スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか

「有徳の無神論者」といわれるが、本当に無神論者だったのか?

真理は真理に矛盾しない!

しかし霊性者は理性無きゆえに狂う。哲学者は理性をもって狂う。この2者をとりもつことはできないのか?

スピノザはこのように考えた。

1)聖書は、真理を語るべく書こうとしてない。

 聖書は「意味」を語っているのだ。

 奇跡や迷信を押し通すと不信をまねき、自滅する。



2)理性も自分の影におびえている。単独で世界と構成するのは、無理だと分かっている。

知識だけを野放しにするのは、危険だ。 とくに科学を野放しにするのは、最悪だ。

理性を野放しにするのは、危険だ。
自由を野放しにするのは、危険だ

互いに「自己陶酔」の小道具につかってはならない。 

それぞれバランサーが必要です。

 宗教へのバランサーは理性だろう。
理性のバランサーは道徳だろう。

自由の思考を押さえつけては、世界は破壊するだろう。

自由な思考だけでは、世界は破滅するだろう。

両方必要なのだ。

エチカ 

この世の中に存在するものは全て神である(汎神論)

原因によって結果は決まっている。(未来は決定されているという思想はプラトとはちがうな)