1963

クォーク

 ゲル・マン、ツワイク

クォーク理論は1963年にアメリカの物理学者マーレー・ゲル・マンとジョージ・ツワイクによって同時期に提出された。

電子を陽子や中性子に光の速度で衝突させると、陽子や中性子が崩壊して、クォークなるのだという。

この初期説によれば、クォークは3種類が知られていた。アップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォークの3つで、例えば、陽子はアップクォーク2個とダウンクォーク1個からなり、中性子は逆に、アップクォーク1個とダウンクォーク2個からなるという。

1974年には、第4のクォークのとされる、チャームクォークが証明された。77年にはさらにボトムクォークが加わり、同時に対称性の理由からトップクォークも存在するだろうと予測された。クォーク理論の完成には、トップクォークの存在証明が必要だったが。95年に、フェルミ国立加速器研究所からようやく最後のクォークを証明できたという報告がだされたのである。

ハイゼンベルグ博士が日本の東京大学で、量子論の講演をしたその日にクォーク発見の外電が入った。日本のマスコミは世紀の発見とばかりに、ノーベル物理学賞受賞者である博士に記者会見を依頼した。でもそこで博士がいったことばは、「それは嘘だ!」だった。実際しばらくして、ただ質量の小さい素粒子にすぎなかったことがわかっただが、当時ずいぶん話題になったものだ。その後のクォークの発見騒ぎも似たようなものだ。「不確定性原理」が働いている限り発見は不可能なのだ。実際にクォークそのものは粒子のように存在そのものは発見されてない、傍証から、導き出されているだけである。

*クオークが発見されたとしてもこの世界の成り立ちを説明できるわけではない。

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