波乗りと精神

 

連載 波乗りと精神  第九巻 http://www.sc-fan.com/ss09.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

81:「タオ自然学」とカプラ

 ジェイコブ・ニードルマンの『聖なる伝統と現在求められているもの』が刊行された1975年は、プリブラムやボームのホログラフィ理論の提唱や、フリッチョフ・カプラの『タオ自然学』が出版されて、科学と神秘主義の関係が論議された年でもあった。カプラはこの本の成功に気をよくし、世界各地を講演して歩くとともに、第二作『ターニング・ポイント』を続けて書いた。さらに第三作『グリーン・ポリティックス』(C・スプレトナックと共著)を発表後、エコロジーのシンクタンクを設立して、生命のシステム理論に着手した。ここで注意すべきことは、ジェイコブ・ニードルマンがはじめ医学を志し、途中で医師から形而上学者になり、大学で哲学を講じたように、フリッチョフ・カプラはウィ−ン大学で高エネルギ−理論物理学の博士号を取得したのち、スタンフォ−ド大、ロンドン大などで教鞭をとりながら、専門外の神秘主義に目覚めたことである。カプラは、『タオ自然学』を書くきっかけとなった神秘体験について、「コズミック・ダンスへの招待」という序文で次のように述べている。運命が変わる物語の序章はこうだ。・・・

 「本書を執筆するきっかけとなったのは、五年前のある美しい体験である。夏も終わりに近いある午後、海辺に腰をおろし寄せくる波を見つめながら、わたしは自分の呼吸のリズムを感じていた。と、その時、とりまくすべてが壮大なコズミック・ダンスを舞っていることに気がついた。まわりの砂や岩、海や空気が振動する分子あるいは原子で構成されていること。その分子や原子が粒子からなりたち、たがいに他の粒子を生成、消滅させつつ相互作用していること。そのようなことは物理学者であるからには当然承知していた。また、地球の大気には「宇宙線」(コズミック・レイ)が絶えず降り注いでいて、高エネルギ−粒子である宇宙線が大気に突入する時に、衝突を無数に繰り返しているのもわかっていた。これらのことは、高エネルギ−物理学の研究にたずさわる者としてなじみ深い現象ではあっても、それまでは、グラフや図式や数学理論をとおしての体験にすぎないものであった。ところが、海岸に腰をおろしていたこのとき、これらの体験が生気をおびて甦ってきたのだ。

アトス山の修道院で神父が話した最後の言葉をもう一度、思い出してみよう。このひとことは、ジェイコブ・ニードルマンが持っていた針で神父を刺したことを意味している。それまでは、神父の口を借りてキリストが話していた。しかし最後の一言は、聖職者の口から洩れた口吻である。ジェイコブが<毒>と感じたものは、すでに宗教ではなく、教会の高邁な道徳にすぎない。彼にとって道徳は毒であり、宗教は薬であるはずだった。彼は助けを求めている。しかし、彼は狡猾な患者だ。アトス山の神父は、結局、彼を招き入れたことを後悔した。「人々を追い払うことになろうとも、教会は涙をもって、現状に留まらなければならない。」ということは、アトス山の教会が現代を拒否し、現代に背を向けていることの表明である。ギリシア正教会は、ルネサンスを契機として再び新しい将来が約束されたにもかかわらず、それを拒否してビザンツ文化の伝統を守り抜いた孤高の教会である。それは現代どころか、中世にも背を向けて、古代そのままに現代を生き抜いてきた。教会そのものが、時代によって、十字架にかけられているのだ。ジェイコブ・ニードルマンは、アメリカの新宗教を調査したその足で、地球を半周し、聖地アトス山にたどり着いたことを述べている。それも、<調査>だったのである。したがって、彼が答えより疑問を多く抱えてカリフォルニアに戻ったのは、当然の結果であろう。このような人物が、もしニューエイジの指導者なら、ニューエイジによって、アメリカの社会は何ひとつ変われなかった。彼の現状認識に誤りがあったのではない。長くなるが、その一部分を引用しておく。「西洋人の偉大さは、真理と協調して行動しようとする衝動、旧約聖書の教えの中にそのもっとも崇高な表現が見出される衝動にあるといわれてきた。近代では、こうした衝動がもろもろの理由で、より高い真理から切り離されてしまったことをわれわれは知っている。その結果、十分に消化や理解がされていない偉大な観念の性急な推進や適用が起こった。ここでも、科学的テクノロジーとさまざまな政治的イデオロギーの悲惨な結果が、その証拠としてあげられる。悲しいのは、われわれが観念ではなく観念に対する反応によって行動するということである。そうした反応は、東洋の伝統が「煩悩」、西洋の宗教がその昔、「肉欲的身体」すなわち肉体と呼んだものの一部である。」・・・ここからプラグマティズムへの反省はそう遠くない。しかし反省は、調査・分析という外面の認識から、自己内面の認識へと向かわなくてはならないはずである。その方法として、彼らはフロイトをはじめとする現代心理学に絶望した結果、禅やヨーガに目を向けたのであり、その着眼点も間違えとはいえない。なぜなら、フロイト自身がショーペンハウエルやニーチェの思想によって、東洋の哲学と宗教を知ったからである。現代心理学に絶望した無数の人々の意見を、われわれはジェイコブ・ニードルマンにまとめてもらおう。・・・「私の結論はこうだ。必要なのは、自分がなりうるものだけでなく、現在あるがままの自分を知りうる教えである。われわれの可能性の体験とわれわれの現状、真のエゴイズムと可能な自由を両方とも提供してくれる教えである。選択の力は、われわれがこれら二つの質の体験の間に立たなければ、いかに聖なる源に端を発する観念であろうと、自己の意識を求める努力の導き手にはなりえないと私は確信する。」ここでも、彼はまだ、<薬>をおねだりしている。しかし彼が形而上学者であるままでは、永遠にその薬を手にすることができない。なぜなら、その薬は純粋な源である宗教であり、形而上学ではないからだ。彼は西田幾太郎や鈴木大拙と同じ方法で、その薬を手に入れようとしていた。「自分がなりうるもの」と「現在あるがまの自分」の両方を知りうる教えが欲しいというのは、彼が本質的に禅やヨーガをまったく理解していなことを暴露しているにすぎないのである。彼は、" The Used Religions " の中で二つのレベルのリアリティに言及しているが、その根源は一つであることに気づいていない。そこに目覚めないかぎり、ニューエイジの未来は閉ざされたまま、開くことは出来なかったのである。 (写真) アトス半島の北側に位置するヴァトペディ修道院の静かなたたずまい。

 宇宙から流れ落ちるエネルギーの滝(カスケード)、その中で、リズミックに脈打ちながら生成・消滅する粒子、さまざまな元素の原子。それらとわたしの躯の原子がともにエネルギーのコズミック・ダンスを舞うのをわたしは「観た」。そのリズムを感じ、音を「聴いた」。そのとき、わたしは、それがヒンドゥ−教徒の崇拝するダンス神シヴァのダンスであることを知った。それまでに、わたしは理論物理学の分野で訓練を重ね、数年間にわたって研究活動に従事していた。と同時に、東洋の神秘思想に心ひかれ、東洋の思想と現代の物理学にきわめて深遠な類似性があると思い始めていた。とりわけ、量子論の不可解さを想起させる禅の不可解さにひかれることが多かった。・・・」  物理学者が神秘家になる例は、歴史上、数多く見ることができる。たとえば中間子の存在を予言してノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の晩年に、われわれはむしろ、物理学者であることを忘れた一神秘主義者の言動をみることができた。つまり、物理学と神秘主義の間には、目に見えない相互作用があるのだ。カプラは、『タオ自然学』の第十四章で「湯川秀樹のひらめき」について述べるとともに、物理学者が力よりも相互作用について語りたがる事情に言及している。しかし、現代物理学の細部にもまして重要なことについて彼は、この本が刊行されれた七年後の改訂版(1982)の序に、「かつて、示唆されたことはあっても、深く探求されることのなかった物理学者と神秘主義者の世界観のさまざまな相似性を発見したとき、わたしは自分がいずれ常識となるべき当然のことを明らかにしているにすぎないと強く感じていた。そして『タオ自然学』を執筆しながら、時に、自分が書いているのではなく、わたしをとおして書かれていると感じることさえあった。」、と述べている。つまり1975年という一時期を画し、コズミックに存在する目に見えない何ものかの働きかけによって、このような思想的活動が特定の人々を通して、いっせいに起こされたのは何故だろうか。・・・それは、「陽が極まれば陰にその場を譲る」という中国のことわざがあるように、驚くべき進化の動向の始まりをわれわれは目撃しているのだと、彼はいう。陽が極まれば、陰にその場を譲るとは、古代中国の知恵「タオ」の原理にほかならない。

 「いまこの瞬間をはじまりと看做す」という点で、カプラとニードルマンの認識は一致している。1970年代に突然沸騰したニューエイジ運動は、彼らが始めたのではなく、彼らによって「目撃」されたのである。カプラの神秘体験が、海辺に腰をおろし、寄せくる波をみつめながら体験されたことは、たんなる偶然ではないだろう。波が押し寄せる海岸、それ自体が、神秘なのである。東洋の神秘思想家が、あらゆるものを基本的な合一性のあらわれとして体験するという場合、たとえば陰と陽というような対立概念も、すべてが包含された統合体の中では、その差異も相対的であるに過ぎないことを自覚していた。対立とは、思考領域に属する抽象概念であり、そのために相対的である。「美を美と知ったとき、醜が存在する。善が善と識ったとき、悪が存在する。」(『老子』)というように、ひとつの概念に心を集中する行為、そのものが対立概念を生む。神秘思想家は、こうした知的概念の領域を超越し、そうすることで、あらゆる対立が相対的であり、両極的な関係にあることを識る。善と悪、苦と楽、生と死、陰と陽なども、べつべつ範疇に属する絶対的な体験ではなく、同じ世界のふたつの側面、単一世界の両極に過ぎないことを悟るのだ。対立はすべて両極的なもの、つまり統合であるという意識が、人間のめざすもっとも崇高な方向のひとつである。

 フリッチョフ・カプラの処女作には『タオ自然学』(1975)の邦題があるが、" The Tao of Physics " の原題を見ればわかるように、物理学者が書いたものである。 Physics というと馴染みの薄い物理学のことであるが、Physical といえば、まず第一にわれわれの肉体を思い出す。これは物質である。しかし、人間の体は物質であると同時に、自然である。したがって Physical には、自然や天然の意味が含まれている。だが、この本が有名になったのは、物理学や医学ではなく、人間の精神を扱ったからであった。ここのところをカプラ自身は、次ぎのように述べている。「物理学のルーツは、すべての西洋科学と同様、紀元前六世紀の第一期ギリシア哲学に求められる。ギリシア文化は、科学と哲学と宗教を分離しなかった。ミレトス学派の哲人はそういった区別に関心がなく、<フュシス=自然>と呼ばれた事物の本質やその真のなりたちを明らかにすることをめざしていた。<フィジックス=物理学・自然学>という言葉は、このギリシア語から派生したもので、本来、万物の本質を見極める努力を意味していた。」・・・われわれはニイチェの『悲劇の誕生』により、ソクラテス(前470ー前399)を科学を創始者として、非難してきた。ここでいうミレトス学派はそれより古く、創始者のタレス(前624ころー前546ころ)は、西洋哲学の開祖である。タレスは星の観測をしながら井戸に落ちたりしたが、その哲学は水を根源とし、すべてのものは水から出、水からなり、水にかえるとし、根源的物質の自己運動が認められた。ここに神話的宇宙観の宗教から新しい科学への道が、自然哲学の歩みとしてはじめられたのである。ミレトス学派はすべての存在を生命と精神をそなえたフュシスのあらわれとし、オリエントで数学を学んだタレスは万物には神々が宿っているといったように、もともと物質に相当する言葉を彼らはもっていなかった。さらに弟子のアナクシマンドロスからアナクシメネスに至ると、人間の身体が空気によって維持されているように、有機体としての世界は、宇宙の息<プネウマ>によって維持されていると考えるようになった。この有機体的一元論は、古代インドや中国の哲学ときわめて近い類似性をもつ。これはいうまでもなく神秘哲学である。それがギリシアにおいては次第に神秘的傾向をすて、知的な思想として展開し、東洋の世界観とは対照的な西洋哲学を特徴づける二元論へと発展していった。この二元論によって宇宙の合一性は崩れ、精神と物質の分離が進んで、われわれは現代の物質文明をむかえたのである。ところが、この二元論によって進歩し且つ未来永劫進歩しつづけるだろうと考えられていた科学が、二十世紀の最先端において、なぜか古代の一元論でなくては説明のつかない事態が生じた。これを物理学者の立場から、一般的にわかりやすく解説したのが『タオ自然学』であり、自然回帰をうながす警告書だったのである。  

フリッチョフ・カプラ『タオ自然学』のカバー。

 カプラには『ギーター』と鈴木大拙を同列に述べるような危ういところがあり、ニードルマンが指摘したような、異質文化相互の理解には限界があることを暗示している。また、海岸における彼の体験は、改訂版の248ページに提示された絵のように、踊る神のシヴァのすがたが、宇宙大に拡大されて目撃されたことから、彼に本を書かせたのはシヴァ神との暗示もある。つまり『タオ自然学』のカプラには、インドから東洋哲学に入り、日本を経て、中国にたどり着いたような図式が透けてみえる。対立するものはすべてが相互に依存しているから、その拮抗がどちらか一方の全面的勝利に終わることはけっしてない。つねにふたつの側面の相互作用のあらわれだ。これを中国では伝統的に「陰」と「陽」という原形的な極をつかって、この陰と陽の背後にある「統合」を、タオと呼んだ。これは陰陽二極間の動的な相互作用である。カプラは、タオを円運動として考えた。円運動は、ベルグソンによれば進化の停止であり、閉じた世界である。進化および開いた世界は、直線運動だった。しかしこの円運動にある種の投影をほどこすと、相対する二点間の直線運動と化す。この直線運動は直線とはいえ、あくまで二極間、すなわち陰と陽との振幅にすぎなくなってしまう。だからタオはもう一度。、円運動にもどって考える限りにおいて、対立概念は統合され、超越される。ここで陰と陽は、男と女に置き換えられ、波乗りの原理に関連してくるが、このテーマは大問題として、のちの『エクスタシー』に譲らねばならない。

カプラがこの本を書くにあたって、そのきっかけになった神秘体験が、冒頭で語られている。それは中国のタオとは関係のない、ヒンドゥーの神シヴァ神によるコズミック・ダンスだった。その結果、彼はこの本を書きながら、自分が書いているのではなく、わたしを通して書かれていると感じ、また新たな体験をしたのである。なぜか。その秘密を解く鍵は存在する。彼が研究していたのは、高エネルギー粒子の世界であり、二十世紀の素粒子の研究は物質のダイナミズムを暴きだした。素粒子は独立した実在として存在するのではなく、相互作用によって、全体の一部として存在する。この相互作用は粒子の交換であり、そこには間断のないエネルギーの流れがともなう。物質のダイナミズムとは、エネルギーが絶えず変化するなかで、粒子が生成と生滅を繰り返す相であり、粒子の相互作用は物質を構成する安定した原子や分子をつくりあげながら、しかもリズミカルに振動し、万物が永久に運動を続ける宇宙の相である。このエネルギーの相を<コズミック・ダンス>というなら、それは宇宙空間にあまねく展開される相であり、それまで図式や机上の数学理論にすぎなかった物理学者の体験が、海辺に移されただけのことだった。しかし彼はそこで、本文の冒頭に引用したような体験としての舞いを「観た」し、そのリズムを感じ、音まで「聴いた」のである。そしてそれが、<シヴァのダンス>であることを、「識った」という。この瞬間に彼は、科学者としての二元論の立場を忘却した。つまり、「自分が書いているのではない」という彼自身の感覚は、科学者であった彼が自分の中で死に、神秘主義の一元論者が自分になり変わって筆をとっていることにならないだろうか。それを筆者は、<魂が生まれ変わる物語>と称して来たのだ。そこで、彼にどのような世界が見えてきたか。たとえば粒子の相互作用による高エネルギーと物質世界のダイナミズムは、本来生命ではない無機的世界でありながら、その生成と消滅のリズムは生きとし生けるものの生死にあらわされ、しかもそれが無機物の本質であることを現代物理学はつきとめた。原子をとりまくすべての物は、質量をもつ三種類の粒子からできており、すなわち陽子・中性子・電子は安定した粒子で、それが消滅してしまうような衝突過程に関わらないかぎり、永久に存在しつづける。しかもそれは静的存在ではなく、無数のヴァリエーションをもつダンスであり、リズムカルに振動しながら、生成と消滅を繰り返す。この粒子のリズムカルな振動こそ、<波動>にほかならない。たとえば、チベットのラマ僧の言葉として、カプラは次のような引用をする。「物はすべて原子の集合体である。原子は踊り、またその動きで音を生む。踊りのリズムが変われば、それが生みだす音も変わる。・・・原子は絶え間なく歌を歌い、音は刻々と疎と密の形をあみだしていく。」すなわち、音は特定の周波数の波であり、音が変われば周波数も変わる。粒子は、ひと昔まえなら原子の概念に相当するが、これも粒子エネルギーに応じた周波数をもつ波である。同じことをヒンドゥー教のスワミは、次のようにいう。「ブラフマンの闇夜、自然は動きを止め、シヴァの思し召しがあるまでは踊ることができない。そのとき、シヴァは踊るように甦り、舞いつつ、死せる物質に目覚めの音の波を送ると、見よ!物質もまた踊り、シヴァを讃えてこの神をとりまく。」 (図)シヴァのコズミック・ダンス。『タオ自然学』改訂版248ページより。

 ここでは物理学者がなぜカプラのように、神秘主義者になるかという問題を考えている。彼は「不確定性の原理」で知られる物理学者ウェルナー・ハイゼンベルクの言葉を、『タオ自然学』の冒頭の扉に誌している。すなわち、・・・「異なる思想の流れが出会うところ、人類の思想史上もっとも実り多い発展がある。これはかなり一般的な真実であろう。その流れは、さまざまな人類文化に起源をもち、時代や文化状況、宗教の伝統なども異なっている。しかし、それらがひとたび出会えば、あるいは少なくともたがいに作用しあうほど双方の関連が強まれば、そこにまったく新たな、きわめて興味深い発展が起こることは、まずまちがいないと言ってよい」。ここで出会ったのは、現代物理学と神秘思想であり、西洋と東洋である。これをカプラは、「ブッダへの道と核爆弾への道」というわかりやすい比喩で述べている。どちらの道を選ぶかは個々の科学者の自由であるとして、その半数が軍のために働き、すべてを破壊する巧妙な手段を日夜研究しているのが現状だ。その傾向は弱まるばかりか、21世紀に入っても、増大の一途をたどってる。この限りない巧緻と創造性を浪費している時代にあっては、カプラのように、ブッダの心ある道が強調されてしかるべきだ。

