ニューロサイエンス

 

 

紹介:
本書は、神経生理学の ジャン=ピエール・ジャンジューと数数学者のアラン・コンヌの対談で進めれていきます。

唯物論としてのシャンジュー
実在論者としてのコンヌ

立場の違いが対談を面白くしています。


まえがきより抜粋:(両者による連名)

『知能の名にふさわしい人工知能は物質から出発して実現できるだろうか?これが本書の中心的な問いである。』


『だれでも生物学の進化に関するダーウィンの理論は知っている。だが、胎児の発達の期間、次いで誕生後の脳の形成はひとつの進化であり、この進化の間に神経細胞間の接続に対して淘汰が行われているという考えは一般の人々にはほとんど知られていない』

『知識が与える社会的インパクトが一日ごとにますます重要になるほど発達している。そこに倫理上の諸問題が生じる。だか何はともあれまず初めに倫理とはなにか?モラルは自然的基礎に根拠を置くことができるのか?そしてその自然的基礎は社会の中での人間の脳の機能の中に求めなければならないのか?倫理は数学の原理に似た普遍的原理にもとづいて築くことができるのか?』


第1章 数学と脳

1−1紹介

シャンジュー『コンピューターは、脳の代わりをしているように見える……けれどもまだ人間の脳の性質をもっていない!この問題はわたしたちの科学的活動から見れば、マージナルだが、数学と倫理の諸関係についての反省を行うよう私たちを導くはずである』

シャンジュー『数学の厳密さに根拠を置く人間社会の普遍的な倫理学を築くことが可能かどうかを問題にするようになるはずです』

コンヌ『数学は絶対的で、普遍的であり、したがってどんな文化的影響とも関係がない』


1-2諸科学の階層関係が問題だ

シャンジュー『わたしは3つのテーマで議論を進めてたいと思っています。第@は数学と他の諸科学との関係、第Aに実在論と構成主義の問題、第Bに

数と経験の問題です』

シャンジュー『ディドロによれば、数学は経験に何一つ付け加えることはない。数学は「自然と人々の間にベールを介在させる」だけだ!

フランシス・ベーコンによれば、(中略)「自然学の召使でしかないはずの論理学と数学が、時としておのれの確実性を鼻にかけ、自然学にたいしてまったく我が物に振舞おうとするなどということがどうして起こるのかわたしにはわからない」』

コンヌ『数学をほとんどすべての他の科学の形式化に必要な言語と考えるは、ふつうです。量的であろうと質的であろうと形式化は常に数学を通じて行われます』

シャンジュー『数学は物理学より厳密な言語です。しかしそれ以上でもそれ以下でもない』

コンヌ『物理学者は、もともと「物理学的直観」と呼ばれる仮説をよく使います。』『たとえば、ファイマンの積分は今のところいかなる数学的対象にも一致してませんが、理論物理の日常の糧になってます』『数学のもっている生成的性格が結局は重要な役割を果たす。シュレディンガー方程式、パウリの排他原理、メンデレーエフの元素周期表を再発見する可能性があれば、同様しないではいられない。』

シャンジュー『数学的対象を生み出すのは、物理学では実験というコンテクストだと言いたいわけだね。』

コンヌ『数学だけが唯一普遍的な言語です。』

 


1-3発明か、それとも発見か?

シャンジュー『数学的対象の本質に話を進めてみよう 。これには「実在論」と「構成主義」という真向から対立する2つの立場があります。直接にはプラトンからアイデアを借りている「実在論者」にとって、世界には感覚的実在とは別の実在をもっているイデアがあるとされます。デカルトは「私が三角を描くとき、(中略)わたしがその形態を発明したのではなく、いかなる意味でも精神に依存していない。」といってます。

「構成主義者」にとっては、数学の扱う対象は、数学者の思考のなかにしか存在しない理性的存在です。質量と関係のないプラトン的世界は存在しません。数学者のニューロンとシナプスの中にしか存在しない。ロックやヒュームのような経験論哲学者に見られます。』

