘主義、とりわけ禅とヨーガに出会ったことを知った。このことを子細に観察すれば、するほど、この三者には精神の深層でひとつに重なりあう共通の性質を持っていた。すなわち、それが波乗りの宗教性でもある。しかし波乗りがなぜ、世界のどこかほかの場所でなく、西海岸のカリフォルニアで、しかも東洋の神秘思想と出会わねばならなかったのか。疑問が残る。1960年代から70年代にかけて、カリフォルニアでニューエイジという名の文化革命が起きた理由を、「人類の遺伝子が地球の自転に逆らって宇宙空間に脱出しようとする傾向の結果だ」と、ティモシー・レアリーは説明した。彼はカリフォルニア・サイケデリック文化の仕掛人であり、この言葉を我田引水ととるか、個人的神秘体験の表白とみるかはともかく、この文化が60年代のLSD文化と無関係といえないのは確かである。そして、ニューエイジの活動家やサーファーが、一般社会から<軽薄>の汚名を着せれているのも、実は、このドラッグとの関係にあるのではないだろうか。しかし、波乗りが東洋の伝統的文化に出会ったとき、サーファーとドラッグとの関わりは、根本的な解決をみたとわたくしは考えている。それがいまもなお尾を引いているなら、社会とサーファーの両方で、たんに誤って理解されているのにすぎないと思う。そしてこの誤解を、一方的な社会の責任に帰すことができないとすれば、われわれの立場でそれを明確にしなければならないだろう。
「プラトンは、幾何学を知らないものを彼の学校に入れなかった。仮に私が一つの学校を作るとすれば、何らかの自然研究をまじめに、かつ厳密に選ばない人間の入学を許さないだろう。」・・・これはゲーテが、二回目のローマ滞在である1787年10月5日の日記に誌したものである。波乗りが、「何らかの自然研究」であることは間違いないし、それをまじめに、かつ厳密にわたくしは選んだと思う。そうでなければ、三十年の波乗り生活は無意味であり、わたくしは人生をすってしまったことになる。そのようなことは全くありえないことだし、むしろわれわれはゲーテの学校にも入学資格をもつだろう。いかにして人は自分自身を知ることができるか。それは、「観察によってではなく、行為によってである。」と彼はいった。「汝の義務をなさんと努めよ。そうすれば、自分自身の性能がすぐわかる」と(『格言と反省』)。波乗りは、自分自身を知るための方法である。それはたんに自然の観察であるばかりでなく、自ら自然のなかに飛び込んで、波に乗る行為そのものによって、それと一体になることであり、合一である。われわれのミッションはそこに由来する。もし、われわれがドラッグなるものに関係があるとすれば、西洋の製薬会社でつくられたLSDのように一時的な流行ではなく、人間本来に求められたもっと根源的な何かだろう。 「眠らないで、時々精神もうろうとなるのは、人間自然の要求である。それゆえにこそ、タバコを吸ったり、火酒を飲んだり、阿片を吸ったりすることが快楽になるのだ。」(『格言と反省』とゲーテはいったが、それが人間自然の要求であるなら、これを用いるのになんら問題はないはずである。アポロ的芸術家であるゲーテは、人間自然の要求を否定せず、快楽をも否定しない、肯定的精神を代表している。これに対して、東洋的否定精神から入ってディオニュソス的芸術家になったニイチェは、どう言っているか。・・・「あらゆる精気好きの連中に向かって、絶対にアルコ−ル類を遠ざけるよういくら真面目に勧告しても足りないのだ。水でいい。・・・溢れでる泉からくみとる機会がいくらでもあるような土地を、私は選ぶ。」・・・古代インドでは「ソーマ」という酒が宗教的祭祀に用いられた。ソーマの実体は今日に至まで、いろいろいわれているが、わたくしは本質的には「甘露」だと思っている。つまり、水だ。水にも、いろいろあることをまず知らねばならない。 ニイチェはまた、「何か堪えがたい圧迫から脱しようとする時には、ハシシュを必要とする。」(『この人を見よ』)、と言った。彼のハシシュは、ほかならぬワーグナーの音楽だった。この若きワグネリアンは、やがてこれと決別する。彼はもっと深いものを求めていた。古代インドでは、バラモンが「定(じょう)」に入るときにハシシュを用いたのである。だから、ソーマのもとはマリファナだと信じる説もある。サーファーがもし、なんらかの向精神性物質を使うとすれば、これと同様に補助的なものであり、快楽を得ることが目的ではない。古代の宗教的儀式で酒が神に捧げられたのは、水を乞うためであり、水が生命の根源である。そして、精霊は水の上に漂うものだ。このことがわかっていたニイチェは、「<坐る>のはできるだけすくなくすること、大気の中で、自由な運動の際に生まれたのでないような、筋肉までも一の祭りを祝っているのでないような、そんな思想には決して信頼しないこと。」と、坐禅を真っ向から否定している。 60年代のLSDブームは、それを摂取することにより、日常世界と隔絶した知覚体験を得られることから、一種の意識変革を錯覚したことによる。ハーバード大学の心理学グループはこれを研究して、その結果、インドでバクティのヨーガ行者を発見した。LSDによる至福体験は、精神的修行にとってかわり、薬が効いている一時的な状態でなく、瞑想によって、永続的に効果をもたらす方法であるとされたのである。ニューエイジ・ムーブメントの活動家は、その大半が禅センターから出たが、それに対してティモシー・リアリーなどは、古来の修行は自己を矮小化していくパターンにすぎないとして、これを否定した。彼らはニイチェを読んでいた可能性が非常に高いのである。そして、サーフ・バムの多くは、後者の考え方に従ったのではないだろうか。しかも補助として用いるそれは、LSDのような科学物質でなく、ソーマのような自然物質だったであろう。
古代インドでソーマの名のもとに呼ばれていた陶酔飲料は、バラモンのタパス(苦熱)に用いられた。しかし古代ギリシアでは、「魔女の秘酒」によって、あのアポロですら制止できないディオニュソス的陶酔の衝動となり、やがてギリシア全土におよぶ。野蛮人(非ギリシア人)の祝祭の中心は、度はずれた性的放縦だった。陶酔飲料によって、自然のもっとも凶暴な野獣が解放され、その波が家族制度を無視し、尊敬すべき掟を破ってあふれ出すと、淫楽と残酷のいまわしい熱病的な興奮の混合物となりはてた。古代ギリシア人の秘祭は、これと和議を結び、「魔女の秘酒」を効果なきものとするために、「個体化の原理」の炸裂が芸術的現象に結びついたのである。最高な歓喜の中から、とりかえしのつかない喪失をいたむ声が切々とひびく。ギリシアの祝祭の中に、自然の感傷的な一面があふれだし、悲劇の様相をおびてきた。それをニイチェは、「自然が個体へと寸断されるため息」(『悲劇の誕生』)と聴いた。彼もまた、自然との融合帰一を目指して、自己を模索したのである。 