1. ケン・ウィルバーにつき
  プラトテレス

ケン・ウィルバー
ウィルバーは、トランスパーソナル心理学のもっとも優れた理論家の一人です。
自身の時期をウィルバーT、U、V、W、Xなどと区分し、時には自己の理論を放棄し、発展しています。
 


 

書き込み
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2006年12月14日
05:33
    1:  プラトテレス
ウィルバーT,U,Vあたりで読んだことは、一部無効になっていると言われてしまうと、WとかXで今新たに言うこともいずれYとかZで無効になってしまうかもしれないですね。

ですから「ウィルバーがこう言ってる」というのは、あまり意味が無いことですね。

結局、自分のセンスにあった言葉をクッキングするしかないのだと思いました。

さて、話を戻して、私がウィルバーの中から選んだのは、「量子の公案」から下記のような記述の部分です。

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例えば「タオ自然学」でカプラはブーツストラップ理論が仏教の融通無得という神秘的教義と同定した。

ウィルバーはこの考えを3つ批判している。


@もし、還元的な物質つまりクウォーク、レプトン、グルオンのいずれかの存在が確認されたとき、仏陀は悟りを喪失してしまう。どっちに転ぼうと神仏と物理学を結び付けようとすれば、それは神仏の衰退に確実につながります。

A神秘的自覚に達するに物理学書を読めばいいといった結論にいきつき修行は一切不要となる。

Bそもそも、同定化のアプローチ全体そのものが還元的で神秘を証明しようとして実際には駄目にするものになる。つまり最下位レベルの物質にホーリズムを提唱しても、最下位レベルがリアリティの本質をあらわすという主張そのものは、還元主義である。還元主義を批判するには非還元的手法でなければ矛盾するのである。
2006年12月14日
05:34
    2:  プラトテレス

「科学と宗教の統合」第4部は精読しました。
1部2部3部にはさらっと目をとおしただけです。
4部だけで本を評してはいけないと思いますが、「深層科学」はわかりました。ウィルバーの限界もみえてしまいました。

とりあえず4部だけの感想をお知らせします。
1,2,3を読んでなにか分かったらまたレポートします。

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第14章:ポストモダン世界の大いなるホラーキー

ウィルバー(以下W):バートランドラッセルの言うように、物質は、善悪に盲目で、破壊に意を解さない。まるで全能な物質としてふるまう。

物質やエネルギーは情報はーー原子論的であれシステム指向であれ、静的あるいは動的プロセスであれ、古典的な熱力学であれ、「混沌からの秩序」の複雑系であれーーすべてが「それ」らであり、この伝染性の(「私」や「私たち」がそれ固有の言葉で語る余地のない)「それ主義」は歪んだ遺産だ。

 

プラトテレス(以下P):一言でいうと、大変な誤解をしてるようだね。

科学は「それ主義」ではない。そもそも、どのようなイデオロギーも科学にはない。その時点で判明したことを提示しているに過ぎない。

「私」や「私たち」を否定した形跡はない。ただ、わからなかったので言及してないだけであった。

したがって「それ」と「私、私たち」を分離しているとも言及してない。

一番大きく誤解しているのは、<「混沌からの秩序」の複雑系であれ>というところだ。つまり「自己組織化」「散逸構造論」のことだが、古典科学から大きく跳躍した点を見落としていないだろうか?

むしろ科学者は「無から有はつながっている。」と誰よりも知っている。一部の科学者だけが知っているというレベルではなく、プリゴジンにはノーベル賞を与え、もはや世界を捕らえる標準理論としてキチンとした評価になっていいる。

ビッグバンでは「無」から「有」を生じた。散逸構造論で再び「無機物」から「有機物」をつなげた。

<世界はここまでつながっていることが分かっている。>

物質には意志と同じ要素が入っている。実際にビッグバン以降こうして、モノが意志や意味が考える我々を生み出したことをしっている。

「信仰」では2つの世界をつなぐことはできなかったが、科学はつなぐことができた。

すべてモダニティの成果である。

もはや世界が分離されていると思っているのは、むしろ、そっち系の人のみではないか?

世界が分断されているとおもいこんでいる思考方法は、そちらの独自のものにすぎなく無駄な絶望ではないのか?

真や美は、はるかなる無からつながっているのだから、同じ坩堝の要素でできている我々がそれを感じて当然なのである。

モダニティは霊性を否定しない。むしろ霊性を宇宙の「つながった時間の矢」の筋に正道に立ち返らせたといえる。

「大いなる連鎖」を説いていながら、この本当のつながりをみおとしているから、神頼みという絶望をひきおこしている。

ソフィー(以下S):Pは科学で霊性の裏づけができると思っているのね?