 世界を破壊の道から救うためには、科学者がまずカプラのように、海岸に坐ることだ。なぜなら、現代物理学はその素粒子の世界の探求によって、非日常レヴェルでの対立概念の統合化に進み、東洋の神秘思想と紙一重のところまできているからだ。外見的には矛盾し、両立しがたい概念が、じつは同一世界の異なった側面とみなされる例は、相対論の四次元世界だけではない。それは粒子と波の概念によって統合されたケースで、もっとも顕著に知られている。原子のレヴェルでは、物質は粒子でもあり、波でもある。どちらの側面を見せるかは、状況次第だ。この二面性は、光(電磁波)にも見られる。光は、量子(光子)の形で放出され吸収されるが、この粒子が空間を伝わっていくときは、波のもつあらゆる特徴をそなえた振動電磁場としてふるまう。電子は一般には粒子と考えられているが、この粒子束が小さなスリットを通ると、光とおなじく回折現象をおこし、電子も波のごとくふるまうという。粒子が波であり、また波は粒子でもあるという事実を、物理学者が受け入れるには長い時間が必要だった。                       

( May 23 , 2002 )

 
 

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82:東洋思想の道(タオ)

 フリッチョフ・カプラはその『タオ自然学』の第二部「東洋思想のタオ」のなかで、ヒンドゥー教・仏教・道教(タオイズム)・禅に分類して、その思想をかなり手際よく述べている。しかしそれは手際よいだけに、深いとはいえない。たとえばヒンドゥーの『ウパニシャッド』や仏教の『大乗起信論』からの引用は、前者が必ずしも的を得ているとはいえず、後者の参考文献が鈴木大拙の " The Awakening of Faith " (1900)であるように、起信論の真意が伝わってこない憾みがある。さらに 禅のところで" Zen and Japanese Culture " や " The Essence of Buddhism " などからの引用で、すべて鈴木大拙の名前で出されているものの多くが、直接大拙の思想ではない点に、われわれはとまどいを覚えてしまう。つまりこの本は、西洋人が西洋人のために書いた東洋思想の本であり、東洋人が読むことを想定して書かれてはいないのである。したがってわれわれが読む場合には、西洋人が東洋思想をどう理解しているかの範囲にとどめられるべきだろう。まして、この本によって東洋思想を学ぼうとする初学の日本人がいたら、それこそおかしなものである。

 そもそも「ニューサイエンス」という言葉自体が、この本を震源として日本でできたというが、このような言葉に象徴される文化の安易な逆輸入は、かえって問題を複雑にする。ジェリー・ロペスが "SC " で「サーフィン道」の提唱を行なったのは1982年だが、いま思えば、このような時代の風潮に対して、日本人のさらなる奮起とこころの自覚を促したのが彼の真意だったかもしれない。ところで、このニューサイエンス自体は、一方に「宗教を証明する科学」として期待する議論があれば、また一方では「一部の西洋科学者による一時的な東洋主義」と否定的な反応を示すアカデミズムがあるというように、対立的構図があってしかるべきだった。しかし、そのようなことすべてに目をつぶってでも、全面的に支持しなければならない本質的な理由を、この本は持っていた。それが伝統的コミュニティからの情動的かつ挑発的否定論に対し、肯定的な市民運動と結びつく活動家の議論に集約して、発展してきた源泉でもあろう。しかし、日本での表面的な議論の繰り返しをよそに、アメリカ・イギリスでは論客が多数登場し、すでに「トランスパーソナル心理学」の成立を見た。

カプラの『タオ自然学』は、思想としてのタオ、すなわち<タオイズム>について単一に述べたものではなく、それを理性的知識に対する直観的智慧として、ヒンドゥーや仏教と同じ性格をもった<東洋思想の道>として考えたのである。儒教とタオイズムは中国の二大思想としてともに<道>を説くが、インドから中国に入った禅は、これを<どう>と読む。彼がそれを理性的知識に対して直感的智慧という以上、それは秘教的なものについて述べようとしているのである。しかし、彼が専門としてきた科学は直感的智慧を廃し、理性的な知識を積み上げることによって成立したのであり、この本もそのような知識の集積によって書かれた。この矛盾を彼がどう解決したかが、そこでは一番の問題である。ところがわれわれにとって問題なのは、つねに<波>であった。筆者が「サーファーとミュージシャンの相互性」と言ったとき、この両者の間に存在していたのは波だったのである。前者に直接関係するのは水波であり、後者は音波であるが、ともに波であることは変わりなく、すでにわれわれはこの問題をニイチェとともに芸術的に考察し、『タオ自然学』においては科学的に考えたことになる。つまりそれは自然学ではなく、依然として、科学の本であるというわけだ。カプラは<禅>について、たとえば、つぎのように述べている。「禅における悟りとは、万物の仏性を直接体験することである。そのもっとも身近なものが、日常生活で交わる人やものごとなのだ。このように実際的な面を強調しながらも、禅はひじょうに神秘的である。悟った人は現在を生き、日常のできごとに細心の注意をはらう。そしていかなるものごとのなかにも、生命の神秘と不思議を体験できるのである。つまり禅の理想は、日々の生活を自然で自発的に生きることである。ある禅僧は、禅の定義を問われたとき<腹が減ったら食べ、疲れたら寝る>と答えたという。まったくあたりまえのことに思えるが、実際には相当むずかしい課題である。われわれ本来の自然なあり方を取り戻すには、長い修行が必要である。大変な精神的偉業とも言えよう。」・・・「腹が減ったら食べ、疲れたら寝る」という当たり前のことが、なぜむつかしいのか。それは腹が減ったから食べるのではなく、朝昼晩のきまりによって食べているからで、禅僧の腹が減るというのは、沢庵のところ述べたように、飢えがきたときに食べるという意味であり、それはイエスも、他の宗教家もみな同じである。暖衣飽食は、宗教家のよくするところではない。反対に、現代人は疲れても、寝ない。寝ないで仕事をするか、寝る間を惜しんで遊ぶ。つまり、自然の生活からはもっとも遠い。われわれサーファーは、" EAT, SLEEP , SURF. " というが、それは自然の生活であり、これをきわめれば禅の悟りと同じ結果が得られるはずである。それは大変な精神的偉業であるとカプラはいう。なぜなら、われわれ本来の自然なあり方を取り戻すには、長い修行が必要だからだ。科学者である彼が、われわれ本来の自然なあり方というとき、ミレトス学派の一元論にまでさかのぼる。そして、われわれはそこから二十五世紀隔てた現代にいる。ブッダもほぼ同じころの人だ。理性的知識の二元論を至上主義に掲げた現代人が、直感的智慧の一元論を取り戻すには、長い夢から目覚めなければならない。その目覚めの方法を西洋人はいままで知らなかったとフリッチョフ・カプラやジェイコブ・ニードルマンは告白してる。彼らこそ<ニューエイジ>であり、<ニューサイエンス>を提唱しているが、それ自体では、なにひとつ解決するこができない。彼らは、それを解決するには「長い修行が必要である」と、ようやく気づいただけなのである。

Eat, Sleep, Surf. Photo: Asian Paradise

 ところで、ニードルマンにしろ、カプラにしろニューエイジの論客は、「リアリティ」ということをいう。カプラは、リイアリティは同じ「ひとつのもの」である、という荘子の言葉を引いて、ものごとの根底にあるひとつの究極的なものをリアリティと呼び、このリアリティが「タオ」だという。タオは本来「道」という意味だが、その道は「宇宙の道(プロセス)」に通じ、ヒンドゥー教のブラフマンや仏教のダルマカーヤに相当すると説いている。ヒンドゥ−神話のテーマは、神の自己犠牲による宇宙の創造である。神の創造は「神の劇」(リーラ)とよばれ、リーラの神話は魔術的色彩の濃いものであり、ブラフマンはこの「魔力」を使って、自ら宇宙になりかわる。わたくしは別のところで、波乗りはリーラ(遊戯)であるといった。これはペルシアのツァラトストラの言説による。ブッダはおおよそ、ギリシアのピタゴラスやヘラクレイトス、中国の孔子・老子、そしてペルシアのツァラトストラと同時代の人だった。そのうえでカプラは、ブッダを「セラピスト」と名づけた。彼が理解する仏教の「無常」観は、ヒンドゥーや禅の理解とともに、ユニークだ。

 ブッダの死後、仏教はヒーナヤーナ(小乗)とマハーヤーナ(大乗)の二つに別れた。小乗派は仏陀の言説を忠実に守ったが、のちに発展する大乗派は形而上学的要素を強めた。仏陀自身は、形而上学的なものは認めない立場にあり、むしろサイコセラピー(精神療法)を説いた人だと、カプラはいうのだ。人間の魂にあらわれたブラフマンは「アートマン」とよばれる。ブラフマンは宇宙の原理である。この原理つかさどる「魔力」が、『リグ・ヴェーダ』にでてくる「マーヤー」の本来の意味だという。聖なる魔術師の「力」という意味は、時代とともに変わり、いつのまにか魔力に縛られた精神を意味するようになった。「この世は幻である」というマーヤーの現代的意味は、われわれをとりまく形態や構造や事象が、自然のリアリティではなく、魔力に縛られた精神が勝手に計測し分類した概念でしかない。しかしヒンドゥーの自然観によれば、マーヤーの世界はダイナミックなリーラで、その躍動的な力を「カルマ=業」という。『ギーター』では、すべてのものに生命を与える創造の力が、カルマである。つまり、その意味も本来の宇宙的レヴェルの創造力から、人間的な今日レヴェルまで引き下げられると多分に心理的な側面を持ち、われわれの宇宙観自体が断片的になって、環境から孤立して行動できると錯覚し、カルマに縛られる。

 ヒンドゥーにうけつがれたこの『ヴェーダ』の世界は、のちの仏陀にいたってバラモンの異端となる。悟りをひらいた仏陀は、同僚の修行者に「四諦(したい」を説いた。その第一部が「ドゥッカ(苦)」だった。すべてのものは去来する。すべては一時的であるに過ぎないうもっとも基本的な事実が、受け入れがたいがゆえに、苦が生じた。仏教の根底には、流れと変化を、自然の基本的特徴としてとらえる「無常」観がある。仏教はその心理的影響に関心が強かったが、中国人は流れと変化を自然の根本的な要素としてとらえただけでなく、変化のなかに人間が従うパターンを発見した。賢者はこのパターンを把握し、それに合わせて行動することによって、道と一体になる。自然と調和を保ちながら、あらゆることをなしとげる。タオの特徴は、このパターンである宇宙の周期的性質を知り、行動することにある。「道にしたがい、天と地の自然のプロセスに身をまかせる者にとって、全世界は手の内にある。」という准南子の言葉は、タオイストの自信に満ちあふれている。

われわれが『タオ自然学』を一読して気づくことは、鈴木大拙からの引用がきわめて多いことである。禅の説明をほとんど大拙ひとりにたより、その影響の大きさが知れるが、老・荘や仏陀と同列に語られては、かえって大拙の方が恐縮してしまうのではないだろうか。このために、われわれはすでに『大拙と幾太郎』のところで、その恐れの一端を述べたのである。なぜなら、その恐れはすでに述べたようなかたちで現実に、大拙や幾太郎への批判として現われているからである。それはラジニーシのような秘教グループだけでなく、橋本凝胤のような仏教者からも出た。哲学者の梅原猛は『仏教の思想』のなかで、西田哲学と『無門関』の影響について述べ、あわせて西田の鈴木大拙への影響について言及している。つまり、西田は『無門関』から「絶対矛盾の自己同一」を引き出し、大拙もまた、禅を理解しようとするとき、西田の絶対矛盾の論理を借りたというのである。そして梅原もまた、西田同様に、禅をしたことない素人なのである。彼は告白する。「正直にいって、私にとって、『碧眼録』や『無門関』は、わかりにくい本である。とくに『碧眼録』はわかりにくい。本則より頌、頌より垂示や評論のほうが、私にはいっそうわかりにくい。わかりにくいのは、私が見性はおろか、坐禅もしていないせいかもしれない。坐禅もせずに、どううして禅がわかるかといわれるかもしれない。たしかにそうである。けれど、慧能や臨済の書を読むと、私は、彼らが、私の魂に直接語りかけてくるのが、よくわかるのである。ところが、重顕や圜悟のことばは、どうも私の魂に響かないのである。私の魂が、坐禅の体験がないために、禅にたいして、鈍感であるためかもしれぬ。」・・・重顕(980ー1052)や圜悟(克勤=1062ー1135)というのは、『碧眼録』の著者である。ここで梅原氏が述べているのは、『碧眼録』のわかりにくさは自分が坐禅しないからではなく、自分の魂に響かないからだということになる。坐禅するしないの議論を飛び越えているのは、重顕や克勤(こくごん)を注釈家とみなし、自分と同じ解説者のレベルに引き下げて見ているからではないだろうか。梅原氏はもともと西洋哲学から哲学の世界に入り、そこから東洋哲学の深さに魅せられ、いつのまにか仏教学者のようになってしまった学者である。彼が坐禅をしなくても禅を語るように、フリッチョフ・カプラも禅を語る。つまりそれは理性的知識によって、論理的に積み上げられた学問的知識に過ぎず、宗教的であっても宗教とはいえないだろう。しかし、万物がすべて粒子からなり、宇宙はその波であることを考えれば、われわれが音の波に乗って音楽を楽しむように、ミュージシャンでなくてもその波に乗れるのである。水波に乗るのはサーファーだが、坐禅をしない人がその境地を語るように、波乗りしない人が波乗りを語ることは、今日では日常茶飯事である。そのほうが通俗的だし、わかりやすいからだろう。梅原氏は同じ本のなかで、「仏教を研究する以上は、利他の行をしなくてはならない。すぐれた研究も、できるだけ大勢のひとに知られなくてはならない。そう解釈して、われわれはこの叢書(全12巻)に満足を感じていたのである。」と自利利他の行を自画自賛しているが、神秘主義はそのようなものではない。『無門関』の第三十則は「即心即仏」であり、第三十三則は「非心非仏」である。その本則は「馬祖、因大梅問、如何是仏。祖云、即心是仏。」であり、「馬祖、因僧問、如何是仏。祖曰、非心非仏。」である。これはすでに述べた通り、大梅法常禅師が馬祖大師の<即心即仏>で悟り、ひとことで一生の安泰を得たという逸話であり、<非心非仏>はもとより、三十年間一語も付け加える必要がなかったということである。

Louie Ferreira , Backdoor.
Photo : Asian Paradise

 タオはすべて、両極の力のダイナミックな相互作用からあらわれる。中国人は、状況が極限に達するとかならず、正反対の方向に逆戻りすると信じているからだ。この周期的パターンは、陰と陽の対極を導入することによって明確な構造をもつ。古代中国のシンボルである「対極図」は、陰と陽のダイナミックな相互作用を意味し、その対称(シンメトリー)は、静的なものではなく、絶え間なく回転する周期的な動きを表わしている。西洋人にとって、対立するものすべての絶対的一体性を認めることは、大変むずかしい。しかし東洋では、あらゆる対立の超越がなければ悟れないと考えられてきた。タオは対極の絶え間ない相互作用であることから、何かを得たいと思ったら、かならずその逆から始めなければならない。多すぎるより足りない方がよく、やり過ぎるよりしない方がよいとされる。これでは進歩がないと考えてしまうかもしれないが、退歩とは、着実に正しい方向に進むことだ。近代社会は生活水準を高めるのに忙しく、生活の質を犠牲にしている事実を忘れている。中国も最近は経済発展が著しく、伝統を脱して近代化が急である。しかし、サーファーのように近代社会の中でクオリティー・ライフを実現しようとすれば、タオのような古代思想は有効だろう。 なぜなら、それは賢者の生き方だからである。

 もともとタオイズムは、理性的知識より直観的知恵を重視し、基本的にこの世界からの解放の道であることによって、ヒンドゥーのヨーガやヴェーダーンタの道、また仏陀の八正道などに類似した。何か得たいなら、その逆から始め、何かを保つなら、その中に、それと反対のものを見い出さなければならない。『老子』に微明(びめい)というのは、「縮めるには、まず張らねばならない。弱めるのは、まず強めねばならない。廃するには、まず興さねばならない。奪うには、まず与えねばならない。」・・・たとえば、ハタ・ヨーガのアーサナもこれと同じ原理である。タオイズムでは、このような行動のあり方を「無為」という。『荘子』によれば、無為とは、何もしないで黙っていることではなく、万事を、自然のままにまかせ、その本性をみたすことである。けだし、肝に銘ずべし。

『タオ自然学』は、ヒンドゥー教と仏教、あるいはより限定的にヨーガと禅を現代の高エネルギー物理学と三位一体に述べようとしたところに、『波乗りと精神』に通じる偶然性があった。それは素粒子の存在が静的なものでなく、リズムカルな躍動であり波動であることを突き止めたことにより、むしろ必然性となったかのようである。なぜなら、それはひとつのものを客観と主観の両面から見た結果であり、その境界により、ひとつのものがまったく別のものに見えることを、証明したに過ぎないからである。現代物理学が突き当たったところが、世界の破滅や崩壊であることは論を待たない。それは近代の歴史観が、世界の歴史を進歩・発展として考えている以上、人類の無明であり業である戦争は止むことがないし、ひとたび核兵器をもった大国同志が戦争をすれば、人類は滅びる。仮に戦争がなくても、物質的な幸福に目をうばわれた人類が、このまま肥大化した欲望を満たすために経済活動を続ければ、地球環境が破滅するのは目にみえている。今世界を支配しているのはこの<進歩史観>か、さもなければ世界の破滅が神の国の到来を招く<終末史観>のどちらかであるが、どちらも楽観論であることに変わりはなく、これらに変わる歴史観と新しい思想がこの楽観論者たちによって待たれているのである。しかし、それも歴史を絶えざる進歩として直線的にみる思想のあらわれであり、実際には親が子を生むように、新しいものは古いものから来るのであって、歴史はその繰り返しに過ぎない。これが東洋の思想であり、思想といえば洋に東西しかないように、西洋思想でだめなら東洋思想がよく、それ以外に人間の思想はないのである。この陰と陽のダイナミックな原理を端的に表わしているのが、古代中国のシンボルである<大極図>だ。タオとはすべてのものが相互に関連しあう宇宙のプロセスであり、世界は変化しつずける絶え間ない流れであって、それは周期的性質をもつ。つまり状況が極限に達すれば、必ず正反対の方向に逆戻りする原理として信じられてきた。陽が極まれば陰になる。暗くなったと思うと朝が来て、また明るくなる。東に行く者は、西にたどり着き、また東に戻ってくる。太極図に描かれる陰と陽の対称(シメントリー)は、静的ななものではなく、絶え間なく回転する周期的な動きを表わし、その中にある二つの点は、陰陽のどちらかが極限に至ったとき、すでにもう一方の種子を内包していることを表わしている。 古代中国のシンボル「太極図」。