ところで、われわれは太陽の曙光を求めて、東へ東へと旅して、ついに西にでた。われわれは古来、西の方角に強い感心を示してきた。西方浄土、という。わたくしの家の前の海岸をまっすぐ東にすすむと、地球儀上では、カリフォルニアのどこかに上陸するはずである。われわれから見ればカリフォルニアは東だが、西洋人の新天地アメリカでは、西の極地、夢と謳われた黄金州だ。あけぼのの薄暗いうちにいち早く起き出して、太陽を待ちこがれていたくせに、太陽がのぼってくると、目がくらんでしまう人のような気持ちを、ゲーテは学問において味わった。また、彼はこうも謳った。「アメリカよ、君は、われわれの古い大陸より工合がいい。君は、崩れた城も玄武岩も持たない。こころのなかで、活気づいた時に、無益な思い出や、むなしい戦いに妨げられもしない。」(『温順なクセーニエン』)そうして、こう言ったのである。「愚なことは、多少の理性で補ってやろうとするより、そっくりそのままにしておく方がいい。理性が愚とまじわると、その力を失い、愚も愚なりに往々役に立つ性質を失ってしまう。」・・・愚なことの、際たるものが禅であり、大愚だった。
そして今や、禅もドラッグ同様に、補助にすぎない。・・・「個人が瞬間ごとにみずからの幻想の境界を再創造するのと同じように、リアリティは瞬間ごとにそれらを取り払おうと企てる。これがタナトスであり、その真の意味は超越である。」と、ケン・ウィルバーは言った。ウィルバーを読むことは現代における優れた苦行であり、知のヨーガでありうる、と言われているらしい。タナトスとは、エロスと反対に進む力である。ヨーガも、禅と同じく、超越の手法であろう。超越の第一歩は、閉じることではなく、開くことだ。閉じるのは、保存にすぎない。保存は円運動であり、停止である。停止は、種子のままとどまること。安全の謂いである。開くことは、さらすことであり、危険にさらされることである。タパスとは、集中により、体内に熱を生じることだ。アメリカ・インディアンは身体の外の熱を置く。テントの中で石を焼き、車座になって、チャンティング(読経)を捧げる。場合によっては、ペヨーテ(薬草)を使う。いずれも、火に関係する、宗教的儀式である。この火と熱は、閉じたものを開くのに有効である。なぜなら、あらゆる創造は、自熱より生ずるからだ。この自熱を生じる技法がタントラであり、タパスとよばれていたものが、のちにヨーガとなった。波乗りとドラッグにもし重要な関係があるなら、それはニューエイジ運動とLSDブームに関係づけられるような皮相的なものではないと、わたくしは信じている。 ( May 27 , 2002 ) |
86:唯一者とその所有 ここまできたら、わたくしは「精神の三態の変化」について、衷心を述べなくてはなるまい。それは、「精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、かくて最後に獅子が小児になる。」三態の変化である。・・・ところで、わたくしは『波乗りと精神』と言いながら、ここまで孤独の散歩者の夢想を繰り返しながら、ただの一度も、「精神」という言葉の定義ひとつ下さずに来た。だから、これは『波乗りと精神』の第一部であり、「あるサーファーの手記」という名のもとに、書き下ろされてきた、いわば日記のようなものである(各項の末尾に日付けがあるのはそのためだ)。さて、ここまでさんざん多弁を労してきながら、いざ「精神」とは何かと自らに問うて、直ちに答えられない自分を発見する愚に、ただ驚くのみ。これを評して、何といえばよいか言葉もないのである。人間はただの「愚者」にすぎないのか。シュティルナーなら、こう言うだろう。・・・「この日頃の新聞をみて、俗物どもの語るところをきくがいい。そうすれば、人は愚者と一つ家に閉じ込められているとの恐るべき確証をうるだろう。<汝は汝の同胞をゆめ愚者とそしるなかれ、さもなくば云々>。だが私は、呪詛も恐れず言いきろう。わが同胞どもは骨の髄まで馬鹿者だ、と。」
マックス・シュティルナー(1806ー1856)は、ヘーゲル左派に属するドイツの哲学者で、ニイチェらに多大な影響をあたえた。人間はまだ一般者にすぎず、自我こそ真の唯一者であり、いっさいの唯一者としての自我の所有であるとする。その主著『唯一者とその所有』(1845)を発表し、フォイエルバッハと論争するなど思想界の注目を浴びたが、1948年の革命後はまったく忘れられ、不遇のうちに生涯を閉じた。だがこの主著こそ、全編、これ「精神」の定義のために書かれたような書物なのである。そこでニイチェの「三態の変化」について述べるまえに、ニイチェに影響をあたえたシュティルナーによって、わたくしは「精神」について、しばらく考えてみようと思う。 「精神が語るところの言葉、精神がそこに自らを露わすところの啓示、それが精神の世界である。一個の幻想者が、自らの創りあげる幻想の形象のなかにのみ生きて、自らの世界をもつのと同様、一個の愚者が独自の夢想界を創りだし、それなくしては決して愚者でありえないのと同様、精神は、自らの精神世界を創出しなければならず、その精神世界を創りだすまでは、それは精神ではない。」・・・すなわち、精神とは何であるか。それは、一個の精神的世界の創造者なのである。精神がその作物において認識されるのであるからには、その作物がいかなるなるものであるかが問われなくてはならない。精神の作物あるいは精神の子供とは、しかし、精神以外の何ものでもありはしない。一個の精神的世界によってのみ、精神は、現実に精神であるのだ。われわれが精神的なるものを体現したとき、つまり思想が、すでにわれわれにも閲覧に供されていたこの思想なるものが、まさにわれわれの中で命をあたえられるのをみてはじめて、人は、君にまた私に、精神をみとめる。 君はすべてこれ精神だ。もし、誰かにこういわれた場合、君の肉体はいったい君の精神とどういう関係にあるのか。なるほど君はたしかに精神を<所有>しているが、ただ精神として存在しているだけでなく、一個の肉体をそなえた人間なのだ。こうして君は依然として、君の精神から、君自身を区別する。だが、君は死によってその肉体を脱ぎすて、しかもなお君自身を、つまりは君の精神を永遠にわたって保ちつづけるであろう。これもまた同様に確かである。ならば、君の精神こそは、君における永遠なるもの、真実なるものであって、肉体とはただこの世の仮住居、捨てられもすれば他の何かと替えられもするような寓居でしかないのだ。たしかにいまでこそ君はただ精神だけではないとしても、いつか死すべき肉体からさまよい出なければならなくなったとき、君は肉体なしでしのいでゆかねばならぬことになる。であればこそ、君は備えをおこたらず、機の失せぬうちに君本来の自己のために慮ることを余儀なくされるのだ。「全世界を克ちうるとも、霊魂を損なわれては、何になろうか!」ここで君は、たとえ無神論者であろうとも、霊魂不滅の信者と声をあわせる。