コンヌ『ぼくは実在論の観点にかなり近いと思っています。(数学的)実践が生の事実を発見するのです。』

シャンジュー『私は反対にそういう数学的対象はあなたの脳のなかに物質的に存在しているのだと思われます。』

 

1-4数学には歴史がある

シャンジュー『次のような意見にたいして疑いをもっています。つまり数学の扱う対象は、物質および脳の支えとはいっさい関係なく「この宇宙の中の」どこかに存在しているという意見にたいしてです。』

シャンジュー『数学者が論理的一貫性の規則、排除の規則、形式主義を念入りに作り上げるとき、数学者は一つの普遍的言語を構築しているのであり、その普遍的言語によって数学者は前もって構築しておいた対象の特徴を認めることになるのです。結局は数学者は自分が想像したものを結果だけ「発見する」!』

1-5数学は唯一つの言語でしかないか?

コンヌ『物質的世界の実在を立証するものはなんでしょう?主として我々の近くの一貫性であり、永続性です。数学的実在は同じ性質を持っています。(中略)日常の現実と同じぐらい頑丈です。』

シャンジュー『存在と思考の間に本質的は違いをたてる人が「実在論者」です。』『私は「物質の実在」と「数学的実在」とはっきりと区別しています。』

『数学的実在の存在はわたしには人間の思考と関係があると思われるのですが、人間の思考そのものが種の<進化>の産物です。』



第2章プラトンは唯物論者か?

2-1唯物論者の知的禁欲

シャンジュー『唯物論者は、スピノザの用語を使って言えば、知的「禁欲」というかたちの悟性の改善を前提とする。この「禁欲」によって、自分にとりついている神話の残骸、とりわけプラトン主義を除去しよ うとする。唯物論的説明は人間を自然のなかに立ち戻らせます。』

コンヌ『人間とは関係なく、生の普遍の数学的実在が存在します。脳によって認識されます。人は脳の機能を理解すればするほど、それをうまく使うことができます。しかしだからといって数学的実在が脳によって変化させられることはない。』『時空に局限されてないが故に物理的現象よりはるかに安定した現実をこの感覚によって知覚できるのだと思います。単純さという概念にたいする感受性を、数学者は徐々に発達させていくのです。』

シャンジュー『この単純さを創造しているのはあなたなのです。単純さが非物質的な起源をもっていることの証明になるでしょうか?』

『自然のなかに人間と関係なく「自由」が存在するとはだれも言わない。数学的証明は、歴史が「自由」の概念から引き出しうるものよりずっと厳密です。しかしそれぞれの概念がもたらす結果を無視して、自由の概念と同じくらい抽象的な概念を、整数の概念と比較することはできないのだろうか?なぜそれほど根本的な性質の違いを認めるのだろうか?』

コンヌ『道具と研究対象の現実とを混同しないようにしたい。』

シャンジュー『混同しているつもりはありません。「道具」は、数学者の脳が作り出し、本当の物質的現実をもつ、対象を研究するのに役立つからです。』

2-2数学の精神分析

シャンジュー『数学に対するあなたの態度は、考察というより感覚なんでしょうか?』

コンヌ『むしろ直観、苦労して構築された直観ですね。ぼくにとっては実在論と唯物論はまったく両立不可能であるとは思えません。数学的実在の存在を、作業仮説として受け入れる為の代償とは何でしょうか?』

シャンジュー『真の代償とは、いかにしてわたしたちの「認識器官」がそういう性質をもった対象を生み出すかを理解することです。』『プラトン的な「実在」を「発見する」という「感覚」は、この問題に関して、まったく内省的であるが故に、主観的な見方にすぎないのではないかと思います。』

コンヌ『我々の議論は「実在」という言葉の定義を巡って行われていますが、ぼくにとって、実在とは、(略)認識の一致と永続性によって定義つけられるものです。』

シャンジュー『それは、十分条件ではありません。ウィチョル族は年に一度キノコを食べて、全員本当に天国に上った感覚を味わいます。ですから「認識の一致」は客観的現実を定義するに十分ではありません。』

2-3数学の扱う対象は文化的表象か?

シャンジュー『

2-4

2-5

 

 

 

 

 


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