 ところで、フリッチョフ・カプラが『タオ自然学』で言おうとしたことは、いま述べたようなことではない。彼が東洋思想を借りてまで言わねばならなかったのは、現代社会のあり方が、あまりに「陽」に傾きすぎたことである。陽とはつまり、合理的、男性的、攻撃的であり、科学者がその典型である。陽が極に達すれば、かならず、陰に戻らねばならない。ちなみに陰とは、直観的、女性的、神秘的であり、その典型がサーファーである。神秘的知識の獲得は、主体の根本的な変革を意味する。物理学者は神秘家と対照的に、物質の研究から着手し、物質の深層を探ることによって、万物の本質的合一性を自覚するにいたる。つまり内なる領域に向かった神秘家と同じ結論に達したというのである。両者は「相補的」である。ともに必要とされていて、世界をよりよく理解するうえで補いあう関係である。ものごとの内奥にひそむ本質を知るのに神秘思想は必要だし、科学は現代生活に不可欠である。いまこそ、神秘的直観と科学的分析の、ダイナミックな相互作用が望まれている。このような認識に達したカプラでも、現代物理学の世界観が現在の社会に合致しているとは、とうてい思えない。なぜなら、この社会には、自然のなかに見い出される調和のとれた関係が反映されていなからだ。したがって彼は、次のような結論でこの本を締めくくった。・・・

 「そのようなダイナミックなバランスを達成するには、いままでとはまったく違う社会構造と経済構造が必要となろう。それこそが真の意味での文化革命である。われわれの文明の存続は、そういった変革の成否にかかっているかもしれない。究極的には、東洋神秘思想でいう「陰」の姿勢をなんらかのかたちでとり入れられるかどうかであり、すべては、自然の全体性と、自然と調和して生きる道(タオ)とを、われわれが体験できるかどうかにかかっている。」                          

( May 24 , 2002 )

 

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83:アートマン・プロジェクト

 1970年代のカリフォルニア・ムーブメントのおける意識革命の熱気が、その多くはファッション的にもてはやされ、現実回帰とともに忘れ去られていったなかで、フリッチョフ・カプラのような現代物理学者が出て、科学者の立場から東洋神秘思想をとらえ、科学者自身の根本的姿勢を問う「ニューサイエンス」がうまれた。一方で、同じカリフォルニアという土壌から、ほぼ時を同じくして、東西の心理学および形而上学をブーツストラップ的に統合して、「トランスパーソナル(超個)心理学」がうまれたのを、単なる偶然として見過ごすわけにはいかないだろう。ケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト』は、カリフォルニアのニューエイジ・ムーブメントに現代心理学の一ページを加えるにとどまらず、悟りの実体験と意識の進化論を堂々と打ちあげたのである。カプラの『タオ自然学』は1975年に刊行されたが、ウィルバーのそれは、筆者の「はしがき」によれば、1978年冬となっている。1975年から1980年にかけては、日本に未曾有の「西海岸(カリフォルニア)ブーム」が席巻し、それが運動面ではサーフィン・ブームとなり、心理面ではメディテーション・ブームとなって同時に開花したのは、記憶にあたらしい。

 つまり、サーフィンとメディテーションは、ニューエイジ・ムーブメントとともにカリフォルニアから、ほぼ同時に入ってきたことになる。しかし現実には、両者の間には淡い関係しかなく、またニューエイジ運動そのものの本質も、ほとんど日本に伝わっていないように思われるのは、ひとりわたくしの不勉強ゆえだろうか。これはゆゆしき問題である。ともかく、すでにカプラの「ニュ−サイエンス」を概観したわれわれが、ここでウィルバーとその「トランスパーソナル心理学」に立ち寄らざるを得ない理由は、それがニューエイジのなかで最良、かつ硬派の流れに属するものだといわれるからである。ただし、この『アートマン・プロジェクト』で引用されている厖大な文献の多くは未訳であり、また専門用語も多いことから、われわれはその東洋的神秘主義との関連において理解してゆくしか方法がない。要するに、「アートマン」なのだから・・・。

筆者はやや違和感のある世界に筆を染めている。それは東洋思想と西洋思想がぶつかる潮目であり、どちらか一方の流れにうまく乗らないと巻き込まれて、脱出できない憂き目にあう危険なセクションだ。ケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト』(1980)をいま通読して、複雑な思いがする。ここでは禅やヨーガなどの東洋思想が、西洋心理学の臨床実験にさらされた揚句、ばらばらに解剖されて原型をとどめていない。この『アートマン・プロジェクト』は、ジェイコブ・ニードルマンが1975年に示唆したニューエイジ宣言における「超越への剥き出しの渇望と混じりあった混沌状態」を、五年かけてさらに具体的な形にまとめたような体裁を整えている。この本のテーマは、「発達と進化」であり、「進化とは超越である」という。つまり、読者はこの本の一行目からつまずいてしまうのである。なぜなら、発達が進化であるならば、進化は超越ではないはずだからである。発達と超越は、まったく違う。「自然の全包括的進化は、人間の精神のなかでは発達ないし成長として発現する。アメーバーから人間を生んだその同じ力が、幼児から成人を生み出すのである。」というウィルバーの進化論は、進歩史観にのっとった進化であり、ダーウィンの延長線上にある考え方だ。人間がアメーバーから進化したのであれば、われわれが母親の胎内に宿り生まれてくる十か月は、アメーバーが発達して人間になるまでの数百万年の凝縮された進化であり、胎内の卵細胞は一週間でこの位相を通り抜ける。これは奇跡であり、恩寵かもしれないが、主体的自己の超越ではない。なぜなら、それはアメーバーから人間へ連続的に発達を遂げた過去の全歴史をそのまま繰り返しているからに過ぎないからだ。この生物学的な進化と、発達心理学的な進化を、彼は全包括的進化として混合し、それを超越と考えているのだろうか。彼は、「超越の最終的なゴールはアートマン、ないし<唯神>における究極的統合意識にほかならない。」という。発達にゴールはあるかもしれないが、超越に<最終的な>ゴールはない。なぜなら、それは段階的に成し遂げられるのではなく、それまでの自己が消滅することによって、一瞬に跳びこえるからだ。そこには連続性がない。アートマンというのは、ウパニシャッド神秘思想の形而上学的原理であり、その深化の過程でさまざま表現がなされているが、究極の解脱はアートマンを介して、梵(ブラフマン)と合一することにあり、アートマンはその主体的実在である。繰り返し述べてきたように、神秘思想の道は外向進歩の道ではなく、内向退歩の道だ。つまり、ケン・ウィルバーの「アートマン・プロジェクト」とは、進化の道と退歩の道を同時に歩くことであり、不可能を前提にしたプロジェクトのように見える。それはニードルマンがいみじくも指摘したように、超越への剥き出しの渇望にほかならなず、この渇望はわれわれの欲望から出発しているから、いくら望んでも超越は起こらない。それは無理だ。もう一度、『アートマン・プロジェクト』の一行目全体を読んでみよう。「本書のテーマは基本的には単純である。発達とは進化であり、進化とは超越であり、超越の最終的なゴールはアートマン、ないし<唯神>における究極的統合意識にほかならない。」この短いセンテンスの全体が、あたかもニードルマンのいう<混沌状態>をそのまま蔵しているかにみえるのはなぜか。それは単純どころか、一瞥するものには、複雑きわまりないプロジェクトのようにふるまう。だが、それはアートマンが欠如していると思われるところ、つまり現象界全体のどこにでも、あらゆる種類の形態としてあらわれるので、実はマーヤーの別名だったのである。ウィルバーみずからアートマン・プロジェクトは物語であり、読者が草履から払い落とすべき禅のほこりであって、唯一あるところの<神秘>の前ではひとつの嘘であると言ったのは、それが現象界のマーヤーであり、最終的にはアートマンそのものの衝撃のうちに解消すべきものだったからである。マーヤーの車輪装飾の造形(写真=コナラク太陽神殿)。十三世紀。

 ケン・ウィルバーはまず、『アートマン・プロジェクト-- 精神発達のトランスパーソナル理論』の基本テーマについて、その冒頭で、「発達とは進化であり、進化とは超越であり、超越の最終的ゴールはアートマン、ないし<唯神>における究極的統合意識にほかならない。あらゆる動因(ドライヴ)はその<動因>の部分集合であり、あらゆる突き上げはその<引き>の部分集合である・・・そしてその動き全体をわれわれは<アートマン・プロジェクト>と呼ぶ。」と述べているが、なお不十分と思ったか、エリッヒ・ヤンツの「自己超越による自己実現としての進化」、という言葉を引用している。神秘主義について述べながら、最初のわずか数行のなかに、「進化」という言葉が三度も繰り返されると、われわれはまず面喰らう。「神による神への、仏(ブッダ)による仏(ブッダ)への、ブラフマンによるブラフマンへの動因・・・ただしそれは、まず人間の精神という媒介を通して遂行され、エクスタシーから破局にわたるさまざまな結果を生む。拙著『エデンから』で描こうとしたように、もし人間が究極的にはアメーバーから出発したものならば、人間はまた究極的には神への途上にあるわけだが、その間われわれはアートマン・プロジェクトなる驚くべき中宿(なかやど)の影響下に置かれている。そしてこの進化の全運動は、最後にただ<統一性>のみが残るまで、ひたすら統一から統一へと継続し、アートマン・プロジェクトは最終的にまさに<アートマン>そのものの衝撃のうちに解消するのである。」

 われわれはすでにヒンドゥーの源流である『ヴェーダ』を瞥見してきた。また、『ウパニシャッド』で論争になったのは、人間が無から生じたか、有から生じたかであって、彼らは初めから人間だった。アメーバーから進化して人間になったとするダーウィンの進化論は、『旧約聖書』の創世記にも矛盾する。なぜなら、神は、神の姿に似せて人間を創造したと信じられてきたからだ。先に「天動説と地動説」の論議があったように、科学がいかように証明しようが、神秘主義の立場では、まったく問題にならない。つまり、ケン・ウィルバーなるニューエイジの論客はいったい科学の立場なのか、それとも神秘主義の立場なのか、はなから曖昧である。フリッチョフ・カプラは、その中間の板ばさみにあって、結局、エコロジーにいった。これは科学が現代的に変型したものだろう。ケン・ウィルバーはこう言う。「さて、これよりアートマン・プロジェクトの物語がはじまる。これはわたしが見たものの分かち合であり、わたしが思い起こしたもののささやかな捧げ物である。これはまた読者が草履から払い落とすべき禅の埃(ほこり)であり、最後に、ただ唯一在るところのあの<神秘>の前では一つの嘘であることを忘れてはならない。」・・・いったい、神秘の前でつく嘘とは、どんな嘘なのだろうか。

進化と超越について、ニイチェはツァラトストラの口を借りて、こう云っている。「われなんじらに超人を教う。人間は克服せらるべき或物である。人間を克服すべく、なんじらは何を為したか?由来、万物はみずからを超ゆる或物を創りきたった。しかるに、なんじらはこの大いなる差し潮の退潮とならんとするのであるか。人間を克服するよりはむしろ獣に復帰せん、と願うのであるか?人間にとって猿は何であるか?哄笑のみ、あるいは痛ましき汚辱のみ。超人にとって人間はまたこれに等しきものであろう。哄笑のみ、あるいは痛ましき汚辱のみ。なんじらは蛆虫より人間への路を来たった。しかも、なんじらの中の多くはなお蛆虫である。また、かつてなんじらは猿であった。しかも、人間はなお依然として、いかなる猿よりも猿である。」ケン・ウィルバーにとって、ニイチェは高度に発達したパーソナリティ群のひとりだが、「進化は超越である」とは云ってない。ここでニイチェが明言したのは、「超越とは、みずからを超える」ことであり、人間はみずからを克服し、みずからを超越して、<超人>にまで高めなければならないということだった。さもなければ人間は依然として蛆むしであり、どんな猿より猿にすぎないというのだ。この超人こそ、無明・煩悩から解脱した主体的実在であり、アートマンではないのか。このアートマンと梵との関係についてムンダカ・ウパニシャッドは、「聖音は弓、アートマンは矢、梵は的なりといわれる。人は心をゆるめずして、この的を射ぬくべし。そうするならば、矢が的と合するがごとく、人も梵と一体となるべし。」(2/2. 4)と断案している。つまり超越とは、究極の解脱であり、このために人はアートマンを介して梵と合一し、宇宙と一体になるのである。それは進化ではなく、覚醒だった。古代ペルシアの予言者にして宗教改革者のゾロアスター。その別名がツァラトストラである。

 ウイルバーはまず、精神より下位の段階やレヴェルを本能的、衝動的、リビド−的、イド的、動物的、サル的とし、人類のなかでもっとも発達した魂たちにおいては、どのような形の統一性が発現しているのだろうかと問う。そのために真に高次のパーソナリティーの例を探し出すこと、この問題を直視した人々として、まさにベルグソンをあげ、トインビー、トルストイ、ジェームス、ショーペンハウエル、ニイチェ、マズローもまたしかりという。人間の最高段階を代表するの者として、彼らが口をそろえてあげたのは、世界の偉大な神秘家や聖者たちの名前だった。そこで、偉大な神秘家--聖者という形をとって、極度に進化し、発達したパーソナリティのすぐれた母集団があるのなら、それは人類そのものがサルより進んでいるのと同じくらい、神秘家--聖者は平均的な人類よりもはるかに進んだ存在であると、ウィルバーは仮定する。したがって、意識の最高レヴェルや超意識について彼らが語った上位段階の細かい記録を、西洋心理学によって入念に描写され、研究された下位および中間段階のレヴェルにつけ加えるならば、かなりバランスのとれた、包括的な意識スペクトルのモデルにたどり着けるにちがいない。これが彼の目論みであり、目指すところだった。

このアートマンを<自我>と解すれば問題は複雑になる。ケン・ウィルバーはあくまで進化にこだわり、「もし人間が究極的にはアメーバーから出発したものならば、人間はまた究極的には神への途上にある」と考え、人間が神へと進化する過程をアートマン・プロジェクトと称している。つまり、生物学的な進化論を肯定したうえで、霊的進化の仮説をたてているわけだ。それは個体を超越する霊的進化のシナリオであり、発達心理学的な側面をもつ意識の進化論として、実存心理学に続き、<超個(トランスパ−ソナル)心理学>という新しい心理学の勢力を形成しているのである。ここで展開される霊的進化論は、禅やセラピーを通した一種の見性体験であり、明確な意識体験を中心にした新たな神秘主義として、ニューエイジの潮流の中からカリフォルニアで産声をあげた。したがって、「進化は超越である」というのは、改めてこのサークルのトランスパーソナルな宣言にほかならない。ただしそれが心理学である以上、病理学的側面を持ち、意識体験も時にLSDや向精神性物質によるものだったりして、多分に倒錯的傾向をもつ。そこには禅のような師弟関係は成立せず、あくまでセラピストとクライアントの関係であり、用語的にも近親相姦やエロスのような性的連想を逞しくする記述が多いが、現代ではむしろ倒錯が現実的であり、かえって社会にとっては有益なのかも知れない。ここでは超越を補助する持続的手段が瞑想である。それは持続された発達ないし成長であり、物事を逆転する手段ではなく、あらゆる潜在的可能性の実現に向けて<統一>が意識として開花するまで、続行させる手段だったのである。すなわちウィルバーにとって瞑想とは、「現在の人間の進化段階にいる個人が、現在の進化の段階を超えて発達し、全被造物の究極目標である<唯神>に向かって、しなければならないもの。」(『瞑想と無意識』)であった。「発達とは進化である」という大意はここに説明されているが、「進化とは超越である」というためには、生死の問題を避けては通れない。なぜなら、主体と客体、自己と他者の再統合を図り、超越を実現するためには、完全に分離独立した自己の死もしくは消滅が必要になるからだ。この分離した自己がいわゆる<自我>なるものの正体だろうが、それは主・客統一されていたものから分離独立したものであるから、再統合が必要になる。しかしこの統一が、アートマン・プロジェクトの究極目標になるためには、個人が最初から先行するアートマン意識を内包していることが前提になる。ウィルバーはこの前提を担保するために、『涅槃経』から「生きとし生けるものはすべて仏性を有する」という一句を引き出し、『チベット死者の書』から「意識があるところ必ず法身がある」を引用し、「魂は本来キリスト教的である」というテルトゥリアヌス(160ころー222以後)の護教論まで応用した。それは人間の心理的発達が、自然の進化と同じ目標をもってしだいに高度な統一性を生み出し、その究極的な統一とは実在としての仏陀、神、アートマンであるから、心理的成長はアートマンを目指すことになるという論理である。しかし先行する全体性から、個人的に分離した偽りの自己感覚が生み出されると、その自己はエロス(生)とタナトス(死)という二つの衝動に直面するが、それは単にアートマン・プロジェクトの肯定的側面と否定的側面にほかならない。やや長くなったが、ウィルバーはここから明晰に、超越とは何かを問う。エロスとはみずからの存在を永続化しようとする衝動であり、存在論的飢餓であるのに対し、タナトスはみずからの消滅を回避しようとする衝動であり、真の意味は超越である。<ラーマヤナの物語>の壁画彫刻(写真)。カジュラーホ・ラクシュマン寺院 八世紀。

 さて、問題の意識レベルをウィルバーにならって、下位から順に五階建ての建物にたとえると、一階はプレロ−マ的およびウロボロス的段階、二階はテュポーン的自己、三階は自我的領域、四階はケンタウロスの領域、五階が微細領域となる。このうち四階のケンタウロスまでは、この本のおよそ三分の一をしめるが、西洋心理学で説明はついている。ケンタウロスとは、彼らが名づけたもので、心と身体が調和的に一体である統合された自己。それは実存主義の人々によって探索され、復活された哲学を意味し、のちに実存心理学になったものである。前者はキェルケゴールとニイチェにはじまり、フッサール、ハイデッガー、サルトルに至り、後者はビンスワンガー、フランクル、ボス、メイ、ブーゲンタール、そしてマッディに至った。ウイルバーはいう。「わたしはまた、超言語的、超概念的ケンタウロスこそ、ベルグソンのいう<直観>やフッサールのいう<純粋直観>の本源だと考えているし、あえてそれを強調しておきたいと思う。ベルグソンやフッサールがケンタウロスを超え、さらに高次の諸領域を見たことを否定するわけではないが、総体的にいって、彼らの哲学がケンタウロス特有の指向性、ヴィジョン・イメージ、直接的な知覚的把握といったリアリティを、もっとも鮮やかに反映していると感じるのである。」