P:いや違う。私自身はそう考えてない。科学が霊性とのつなぎを提示しただけと考えている。

では、科学者が否定したら、つながりもなくなってしまうのか?

例え科学が否定しようとも。霊性宿る「私」は存在する。こっちの方が大事だ。

 


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図左:ウィルバーの4象限

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図中:客観的にみたウィルバー自身:

配置は正しいが、「彼自身」は分離してしまっている。

分離している原因は、他ならぬW自身にあり、その統合に苦しんでいる。

西洋的合理主義に一度浸ってしまった世界からの解脱をめざしている。

論理もときどき矛盾する。

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図右:我々(東洋・特に日本人)は、最初から、もっと、つながっている感覚をもっている。

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再びプレパとトラパ

P:さて日本人はパーソナル(アイデンティティ)の確立がなく、プレパがほとんどとは思います。

しかし、日本人にとって西欧的な手法でのパーソナル(アイデンティティ)の確立はむしろトラパに至るのを阻害することになりかねないと思います。

プレパから直接トラパにJUMPしたほうがスムーズと思われます。


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「深層科学」

W:脳波計をつかって、瞑想は、「第四の意識状態」だという結果がでている。

これにより瞑想が、単なる主観的な空想、何の根拠もない白昼夢、怠惰なトランス状態ではないことがはっきり示された。

 

S:でもそうした第四の意識状態の現実的意味はなんなの?それは何を教える?

脳波計は、瞑想者が<スピリット>とか<神>とか何か本当に神秘的な状態を見ていることを示していないわ。

脳波計が示しているのは、瞑想状態における脳波の経験的な差異が見られるということだけよ。

瞑想状態が、神聖なリアリティだとか高次のリアリティだとか、あるいはなんらかの意味でのそのほかの状態よりもはるかにリアルだとか結論づける権利はまったくないわ!

W:そのとおりである。機械が提示できるのは量的側面だけで、質的側面ではない。

S:ではなぜ、意味のない脳波計の話をするの?

W:問題は、目覚めているときも、脳波はなにも主張していないということさ。

経験主義的科学者が目覚めている状態のほうが夢の状態よりリアルだとか主張するなら、同時に瞑想状態が目覚めよりもはるかにリアルな<神なるもの>の開示である可能性に心をを開いていなければならない。瞑想状態を起きている状態の脳波をデータとして比較すれば、調査できる。

P:つまり、脳波系を使っても<同じレベルで無根拠>だから、同じにあつかえということね?それは、いくらデータをあつめても、意味のないデータを10億あつめてもまったくの無意味だよ。帰納法にも達していない。

まだ、神経の中に神が宿ると主張したほうがましだ。それにこの方法は批難してやまない還元主義そのものではないか!還元主義を否定するのに還元主義的手法ではここでも自己矛盾している。

S:私は、そんなことしなくても、宇宙からつながっている霊性を与えられた「私」に十分になんのために生きるかの意味も責任も感じているわ。

それを開花させる権利も責任ももっているのよ。
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P:宇宙人がいるってことの根拠にミステリーサークルを提示することとまったく同じだ。
カールセーガンの「科学と悪霊」でセーガンはこう書いている。
「ミステリーサークルだって?
なんとしみったれたことしか宇宙人に期待しないのか!
畑のサークルが宇宙人のいる証拠だって?
求める証拠の水準もあまりに低いじゃないか。
わざわざでっち上げなくても宇宙は神秘に満ちている。」

霊性もそしたものではないのか?

 
  1.  宗教と科学を統合しようと5つのアプローチがあったが、ことごとく失敗した
  プラトテレス

歴史の中で宗教と科学を統合しようと5つのアプローチがあったが、ことごとく失敗した。


1:科学によって宗教を説明する方法。
2:宗教で科学を説明する方法。
3:宗教と科学の共存、多元主義。やはり科学者側から納得が得られない。
4:経験科学の導入。やはり科学側の域から語るものである。
5:科学は知の一つの様式にすぎなく、詩や芸術の妥当性と同じレベルとするポストモダニズムには、「ニヒリズムとナルシシズム」しか生まないと批判。

 

  1. 四象限に分類されるもの
虫や苔などは、ウィルバーは、「IT」に分類している気がします。

私的には「WE」にはいるのですが・・・

読み違いでしょうか?