一つの理念すなわち何らか精神的なるものに生きることをせず、そのために自らの個人的利益を犠牲にすることをせず、利益に仕える、そのような人間として君はエゴイストを思い浮かべる。個人的なるものを、精神的なるものより優位におくゆえに、また、人が何らかの理念のために行為するのを願うところで自分にかまけているがゆえに、君はエゴイストをさげすむ。諸子とことなるところは、君が精神を中心とするのに対して、彼は自己を中心にすること。あるいは、君が自らの自我を二分して、君本来の自我すなわち精神を、その他価値なき部分の支配者に祭りあげるのに対して、彼がそのような二分を知らず、精神と物質の利害関心を自らの好むがままに等しく追求することにある。このようにして君は、まさに何ら精神的関心をいだかぬ人々をとがめると称して、実は、精神的関心を自らにとって「真にして最高なるもの」とみなさぬ人すべてを呪詛しているのだ。だから君は、この美女に騎士として仕えるあまり、君は君自らに生きず、君の精神に、そして精神の所産たるもの、すなわち<理念>に生きているのだ。 最初の創造は、「無から」、現れねばならない。すなわち、精神は自らの現実化のためには自己自身以外の何ものも持たない。というかむしろ、精神は未だなお全く自らを持たず、ゆえにまず自らを創り出さねばならないのである。つまり、精神の最初の創造は、それ自ら精神ということになる。精神は君の<理想>であり、及びえざるもの、彼岸となる。すなわち、精神は君の・・・神となるのだ。「神が精神となるのだ」。純粋なる精神、かかるものとしての精神は、ただ人間の外にしか、ただ人間界の彼岸にしか、地上的にではなく天上的にしかありえないからである。自我と精神とがおかれたこの分裂からしてのみ、自我と精神とは一個同一なるものの名辞ではなく、全く異なるものの異なる名辞であるがゆえにこそ、まさに自我は精神ではなく精神は自我ではないことのゆえにこそ、精神が彼岸に住まうものであること、すなわち神であることの必然が、全く同義のこととして明らかとなる。 「精神(霊)たちは存在するのだ!見よ、世界を!」・・・山々の頂きからは崇高の精神がその息吹をよせ、水には憧憬の精神がぞよめき、人間の内からは百万の精神が声をあげる。山々は沈み、花は枯れ、星の世界は凋落し、人は死ぬ・・・さあれ、かかる可視なる具体の没落がなんであろう。精神は、この<不可視なるもの>は、永遠に残るのだ!・・・わたくしが、<波乗りと精神>というとき、いつも心に描いてきたのは、ジェリーの面影である。わたくしの精神霊を、呼び起こし、揺り動かしたのは、ジェリー・ロペスだ。いまこの瞬間に甦った彼の言葉を、もう一度、繰り返そう。・・・WILD SEA , OLD MOUNTAIN, THE EVERLASTING BLUE SKY--- DAWNLIGHT BRINGS FRESH THINGS.....はてしない青空は永遠の精神の表象だろう。故山は沈み、星は凋落しようが、夜明けは永遠に新鮮の気をもたらす。世界が「無」であろと、「空」であろうと、「空無」であろうと、ただ誘惑のまぼろしであろうと、真実はひとり精神のみである。 しかし、同時にキリスト者によって、本来的精神もしくは本来的霊とは人間なり、という真理が明るみに出された。身体をそなえた、もしくは肉ある精神とは、まさに人間である。人間そのものが、恐るべき本質であり、同時に、本質の現象と実存、もしくは実在なのだ。まさに精神が諸君を所有し、精神からすべての<示唆>がもたらされるがゆえに、それは霊感・熱狂と名づけられた。さらに全き熱狂は、狂信とよばれる。狂信はまさに、教養ある者たちをこそ根城にする。なぜなら、人は精神的なものに関心するかぎりにおいて教養をうけ、精神的なるものに対する関心は、それが生気をうるときには、狂信となり、また狂信であらざるをえないからなのだ。
それの必然にゆきつくところはすなわち、<全的>人間はその全能力あげて自らを宗教的なるものとしてあらわすこと、それである。心と感情、悟性と理性、感ずること、知ること、望むこと、要するに人間におけるすべてが、宗教的に現われる。あらゆる熱狂がそうであり、事実はまたその通りなのだ。 ( May 28 , 2002 ) |
87:三態の変化 <超人>を説いたニイチェの『ツァラトストラかく語りき』のなかで、精神の「三態の変化」は、序説につづく言説のはじめに出てくる。現代の流人として流されていったわたくしが、わらをもつかむような気持ちですがりついた一冊。それが離島の本屋で見つけたこの本だった。新潮文庫版の上・下二冊本の、上だけを買って帰り、すぐまた下を買いにいったことを忘れもしない。もう、十六年もまえのことである。竹山道雄の翻訳になるこの本を経袋に入れて、わたくしが持ち歩いていたことは、どこかに書いたかもしれない。その後、島からもどって、世界の名著版で手塚富雄訳に接した時、まるで他の本を読むような気がした。翻訳者はまめな媒酌人と見なされるといったのはゲーテだが、彼らは、なかばヴェールにおおわれた麗人をこのうえなく愛らしいものとたたえ、本物をみたいというやみ難い気持ちを起こさせる。ダダイストの高橋新吉は、「ネッカル川のほとり」という随筆のなかで、『ツァラトストラ』との邂逅について述べているが、彼は手塚訳に接するまで、ニイチェの醍醐味を味わうことができなかったと告白している。わたくしは手塚氏の文章により、太宰治が登張竹風訳による『如是説法ツァラトゥストラー』を蔵書としていたことを知り、昭和十二年五月十四日印刷の普及版を手に入れたが、いつも途中までで、まだ通読していない。一度、記憶してしまった文章の拘束からのがれることは、困難をともなう。 そもそも三態の変化とは、「精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、最後に獅子が小児となる」ことだった。<駱駝>は砂漠で重いものをしょって歩く動物である。強くて、負うに耐え、しかも畏敬を内に秘めた精神は、駱駝のように、担うべき重圧は多い。向上する精神の第一段は、強靱な受動性にある。負うに耐える精神は、最も重いものを要求する。「もっとも重いもの」・・・それは1)自分自身のおごりを反省して、それを打破すること。すなわち自分を低くし、自分の愚かさを外に出すこと。2)わが事の勝利を祝うときに、そこから離れること。また、誘惑者をいざなうために、高い山に登ること。3)草の実によって露命をつなぎ、真理のために魂の飢えを忍ぶこと。4)病みながらも看護人を家に帰らせ、己を理解しない人間のなかにもあえて生きること。5)真理の水であるならば、どんなに汚い水のなかに入ること。