 ケン・ウィルバーが、心的内省力をもたない身体感覚意識(テュポーン的)と、心的内省活動を包含する真の経験的意識(ケンタウロス的)との広大な開きを、はっきり理解していた数少ない人の一人としてフッサールをあげるとき、こうしたテーマの展開を『イデーン』に見ていたし、ベルグソンにおいては『形而上序説』を参考にしていた。この実存的ケンタウロスから、『アートマン・プロジェクト』第八章の「微細(サトル)領域」に至ると、突然、インドの神秘家オーロビンドが出てくる。つまり、プレローマとウロボロスの単純で幼児的な融合、つぎに生物学的身体自己という一歩進んだ統一性。さらに心的ペルソナとその影が統合された全的自我。この下位レベルの意識が、いっそう高度な統合として現われたのがケンタウロスだとウィルバーはいったが、そのすべては西洋の伝統的な心理学にいう<粗領域(グロス)>に属していた。それを超えたところに「微細領域」と「元因領域」があり、そこから先は意識ではなく、無意識の領域となる。アートマン・プロジェクトは、この意識の深層構造を明らかにしたうえで、われわれの魂が直感するアートマンを、現実に実現しようとする衝動をバネしている。               ( May 25 , 2002 )

 

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84:「ダルマ・バム」から「サーフ・バム」へ

 ケン・ウイルバーの『アートマン・プロジェクト』は、「無意識の類型」(11章)からの後半に、異常な情熱が込められている。しかし、それは同時に、この本が問題の多い書物であることをも否定しない。わたくしは問題がもっと明確になるまで、いまはまだ、発言を控えたいとおもう。ただ、ひとついえることは、トランスパーソナル心理学の提唱は、基本的に現代人の倒錯した心理のうえに、成り立っているという事実である。したがって、それがもし学問であったとしても、その学問は必然的に、倒錯せざるを得ないのではないだろうか。・・・そして現代人の倒錯したエロスとタナトスについては、『波乗りと精神』の第二部『波乗りとエクスタシー』のなかで明らかにしたいと、わたしは思っているのである。この点に関して、やや唐突ながら、吉福伸逸(よしふくしんいち=1943ー )の『トランスパーソナル・セラピー入門』(1989)のなかに、ケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト』について、この本の訳者のひとりとして、ひと際注意を惹く意見が述べられている。・・・「ウィルバーやトランスパーソナル心理学が考える人間の究極的な目標や欲求とは、神になろうとする衝動、あるいは全体と一つになろうとする衝動です。神という言葉をあまり使いたくはありませんが、その神であるアートマンと一体化する欲求を人間はもちつづけている。しかし同時に、絶対に現状の自己の姿を手放さないままでそれを求める。ですから、自分をまったく変化させることなくそのままアートマンになろうとする、そうした矛盾に満ちた衝動そのものを、アートマン・プロジェクトとウィルバーは呼んだわけです。絶対にアートマンになれない状態を保ったままで、アートマンになろうとする矛盾あふれる人間の営み、そのたくらみをアートマン・プロジェクトと呼ぶということです。」

 いかにも興醒めな解題ではあるが、ここにもわれわれ現代人の欺瞞と倒錯は、あまりにも明晰に指摘されていた。つまりそれは、ウィルバーがその序文(「はしがき」)の最後に述べた謎の一行に対する、醒めた解説でもあった。繰り返しになるが、すなわち「これはまた読者が草履から払い落とすべき禅の埃であり、最後に、ただ唯一在るところのあの<神秘>の前では一つの嘘であることを忘れてはならない。」・・・  この言葉を浅薄にとらえるのはやさしい。しかし、それを現代心理学の眼から見るならば、現場おけるきびしい認識の視点は、理想論を遠ざけもしよう。ピアジェやサリヴァンに代表される発達心理学では、人間心理の発達を階層的にとらえるが、ウィルバーは同様に意識の階層構造を、「意識のスペクトル」として大きく前個・個的・超個的状態の三段階に分けた。この考え方の基本には、現状からすぐに悟りへ向かおうとする東洋的自我の否定論に一定の歯止めをかけ、自我を一度健全な形で確立したうえで、そこからさらに上位の発達段階に進む。つまり、我をもっていない人間は無我にもなれないという考えから、自己のアイデンティティの確立がまず急務とされ、そのうえでアイデンティティの超越について、はじめて語る資格を得るというわけである。

超越を妨げるのは分離した自己感覚、要するに自我である。この偽りの自己が直面するエロスとタナトスは、アートマンによって解消する。「生を欲し、すべてを所有することを望み、宇宙の中心でありたいと願うエロスは、自分が実は<全者>であるという正しい直観によって駆り立てられている。ところが、自分が全者であるという直観が、分離した自己に適用されると、それはすべてを所有したいという欲求に変わる。すべてであるかわりに、人はただ単にすべてを所有することを欲するのである。それがあらゆる代用の満足の基礎であり、すべての分離した自己の魂に内在する飽くことなき渇きである。」(第13章「アートマン・プロジェクト」)この全者とは、先行する全体性だから、宇宙全体とひとつであり、それは全てに等しい。自他の区別がない全者はすべてあるがままの全体性のなかにくろいでいるが、そこから自己が分離すると存在論的飢餓が生ずる。全者から分離した偽りの自己の渇望(エロス)は、具体的に探求、執着、願望、欲求、永続化、愛、生、意志などの根底に働く力であり、アートマン・プロジェクトの肯定的側面がエロスである。ここでわれわれは死と死の恐怖であるタナトスに、はじめて出くわす。「他者が存在するところ、かならず恐怖がある。」というウパニシャッドの原理は、先行する全体性の中では、死の恐怖が認められないことになる。言い換えれば、分離した自己感覚にしがみついている限り死とその恐怖を抑圧しなければならないが、この自己感覚を超越すれば、死の恐怖はなくなる道理である。なぜなら、分離した自己がその死の恐怖だからだ。したがって超意識的な全者、 すなわち真の超越の中では、分離した自己も根こそぎにされるから死の恐怖は根絶される。そこでウィルバーは、「死の否定は、人の本性が実はあらゆる形を超えた、時のない永遠の不死であるという正しい直観に基づいている。ところがその無時間性の直観が、分離した自己に適用されると、単に永遠に生き続けたい、永遠に死を回避したいという欲求(タナトス)に変わる。超越のなかでの無時間性を、単なる永遠に生きようとする欲求にすりかえ、代用の犠牲をもって永遠のかわりとする」という、アートマン・プロジェクトの否定的側面に言及する。<代用の犠牲>とは、自他の境界があるところには必ず、深層の本性であるタナトスがその境界を除去し、犠牲にしようとして働き、人は超越・犠牲に屈服するか、さもなければその死の願望、自己犠牲の衝動を処理する代用物を見つけなくてはならず、この烙印のもとに、人間は卑劣で陰険な犠牲(いけにえ)や大量殺人を欲求する。一方で、これを克服するタナトスは、仏教のシュンニヤータすなわち<空>の力として説明された。それは分離された自己など、実体としてはどこにも存在しないこと。つまり主体と客体の境界は、究極的に幻想(マーヤ)であることを言ったのである。このため主客、自他の境界は、それが最初から実在しないという理由で、絶えず再創造されなければならない。個人が一瞬一瞬にみずからの幻想の境界を再創造するように、全体の引力である<リアリティ>は、瞬間ごとにその単純な力によって、境界を取り除こうとする。このリアリティの真の意味が超越である。 波と分離された自己の境界が取り払われた瞬間、自己が再統合されて波(全体)とひとつになる。それがリアリティだ。 

Wayne Lynch . Photos from " A DAY IN THE LIFE "
( 「サーフィンワールド」Vol. 3 , No. 5 1978 )

 ここにウィルバーが唱える「前超の虚偽」や「範疇錯誤(カテゴリー・エラー)」の問題が指摘された。彼が前個的状態と超個的状態をの取り違えを指摘するとき、わたしが思い浮かべたのは、「精神の三態の変化」を説いたニイチェである。ただし、ウィルバーが範疇錯誤というとき、具体的にはカプラの『タオ自然学』や『踊る物理学者たち』に代表される物理学と神秘主義の相似性について、異なったレベルの混同の回避が意図されていたようだ。  吉福伸逸は『タオ自然学』の訳者の一人として名をつらね、日本におけるニューエイジ運動およびトランスパーソナル心理学の提唱者でもあるが、総じてこの偉大なカリフォルニア・ムーヴメントの渦中で、冷静かつ客観的な視点を奇妙に維持している。それを可能にしたおもな理由は、彼がメディテーションの現場から、サーファーに<転身>したことと、無関係ではないだろうと、わたしくしは思う。なぜなら、われわれは波乗りの現場から、メディテーションの世界に魅せられたからであり、両者は範疇錯誤ではなく、ひとつのものだからである。しかし、彼をふくめてニューエイジの論客が口をそろえて唱える、彼らの<軽薄さ>とは、いったい何だろう。・・・

 彼は前掲書のなかで、サンフランシコ州立大学の哲学教授ジェイコブ・ニードルマン(当時)にふれて、「僕は彼を個人的にも知って入るんで須んが、彼にはニュ−エイジ一般に見られる軽薄さがないんですね。どうしてもニューエイジ関係者には少々軽薄な人が多いんです。未来をバラ色にみていて現実には地に足がついていない人が多い。けれどもジェイコブは全然そうじゃない。このジェイコブ・ニードルマンや、ハーバード大学の神学の先生として有名なハーヴェイ・コックスなどを中心に、西洋の伝統的な宗教のなかに残っている修行体系を掘り起こそうという動きがあり、その影響もだいぶあります。」(「西洋の伝統の見直し」)

エロスは代用の満足であり、タナトスは代用の犠牲であることを、ウィルバーは述べた。いずれもそれは<代用>にすぎない。なぜなら、エロス(生)もタナトス(死)も、分離した自己が直面した衝動だからである。つまり進化と発達の過程は、この分離した自己の中で代用の満足(エロス)として浮上し、低次のエロス(執着)の形態が放棄されとき、より高次の新しいエロスの形態が浮上するように、次々により高次の構造が浮上することを真実として受け入れているのである。現象界全体から見れば、これは人間の場合にもっとも頻繁に現われるひとつの形態にほかならず、そのために、ごくありふれた一般的形態にすぎない。それは、もっとも低次のものからもっとも高次のもの、ウィルバーの言葉でいえばプレローマから究極の際限に至まで、人間の発達において、あらゆる種類の構造と形態をとって現われるというわけだ。われわれひとりひとりは、全体から分離した自己である。それゆえ、すべての個人は神に触れ、生きとし生けるものはすべて神を直観し、生きとし生けるものにはみな仏性がある。山川草木悉皆成仏。この直観こそ宇宙をひとつにまとめる唯一のものである。しかし、われわれはこの宇宙から分離した自己だから、自分自身の本質をアートマンと直観し、その本質を渇望する。「アートマンを直観する程度に応じて、アートマンを自分自身のレベルに適用する」と、ウィルバーはいう。すなわち、アートマン・プロジェクトは、アートマンの探求だったわけである。すべての被造物が神を直観すると、それが無意識の巨大な磁石のような働きをして、超意識的全者のなかでのみ起こる完璧な解放、すなわち解脱に向けて、彼らを上方に引き上げる。しかし、分離した自己の現実ではこのような超越は<奇跡>であるため、この直観が一時的救済の手段として、あらゆる種類のアートマンの代用物を形づくることを強要する。ウィルバーは、エロス(代用の満足)とタナトス(代用の犠牲)を、そのあらわれと見ているのだ。そこには当然、アートマンの自覚がなければならない。われわれの直観が、自覚となって浮上するのは、いかなる場合であろうか。そもそもわれわれの分離した自己には、神の直観はあっても、神の自覚はないはずだからである。この点について、「そのような自覚が発生するのは、だいたい人生の後半、内向する孤においてである」と、ウィルバーは述べている。<内向する孤>とは、何か?ここに人生の大逆転がある。『アートマン・プロジェクト』では、最後に「内化」(第十八章)として、進化と反対する逆転のプロセスを述べ、遠大な物語の終止符を打つ。ここで語られるのは、発達や進化ではなく、内向退歩の道である。象徴的なのは、ケン・ウィルバーが道元禅師の詠歌をもって、この本を閉じていることだ。フリッチョフ・カプラが東洋思想を借りた『タオ自然学』で現象世界を述べたのに対し、ウィルバーは東洋哲学の観照によって、摩耶夫人の倒錯のベールを脱がせたのではないだろうか。 Photo from Vogue , 1934 .

 これはニュ−エイジ運動とキリスト教神秘主義について述べたものだが、そこにはグルジェフの影響が強い。しかしわれわれが見のがせないのは、ニューエイジ運動における、禅の流入である。ケン・ウィルバーは『アートマン・プロジェクト』のなかで、瞑想について、「超越を補助する持続的な手段(パス)」と定義したうえで、その実践を例によって三つの主要な範疇に分類している。最初はサハスラーラにおいて頂点に達する「応身クラス」で、パタンジャリによって例証されている。つまり、ヨーガだ。第二は、上位微細領域をあつかう「報身クラス」であり、キルパル・シンによって例証されている。そして三番目の「法身クラス」は元因領域を扱うが、これはタントラ的なエネルギ−操作によらず、微細な光や音への没入を通してでもなく、意識自体の元因領域の探求および自己性や分離した自己感覚の探求を通して働く。それはあらゆる形の主体・客体の二元論が根こそぎにされるまで続き、禅仏教やヒンドゥ−教ヴェーダーンタなどに例証されると説く。そこでウィルバーは、禅を、「集中的−没入的な瞑想様式」と「受容的−脱焦点的な瞑想様式」の二つにわけた。前者は停止によって、後者は見つめることによって、低次の自我的変換を断ち切る。すなわち集中的な公案(臨済禅)または受容的な只管打座(曹洞禅)による「禅」の実践である。

 このような禅のカリフォルニアへの流入についても、さきの吉福伸逸の『トランスパ−ソナル・セラピ−入門』に、簡潔な記載がある。・・・「最初に欧米で受け入れられるよになったのは、やはり禅です。鈴木大拙が1950年代から多くの仏教経典を一般にわかりやすく英訳し、さらには自分自身で自分自身で禅の精神を英語で表現していった。奥さんが英国人だったことも普及のうえですごくよかったと思います。大拙の影響で、1950年代にニューヨークやパリを中心にビートニックという詩人たちが出現しました。彼らは合理性を超えた、ある種逆説性をもった禅的な物事の考え方を、自分たちの詩の手法に採りこんでいった。当時、彼らはダルマ・バムと呼ばれていました。ダルマというのは仏教では法ですね、バムは乞食という意味ですが、一種の乞食のような格好をしながら禅的な表現をしていった。それが、観念的ではあれ欧米に禅が入った最初の流れです。」・・・鈴木大拙については、すでに見たように、鎌倉・円覚寺の釈宗演に参禅したことから、公案による臨済の禅がまず欧米に広まった。それでは只管打座による曹洞禅は誰が広めたのだろうか。

筆者は二千二年五月二十六日の日記を読んで、『アートマン・プロジェクト』を再読したわけである。きょうは同年九月二十六日、九月は寒い。ダルマバムからサーフバムへの移行全体を世人が軽蔑しているというが、全体が到達した高次のレベルは軽薄ではない。それを軽薄と見る者が、軽薄なのである。なぜなら、彼は低次のレベルで現われている現象を見て軽薄と称し、高次のレベルがあることを夢にも知らないか、知っていても理解しようとしないからだ。それは理解出来ないのとはちがう。<聴聞の怠惰>である。彼らは現象世界に目を奪われて、夢を見ており、本質を見るべく目覚めていないだけだ。彼らの中には、むろん、全体から分離した自己がいて、自分がいる。つまり、おれがいる。このおれが、実は最大の障害物なのである。ウィルバーによって、自己反省すると、おおむね次ぎのようになるだろう。身体的自我の段階において、われわれの自己はほぼ専一的に身体の単純な情動や本能に同一化している。この本能のエロスがひどく欲求不満にさらされると、本能と自己は同一のものだから、その解離は死(タナトス)の発作として体験される。なぜなら、本能を分裂させることは自己を分裂させるに等しいからだ。そこへ言語的能力が浮上すると、自己は本能への専一的な同一化を解除し分化して、基本的なアイデンティティを言語的自己へと移す。恥辱はこの仮面の死の発作である。仮面と同一化した自己は、たとえば食べる本能の欲求不満を受け入れる。そのためすぐに食べ物が手に入らなくても死ぬことはない。ただ空腹になるだけである。身体的、本能的エロスは、さまざまな生物学的、臓器的渇望であるが、仮面と同一化した新しい自己は新しい欲求をもち、新しい形の死の発作を体験する。それは幼児の強烈な本能的欲求と明らかにちがう。全体から分離したわれわれの代用の自己は、真の融合帰一に手が届かないため、その代用としてみずからを統合しようとして、エロスの変換を行なう。真実の融合帰一は<垂直的>な変容であり、超越だが、分離された偽りの自己にも、先行レベルの深層構造の垂直的変容がある。これによって新たな代用の自己が生み出されると、新しいレベルのエロスが、<水平的>な変換の手を借りて、その段階の表層構造を、より高次な秩序をもったある種の全体性のなかに、みずからを統合しようとする。この場合、変容とは超越ではなく、全般的な変換プロセスが、おのおののレベルで根本的に挫折したことを意味するにすぎないのだ。こういったことは、自己が仮面と同一化している限り、発達の各段階で繰り返し起こりうる。それが起こらなくなるのは、自己が仮面との同一化をやめ、仮面の死を受け入れ、それを超越し、より高次の包括的な自己構造に乗り換えるときだけである。ここで死を受け入れるのは仮面であり、自我そのものがなくなるわけではない。したがって、「すべての構造が脱同一化され、超越されると<無限>しか存在しなくなり、すべての死が死なれたとき、もはや存在するのは神だけである」というアートマン・プロジェクト自体、真実ではなく、偽りの自己の上に築かれた虚偽、すなわち解消されるべきマーヤーだったのである。では、サーフバムの行なう波乗りも、マーヤか?否!それはリーラである。

