知性の誕生

 

なぜ、ヒトは知性をもったのか?

それは生き残りの手段に過ぎない。

DNAによる情報伝達では、競争に勝ち残れなかったのである。

情報戦略がサルをヒトにしたのである。

科学は無限に我々の文明を豊かにしてくれるものと思われ科学=知性の図式がなりたっていたが、核、オゾン、の問題でそうした図式が揺らぎはじめた。

問題は科学=知性であるかもしれないが、知性=善ではないのである。

従って科学=善ではないのである。

科学を発展させていく事が「善」であるという保証は最初からどこにもないのである。

科学は、あくまで科学で道徳とか理性とは無縁なのである。

しかし、我々の文明のなかで、道徳と理性の管理を受けないものがあってならない。とくに今や科学は巨大な破壊的な力を引き出すことができ、この力を行使するのに何の疑問ももたないようでは、科学から知性の冠を剥奪するべきなのである。

こうした知の性質のなかでも、科学の行使は我々の理性のフィルターを通したものでなければならない。

しかし時に政府は科学者の腕をねじ上げる。当然一人立ち向かうことは難しい。

そうした国家の枠を越えた組織でも作らない限り、これを防ぐことはできないだろう。科学者一人一人が理性に忠誠を誓わねば科学界に入門できないように管理するべきである。

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