6)われらを軽蔑するものを愛し、新しい思想が芽生えたときには、それがどんなに恐ろしいことでも、それを追究し獲得すること。・・・これら最も重いことのすべてを、重荷に耐える精神は担い、砂漠を急ぐ。 しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化がおこる。そのとき精神は<獅子>になる。この砂漠で彼はあるじになろうとし、彼を最後に支配した者を呼び出す。この者すなわち彼の最後の神(精神を拘束する道徳)に対して、敵となって、巨大な龍と勝利を争う。精神がもはやあるじと認めず、神と呼ぼうとしない巨大な龍とは、そもそも何か?「汝なすべし」(道徳的義務)。それがその巨大な龍の名である。さて、獅子の精神はいう。「われは為さんと欲す」と。だが、龍のうろこには千年にわたるもろもろの価値体系が、うろこの一枚一枚にまで、金色に輝いている。「いっさいの価値--それはわたしである。もはや、<為さんと欲す>は、あってはならない。」と龍は言う。いったい、何のために精神は獅子を必要とするのか。なぜ、重荷をになう諦念と畏敬の念にみちた駱駝では不十分なのか。
新しい価値を創造すること・・・それはまだ、獅子にもできない。しかし新しい創造を目指して自由を獲得すること。それは獅子の力でなくてはできないことだ。自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、新しい価値への権利を獲得すること、これはよく忍び、よく耐え、かつ畏敬ある精神にとっては、あまりにも恐ろしい取得である。まことにそれは掠奪である。一個の猛獣にして初めてなしうる行為である。いまや、自分が愛していたものから離れ、自由を獲得せねばならない時が来た。この強奪のためにこそ、精神は獅子を必要とする。獅子ですら為し能わざる何事を、小児が為しうるというのか。いかなれば、掠奪する獅子は、<小児>にまで転生せねばならないというのか・・・? 「小児は純真である。忘却である。新しい発端である。遊戯である。自らまろがりいずる車輪である。第一の肯定である。聖なる肯定である。そうではないか、・・・わが同胞よ、創造の遊戯には聖なる肯定を必要とする。いまや、精神はみずからの意志を意欲する。かくして、世界を失った者は、みずからの世界を獲得する。・・・われなんじらに精神の三態の変化を説いた。精神は駱駝となり、駱駝は獅子となり、かくて最後に獅子は小児となる。」 ・・・どうだろうか?ここに述べられている思想の支えによって、わたくしは離島の四年三か月をかろうじて、生きのびることがたのである。何が、どのように、苦しかったのか。わたくしが小説家であれば、それを書くだろう。いまはただ、精神が駱駝となり、駱駝は獅子となり、最後に獅子は小児にまで転生したことを述べるほかない。 この小児はしかし、ニイチェの用語法でいえば、<金髪獣>である。それはほからぬこの自分だった。わたくしが毎日の波乗りで、金髪になったのは、あの四年間である。・・・「風吹けば、海に無数の、乳房あらわる。われは、そに戯れる、小児なり。」という、歌だかなんだか知れない、一句が残っている。小児らは渚に戯れていた。・・・そこに波がうねり来って、彼らの玩具を海底へ奪い去った。これによって、小児らは泣いている。さて、この同じ波が、小児らに新しい玩具をもたらすであろう。しかも、見るからに美しい五彩の貝殻を、彼らのまえにまき散らすだろう・・・! この小児の<遊戯>は、リーラである。<リーラ>は神の創造の聖なる遊戯である。そして、自らまろがりいずる<車輪>は、サンサーラだ。<サンサーラ>とは車輪、すなわち輪廻である。ニイチェの神秘体験は、世に有名な「永劫回帰」であり、ニヒリズムの極北ともいわれるが、これは仏教の「輪廻の思想」に等しい内容をもつ。『ツァラトストラ』第一部は、1883年2月3日から13日まで、わずか10日で書きあげられたという。シルヴァープラナ湖畔の神秘体験から、懐胎期間十八ヶ月である。わたくしは仏教的に解釈を試みようとしたが、この「三態の変化」はむしろ、キリスト教によって意味と価値を与えられてきたヨ−ロッパ精神史の比喩だとされる。それは人類の運命を問題にした書だ。ニヒリズムとはいっさいの無意味化、否定でありながら、ニイチェはあくまで地上的な<超人>を説いて、「生の肯定の最高形式」を生み出した。それが『ツァラトストラ』である。
ところで、なりゆきとはいえ、われわれはいましがた「前超の虚偽」というウィルバーの指摘を見たてきたばかりである。前・超とは、彼の用語で前個的状態と超個的状態をいう。前個的状態は<小児>であり、超個的状態は<超人>に対比することも可能であろう。ウィルバーの心理学においても、幼児期の融合状態は確かに一種の<楽園>である。しかし、それは前個段階の無知であって、超個的な目覚めではない。ところが、前個的潜在意識と超個的超意識は、ともに<統一性>であることにかわりはない。この「二極間のおどろくべき旅」が、『アートマン・プロジェクト』の物語だった。・・・小児の純真とは、無垢と無知の楽園であって、自己意識への堕落以前の状態である。これは超意識という超個的楽園とは区別されなくてはならない。これが「前超の虚偽」だろう。前個的の前はプレ、超個的の超はトランス、である。両者の差異が、意識のライフサイクルの全体であった。 話は前後する。シュティルナーと論争したフォイエルバッハの神学的見解によると、英雄は、彼岸におもむくのではなく、彼岸をこちらに引き寄せ、彼岸を此岸たらしめることだった。此岸こそが肝要であり、天上は地に訪れなければならず、この場所で体験されねばならぬのだと。人間の最高の本質は、人間の最高の存在である。最高の存在は神とよばれ、ひとつの対象的本質とみなされているが、真実のところそれは単に人間自身の本質にすぎず、それゆえ世界史の転回点は、以後人間にとって、もはや神が神としてあらわれるのではなく、人間が神としてあらわれるべきである、ということになる。
さて、ツァラトストラは齡三十の時、故郷と故郷の湖を去って、山に入った。ここに、彼はみずからの精神と孤独を享受して十年、倦むことを知らなかった。しかし、ついに彼の心は一転したのである。彼はそれ以後、森また森を経て、市中に<超人>を説いて歩いた。そもそも、超人とは何であるか?・・・「まことに、人間は汚れた河に似ている。みずから汚れることなく、汚れた河を吸収しえんがためには、すべからく海であらねばならぬ。きけ、われなんじらに超人を教う。超人こそはかかる海である。」・・・ ( May 29, 2002 ) |