Rabbit Bartholomew , O.T.W. Photo : Asian Paradise

 吉福の続きを聴こう。・・・「そういう土壌のなかで六十年代になって初めて、日本の曹洞宗から鈴木俊隆老師という人がアメリカに派遣されました。俊隆老師は、鈴木大拙が概念の上で禅を広めたのに対して、修行体系そのものをもちこんだ。サンフランシスコに有名なサンフランシスコ禅センターというのをつくって、そこで実際に禅の修行ができるような状況を整えたんです。トランスパーソナル心理学というのはニューエイジと呼ばれる流れの一部だといえるんですが、驚くべきことに、このニューエイジの「これは」と思う人の大半が禅センターを通過している。ちょうどぼくが1971年から74年までカリフォルニアにいたんですけれど、その頃からずっとそういったいろいろな人が来ていました。禅センターが果たした役割というのは驚くほど大きい。」・・・これは考えてみるとちょっと妙だ。禅や東洋思想がアジアからカリフォルニアへ流入し、それがニューサイエンスやトランスパーソナル心理学として、日本に環流した。今度はわれわれあがそれを通じて、東洋思想をカリフォルニアか学んでいるのだ。つまり、その流れはダルマ・バムからサーフ・バムへ、ごく自然に伝わったのである。両者が一卵性双生児のように似ている証拠には、<軽薄>という否定的要素にまで及んでいる。                  

( May 26 , 2002 )

 

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85:波乗りとドラッグ

 以上、見てきたところによりわれわれは、カリフォルニアにおいて波乗りが、東洋の神秘主義、とりわけ禅とヨーガに出会ったことを知った。このことを子細に観察すれば、するほど、この三者には精神の深層でひとつに重なりあう共通の性質を持っていた。すなわち、それが波乗りの宗教性でもある。しかし波乗りがなぜ、世界のどこかほかの場所でなく、西海岸のカリフォルニアで、しかも東洋の神秘思想と出会わねばならなかったのか。疑問が残る。1960年代から70年代にかけて、カリフォルニアでニューエイジという名の文化革命が起きた理由を、「人類の遺伝子が地球の自転に逆らって宇宙空間に脱出しようとする傾向の結果だ」と、ティモシー・レアリーは説明した。彼はカリフォルニア・サイケデリック文化の仕掛人であり、この言葉を我田引水ととるか、個人的神秘体験の表白とみるかはともかく、この文化が60年代のLSD文化と無関係といえないのは確かである。そして、ニューエイジの活動家やサーファーが、一般社会から<軽薄>の汚名を着せれているのも、実は、このドラッグとの関係にあるのではないだろうか。しかし、波乗りが東洋の伝統的文化に出会ったとき、サーファーとドラッグとの関わりは、根本的な解決をみたとわたくしは考えている。それがいまもなお尾を引いているなら、社会とサーファーの両方で、たんに誤って理解されているのにすぎないと思う。そしてこの誤解を、一方的な社会の責任に帰すことができないとすれば、われわれの立場でそれを明確にしなければならないだろう。

本稿は大きな問題を提起しているが、このままでは一つの謎にすぎないので、ここで出来るかぎり問題を整理してみたい。まず、『波乗りとドラッグ』という問題提起の仕方が複雑・怪奇である。なぜなら、この『波乗りと精神』で扱われている<波乗り>が本質的であるのに対し、<ドラッグ>という言葉のもつ側面が表面的、社会的に過ぎないからである。つまり、波乗りの本質が宗教的であるのに、ドラッグはいつも道徳として、社会的にまちがって認識される傾向がある。しかし、ドラッグは本質的には宗教であり、宗教的起源をもつ波乗りと同質である。だから、「波乗りは宗教である。」といわれるのと同時に、「波乗りは麻薬である」といわれるのかもしれない。ここではドラッグという言葉自体が社会的な手あかに染まっており、波乗りとドラッグを並列に述べることは、ますます社会的誤解と混乱を巻き起す原因になる。したがって、ドラッグという言葉はいらぬ誤解を招くから、なるべく使わないほうがよろしい。それは、あまりに否定的に響く。なぜなら、宗教という言葉自体も、ドラッグと同じように否定的に響くからである。われわれは<宗教>という言葉を、<神>や、ドラッグと同様、なるべく使わない方がベターなのである。それはあまりにも大きな誤解を招く。イエスや仏陀は宗教ではない。彼らは神秘家である。この意味では波乗りも宗教ではなく、神秘主義であり、宗教とは明確な一線を画す。ところで、ドラッグの起源は遠く古代にさかのぼり、その時代には、ドラッグという言葉すら存在していなかった。本文でしつこくゲーテやニイチェの言葉が繰り返されたのはこのためであり、それはギリシア時代のアポロとディオニュソスの神が、この二人において象徴的な復活を近代に果たしているからである。ギリシアで用いられた陶酔飲料は、芸術的創造力を極限まで高める一方で、バッカスのような神にもたとえられた。これと同じころ、インドではこの陶酔飲料が<ソーマ>と呼ばれて、神秘的な深い瞑想とバラモンの祭祀に重要な役割を果たしていたのである。ソーマの原料はある種の植物だとされているが、これを陶酔飲料として飲むだけでなく、焼き石の上にのせてその蒸気を吸引したことが、この方面の文献に残っている。いずれにしても、これらの魔術的薬草が古代のきわめて創造的な儀式に用いられ、東西の文明に巨大なエネルギーを秘教的に注ぎ込んだことはまちがいない。このエネルギーが生命の本質に根ざす根源的なものであることは、ギリシアとインドでそれぞれ芸術と宗教として明らかにされたが、多様化した現代社会では、エネルギーが分散して個々の地上的幸福に寄与するため、結果として物質文明が追求され、より根源的な生命の本質は忘れ去られた。それどころか生命の本質にふれるものは物質文明に対する害悪として退けられ、現代社会ではその秩序を乱す理由で禁止され、これを厳罰をもって処すという事態に発展した。しかし、物質文明と関係のない古代やその他の境界では、それ自体、禁止する理由が存在しないのである。つまりドラッグの今日的問題は、物質文明そのものが抱えている問題であり、物質文明が否定される世界では、問題そのものがありえないだろう。そもそも、ここにドラッグの問題が浮上したのは、カリフォルニアランドからニューエイジ思想に至る過程であり、1960年代のサイケデリック・ブームとLSDに関係づけられていた。このLSDというドラッグは、人間が物質文明を借りて生み出したもので、ここから得られる体験は、いかなるものも疑似体験にすぎず、神秘体験とはいえない。だからそこを通った思想も物質文明から生まれたもので、神秘思想ではない。ここに<軽薄>という二文字が、ニューエイジ思想家みずからの反省として提出された原因の一端があるが、もし彼らの思想が軽薄だとすれば、それは物質文明が軽薄であることを、ほかならぬ物質文明そのものが物語っているにすぎないのである。 Photo : Asian Paradise

 「プラトンは、幾何学を知らないものを彼の学校に入れなかった。仮に私が一つの学校を作るとすれば、何らかの自然研究をまじめに、かつ厳密に選ばない人間の入学を許さないだろう。」・・・これはゲーテが、二回目のローマ滞在である1787年10月5日の日記に誌したものである。波乗りが、「何らかの自然研究」であることは間違いないし、それをまじめに、かつ厳密にわたくしは選んだと思う。そうでなければ、三十年の波乗り生活は無意味であり、わたくしは人生をすってしまったことになる。そのようなことは全くありえないことだし、むしろわれわれはゲーテの学校にも入学資格をもつだろう。いかにして人は自分自身を知ることができるか。それは、「観察によってではなく、行為によってである。」と彼はいった。「汝の義務をなさんと努めよ。そうすれば、自分自身の性能がすぐわかる」と(『格言と反省』)。波乗りは、自分自身を知るための方法である。それはたんに自然の観察であるばかりでなく、自ら自然のなかに飛び込んで、波に乗る行為そのものによって、それと一体になることであり、合一である。われわれのミッションはそこに由来する。もし、われわれがドラッグなるものに関係があるとすれば、西洋の製薬会社でつくられたLSDのように一時的な流行ではなく、人間本来に求められたもっと根源的な何かだろう。

 「眠らないで、時々精神もうろうとなるのは、人間自然の要求である。それゆえにこそ、タバコを吸ったり、火酒を飲んだり、阿片を吸ったりすることが快楽になるのだ。」(『格言と反省』とゲーテはいったが、それが人間自然の要求であるなら、これを用いるのになんら問題はないはずである。アポロ的芸術家であるゲーテは、人間自然の要求を否定せず、快楽をも否定しない、肯定的精神を代表している。これに対して、東洋的否定精神から入ってディオニュソス的芸術家になったニイチェは、どう言っているか。・・・「あらゆる精気好きの連中に向かって、絶対にアルコ−ル類を遠ざけるよういくら真面目に勧告しても足りないのだ。水でいい。・・・溢れでる泉からくみとる機会がいくらでもあるような土地を、私は選ぶ。」・・・古代インドでは「ソーマ」という酒が宗教的祭祀に用いられた。ソーマの実体は今日に至まで、いろいろいわれているが、わたくしは本質的には「甘露」だと思っている。つまり、水だ。水にも、いろいろあることをまず知らねばならない。

 ニイチェはまた、「何か堪えがたい圧迫から脱しようとする時には、ハシシュを必要とする。」(『この人を見よ』)、と言った。彼のハシシュは、ほかならぬワーグナーの音楽だった。この若きワグネリアンは、やがてこれと決別する。彼はもっと深いものを求めていた。古代インドでは、バラモンが「定(じょう)」に入るときにハシシュを用いたのである。だから、ソーマのもとはマリファナだと信じる説もある。サーファーがもし、なんらかの向精神性物質を使うとすれば、これと同様に補助的なものであり、快楽を得ることが目的ではない。古代の宗教的儀式で酒が神に捧げられたのは、水を乞うためであり、水が生命の根源である。そして、精霊は水の上に漂うものだ。このことがわかっていたニイチェは、「<坐る>のはできるだけすくなくすること、大気の中で、自由な運動の際に生まれたのでないような、筋肉までも一の祭りを祝っているのでないような、そんな思想には決して信頼しないこと。」と、坐禅を真っ向から否定している。  

60年代のLSDブームは、それを摂取することにより、日常世界と隔絶した知覚体験を得られることから、一種の意識変革を錯覚したことによる。ハーバード大学の心理学グループはこれを研究して、その結果、インドでバクティのヨーガ行者を発見した。LSDによる至福体験は、精神的修行にとってかわり、薬が効いている一時的な状態でなく、瞑想によって、永続的に効果をもたらす方法であるとされたのである。ニューエイジ・ムーブメントの活動家は、その大半が禅センターから出たが、それに対してティモシー・リアリーなどは、古来の修行は自己を矮小化していくパターンにすぎないとして、これを否定した。彼らはニイチェを読んでいた可能性が非常に高いのである。そして、サーフ・バムの多くは、後者の考え方に従ったのではないだろうか。しかも補助として用いるそれは、LSDのような科学物質でなく、ソーマのような自然物質だったであろう。

陶酔飲料の一種であるソーマが、バラモンの苦行(タパス)に用いられたことは、それがモクシャ(解脱=究極的解放)と深い関係にあることに結びついている。そしていつのころからかバラモンは、<定>に入るために、ハシシを用いるようになったという。入定(にゅうじょう)の際たるものは即身成仏だが、これも<解脱>の一形態であり、サーファーがそれを用いるのは、波乗りが解脱の道にほかならことの証拠である。これを知らずにハシシやマリファナを使うことは外道であって、皮相的なファッション感覚にすぎない。まして精神治療薬として1950年代のヨーロッパで商品化されたLSDや、その他の向精神性物質は、そのサイケデリックな世界が宗教的見性体験とかんちがいされて、人間の知性が生み出した想像力を過信したのである。それは本質的な創造力ではなく、たんなる想像にすぎなかった。それは人間の欲望と想像力によって投映された映像である。ニューエイジの論客であるケン・ウィルバーは、人間の欲望が投影する幻の映像を<アートマン・プロジェクト>と名づけ、それを解消する方法を段階的に説明しようとした。そのかなりの部分が、フロイト、ユングの精神分析に端を発する性的倒錯に関わらなければならない理由は何か。その謎を解く鍵は、たとえばバラモンの苦行に秘密がある。この最大の秘密は、東洋思想とともにようやく十九世紀のヨーロッパで解読され、西洋の思想界を震撼させて、実存主義の誕生をうながした。この対極に発展したのが、フロイト・ユングの心理学ではないだろうか。心理学は社会に奉仕する。一方のモクシャは反社会的である。マハヴィーラはそれをカイヴァリヤ(kaivalya=絶対的孤独)と呼んだ。それは完全にひとりの境地になる道の修行だからである。それは反社会的である。解脱とは究極的解放であり、完全な自由を意味するが、人間を束ねた集団である社会は、その自由を束縛するところに意味があるから、絶対的孤独をゆるさない。つまりマーヴィーラや仏陀、それにキリストのように、絶対的孤独と完全な自由を達成した人は、異端である。そして社会がこのような異端を吸収したとき、それが体制内で宗教と呼ばれる。だから仏陀やキリストは異端であり、反社会的だが、仏教やキリスト教は反社会的ではない。それは社会的なのである。したがって、宗教は本質的に自由でなく、たえず社会的に拘束されながら、社会のなかで存続した。このように考えると、「波乗り宗教である」という命題は、成立する余地がない。なぜなら、社会がそれを宗教と認めるまえに、波乗りが社会に吸収されているからだ。すなわち、社会はそれが解脱の道であるよには、まったく考えていないと同時に、それを行なう者も大半が、そうとは信じていないのである。 Photo : Asian Paradise

 古代インドでソーマの名のもとに呼ばれていた陶酔飲料は、バラモンのタパス(苦熱)に用いられた。しかし古代ギリシアでは、「魔女の秘酒」によって、あのアポロですら制止できないディオニュソス的陶酔の衝動となり、やがてギリシア全土におよぶ。野蛮人(非ギリシア人)の祝祭の中心は、度はずれた性的放縦だった。陶酔飲料によって、自然のもっとも凶暴な野獣が解放され、その波が家族制度を無視し、尊敬すべき掟を破ってあふれ出すと、淫楽と残酷のいまわしい熱病的な興奮の混合物となりはてた。古代ギリシア人の秘祭は、これと和議を結び、「魔女の秘酒」を効果なきものとするために、「個体化の原理」の炸裂が芸術的現象に結びついたのである。最高な歓喜の中から、とりかえしのつかない喪失をいたむ声が切々とひびく。ギリシアの祝祭の中に、自然の感傷的な一面があふれだし、悲劇の様相をおびてきた。それをニイチェは、「自然が個体へと寸断されるため息」(『悲劇の誕生』)と聴いた。彼もまた、自然との融合帰一を目指して、自己を模索したのである。

 ところで、われわれは太陽の曙光を求めて、東へ東へと旅して、ついに西にでた。われわれは古来、西の方角に強い感心を示してきた。西方浄土、という。わたくしの家の前の海岸をまっすぐ東にすすむと、地球儀上では、カリフォルニアのどこかに上陸するはずである。われわれから見ればカリフォルニアは東だが、西洋人の新天地アメリカでは、西の極地、夢と謳われた黄金州だ。あけぼのの薄暗いうちにいち早く起き出して、太陽を待ちこがれていたくせに、太陽がのぼってくると、目がくらんでしまう人のような気持ちを、ゲーテは学問において味わった。また、彼はこうも謳った。「アメリカよ、君は、われわれの古い大陸より工合がいい。君は、崩れた城も玄武岩も持たない。こころのなかで、活気づいた時に、無益な思い出や、むなしい戦いに妨げられもしない。」(『温順なクセーニエン』)そうして、こう言ったのである。「愚なことは、多少の理性で補ってやろうとするより、そっくりそのままにしておく方がいい。理性が愚とまじわると、その力を失い、愚も愚なりに往々役に立つ性質を失ってしまう。」・・・愚なことの、際たるものが禅であり、大愚だった。

ところが、波乗りは宗教ではないが、自由と解放の道であるから、神秘主義であることが、次第に明確になってきた。神秘主義は宗教になるべきものが、純粋に残ったものであり、その意味で反社会的である。イエスや仏陀を、社会的に見れば、立派な人とはいえないだろう。王族出身の仏陀は妻子を残して城を捨てたし、イエスはフーテンだった。しかし、ある一部の熱狂的な波乗り信者が見すえる究極の人間像は、まさにイエスであり、仏陀のような人であって、またその教えである。なぜなら、彼らは<光明>を見たからだ。イエスは社会に代わるものとして、ほんのわずかな信奉者の集団をつくった。それはアシュラム(道場=宗教的共同体)という、反社会勢力として、存在した。そこではわれわれをいっさい縛ることなく、全面的に自由にする手段や、方法が考え出され、社会ではない社会を創ろうとする真剣な試みがなされていた。存在する多くのアシュラムは、社会の偽金をつかませれて、みな偽物に堕落する。だが、ごく一部の修道院は社会に代わって、ずっと存在してきた。サーファーがいまだに、<スクール>と呼ぶのは、この修道場のことである。ニュースクールもあればオールドスクールもある。ここでは輪廻の車輪が逆回転し、ウィルバーのいう内化(退歩)の現象が起こっている。ちなみに、「内化とは、進化の反対である。内化は、ブラフマンが現象世界を想像するために、みずからを外に向かって投げ出す運動であり、自己空化のプロセスであると同時に純粋な行為、純粋な創造性のプロセスである。」これはヒンドゥーの世界観だが、現象界全体の表面的な進化の運動を裏面から支えているのが、内化という陰の存在であり、この両方がなければ世界は成立しないのである。この陰であるべき存在は、みずからを空しくして、<純粋の源(ピュア・ソース)>でなくてはならない。イエスは、このようなヒンドゥーの世界観を熟知していたので、東洋人のわれわれは彼の言説に違和感を感じない。ところが、ユダヤの民にとってそれは異端であるばかりか、異国の教えだから、彼は処刑されなければならなかった。イエスの教えが多数者にとっての危険、すなわち<ドラッグ>と認定されたからである。( Sep. 28 , 2002 ) ユーゴスラヴィアのデサニ修道院の壁画とされる不思議な絵。右上に、サーファーが胎内でチューブに入っているような天使のすがたが描かれているが、これは球形の飛翔体と考えられる。

