1994年〜

サイエンス・ウォーズ

 

 

サイエンスウォーズを理解するためにはまずその背景となったサイエンス・スタディーズを理解しなければならない。

サイエンス・スタディーズは、科学史、科学哲学、科学社会学のそれぞれの要素を兼ね備えた、それ自体が融合的で学際的な「現代科学論」だ。

サイエンス・ウォーズとは、一言でいうならその「現代科学論者」と「科学者」の論争のこと。

この論争は科学技術者サイドが、科学論者の相対主義的、反実在論的、非実証主義的傾向の強い議論に業を煮やし、古典的な実在論や実証主義の規範の再確認を旗揚げしながら、激しく反論した反抗とそれを取り巻く賛否両論のこと。

 

ソフィー>その論争は、昔からあったものなんでしょ?

プラトテレス>そのとおり、しかし、一部の現代科学論の行きすぎにグロスとレヴィットが「高次の迷信」(1994年)のなかで、科学論者の科学の無知さかげんをあからさまに批判したことで、一挙に表面化した戦争になったんだ。

ソフィー>グロスとレヴィットの主張は?

プラトテレス>まずグロスとレヴィットは科学に敵対する思想を撒き散らす科学論者を「アカデミック左派」と名づける。そして主に3つの分野に下記のように論争をしかけた。

科学論 グロスとレヴィットによる科学論者批判
社会構成主義 社会構成主義によれば、<<科学とは、ある特定の時代の特定の文化が前面に押し出す極めて高度に練磨された規約のセットにほかならない、それはイデオロギー、政治、経済、などの支配下にあり、歴史的に存在してきた他の多くの、言説共同体のひとつに過ぎない。だから実在について語るとき、科学が他の分野に対して、知的特権請求をする権利はない。科学は知識というより実践なのであり、まさにそのために、実践にふさわしい規約と恣意性を抱え込む。 >>−とされる。

そんなことを信じれば、信頼にたる知識と迷信の区別する根拠がなくなり、科学は知識体ではなく、社会的規範を閉じ込めるアレゴリーのようなもの堕する。

フェミニズム科学論 半数体解釈学に過ぎない。
ポストモダニズム 彼らは、彼らは固有の修辞を習得し、そのレトリックを駆使するときに、かつて左翼系インテリが抱いたのと同様の心理的満足を味わう。批判によってキャリアを積むのだ。それは「危険を伴わないラディカリズム」だ。

ポストモダニズムとは、文型批評や修辞分析という本来狭い領域で獲得されたいくつかの洞察を増幅し、それをそのまま文化全体にまで広げようとする装置である。

その尊大な起源にはニーチェがある。

その影響を分析すると。

デリダ:曖昧でてらいに満ちた議論の仕方はすでにお馴染みだろう。彼に言わせれば、テクスト外部に現実はなく、当のテクスト自体にも自己矛盾的で、自己無効力化的なものにすぎない。意味の確定は常に先送りされる。後ろ盾のハイデカーの親ナチ性告発があて、衰退。

テクストに意味がないと主張しつつ、自分のテクストだけは例外に扱っている。

アギロス>脱構築は本質的に否定的な方法論なので、例えば、政治的問題のような何か具体的な話題が問題になるとき、脱構築できるのは、ただ明確な注釈をするのをいやがり、何らかの価値基準をよいせいすることに抵抗をしめすだけだ。だからそれは、まだましな場合にでもなんら有効性をもちえず、悪くすれば、反動的にもなる。」

 

 

プラトテレス>この出版自体非常に議論をかもし出していた時期に、そこにさらに「ソーカル事件」が起こる。

ソフィー>事件?捏造とか?

プラトテレス>そう事件だ。でもその事件はパロディーだ。

ソフィー>パロディーなら許されるんじゃないの?

プラトテレス>まあ聞いてくれ。ソーカルがなにをしでかしたか、順をおって説明する。

まずソーカルは、立場としては、科学論者ではなく、職業的科学者だ。

その彼が、ポストモダニズムの牙城というべき雑誌「ソーシアル・テクスト」にある論文を寄稿する。

「ポスト・モダン科学」と称して、物理学の専門用語を用いてポスト・モダニズムを賞賛したのだ。

そして、その3ヶ月後に今度は「リングア・フランカ」誌に、あの論文に乗せた物理学の説明はまったくの嘘で、彼らのイデオロギーに沿ったキーワードを使って彼ら前提をくすぐらせれば、物理学の記述が間違っていても、彼らは見抜けない。科学論者はそれほど、物理に無知なのだ-と、暴露したのだ。

ソフィー>テストされたわけね。でも、やり方として酷くない?

プラトテレス>しかし「実証」されてしまったのだよ。

ソフィー>そんなことしてソーカルはなにを言いたかったの?単なる、無知を指摘したわけじゃないでしょ?

プラトテレス>そう、彼にあったのはひとつの怒りだった。彼の説明ではこうだ。元々左派は科学的思考に準拠し続け、蒙昧主義に反対してきた。左派は、合理的思考に則り、科学を権力者たちが行う神秘化に対抗する重要な道具だと考えていた。しかし、現代科学論は蒙昧に攻撃の矛先を科学そのものに向けてきたのだ。

ソフィー>科学者サイドが勝ったの?科学論者サイドが勝ったの?

プラトテレス>その問いはあまり適切でないね、なぜなら1)科学者と科学論者というたった2つのカテゴリーに論争が分離されていること。そんなに単純じゃない。科学の内部でそもそもバラバラだし、科学論自体もバラバラのものだからだ。そもそも生物学者と理論物理学者の距離より、理論物理学者と、一部の科学論者の距離の方が近い 場合もある。2)

ソフィー>そもそもサイエンスウォーズは起こる必要はあったのか?

プラトテレス>やはり起こるべくして起こった。

ソフィー>戦いは何かもたらしたの?

プラトテレス>この戦争を経験したことによって、ただ、科学も科学論も態度を硬化させてしまっただけだ。実りはほとんどなかったね。


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189 -サイエンス・ウォーズ 金森修 2000年 東京大学出版会

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