88:時流に反して<オールドスクール> 三月末に島から帰り、二か月になる。この二か月が、わたくしには二年にも、二十年にも感じられた。年齢とともに、時間が貴重に感じられるのは確かだが、それと同時に、時間の感覚がうすらいでゆくのも、また確かなのである。冬至から一日一日、日が延び、夜明けもはやくなった。鳥獣は、夜明けとともに、鳴く。それで、わたくしの起床もはやくなり、いまや三時半になった。わがやの番犬が、まわりの鳥獣にさきがけて、わたくしを起こすからである。八十八夜はとうに過ぎたが、この一週間は月がよく、犬はそれにまどわされて、今朝は二時五十分に第一声をあげた。家人は、わたくしが甘いから、犬にまで馬鹿にされるという。どちらが主人か、わからないというのである。以心伝心というが、犬の直観はするどい。「犬が吠えているから、散歩につれていかねばならない」とわたくしが思うと、それをいいことに、犬は催促をつづけるのだ。反対にわたくしにその気持ちがまったくないと、犬は無駄吠えをしないし、雨の日は吠えない。しかし、小雨だと吠える。だから、家にいるときは毎朝、犬の散歩に出るのである。これがわたくしの、DAWN PATROL である。 わたくしのサーフ・チェックは、したがって月がまだ明るい、夜明け前である。これを見て、ポッツがわたくしのことを、<ハード・コア>だという。わたくしは犬に起こされるが、ポッツは、わたくしに起こされるからだった。ポッツが南アフリカでまだキッズだったころ、彼は毎朝、誰よりも早くベイ・オブ・プレンティの沖にいた。いまはもう慌てることはないと、悟ったようだ。そこで彼はわたくしのことを、<オールド・スクール>だという。なぜなら、オールド・スクールはみな、ハード・コアだからだ。むろん、ポッツもいまやオールド・スクールの範疇に入る。そして、こう言う。・・・「オールド・スクールはハード・コアだけど、ニュー・スクールはみなソフトだ。」、と。彼はその中間の世代にいて、われわれのオールド・スクールといまのニュー・スクールを、いやというほど見てきたワールド・チャンピオンのベテランである。 唐突だが、竹山道雄に「若い世代」という短い文章がある。東大教養学部の教授だった彼が、学生のまえではなした講演を文章にしたもので、『時流に反して』という評論集に収められている。これは日本が敗戦した年、昭和二十年(1945)七月二十二日の講演だから、無条件降伏の直前、第一高等学校寄宿寮全寮晩餐会で述べられた。「若い人たちは今後どういう運命をたどるであろうか・・・」というのがテーマである。
ちなみに、彼が名作『ビルマの竪琴』を書いたのは昭和二十二年であり、『ツァラトストラかく語りき』の翻訳が刊行されたのは、昭和二十五年である。ここで「ヤンガー・ジェネレーション」というのは、第一次世界大戦(1914ー18)後のヨーロッパで流行語になった言葉で、それまでの「オールド・ジェネレーション」とはまったくちがった思想や感情をもって、前代の人間には理解に苦しむ新しい生活をはじめ、大きな社会問題になった。戦後の混乱期にあって、それまで保たれていた秩序と権威は倒され、堅実な階級の家庭生活も破壊されたことから、彼らは無秩序の中に放り出され、古い世代に反抗し、全く新しいところから出発するために、新しい理想を求めてもがき苦しんだ。この「ヤンガー・ジェネレーション」がどのような型の人間だったかをいうために、竹山道雄は当時の文学作品を示した。なぜなら、当時の文学はみな、この問題を避けては通れなかったからである。・・・ それらはたとえば、ロマン・ロランの『魅せられた魂』(1933)、デュ・ガールの『チボ−家の人々』、ジイドの『贋金づくり』(1926)、コクトーの『おそるべき子供たち』(1929)、モーランの「生ける仏陀』、ヘッセの『デーミアン』(1919)などだった。これらの主人公の共通の特色は、頭のいい不良であり、彼らの思想は破壊的で反抗的である。その生活は本能的衝動的で、変態的な現象が続出し、大人たちからは怪訝嫌悪、ときには畏怖をもって見られた。ニイチェの思想が新しい目で見直され、若者が社会批評をやる。そして古い道徳からみれば、不良というほかない大胆な生命至上主義を奉じて、その命ずるままの生活に彼らは飛び込んだ。彼らは理知的に構成されて人を規範し拘束するものを批判し、理性より感情を重視し、非合理主義を社会意識の基調に置いた。従来の固定した形態を否定し、形のない原始的な、いまだ文化になっていないもののみが、魅力をもって若い世代をひきつけ、彼らは旧いヨーロッパから逃れて、まったく裸の生命から、・・・むしろ野蛮から出直そうとした。 このために若者たちは、時間的にも、現代を逃れて原始時代に、あるいは中世にあこがれた。空間的にも、ヨ−ロッパを離れて、東洋に救いを求めた。しかし、東洋にも古い文化があることから、アフリカの非文化にあたらしい光を求めたりもした。音楽も黒人のリズムを取り入れ、ダンスも野蛮人の踊りをおどる。こうした若者が全裸になって森の中で男女が群棲する風俗がはやり、薬物や迷信が流行する。おたがいにコカインを注射したり、のちの1940年代には、ヨーロッパでLSDが発見され、50年代には商品化された。このようなヨーロッパのヤンガー・ジェネレーションの風潮が、アメリカのスピリチュアリズムと呼応しつつ、第二次世界大戦(1939ー45)後、徐々に東海岸から西海岸に移行し、ニューエイジ・ムーブメントに結びついたことは、すでに見た通りである。
ニイチェが死去したのは1900年8月25日だが、彼の思想は死後みなおされるとともに、ロランやジイドやマン兄弟、さらに高踏的なヴァレリーやゲオルゲらが、精神的指導者と仰がれた。しかし、このヤンガー・ジェネレーションの特色である憎悪・原始主義・誇大妄想的計画の三つは、その後のナチズムと結びつき利用され、ナチスは「おれたちが世界を征服するか、さもなければこれを絶滅する」というところまで行った。この第一次大戦後のヨーロッパの若い世代の考え方は、アメリカの若者に影響を与えたが、日本では「若い世代」という言葉が流行した程度で、かえってエロ・グロ・ナンセンスという表面的模倣に終わってしまった。さもなければ「赤」(左翼共産主義)かというわけで、日本の若い世代は、古い世代との差別がはっきりしていた。・・・「今度この問題がはじまれば、その程度はあんなものではなかろう、と考えます。」と一高教授竹山道雄は演説しているが、昭和二十年七月という敗戦前夜としては、よほど勇気ある発言だったに違いない。 「今後きたるべきこのヤンガー・ジェネレーションの問題を身をもって説くのは何人であろうか・・・。新しい時代の新しいモラルを探求し、混沌の中に光を点ずるのは誰のすることであろうか・・・。」と、彼は述べている。彼が演説した昭和二十年から、すでに半世紀以上経過しているが、この問題はいまも新しい。新しいばかりでなく、より深刻である。