 そして今や、禅もドラッグ同様に、補助にすぎない。・・・「個人が瞬間ごとにみずからの幻想の境界を再創造するのと同じように、リアリティは瞬間ごとにそれらを取り払おうと企てる。これがタナトスであり、その真の意味は超越である。」と、ケン・ウィルバーは言った。ウィルバーを読むことは現代における優れた苦行であり、知のヨーガでありうる、と言われているらしい。タナトスとは、エロスと反対に進む力である。ヨーガも、禅と同じく、超越の手法であろう。超越の第一歩は、閉じることではなく、開くことだ。閉じるのは、保存にすぎない。保存は円運動であり、停止である。停止は、種子のままとどまること。安全の謂いである。開くことは、さらすことであり、危険にさらされることである。タパスとは、集中により、体内に熱を生じることだ。アメリカ・インディアンは身体の外の熱を置く。テントの中で石を焼き、車座になって、チャンティング(読経)を捧げる。場合によっては、ペヨーテ(薬草)を使う。いずれも、火に関係する、宗教的儀式である。この火と熱は、閉じたものを開くのに有効である。なぜなら、あらゆる創造は、自熱より生ずるからだ。この自熱を生じる技法がタントラであり、タパスとよばれていたものが、のちにヨーガとなった。波乗りとドラッグにもし重要な関係があるなら、それはニューエイジ運動とLSDブームに関係づけられるような皮相的なものではないと、わたくしは信じている。                                   

( May 27 , 2002 )

 

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86:唯一者とその所有

 ここまできたら、わたくしは「精神の三態の変化」について、衷心を述べなくてはなるまい。それは、「精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、かくて最後に獅子が小児になる。」三態の変化である。・・・ところで、わたくしは『波乗りと精神』と言いながら、ここまで孤独の散歩者の夢想を繰り返しながら、ただの一度も、「精神」という言葉の定義ひとつ下さずに来た。だから、これは『波乗りと精神』の第一部であり、「あるサーファーの手記」という名のもとに、書き下ろされてきた、いわば日記のようなものである(各項の末尾に日付けがあるのはそのためだ)。さて、ここまでさんざん多弁を労してきながら、いざ「精神」とは何かと自らに問うて、直ちに答えられない自分を発見する愚に、ただ驚くのみ。これを評して、何といえばよいか言葉もないのである。人間はただの「愚者」にすぎないのか。シュティルナーなら、こう言うだろう。・・・「この日頃の新聞をみて、俗物どもの語るところをきくがいい。そうすれば、人は愚者と一つ家に閉じ込められているとの恐るべき確証をうるだろう。<汝は汝の同胞をゆめ愚者とそしるなかれ、さもなくば云々>。だが私は、呪詛も恐れず言いきろう。わが同胞どもは骨の髄まで馬鹿者だ、と。」

筆者は丸一年、『波乗りと精神』を書き続けてきたが、あらためて<精神>とは何かを問うわけである。ここで十九世紀ヘーゲル左派の哲学者マックス・シュテルナーの『唯一者とその所有』が唐突に出てきたのは、筆者の<直観>であろう。日々うつろう波と、それに応じてうつろう心は、行雲流水である。あるいは無常遷流(FLOW)といってもいいが、自然と一体になった心と身体が、日々に生起し消滅する直観を書きつづったものだから、筆者はこれを「日記」と言いはじめたわけである。なぜなら、直観で書きつづったものは、その筆者にも解読できないことがあるからだ。それは読者への弁解というより、自分自身に対するおどろきであり、人間の理性に対する不信でもある。自己の内部で崩壊したこの論理的理性を、筆者はここで「愚者」と名づけ、あらためて精神とは何かを問うのである。本稿の流れは1970年代の<カリフォルニアランド>に到達しながら、あたかもドルフィン・スルーに失敗したサーファーのように、ふたたび十九世紀前半のヨーロッパに引き戻された。それは連続的発展とみる歴史の流れが、思想の領域において、この時期大転換を遂げたからであり、ニューエイジも当然この流れに無関係ではない。具体的に言うと西洋の<近代思想>は、人間の理性を中心として、自然や世界を合理的に処理し、人間中心的な文化を調和的に築きあげようとする志向ををもって生まれ、十八世紀の<啓蒙思想>に結晶した。それは、人間理性に全幅の信頼をおき、この理性にもとづいて世界に対処するとき、いっさいは秩序のなかによみがえり、文化の進歩というかたちで、人類の輝かし未来が約束されていると信じるものである。こうした啓蒙主義は、現実の政治・社会の諸問題や学問・芸術・思想の諸問題に及び、理念的には合理主義、理性中心主義の考え方によって、すべてが解決されるとした。ある時代の文化社会の根本的な思想理念は、現実には個々の分野でさまざまなかたちをもってあらわれるが、時代を導く根本的な原理を把握し、論理的な表現を与えてそれを自覚するのは、哲学の使命である。ヨーロッパの近代思想にあらわれた啓蒙主義を完成に導いたのはカント哲学だといわれているが、それは啓蒙思想の完成であると同時に克服であるともいわれ、カント以後のドイツ観念論はヘーゲル哲学において、合理主義的思潮に加えてロマン主義的な視野をもち、近代思想はその絶頂に達した。近代思想によれば、この世界の生成発展の支配者は精神であり、理性であり、理念であるとされ、それが自己を弁証法的に低い段階から高い段階に向けて高め、より自由な自己実現に向かって進むと考えられた。したがって、世界を自由の意識における進歩の過程であるとみなす歴史観、いわゆる進歩史観はここに存する。ここでは人間の意識が、主観・客観の対立関係を越えて、存在全体を自己の内に包み込み、一種の神的状態になっている。すなわち、人間精神が絶対者としての意識となり世界を支配すると考えるので、人間中心主義の思考が神化され、絶対化された。ヘーゲルによる哲学とは、宗教が神として表象するものを概念として思考することであり、理性の立場にありながら神的となり、世界を支配する摂理を概念的に展開するものであった。このような近代思想は、西洋思潮に支配的だったキリスト教的な神中心主義と人間中心のギリシア的な合理主義とを宥和し、人間理性の高次なレベルで両者を統合するものとして、西洋思想全体の完成を意味していた。要するにヘーゲル哲学は、知るかぎり西洋思想そのものであり、近代の完成である。ところで、われわれがいま生きている現代は、人間と神がみごとに結晶した近代思想の遺産を引き継ぎながら、実際には、その崩壊によって生じた<現代思想>のまっただなかで生きているわけだが、この近代思想が現代思想に生まれ変わる根っこの時代を、『唯一者とその所有』のマックス・シュテルナーは生きた。 波乗りおいては、波とサーファーの関係が、<唯一者とその所有>となる。それはいかなる摂理によるものか?

Padang overview . Photo : Asian Paradise

 マックス・シュティルナー(1806ー1856)は、ヘーゲル左派に属するドイツの哲学者で、ニイチェらに多大な影響をあたえた。人間はまだ一般者にすぎず、自我こそ真の唯一者であり、いっさいの唯一者としての自我の所有であるとする。その主著『唯一者とその所有』(1845)を発表し、フォイエルバッハと論争するなど思想界の注目を浴びたが、1948年の革命後はまったく忘れられ、不遇のうちに生涯を閉じた。だがこの主著こそ、全編、これ「精神」の定義のために書かれたような書物なのである。そこでニイチェの「三態の変化」について述べるまえに、ニイチェに影響をあたえたシュティルナーによって、わたくしは「精神」について、しばらく考えてみようと思う。

 「精神が語るところの言葉、精神がそこに自らを露わすところの啓示、それが精神の世界である。一個の幻想者が、自らの創りあげる幻想の形象のなかにのみ生きて、自らの世界をもつのと同様、一個の愚者が独自の夢想界を創りだし、それなくしては決して愚者でありえないのと同様、精神は、自らの精神世界を創出しなければならず、その精神世界を創りだすまでは、それは精神ではない。」・・・すなわち、精神とは何であるか。それは、一個の精神的世界の創造者なのである。精神がその作物において認識されるのであるからには、その作物がいかなるなるものであるかが問われなくてはならない。精神の作物あるいは精神の子供とは、しかし、精神以外の何ものでもありはしない。一個の精神的世界によってのみ、精神は、現実に精神であるのだ。われわれが精神的なるものを体現したとき、つまり思想が、すでにわれわれにも閲覧に供されていたこの思想なるものが、まさにわれわれの中で命をあたえられるのをみてはじめて、人は、君にまた私に、精神をみとめる。

 君はすべてこれ精神だ。もし、誰かにこういわれた場合、君の肉体はいったい君の精神とどういう関係にあるのか。なるほど君はたしかに精神を<所有>しているが、ただ精神として存在しているだけでなく、一個の肉体をそなえた人間なのだ。こうして君は依然として、君の精神から、君自身を区別する。だが、君は死によってその肉体を脱ぎすて、しかもなお君自身を、つまりは君の精神を永遠にわたって保ちつづけるであろう。これもまた同様に確かである。ならば、君の精神こそは、君における永遠なるもの、真実なるものであって、肉体とはただこの世の仮住居、捨てられもすれば他の何かと替えられもするような寓居でしかないのだ。たしかにいまでこそ君はただ精神だけではないとしても、いつか死すべき肉体からさまよい出なければならなくなったとき、君は肉体なしでしのいでゆかねばならぬことになる。であればこそ、君は備えをおこたらず、機の失せぬうちに君本来の自己のために慮ることを余儀なくされるのだ。「全世界を克ちうるとも、霊魂を損なわれては、何になろうか!」ここで君は、たとえ無神論者であろうとも、霊魂不滅の信者と声をあわせる。

 われわれはこの機会を利用して、現代思想の誕生に立ち会ってみよう。具体的には一八三一年、ヘーゲルの死を境に近代思想は、その絶頂をきわめたヘーゲル哲学の分裂とともに崩壊し、ほとんど同時に現代思想の胎動がはじまった。十八世紀末から十九世紀にかけて、ヨーロッパにはフランス革命後の混乱がある。一方では、十八世紀のイギリスで始まった産業革命が、手工業にかわる大工業化によって資本主義を加速させ、大量生産による生活文化の激変が、新たに労働問題という重大な社会問題をひきおこした。一七八九年にはじまったフランス革命は一七九九年、ナポレオンの軍事力によっていったん平定されたが、かえってそれはフランス革命の自由・平等の精神を西欧全体にひろめる結果となり、ナポレオンは一八一四年に失脚する。そこではじまったウィーン会議は保守反動の体制を敷いて混乱の収拾をはかったので、さまざまの民主主義的要求をかかげて各地で暴動が起こり、ヘーゲルが死ぬ一年まえの一八三〇年には、フランスで七月革命が勃発。西欧諸国は、三十年代から四十年代にかけて、政治的・社会的に大きく揺らいだ。このような十九世紀前半の現実世界における混乱は、もはやヘーゲルを絶頂とする調和的全体は不可能であるという時代意識となって、理性的な近代思想を瓦解させたのである。結果的にヘーゲル哲学は左右両派にわかれたが、右派は問題にならず、左派および<マルクス主義哲学>がドイツで起こった。現代思想は結局、十九世紀の時代的混乱を背景の起こったために、理性的調和を失った現実存在の凝視という地点から出発している。そこで現実対処の方法として、イギリス・フランスで<実証主義哲学>が生まれた。そしてもうひとつが、後期シェリングとキルケゴールによってはじめられた<実存主義哲学>であり、現代思想はこの三つの哲学に支えられて今日に至ったのである。ところがヨーロッパ産のこのような既成の哲学では、もはや人類の救済は不可能であり、現代思想は現実に対処できないまま新しい思想を必要としているが、それを誕生させるにはどうしても東洋思想の参加を待たねばならない。一九七〇年代にアメリカ西海岸で起こったニューエイジ・ムーブメントは、こうした現代思想の危機的状況のなかから生まれてきたのであるが、人類を導くほどの指導者はいまだ現われていない。

Topanga Beach , California . Photo : Asian Paradise

 一つの理念すなわち何らか精神的なるものに生きることをせず、そのために自らの個人的利益を犠牲にすることをせず、利益に仕える、そのような人間として君はエゴイストを思い浮かべる。個人的なるものを、精神的なるものより優位におくゆえに、また、人が何らかの理念のために行為するのを願うところで自分にかまけているがゆえに、君はエゴイストをさげすむ。諸子とことなるところは、君が精神を中心とするのに対して、彼は自己を中心にすること。あるいは、君が自らの自我を二分して、君本来の自我すなわち精神を、その他価値なき部分の支配者に祭りあげるのに対して、彼がそのような二分を知らず、精神と物質の利害関心を自らの好むがままに等しく追求することにある。このようにして君は、まさに何ら精神的関心をいだかぬ人々をとがめると称して、実は、精神的関心を自らにとって「真にして最高なるもの」とみなさぬ人すべてを呪詛しているのだ。だから君は、この美女に騎士として仕えるあまり、君は君自らに生きず、君の精神に、そして精神の所産たるもの、すなわち<理念>に生きているのだ。

 最初の創造は、「無から」、現れねばならない。すなわち、精神は自らの現実化のためには自己自身以外の何ものも持たない。というかむしろ、精神は未だなお全く自らを持たず、ゆえにまず自らを創り出さねばならないのである。つまり、精神の最初の創造は、それ自ら精神ということになる。精神は君の<理想>であり、及びえざるもの、彼岸となる。すなわち、精神は君の・・・神となるのだ。「神が精神となるのだ」。純粋なる精神、かかるものとしての精神は、ただ人間の外にしか、ただ人間界の彼岸にしか、地上的にではなく天上的にしかありえないからである。自我と精神とがおかれたこの分裂からしてのみ、自我と精神とは一個同一なるものの名辞ではなく、全く異なるものの異なる名辞であるがゆえにこそ、まさに自我は精神ではなく精神は自我ではないことのゆえにこそ、精神が彼岸に住まうものであること、すなわち神であることの必然が、全く同義のこととして明らかとなる。

 「精神(霊)たちは存在するのだ!見よ、世界を!」・・・山々の頂きからは崇高の精神がその息吹をよせ、水には憧憬の精神がぞよめき、人間の内からは百万の精神が声をあげる。山々は沈み、花は枯れ、星の世界は凋落し、人は死ぬ・・・さあれ、かかる可視なる具体の没落がなんであろう。精神は、この<不可視なるもの>は、永遠に残るのだ!・・・わたくしが、<波乗りと精神>というとき、いつも心に描いてきたのは、ジェリーの面影である。わたくしの精神霊を、呼び起こし、揺り動かしたのは、ジェリー・ロペスだ。いまこの瞬間に甦った彼の言葉を、もう一度、繰り返そう。・・・WILD SEA , OLD MOUNTAIN, THE EVERLASTING BLUE SKY--- DAWNLIGHT BRINGS FRESH THINGS.....はてしない青空は永遠の精神の表象だろう。故山は沈み、星は凋落しようが、夜明けは永遠に新鮮の気をもたらす。世界が「無」であろと、「空」であろうと、「空無」であろうと、ただ誘惑のまぼろしであろうと、真実はひとり精神のみである。  しかし、同時にキリスト者によって、本来的精神もしくは本来的霊とは人間なり、という真理が明るみに出された。身体をそなえた、もしくは肉ある精神とは、まさに人間である。人間そのものが、恐るべき本質であり、同時に、本質の現象と実存、もしくは実在なのだ。まさに精神が諸君を所有し、精神からすべての<示唆>がもたらされるがゆえに、それは霊感・熱狂と名づけられた。さらに全き熱狂は、狂信とよばれる。狂信はまさに、教養ある者たちをこそ根城にする。なぜなら、人は精神的なものに関心するかぎりにおいて教養をうけ、精神的なるものに対する関心は、それが生気をうるときには、狂信となり、また狂信であらざるをえないからなのだ。

 精神と自我から<霊魂不滅>を説くマックス・シュテルナーの「エゴイスト」論は、道元禅師が先尼外道の物語として否定するところと、よく比較検討する必要がある。しかし筆者がヘーゲル左派に思いを馳せるのは、シュテルナーと論争したフォイエルバッハ(1804ー1872)にも見られるように、これらの人々は思弁を嫌って現実とかかわり、実践的態度のなかで問題化したため、書き残したものは体系的でなく、またその思想の革新性と急進性のゆえに、ほとんどの人が生活上の挫折者となったことである。彼らは革命的意見の相違のため、おたがいに喧嘩が絶えず、転換期に生きた一種の<例外者>にほかならない。この例外者はのちに<アウトサイダー>として表面化されるが、それはこの稿の第二部にゆずる。ところでヘーゲル左派は、シュトラウスの『イエス伝』(1835)を契機に成立した。これは神的なものを精神の立場から問題化するヘーゲルの隠された無神論を徹底し、福音書の神話性を暴露し、キリストとは人類の理念の実在化であり、不死とは理念への高揚であるというように、宗教を人間学的に理解した。ここから福音書は、福音書作家たちによる創作であり物語にすぎないという無神論が煽られ、ヘーゲル哲学をキリスト教国最高の哲学と説くヘーゲル右派は偽善者ときめつけられた。フォイエルバッハはこうした宗教批判のなかで、『キリスト教の本質』(1841)を書き、神とは人間が自己自身についてもっている無限の意識であり、人間の自己が疎外されたものにほかならないとした。神は人間の内面のあらわれであり、したがって宗教は、人間の内面的な思想の告白であり、愛の秘密の告白である。ここに宗教の彼岸性は破壊され、フォイエルバッハは人間的自己の疎外された神をふたたび人間化し、人間のうちに取り戻そうとした。ここで注目すべきは、「この本がどんな開放的な作用をしたかは、みずから体験した者でなければ想像することさえできない」と言ったエンゲルス(1820ー1895)の言葉である。すべての人がたちまちフォイエルバッハ主義者になったと語りつがれたというように、近代思想の崩壊とともにキリスト教の凋落が、思想的混乱に拍車をかけたのである。( Sep. 30 , 2002 )

Photo from the Boccaccio of the 1970's .

