光の正体

 

光の正体にせまろうとするとき、いろいろな解釈があることに気が付く。

例えば、アインシュタインは光は粒子とし、(1905光量子説)

シュレディンガーは波だといい、(波動方程式

ボーアは光は粒子と波動の二重性をもつとした。(相補正原理

エヴェレット解釈では、多世界の粒子の干渉により波の様に見えるとされる(多世界解釈

 

ソフィー>こんなプロの物理学者が考えても答えのでないものを私たちに考えられるの?でも基礎だけは知ってみたわ。

プラトテレス>加速運動する荷電粒子は光を放出する。これは物理の重要なpointだ。では、加速運動と同じ速度で検出器を加速させたら光は放出されないのか?

ソフィー>それは問題外だわ相対速度が重要なんでしょ?光は放出しないわ。

プラトテレス>では、静止した電子の横を検出器が通過すると光を放出する?

ソフィー>……………

プラトテレス>光を放射すると答えたいのだろう?

ソフィー>YES!

プラトテレス>でもその答えはおかしい。光を放射するかしないかの設問自体もおかしい

ソフィー>そらきた、引っかけ問題。

プラトテレス>相対速度は実は、放射したように見えたすぎない。本当の問題は光が存在するかどうかだ

ソフィー>そう言われると、電子は静止したままなのだから、放射しない気にもなってきたわ。

ソフィー>つまり、見えるけど、存在しない?そんなことありえるの?

プラトテレス>そう光の正体はそういうものだよ。

ソフィー>存在の有無をかけた矛盾なんて許されないわ!

プラトテレス>いや、いいんだよ、もともと力学は運動を扱う物で、存在の有無には関与しないんものなんだ。そこに有無の問題を投げかけちゃいけないんだ。

宇宙創世時のパラメータ問題に関しても同じことさ。

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