なぜななら、二十世紀におきたふたつの世界大戦は資本主義的強国間の戦争であり、従属地域を代表する社会主義国の抗戦が大きな意味をもっていたが、国家自体が変容し、人類全体の未来が危ぶまれている現在、人間そのものの存在が問われているからだ。もしも、人間という存在がいまも偉大であり、これからもそうであるからには、もう一度ツァラトストラの言葉に耳を傾けても不思議はない。すなわち、・・・「人間が偉大なる所以は、彼が目的にあらずして、橋梁たるにある。人間にして愛されうべき所以は、彼が一つの過渡たり、没落たるにある。われは愛する、・・・没落しゆく者としてにあらずんば、生きることを知らざる人を。いかんとなれば、かかる人こそは過渡し行く者であるからだ。」・・・ この「没落」の意味は、すでにこの『波乗りと精神』の冒頭で、わたくしは述べた。人間とは、彼岸にかかる橋である。彼が目的ではなく、ひとを渡す、橋にすぎない。ひとにたすきを渡すには、まず、みずからが没落すべきである。没落とは、死して生きること。まず自らが成長変化を為さんがために、自己の現在の状態を悲劇的に滅ぼすことだった。これは東洋的「菩薩行」に、一脈通じるだろう。竹山道雄の『時流に反して』は、戦中・戦後の未曾有の時期に書かれ、語られた評論集であるが、時流は、一つの権力である。時流のまえには、多くの人々が反骨精神をすてて、ひれ伏す。彼らは、黙殺されることを恐れるからだ。
われわれの波乗りの世界で、いつのころからか、<オールド・スクール>と<ニュー・スクール>ということが、言われるようになった。それは、何故か。「ヤンガー・ジェネレーション」と「オールド・ジェネレーション」の関係に比べて、どこがどう違うのか。ポッツは、<オールド・スクール>をハード・コアと称し、<ニュー・スクール>をソフトといった。そこには多分、深い洞察がある。わたくしは波乗りをたんなる「遊び」とは、考えてはいない。ましてや、「職業」などでは、さらさら無い。それは、神の遊戯である。そこに、サーファーが課せられた現代的意味と、使命があるはずだ。神秘主義の敬重に値する通俗化は、この現代では、波乗りを通して行なわれている。波乗りこそ、まさに、通俗そのものではないか。だから、わたくしはそれを、「遊行」と呼ぶ。 ( May 31 , 2002 ) |
89:自力道と苦行道 竹山道雄は時流に反して、「若い世代」の中で、なにを言おうとしたのだろうか。第一に、われわれ日本人の血の中には、昔から随分いいものがたくさんある。貴い立派な徳性も具えている。ただ、それがまだはっきりした反省を踏まえてないために、せっかくの徳性が濫用されたり、悪用される結果にもなった。たとえば自己犠牲や、義理人情といった徳性も、それが自覚の中に基礎づけられていないために、論理をそなえた他の主張に襲われるとひとたまりもなく、なぎ倒されてしまう。われわれには論理的に根本を固めた自己の考えがないからだ。「物をよく考えて自覚の中に根をおろすこと。」...第二に、西洋には理性一点ばりの時代があり、これが行き詰まったところに合理主義排撃の声がおこった。 しかし、日本にはもともと理知的思考というものがなく、あってもきわめて貧弱だったにもかかわらず、西洋の合理主義批判を流行のように、鵜呑みにした。「精神と物質の戦争」といえば聞こえはいいが、われわれ日本人は理知を無視したために自ら不利益を招き、これによって、太平洋戦争は「感情と理性の戦争」になってしまった。勝敗の帰趨はおのずと明らかだった。一高生全員をまえにした竹山道雄は、アルベルト・シュヴァイツァ−(1875ー1965)の言葉を贈った。すなわち、「現代人といえども、彼らが呼号するところの非合理主義なるものの、痴愚と、おろかさと、悲惨とを経験しおえたその後には、かならずや、より新しいより深められた合理主義に帰るほかには道がない、ということを悟るであろう。また、その時がくるであろう。」(『わが生活と思想より』1931) シュバイツァーの予言は第二次世界大戦で現実となり、竹山道雄の予言は、東大安田講堂の炎上で現実になった。 ジェリー・ロペスは、" SOUL SURFING IN JAVA WITH JAPANESE ACES " (1982)のなかで、われわれ日本人がまず歴史を学ぶことによって、みずからその徳性に目覚めたうえで、<サーフィン道>なるものを世界に先がけて確立し、貢献すべきことをいった。わたくしの話は、そこから始まって、道なかばにある。それはひとつの形而上学をうちたてることであろうか・・・?ベルグソンはその『形而上学入門』(1903)の冒頭で、記号にたよらない方法により、<絶対>に到達する認識について述べているが、それすなわち<直観>である。直観とは、言葉をもって表現しえないものと合一するために、対象の内部へ自己を移そうとする<共感>である。その反対は<分析>であり、それは対象を既知の要素、つまり他のもろもろの対象との共通な要素へ還元する操作にすぎない。竹山道雄は「聖書とガス室」(1963)のなかで、世界を思うままに創造し支配する人格神がいて、それが客観的存在としてむこうから迫ってくるような、キリスト教の書物や伽藍にはなじめないことを言っている。そのうえで彼は、キリスト教の罪の意識と、浄土教のそれを、くらべてみるのである。知られざる超越せるものにたいする観念は、洋の東西で似て非なるものでありながら、浄土思想の罪の意識は、キリスト教について聞いたことを、そっくりそのまま読むようである。
浄土教のように、ただ念仏を唱えることによって救われるという宗旨は、浅薄なイージーゴーイングの精神のように外国では考えられているようだが、果たしてそうだろうか。念仏はふつう、<他力本願>といわれる。これに対して、禅やヨーガは、自力の法門であり、それは「聖道門」より入る<自力本願>だろう。ところで、わたくしは波乗りと禅・ヨーガ三位一体の関係について、<サ−フィン道>なる未見のものを念頭に、不十分ながらたどたどしく述べてきたつもりだが、そもそも波乗りは<自力道>か<他力道>かについて、残り十節あまりとなった少ない紙数でもって述べなければならい。しかし、そのまえに残っているいくつかの問題についても、ここで整理しておく必要をも感じている。偶然とはいえ、島で熟読した本についての結論も、まだ出たわけではない。われわれ人間には、自分を縛る枷から解放しようと願望とともに、自分自身を越えて、まず自分の持っているものをすべて与え、つぎには自分の持っている以上のものを与えようとする愛がまぎれもなく働いている。 しかも、このことよりほかに、精神を定義する方法があるだろうか?精神は努力する。 第二次世界大戦で、「精神と物質の戦争」ということが言われたが、物質は努力を誘発し、努力を可能にする。ベルグソンはその『意識と生命』(1911)のなかで、精神と物質との関係を、「創造的な活動」として、次のように述べている。