 それの必然にゆきつくところはすなわち、<全的>人間はその全能力あげて自らを宗教的なるものとしてあらわすこと、それである。心と感情、悟性と理性、感ずること、知ること、望むこと、要するに人間におけるすべてが、宗教的に現われる。あらゆる熱狂がそうであり、事実はまたその通りなのだ。            

( May 28 , 2002 )

 

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87:三態の変化

 <超人>を説いたニイチェの『ツァラトストラかく語りき』のなかで、精神の「三態の変化」は、序説につづく言説のはじめに出てくる。現代の流人として流されていったわたくしが、わらをもつかむような気持ちですがりついた一冊。それが離島の本屋で見つけたこの本だった。新潮文庫版の上・下二冊本の、上だけを買って帰り、すぐまた下を買いにいったことを忘れもしない。もう、十六年もまえのことである。竹山道雄の翻訳になるこの本を経袋に入れて、わたくしが持ち歩いていたことは、どこかに書いたかもしれない。その後、島からもどって、世界の名著版で手塚富雄訳に接した時、まるで他の本を読むような気がした。翻訳者はまめな媒酌人と見なされるといったのはゲーテだが、彼らは、なかばヴェールにおおわれた麗人をこのうえなく愛らしいものとたたえ、本物をみたいというやみ難い気持ちを起こさせる。ダダイストの高橋新吉は、「ネッカル川のほとり」という随筆のなかで、『ツァラトストラ』との邂逅について述べているが、彼は手塚訳に接するまで、ニイチェの醍醐味を味わうことができなかったと告白している。わたくしは手塚氏の文章により、太宰治が登張竹風訳による『如是説法ツァラトゥストラー』を蔵書としていたことを知り、昭和十二年五月十四日印刷の普及版を手に入れたが、いつも途中までで、まだ通読していない。一度、記憶してしまった文章の拘束からのがれることは、困難をともなう。

 そもそも三態の変化とは、「精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、最後に獅子が小児となる」ことだった。<駱駝>は砂漠で重いものをしょって歩く動物である。強くて、負うに耐え、しかも畏敬を内に秘めた精神は、駱駝のように、担うべき重圧は多い。向上する精神の第一段は、強靱な受動性にある。負うに耐える精神は、最も重いものを要求する。「もっとも重いもの」・・・それは1)自分自身のおごりを反省して、それを打破すること。すなわち自分を低くし、自分の愚かさを外に出すこと。2)わが事の勝利を祝うときに、そこから離れること。また、誘惑者をいざなうために、高い山に登ること。3)草の実によって露命をつなぎ、真理のために魂の飢えを忍ぶこと。4)病みながらも看護人を家に帰らせ、己を理解しない人間のなかにもあえて生きること。5)真理の水であるならば、どんなに汚い水のなかに入ること。6)われらを軽蔑するものを愛し、新しい思想が芽生えたときには、それがどんなに恐ろしいことでも、それを追究し獲得すること。・・・これら最も重いことのすべてを、重荷に耐える精神は担い、砂漠を急ぐ。

 しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化がおこる。そのとき精神は<獅子>になる。この砂漠で彼はあるじになろうとし、彼を最後に支配した者を呼び出す。この者すなわち彼の最後の神(精神を拘束する道徳)に対して、敵となって、巨大な龍と勝利を争う。精神がもはやあるじと認めず、神と呼ぼうとしない巨大な龍とは、そもそも何か?「汝なすべし」(道徳的義務)。それがその巨大な龍の名である。さて、獅子の精神はいう。「われは為さんと欲す」と。だが、龍のうろこには千年にわたるもろもろの価値体系が、うろこの一枚一枚にまで、金色に輝いている。「いっさいの価値--それはわたしである。もはや、<為さんと欲す>は、あってはならない。」と龍は言う。いったい、何のために精神は獅子を必要とするのか。なぜ、重荷をになう諦念と畏敬の念にみちた駱駝では不十分なのか。

 フォイエルバッハの現実存在の哲学は、生きた社会的人間観の提起であり、人間の新しい時代の到来を叫んだものだが、それは社会的人間の理想を説いたために、ヘーゲル左派の政治批判は、一八四〇年代ごろから峻烈をきわめた。シュテルナーのエゴイズムは批判され、自己疎外の止揚は、実践的(社会主義)革命によってのみ可能とされる至って、天上(宗教)の批判は終わり、地上の批判者として資本主義の矛盾を凝視したカール・マルクス(1818ー1883)の登場は必至の情勢になったのである。これに対してイギリスやフランスで起こった実証主義哲学は、自然科学の隆盛にともない、現実存在を客観的な眼で観察し、経験的事実に即し数量的に一般化して、実験によってこれを吟味する手法をとった。自然を対象化し、その法則を明らかにして、それに従うことによって、かえって自然や世界を支配する技術文明を招来したのであり、現代社会が産業革命に起因する資本主義社会として成立し、近代から現代へ転換した核心のひとつはここにあったのである。このさきがけをなしたのはフランスにおけるコント(1798ー1857)であり、イギリスではジェームス・ミル(1773ー1836)と、コントの実証主義精神に影響を受けたジョン・スチュワート・ミル(1806ー1873)の親子であった。J・Sミルに代表される英国功利主義思想は、つよい政治的社会的関心によって支えられ、自由主義にもとづく社会改革を意図するものだが、そこにはたくましい実証的な科学精神が宿っていたのである。この近代科学の実証主義や、ヘーゲル左派・マルクス主義による社会的人間観の提起に続いて、ほぼ同じ時期に実存主義哲学が台頭してきた。われわれはすでにキルケゴールやニイチェ、サルトルらによって、断片的ではあるが実存主義の思想をみてきた。それは科学や社会・歴史との関係において人間をみるのではなく、単独者としての人間存在の根源にもとづいて、時代的視野をも突き抜けた人間と世界の永遠的な謎にむかって、自己の覚醒を自他ともに問う性質の哲学であり、われわれの『波乗りと精神』においてもっとも重要な現代思想である。ニイチェが登場したビスマルク時代のドイツは、普仏戦争(1870ー71)に勝って国民的統一を成し遂げ、科学技術を謳歌し実利的発展をめざして大規模な近代化をはかっていた。その結果招来した有意義な人材の発掘と養成は、おのずから実際に役立つ効用を重視し、学術文化も専門分野に細分化され、専門家と大衆を取り結ぶジャーリズム文化が唯一の教養とみなされるような俗物横行の社会だった。このようなドイツ文化を、ニイチェは激しく憎んだ。人間の生き方に反省を強いるニイチェの実存的思考は、卑俗な大衆文化のうちに人間の頽廃をみとどけ、安易な生き方によっては実現しえない真の自己の確立と陶冶を叫び、天才の文化を圧殺する社会の慣習・制度に徹底的に反抗した。ニイチェは、彼岸的世界を真の世界とするキリスト教を否定し、神の死を宣言したことにより、彼岸的価値にもとづく生存の目的を空洞化したが、かえって無意味となった世界のなかで生を肯定する<力への意志>を説き、超人と<永劫回帰>の思想を結晶させてゆく。 洗礼者ヨハネより洗礼を受けるキリスト。マクシミアヌス司教の象牙製の椅子部分。六世紀中葉 ラヴェンナ。

 新しい価値を創造すること・・・それはまだ、獅子にもできない。しかし新しい創造を目指して自由を獲得すること。それは獅子の力でなくてはできないことだ。自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、新しい価値への権利を獲得すること、これはよく忍び、よく耐え、かつ畏敬ある精神にとっては、あまりにも恐ろしい取得である。まことにそれは掠奪である。一個の猛獣にして初めてなしうる行為である。いまや、自分が愛していたものから離れ、自由を獲得せねばならない時が来た。この強奪のためにこそ、精神は獅子を必要とする。獅子ですら為し能わざる何事を、小児が為しうるというのか。いかなれば、掠奪する獅子は、<小児>にまで転生せねばならないというのか・・・?  「小児は純真である。忘却である。新しい発端である。遊戯である。自らまろがりいずる車輪である。第一の肯定である。聖なる肯定である。そうではないか、・・・わが同胞よ、創造の遊戯には聖なる肯定を必要とする。いまや、精神はみずからの意志を意欲する。かくして、世界を失った者は、みずからの世界を獲得する。・・・われなんじらに精神の三態の変化を説いた。精神は駱駝となり、駱駝は獅子となり、かくて最後に獅子は小児となる。」 ・・・どうだろうか?ここに述べられている思想の支えによって、わたくしは離島の四年三か月をかろうじて、生きのびることがたのである。何が、どのように、苦しかったのか。わたくしが小説家であれば、それを書くだろう。いまはただ、精神が駱駝となり、駱駝は獅子となり、最後に獅子は小児にまで転生したことを述べるほかない。

 この小児はしかし、ニイチェの用語法でいえば、<金髪獣>である。それはほからぬこの自分だった。わたくしが毎日の波乗りで、金髪になったのは、あの四年間である。・・・「風吹けば、海に無数の、乳房あらわる。われは、そに戯れる、小児なり。」という、歌だかなんだか知れない、一句が残っている。小児らは渚に戯れていた。・・・そこに波がうねり来って、彼らの玩具を海底へ奪い去った。これによって、小児らは泣いている。さて、この同じ波が、小児らに新しい玩具をもたらすであろう。しかも、見るからに美しい五彩の貝殻を、彼らのまえにまき散らすだろう・・・!  この小児の<遊戯>は、リーラである。<リーラ>は神の創造の聖なる遊戯である。そして、自らまろがりいずる<車輪>は、サンサーラだ。<サンサーラ>とは車輪、すなわち輪廻である。ニイチェの神秘体験は、世に有名な「永劫回帰」であり、ニヒリズムの極北ともいわれるが、これは仏教の「輪廻の思想」に等しい内容をもつ。『ツァラトストラ』第一部は、1883年2月3日から13日まで、わずか10日で書きあげられたという。シルヴァープラナ湖畔の神秘体験から、懐胎期間十八ヶ月である。わたくしは仏教的に解釈を試みようとしたが、この「三態の変化」はむしろ、キリスト教によって意味と価値を与えられてきたヨ−ロッパ精神史の比喩だとされる。それは人類の運命を問題にした書だ。ニヒリズムとはいっさいの無意味化、否定でありながら、ニイチェはあくまで地上的な<超人>を説いて、「生の肯定の最高形式」を生み出した。それが『ツァラトストラ』である。

 前出梅原猛の『仏教の思想』の中には、しばしばニイチェの名前が登場する。なかでも禅門で珍重されている『碧眼録』と『無門関』について述べたところで、梅原氏は「三態の変化」に言及した。・・・「やはり彼ら(『無門関』と『碧眼録』の筆者)は、ひとりの注釈家ではなかったか。彼らの文章がどのようにすぐれているにせよ、それはやはり、注釈家・解釈家としての長所をもった文章ではなかったか。もとより彼らはすぐれた禅者であった。そして、すぐれた禅者でなければ、すぐれた禅者の言行はわからない。しかし彼らには慧能や、臨済や、趙州がもっていたような、あの無私の創造性のようなものが、やはり欠けていたのではないかと思う。すべての精神世界の創造者、その創造者には、かならず無私の精神がある。それは、ニイチェが語るような小児の心である。小児の心のないところ、そこに創造性はありえない。禅は、なによりも自由精神を尊ぶ仏教である。そしてそこに尊ばれるのは創造性である。慧能は無相を説き、臨済は無位の真人を説く。ひとりひとりが、自由な法身でなくてはならない。」・・・梅原氏はここで「ニイチェが語るような小児の心」で済ませているが、具体的には『三態の変化』を読んでこの比喩を理解し、それを「無私の創造」に結びつけ、自らに転嫁して自己実現に資するのは容易ではないだろう。なぜなら、聖なる肯定形式を実現し新しい価値を創造するためには、精神を拘束する道徳的権威を否定し、社会と対峙する獅子のような勇気を必要とするからである。筆者は波乗りを、<聖なる肯定形式>としてとらえ、<創造の遊戯>として自らの世界を獲得するためには、まず自らの世界を失わななければならなかったことを、「流人」と述べたのである。向上する精神の第一段階は強靱なる受動性であり、担うべき社会的重圧に畏敬をもって耐え、道徳的責務を誠実に果たし、よく忍従する精神であった。この駱駝の精神が、獅子になるためには、千年の価値体系に反旗をひるがえし、旧来の価値転覆をくわだて、巨龍(道徳的権威)とあえて戦わねばならない。このとき従来の幸福と、さらに、理性と道徳が嘔吐にかわる。それはわれわれが体験しうる最大ものである。このために精神の駱駝が、獅子に転身することは、蛮勇をふるうともまず起こらない。それはあまりにも恐ろしいことだからである。あなたは生きたまま地獄の責苦を味わう。人間を愛する者は十字架の上に釘けになる。また真に正義の人は炎であり、炭である。かくして子が親になるのでなく、親が子になる。これが精神の三態の変化である。  

Death desert, victim of a harsh summer .
Photo : Asian Paradise

 ところで、なりゆきとはいえ、われわれはいましがた「前超の虚偽」というウィルバーの指摘を見たてきたばかりである。前・超とは、彼の用語で前個的状態と超個的状態をいう。前個的状態は<小児>であり、超個的状態は<超人>に対比することも可能であろう。ウィルバーの心理学においても、幼児期の融合状態は確かに一種の<楽園>である。しかし、それは前個段階の無知であって、超個的な目覚めではない。ところが、前個的潜在意識と超個的超意識は、ともに<統一性>であることにかわりはない。この「二極間のおどろくべき旅」が、『アートマン・プロジェクト』の物語だった。・・・小児の純真とは、無垢と無知の楽園であって、自己意識への堕落以前の状態である。これは超意識という超個的楽園とは区別されなくてはならない。これが「前超の虚偽」だろう。前個的の前はプレ、超個的の超はトランス、である。両者の差異が、意識のライフサイクルの全体であった。

 話は前後する。シュティルナーと論争したフォイエルバッハの神学的見解によると、英雄は、彼岸におもむくのではなく、彼岸をこちらに引き寄せ、彼岸を此岸たらしめることだった。此岸こそが肝要であり、天上は地に訪れなければならず、この場所で体験されねばならぬのだと。人間の最高の本質は、人間の最高の存在である。最高の存在は神とよばれ、ひとつの対象的本質とみなされているが、真実のところそれは単に人間自身の本質にすぎず、それゆえ世界史の転回点は、以後人間にとって、もはや神が神としてあらわれるのではなく、人間が神としてあらわれるべきである、ということになる。

 小児は自ら輾(まろが)りいずる車輪である。この車輪はサンサーラであり、ニイチェは、ショーペンハウエルのペシミズムに学んだ。車輪は輪廻であり、ニイチェにおいては永劫回帰の思想として、生の最高肯定形式に結晶した。その過程でニイチェの思想は、『悲劇の誕生』で見たようにソクラテスの名において科学を否定しながら、ショーペンハウエルとワーグナーに決別する『反時代的考察』のころからしだいに、むしろ実証主義的な立場にかわり、今度は科学的真理を武器に形而上学的意義を否定して、生の無意味さ(ニヒリズム)について語りはじめる。「神は死んだ」と叫んで、いまや真実は彼岸になく、この此岸的世界にしかないと宣言してから、ニヒリズムの克服につとめ、力への意志を説く。無意味の世界の有意味化については、永遠の繰り返しを反復することを自ら望むように生きること、それ以外に生の肯定はありえないと考え、晩年の『ツァラトストラかく語りき』で超人を説くに至った。生の肯定は、力への意志であり、生とは、自己の生存を維持し高揚させる永遠の生成にほかならない。すべての生がもつ力への意志とは、うつろいやすいこの生の消滅性に反逆し、永遠の生存を自ら意志するものであり、自己の生を最高度まで高揚させることによって、生の絶対肯定に至るであろう。力への意志によるこの永遠回帰の体現者、すなわち超人であるとニイチェは考えたのである。・・・このような超人が、なぜ小児でなければならないのか?・・・「小児は純真である。」そして、「忘却である。」過去のいっさいを忘れ、過去を断ち切ることによって、はじめて小児は「新しい発端」になることができる。精神がみずからの意志を意欲するためには、まず過去の生をすてること。それはとりもなおさず、たった今、現在の生において自分がいないことである。自我は消え、無我に昇華した。かくして、世界を失った者は、みずからの世界を獲得する。ニイチェが到達したこの世界は東洋的、仏教的であり、そこには禅が尊ぶ自由な精神や無私の創造性があり、それはひとりひとりがそのままで自由な法身である世界なのである。 ( Oct. 1 , 2002 )

Photo : Gerry Lopez and friend .
( 「サーフィン・ワールド」通巻第12号、1978年冬期号裏表紙より)

 さて、ツァラトストラは齡三十の時、故郷と故郷の湖を去って、山に入った。ここに、彼はみずからの精神と孤独を享受して十年、倦むことを知らなかった。しかし、ついに彼の心は一転したのである。彼はそれ以後、森また森を経て、市中に<超人>を説いて歩いた。そもそも、超人とは何であるか?・・・「まことに、人間は汚れた河に似ている。みずから汚れることなく、汚れた河を吸収しえんがためには、すべからく海であらねばならぬ。きけ、われなんじらに超人を教う。超人こそはかかる海である。」・・・ 

( May 29, 2002 )

 

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88:時流に反して<オールドスクール>

 三月末に島から帰り、二か月になる。この二か月が、わたくしには二年にも、二十年にも感じられた。年齢とともに、時間が貴重に感じられるのは確かだが、それと同時に、時間の感覚がうすらいでゆくのも、また確かなのである。冬至から一日一日、日が延び、夜明けもはやくなった。鳥獣は、夜明けとともに、鳴く。それで、わたくしの起床もはやくなり、いまや三時半になった。わがやの番犬が、まわりの鳥獣にさきがけて、わたくしを起こすからである。八十八夜はとうに過ぎたが、この一週間は月がよく、犬はそれにまどわされて、今朝は二時五十分に第一声をあげた。家人は、わたくしが甘いから、犬にまで馬鹿にされるという。どちらが主人か、わからないというのである。以心伝心というが、犬の直観はするどい。「犬が吠えているから、散歩につれていかねばならない」とわたくしが思うと、それをいいことに、犬は催促をつづけるのだ。反対にわたくしにその気持ちがまったくないと、犬は無駄吠えをしないし、雨の日は吠えない。しかし、小雨だと吠える。だから、家にいるときは毎朝、犬の散歩に出るのである。これがわたくしの、DAWN PATROL である。

 わたくしのサーフ・チェックは、したがって月がまだ明るい、夜明け前である。これを見て、ポッツがわたくしのことを、<ハード・コア>だという。わたくしは犬に起こされるが、ポッツは、わたくしに起こされるからだった。ポッツが南アフリカでまだキッズだったころ、彼は毎朝、誰よりも早くベイ・オブ・プレンティの沖にいた。いまはもう慌てることはないと、悟ったようだ。そこで彼はわたくしのことを、<オールド・スクール>だという。なぜなら、オールド・スクールはみな、ハード・コアだからだ。むろん、ポッツもいまやオールド・スクールの範疇に入る。そして、こう言う。・・・「オールド・スクールはハード・コアだけど、ニュー・スクールはみなソフトだ。」、と。彼はその中間の世代にいて、われわれのオールド・スクールといまのニュー・スクールを、いやというほど見てきたワールド・チャンピオンのベテランである。  唐突だが、竹山道雄に「若い世代」という短い文章がある。東大教養学部の教授だった彼が、学生のまえではなした講演を文章にしたもので、『時流に反して』という評論集に収められている。これは日本が敗戦した年、昭和二十年(1945)七月二十二日の講演だから、無条件降伏の直前、第一高等学校寄宿寮全寮晩餐会で述べられた。「若い人たちは今後どういう運命をたどるであろうか・・・」というのがテーマである。

 筆者はニイチェの『ツァラトストラかく語りき』と『善悪の彼岸』を竹山道雄の翻訳で読んだ。その文章で感じ、覚えてしまったものは、消すことのできない印象を筆者に与えた。同じ作者による『ビルマの竪琴』の感動も忘れ難い。そこで『東山遍歴』の日本文化論や、『時流に反して』のような評論集まで読んで、その思想にふれてみたりもした。一度共鳴すると、『時流に反して』というタイトルまで、なにやら奥ゆかしく思えてきたからである。波乗りとは、「流れに身をまかせることだ」、と筆者はいった。時流に反することは、それと矛盾しないことを述べなくてはならない。・・・第一次世界大戦後のヨーロッパで無秩序のなかに放り出された「ヤンガー・ジェネレーション」は、<富の追求>のために戦争を引き起こした古い世代に反抗することによって、時流に反した。彼らは物質の追求が人間の富に当たらないことを敏感に察知し、戦後の荒廃の中から<生命至上主義>の新しい理想を掲げて、再出発することを誓う。時流に反するとは、社会の流れに反することであり、それはただちに<不良>を意味する。彼らは西洋の近代社会を否定し、現代を逃れて、はるかな原始時代や中世に思いを馳せた。生命至上主義とは裸の自己から再出発することであり、人類原始の野蛮から出直すことだから、優雅なダンスもたちまち野蛮な踊りに変化してゆく。ロックンロールやディスコのような若者の文化は、この深い生命至上主義にねざすものであり、それを背後から支える哲学は、すでに見たような実証主義やマルクス主義ではなく、生の本能的衝動を肯定するニイチェのような実存主義哲学だった。このヨーロッパの不良たちは深く思索し、真剣に人間のあるべき姿を追求したが、戦地から遠い日本ではそのニヒリズムを<エロ・グロ・ナンセンス>というように浅薄に理解し、マルクス主義はただちにに<赤>と決めつけられたのである。つまり日本は明治維新によって西洋の功利主義を学び、、その流れに乗ってマルクス主義を弾圧し、実存主義はエログロで骨抜きにされた。ここから大平洋戦争への道は、そう遠くない。 

Photo : Cover of La Vie Parisienne .  1927.