・・・物質と意識を対立させてみると、物質とは何よりもまず分割するものであり、明確にするものに違いない。しかし思考とは連続であり、およそ連続なるものには混沌がある。思考が判然とするためには、それをいくつかの言葉に分散し、さまざまな単語をひとつずつ切り離して一列にならべ、文章にしたときにのみ、われわれは自分の精神のなかに持っていたものをはっきり知ることができる。つまり、生命の根源的な躍動のうちに渾沌として溶け合っていたものを、物質は区別し、分離し、分解して個体にし、ついには人格とした。要するに、われわれの努力は、物質の持っている抵抗力によって、また物質のもつ従順さによって慣らしうるので、物質は障害であると同時に道具であり、刺激なのである。したがって、物質上に実現する場合においてのみ努力は要求され、そしてこの努力は、それが生み出した作品以上に尊いものである。なぜなら、努力にによって、人は自分の持っている以上のものを自分の中から引き出し、自分自身を自分より以上に高めるからである。だとすれば、この努力は、物質がなければ可能にはならなかっただろう。
ベルグソンが『形而上学入門(序説)』で結論づけたのは、この<努力>と<直観>の関係においてだった。すなわち形而上学的直観の能力とは、何ら神秘的なものではなく、しばしば苦しい努力の連続によって得られる。そもそも実在について直観を得るためには、実在のもっとも内的な部分と精神的な共感をともにする必要があり、そのためには実在の表面的なもろもろの現われと長く親しみ、実在の信頼を得る必要がある。巨大な量の事実を集積し、それらをいっしょに溶解させ、その結果、既知の事実から素材のありのままの性質が現われてくるまで、観察者は知らず識らずにその観察の底にたくわえられた先入観念や早熟の観念の一切を、その溶解のなかでたしかに中和させなければならない。このようにして直観の努力を可能にするのは、まさに<苦行>に等しいものだろう。形而上学が近年衰えを見せたのは、あまりにも分化した実証科学と接触することに、哲学者が異常な困難を感じたからだといわれている。ラッセルあたりで、すでに、さじは投げられていた。
わたくしががらにもなく形而上学などといったのは、ウィルバーのように、形而上学的直観について考えたからである。しかし、彼がベルグソンをよき伴侶としたのはその序説までであり、生命の進化に対する見解が両者においてはまるで違い、神秘主義に対しても同様である。ケン・ウィルバーはベルグソンの哲学を、彼のトランスパーソナル心理学の範疇で「ケンタウロス」に属するものとしているが、それこそ「カテゴリー・エラー」ではないだろうか。形而上学的直観は、苦行である。生命の意義や人間の進むべき目標について思索した哲学者として、ベルグソンは、目標到達のしるしを<歓喜>にあるとした。快楽ではなく、歓喜である。快楽とは、生物の生命を維持するために、自然が考案した技巧的手段にすぎず、生命が進むべき道を指し示すものではない。これに対して、歓喜はいつも生命が成功したこと、生命が成功したことを意味する。しかも、その成功は讃辞を必要とせず、名誉を越えたものである。なぜなら、歓喜のあるところには、いつも創造があり、その創造とは自己による自己の創造であって、少しのものからたくさんのものを引き出し、無から何ものかをひきだし、その努力によって人間を成長させるからにほかならない。 ここで、<サーフィン道>が自力道であるか、他力道であるかに加えて、もうひとつ新たな問題が浮上してきた。それはいうまでもなく、いま述べてきたような意味で、波乗りはそれ自体<苦行道>であるかという問題だ。波乗りが、禅とヨーガに密接な関係があり、あわせて三位一体となるべきものなら、それは自力道であると同時に、苦行道であるだろう。しかし、われわれは波乗りしている人をみて苦行者とは、誰も信じないであろう。ならば、われわれはいったい何者であろうか。・・・ ( May 31 , 2002 ) |
90:戦争と平和 近代哲学の巨匠たちとは、当時の科学の素材のいっさいを同化した人たちだったが、そのようなことが彼らに可能だったのは、せいぜい十九世紀までで、二十世紀になると極度に分化した実証科学がそれを拒否した。われわれの現代には、もはや、かつての巨匠はひとりたとも生存できないのである。二十世紀にもし、そのような哲学者が可能であったとすれば、ベルグソンはその数少ないひとりだろう。彼の哲学的著作の生涯の最後をかざる『道徳と宗教の二つの源泉』(1932)によって、われわれは少なからず負うところがあったように思うが、その結びの考察は<機械化と神秘精神>という、いっけん矛盾する精神の解明にほかならない。この結語にはしかし、「戦争と平和」という、人類が避けて通れない難問が控えていたのである。・・・人間はもともと、ごく小さな社会に合うようにつくられていた。人類のはじめは、散りぢりの、離ればなれの家族集団だったかもしれない。それは実のところまだ、社会の胎児でしかない。 自然の手を離れたばかりの閉じた社会とは、その成員が相互に支え合いながら、自分たち以外には少しも顧慮を払わず、たえず他を攻撃するか、自らを防衛するかの態勢にある社会、要するに成員がひたすら戦闘態勢を強いられている社会である。自然は人間に知性を与えた以上、社会組織の形態もある程度自由に選ばせているとはいえ、人間が社会をなして生活を営むのは、自然の強制であって、われわれの自由ではない。個々人の意志を同じ方向に向かせて、集団の凝集を保証するのは、<道徳的責務>だった。自然的社会の特徴とは、要するに自己本位の姿勢、鞏固な団結、位階序列、首長の絶対的権威などに見てとれるが、こうしたものはすべて規律を意味し、闘いの精神を意味している 自然は人間に制作的知性を与えた。自然は大多数の動物種には道具を備えておいたが、人間に対しては、自力で道具を制作する能力を与えた。
ところが、自分が作った道具に対して人間は、所有権を持つことになる。この道具は、動物のそれと違い、人間のからだから離れているために、他人に奪われる恐れがでてくる。道具を新たにつくるより、出来上がった道具を奪うほうが楽だからである。そうした道具は、物質に対して有効に働きかけ、狩猟や漁労の武器になるとともに、狩り場や釣り場をめぐっては、彼の属している集団と他の集団との奪い合いにもなりかねない。それは耕作地の場合もあり、婦女の掠奪や奴隷の連行になったり、要するに奪取されるものが何であれ、闘いが起こるもとは、個人のであれ集団のであれ、その<所有権>であった。人間は動物とちがい、所有権を持たざるを得ないように、身体の構造上決めつられているので、闘いは自然である。 そこで自己を防衛でき、戦闘体制を備え終わった社会の自然的政治体制とは、野蛮状態における「王制」ないしは「寡頭制」、または同時に両者である。ここには首長のように、特権的少数者が必ずいる。命令は絶対であり、服従も絶対であった。このような社会的生は必然のものであり、自然は人間の自由意志にすべてを任せきらず、一人または数人が命令し、他のものは服従するように、手配したものであろう。このように考えると、実際、<民主制>こそは、ありとあらゆる政治思想のうちで、自然からもっともかけ離れたものであり、閉じた社会の条件を、少なくとも意図のうえで、越えた唯一の政治思想である。民主主義は、人間に不可侵の権利を与え、義務に対しては変わることない忠誠を要求する。ここではじめて市民の全体、すなわち人民が主権者となる。そもそも民主主義は福音書的本質のものであり、その原動力は<同胞愛>だった。そしてこの感情的起源はルソーの魂のうちに、また哲学的原理はカントの著作のうちに、宗教的根底はルソー、カント両者のうちに見いだされるだろう。そしてアメリカの独立宣言(1776)と人権宣言(1791)には、清教徒(ピューリタン)の響きが聞き取れる。 民主主義はひたすら一つの理想であり、むしろ人類が進みゆくべき一つの方向だった。しかし、それが世に持ち込まれたのは、なによりもまず抗議としてだった。人権宣言は、その一語一句が政治につきつけられた挑戦であり、問題は忍びがたい苦難を終わらせることだった。そして民主主義の公式は、明らかに妨害し、拒否し、転覆する目的によく適合していた。歴史に見られる交替現象は、潮の満ち引きに似ている。すなわち、ある方向へ続けられた作用は、かならず反対方向への反動を招き寄せる。政権の座にあるものは、その善政によって受ける讃辞は少なく、失政においては、きわめて些細なものでも見逃してもらえない。なぜなら、政府はもともと利福をもたらすためにあるからである。ここにベルグソンのいう<二重狂乱の法則>が成り立つ。対立政党が二つの場合、両派はどちらも、自分が責任をとらなくてよかった間中、外見無傷でいられたその政策によって威信を与えられ、政権へ再び復帰してくる。つまり、行なわれるべき政策は野党側にある。
開いた社会とは、原理上、全人類を包容するような社会である。この種の社会は間をおいて少数の選ばれた魂によって渇望され、幾分かずつは実現された。だが、そうした創造の力で閉じた社会の円運動がつかのま開かれても、そののちいつも再び閉じてしまう。閉じた社会が一時開いたあと、いつも再び閉じてしまうといった性質のものならば、その効用はあまり期待出来ない。本然のもの、起源にある閉じた社会は、人間のもって生まれた性質であり、もともと追い払ったりはできぬものだから、それは消えずに居すわっている。自然が望んだのは小さな社会だったが、自然の供してくれた生活条件では戦争は避けられず、自然もまた戦争を欲していたのだから、小さな社会が拡大される可能性は残っていた。事実、戦争の脅威には、多くの小社会が連合して共通の危険に対処するように仕向けるところがある。いくつもの帝国が征服によって生まれ、大きくなり過ぎた結果、生き続けられなくなって崩壊した。原始的本能がもつ<爆破作用>は、政治的構築物を解体するので、この爆破力に対抗するために近代国家は<統一原理>に服した。すなわち、祖国愛がそれだ。 人間はもともと危険と冒険の生を目指して造られており、平和はあたかも、二つの戦争の間の休止にすぎないかのごとく見える。平和が戻った際に、戦争の惨禍が忘れ去られる速さはまったく驚くほかなく、婦人の出産の苦しみに対する特有の忘却機制にもたとえられる。完全に過ぎる記憶は、出産を繰り返す意欲をそいでしまうからである。戦争の恐怖に対しても、このような機制が働いており、とりわけ若い民族にあって顕著である。これを先ほどの世代間のギャップに当てはめてみれば、戦争を知らない若い世代は往時の艱難を経験しておらず、戦後復興の苦労を知らずに済んだ世代であった。親たちは現在の平和な状態を、それにもまして高価な代償が支払われたことを忘れず、それを一の成果として喜んでいるのに、子供たちはそれが当たり前だと思っている。そのかわり子供たちは、現状のさまざまな欠陥には敏感であり、この欠陥とは苦労して勝ち取られたその利点の裏面にほかならない。彼らはいったん棄てられたものの持っていた利点を浮き彫りにし、ついには、そこへ戻りたいという願望にまで発展させてゆくのである。この種の往復運動は近代国家の特徴をなす。 ところで現代の戦争は、征服を征服の目的とするような必然性のない戦争とは違い、起こらずにはすまない性質のものであり、闘争本能は後者に根ざしている。その目的は、おもてむき餓死を免れるための戦争でありながら、その実それ以下では労して生きるに値しないと思い込まれた<一定の生活水準の保持>にほかならない。そしてその結果、とっておきの秘密兵器を持っている交戦国の一方が、相手をひとり残らず絶滅しうる状況になってきた。事態がこのような最悪のコースをたどらないように、国際連盟や国際連合がつくられたが、戦争を絶滅する困難はますます高まっている。このような事態で、何が危険かといって、本能のしたい放題にさせておくほど危険なことはない。 実際、万人がこぞって物質生活の向上を切望するようになったのは、近々、十五世紀ないし十六世紀以降のことといわれる。それまでの中世では、その全期間を通じて、禁欲の理想が断然支配していたのである。安楽は当時の誰にとっても、今日のわれわれにはとうてい想像もできぬほどに欠けていた。今日われわれが必需品と思っているものすら、彼らには余計な贅沢であり、富める者も貧しき者も、同様になしで済ませていた。ところが今日、人類の主要な関心事となった観のある<安楽>および<贅沢>への心づかいは、結局、この関心がどれほど<発明精神>を発達させてきたか。この発明がどれほど科学の応用であり、科学はまたいかに限りなく膨張して止まぬことか・・・。こうした諸相に目を注ぐなら、この方向への進歩には限りがなく、新しい発明によってそれまでの渇望が満たされても、それで満足するものではなしに、新たな欲望を生み出すばかりである。
われわれは快適を求め、幸福を求め、贅沢を求めている。われわれは現に、楽しみたがっている。このわれわれの生活が、仮にもっと厳しいものなったら、いったいどういうことが起こるだろう。道徳は、21世紀のいま、大規模な転形を迫られている。このような大転換の起源には、かならず神秘主義が見られることはもはや否定できまい。しかも、今日の人類は、この神秘主義からかつてないほどに離れてしまっている。だから、波乗りが今ほど、神秘主義に近づいたことはない。 ( June 3 , 2002 ) |
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