 ちなみに、彼が名作『ビルマの竪琴』を書いたのは昭和二十二年であり、『ツァラトストラかく語りき』の翻訳が刊行されたのは、昭和二十五年である。ここで「ヤンガー・ジェネレーション」というのは、第一次世界大戦(1914ー18)後のヨーロッパで流行語になった言葉で、それまでの「オールド・ジェネレーション」とはまったくちがった思想や感情をもって、前代の人間には理解に苦しむ新しい生活をはじめ、大きな社会問題になった。戦後の混乱期にあって、それまで保たれていた秩序と権威は倒され、堅実な階級の家庭生活も破壊されたことから、彼らは無秩序の中に放り出され、古い世代に反抗し、全く新しいところから出発するために、新しい理想を求めてもがき苦しんだ。この「ヤンガー・ジェネレーション」がどのような型の人間だったかをいうために、竹山道雄は当時の文学作品を示した。なぜなら、当時の文学はみな、この問題を避けては通れなかったからである。・・・  それらはたとえば、ロマン・ロランの『魅せられた魂』(1933)、デュ・ガールの『チボ−家の人々』、ジイドの『贋金づくり』(1926)、コクトーの『おそるべき子供たち』(1929)、モーランの「生ける仏陀』、ヘッセの『デーミアン』(1919)などだった。これらの主人公の共通の特色は、頭のいい不良であり、彼らの思想は破壊的で反抗的である。その生活は本能的衝動的で、変態的な現象が続出し、大人たちからは怪訝嫌悪、ときには畏怖をもって見られた。ニイチェの思想が新しい目で見直され、若者が社会批評をやる。そして古い道徳からみれば、不良というほかない大胆な生命至上主義を奉じて、その命ずるままの生活に彼らは飛び込んだ。彼らは理知的に構成されて人を規範し拘束するものを批判し、理性より感情を重視し、非合理主義を社会意識の基調に置いた。従来の固定した形態を否定し、形のない原始的な、いまだ文化になっていないもののみが、魅力をもって若い世代をひきつけ、彼らは旧いヨーロッパから逃れて、まったく裸の生命から、・・・むしろ野蛮から出直そうとした。

 このために若者たちは、時間的にも、現代を逃れて原始時代に、あるいは中世にあこがれた。空間的にも、ヨ−ロッパを離れて、東洋に救いを求めた。しかし、東洋にも古い文化があることから、アフリカの非文化にあたらしい光を求めたりもした。音楽も黒人のリズムを取り入れ、ダンスも野蛮人の踊りをおどる。こうした若者が全裸になって森の中で男女が群棲する風俗がはやり、薬物や迷信が流行する。おたがいにコカインを注射したり、のちの1940年代には、ヨーロッパでLSDが発見され、50年代には商品化された。このようなヨーロッパのヤンガー・ジェネレーションの風潮が、アメリカのスピリチュアリズムと呼応しつつ、第二次世界大戦(1939ー45)後、徐々に東海岸から西海岸に移行し、ニューエイジ・ムーブメントに結びついたことは、すでに見た通りである。

 我が国は第二次世界大戦中、一時神秘主義に傾いた時期があるが、その後ヨーロッパのように深刻な反省もないまま、ふたたび功利主義を信奉して経済大国への道をあゆみ、今日そのぶざまな姿を国際社会にさらしている。この間1960年代から1970年代にかけて、日本のヤンガー・ジエネレーションが学生運動という形で時流に反したが、暴力的言動のみあらわとなり、思想的には貧困をきわめた。その世代がすなわち筆者の世代だ。今日の世相を見るとニイチェが批判した当時のドイツ文化のように大衆迎合主義がはびこり、しかもこの国にはひとりのニイチェすら見当たらない。大戦末期の昭和二十年に竹山教授が学生のためにした講演のテーマは、滅びのなかからの再生だったが、経済復興のみ急がれて、その精神はまったく活かされなかったのである。この時期にあらわれた文学も、太宰治の『人間失格』や坂口安吾の『堕落論』に代表されるように、時流に流された酔っぱらいの思想にすぎなかった。1967年頃、司馬遼太郎が熱海ではじめて若者のサーフィンを見て、その独創性のなさを嘆いたこと(『アメリカ素描』=昭和六十年)はすでに述べたが、明治維新以降、「西欧に追いつけ追い越せ」をスローガンに、外国の安易なものまね文化が社会全般に横行し、それが若者にも浸透したのは、無反省な教育にも責任の一端があるだろう。司馬遼太郎は、同じ波乗りでもハワイからアメリカ本国に渡ると独自の洗練したスタイルになることを、次ぎのように述べている。・・・「ともかくも、私のように不器用な人間でも、ハワイでひとびとが波乗りをしている光景は、見ていても飽きなかった。当時、きいた話ではもともとハワイの人が考えついて、ハワイの島々だけでの遊びだったそうである。それをカリフォルニアから行った観光客がこの州に持ち帰り、ハワイ当時、ドアのようにでかくて重かった板をいまの形に洗練しあげた。遊びひとつでもアメリカは国内においてそういう仕組みをへて濾過される。くりかえすと、サーフィンのハワイ時代は独創であっても泥くさかったが、それがカリフォルニアにきて普遍性を帯び、洗練され、当然のように世界にひろまってしまったのである。文明(普遍性)を興す国はべつに英雄でも天才でもなく、どちらかといえば平凡だが、しかし社会の構造としてそういう仕組みをもっている。」・・・そこで第一次世界大戦以後、すなわち二十世紀のヤンガー・ジェネレーションが、その後の西欧世界でどうなったかを、われわれはカリフォルニアのニューエイジ運動などを通じて見てきたわけである。この「ヤンガー・ジェネレーション」は第一次世界大戦後の流行語であり、いまのサーファーはいつのまにか<スクール>という言葉をもって新しい世代を表現している。これは伝統的キリスト教神秘主義への復帰という側面をもつ。 (写真)ニューヨークの聖パトリック教会。アイルランド系移民の聖地とされる。

 ニイチェが死去したのは1900年8月25日だが、彼の思想は死後みなおされるとともに、ロランやジイドやマン兄弟、さらに高踏的なヴァレリーやゲオルゲらが、精神的指導者と仰がれた。しかし、このヤンガー・ジェネレーションの特色である憎悪・原始主義・誇大妄想的計画の三つは、その後のナチズムと結びつき利用され、ナチスは「おれたちが世界を征服するか、さもなければこれを絶滅する」というところまで行った。この第一次大戦後のヨーロッパの若い世代の考え方は、アメリカの若者に影響を与えたが、日本では「若い世代」という言葉が流行した程度で、かえってエロ・グロ・ナンセンスという表面的模倣に終わってしまった。さもなければ「赤」(左翼共産主義)かというわけで、日本の若い世代は、古い世代との差別がはっきりしていた。・・・「今度この問題がはじまれば、その程度はあんなものではなかろう、と考えます。」と一高教授竹山道雄は演説しているが、昭和二十年七月という敗戦前夜としては、よほど勇気ある発言だったに違いない。

 「今後きたるべきこのヤンガー・ジェネレーションの問題を身をもって説くのは何人であろうか・・・。新しい時代の新しいモラルを探求し、混沌の中に光を点ずるのは誰のすることであろうか・・・。」と、彼は述べている。彼が演説した昭和二十年から、すでに半世紀以上経過しているが、この問題はいまも新しい。新しいばかりでなく、より深刻である。なぜななら、二十世紀におきたふたつの世界大戦は資本主義的強国間の戦争であり、従属地域を代表する社会主義国の抗戦が大きな意味をもっていたが、国家自体が変容し、人類全体の未来が危ぶまれている現在、人間そのものの存在が問われているからだ。もしも、人間という存在がいまも偉大であり、これからもそうであるからには、もう一度ツァラトストラの言葉に耳を傾けても不思議はない。すなわち、・・・「人間が偉大なる所以は、彼が目的にあらずして、橋梁たるにある。人間にして愛されうべき所以は、彼が一つの過渡たり、没落たるにある。われは愛する、・・・没落しゆく者としてにあらずんば、生きることを知らざる人を。いかんとなれば、かかる人こそは過渡し行く者であるからだ。」・・・

 この「没落」の意味は、すでにこの『波乗りと精神』の冒頭で、わたくしは述べた。人間とは、彼岸にかかる橋である。彼が目的ではなく、ひとを渡す、橋にすぎない。ひとにたすきを渡すには、まず、みずからが没落すべきである。没落とは、死して生きること。まず自らが成長変化を為さんがために、自己の現在の状態を悲劇的に滅ぼすことだった。これは東洋的「菩薩行」に、一脈通じるだろう。竹山道雄の『時流に反して』は、戦中・戦後の未曾有の時期に書かれ、語られた評論集であるが、時流は、一つの権力である。時流のまえには、多くの人々が反骨精神をすてて、ひれ伏す。彼らは、黙殺されることを恐れるからだ。

 東洋神秘思想を研究したジェイコブ・ニードルマンは、抱えきれない問題を抱えて旅に出、最後に地球を半周してアトス山の修道院にたどりついた。そこはギリシア正教会の聖地である。キリスト教神秘主義が現代に生きているとすれば、ここしかないと彼は思い至ったのであろう。<スクール>とは、キリスト教会の修道院、またはキリスト教神秘主義の<修道場>の別名だったのである。一方、同じニューエイジでもケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト』は、キリスト教ではなくヒンドゥー教からヒントを得た。彼はヒンドゥーの異端である仏教から、とりわけ大乗仏教の形而上学をベルグソンやフッサールのいわゆる<直観>や<純粋直観>をもって理解し、さらにキルケゴール・ニーチェにはじまりハイデッガー・サルトルに至る実存主義哲学を経て、実存心理学の人々に至る系譜を徹底的に調べたようだ。禅は大拙を経て、『無門関』の大梅法常や『正法眼蔵』の道元の思想に思い至っていることは、われわれと共通する認識である。ところで、ヒンドゥーの説く業・輪廻の根本思想は<サンサーラ>であり、この世を車輪もしくは円でとらえていた。ところが、十字架は、二つの直線である。ひとつは水平でもうひとつは大地に垂直な線だ。この二つの線が交わるところ、十字にクロスする点が、十字架の意味するところである。仏陀はヒンドゥーのサンサーラを断ち切り、円運動を垂直の上下動に変えた。十字架の水平の線は時間を表わしているが、垂直の線には時間がなく、永遠を意味する。それは上方へ、天に向かって高く、高く進む。あるいは自己の内面に向かって深く、深く進む。垂直の線は上下に動き、前後には動かない。われわれは前方へ、すなわち未来へ進もうとする。それは十字架の水平線であり、前後の動きは過去・現在・未来という時間に制約された世界であり、その境界にすぎない。この水平線が円になれば、すべてのものは永遠に繰り返す。生は一方から見れば誕生であるが、他方から見れば死であり、生死はひとつである。ただ意味もなく、それは繰り返す。仏陀が拒否したのはこの無意味な繰り返しであり、彼はふたたびこの世に生まれかわることを拒否した。もはや生まれることもなければ、死ぬこともない不生不滅の境界に到達したのである。垂直の線には、過去もなければ、未来もない。時間と永遠はイエスが十字架にかけられたとこで出会う。大地に垂直の線は、永遠の<今>であり、それは常に現在にある。さて、ここまで来て筆者はようやく、ポッツが波乗りのまえに十字を切ることの意味がわかったような気がする。それは過去と未来を裁断する。この波に乗る今を、永遠にする神秘的な行為。これが十字を切る行為の神聖な意味にちがいない。この今とは、十字架の水平線が、垂直の線と交わる一点である。それは時間の世界が消え、永遠となる瞬間ににほかならない。この二つの線は十字にクロスする。われわれは、このスクール(学校)で、波乗りに出会った。 
(写真)キリストの教えを守った修道士は、小アジアからギリシアそして西ヨーロッパを拠点として、都市や洞窟や砂漠や離れ島で修道の団体生活を行なった。カッパドキアにある岩山の洞窟も彼らの聖なる修行の跡である。( Oct. 4 , 2002 )

 われわれの波乗りの世界で、いつのころからか、<オールド・スクール>と<ニュー・スクール>ということが、言われるようになった。それは、何故か。「ヤンガー・ジェネレーション」と「オールド・ジェネレーション」の関係に比べて、どこがどう違うのか。ポッツは、<オールド・スクール>をハード・コアと称し、<ニュー・スクール>をソフトといった。そこには多分、深い洞察がある。わたくしは波乗りをたんなる「遊び」とは、考えてはいない。ましてや、「職業」などでは、さらさら無い。それは、神の遊戯である。そこに、サーファーが課せられた現代的意味と、使命があるはずだ。神秘主義の敬重に値する通俗化は、この現代では、波乗りを通して行なわれている。波乗りこそ、まさに、通俗そのものではないか。だから、わたくしはそれを、「遊行」と呼ぶ。     

( May 31 , 2002 )

 

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89:自力道と苦行道

 竹山道雄は時流に反して、「若い世代」の中で、なにを言おうとしたのだろうか。第一に、われわれ日本人の血の中には、昔から随分いいものがたくさんある。貴い立派な徳性も具えている。ただ、それがまだはっきりした反省を踏まえてないために、せっかくの徳性が濫用されたり、悪用される結果にもなった。たとえば自己犠牲や、義理人情といった徳性も、それが自覚の中に基礎づけられていないために、論理をそなえた他の主張に襲われるとひとたまりもなく、なぎ倒されてしまう。われわれには論理的に根本を固めた自己の考えがないからだ。「物をよく考えて自覚の中に根をおろすこと。」...第二に、西洋には理性一点ばりの時代があり、これが行き詰まったところに合理主義排撃の声がおこった。

 しかし、日本にはもともと理知的思考というものがなく、あってもきわめて貧弱だったにもかかわらず、西洋の合理主義批判を流行のように、鵜呑みにした。「精神と物質の戦争」といえば聞こえはいいが、われわれ日本人は理知を無視したために自ら不利益を招き、これによって、太平洋戦争は「感情と理性の戦争」になってしまった。勝敗の帰趨はおのずと明らかだった。一高生全員をまえにした竹山道雄は、アルベルト・シュヴァイツァ−(1875ー1965)の言葉を贈った。すなわち、「現代人といえども、彼らが呼号するところの非合理主義なるものの、痴愚と、おろかさと、悲惨とを経験しおえたその後には、かならずや、より新しいより深められた合理主義に帰るほかには道がない、ということを悟るであろう。また、その時がくるであろう。」(『わが生活と思想より』1931)  シュバイツァーの予言は第二次世界大戦で現実となり、竹山道雄の予言は、東大安田講堂の炎上で現実になった。

 ジェリー・ロペスは、" SOUL SURFING IN JAVA WITH JAPANESE ACES " (1982)のなかで、われわれ日本人がまず歴史を学ぶことによって、みずからその徳性に目覚めたうえで、<サーフィン道>なるものを世界に先がけて確立し、貢献すべきことをいった。わたくしの話は、そこから始まって、道なかばにある。それはひとつの形而上学をうちたてることであろうか・・・?ベルグソンはその『形而上学入門』(1903)の冒頭で、記号にたよらない方法により、<絶対>に到達する認識について述べているが、それすなわち<直観>である。直観とは、言葉をもって表現しえないものと合一するために、対象の内部へ自己を移そうとする<共感>である。その反対は<分析>であり、それは対象を既知の要素、つまり他のもろもろの対象との共通な要素へ還元する操作にすぎない。竹山道雄は「聖書とガス室」(1963)のなかで、世界を思うままに創造し支配する人格神がいて、それが客観的存在としてむこうから迫ってくるような、キリスト教の書物や伽藍にはなじめないことを言っている。そのうえで彼は、キリスト教の罪の意識と、浄土教のそれを、くらべてみるのである。知られざる超越せるものにたいする観念は、洋の東西で似て非なるものでありながら、浄土思想の罪の意識は、キリスト教について聞いたことを、そっくりそのまま読むようである。

<時流に反する>とは、社会の中であなたが十字架にかけられることだ。それは快楽を否定し、苦痛の中に身をおくことを意味する。社会は時間の中に存在しているが、あなたはそれを超越して時間のない世界、すなわち永遠の今に生きようとした。そのような理不尽を社会はゆるさない。このためにあなたは社会と妥協して、ふたたび時間の中に戻ってきた。そこですべてが通俗化される。波乗りとは、時間を停止させ、その瞬間を永遠に近づける行為だ。あなたは水平線と平行に波の中を進みながら、あるとき、時間がまったく止まっていることに気づく。この瞬間の今、あなたは時間とバーティカルに交わり、それを超越している。リアリティは非日常の境界だ。ジェリー・ロペスが二十年まえに提唱したこの深淵の探求である「サーフィン道」は、<自力道と苦行道>を通じて、波乗りの通俗化を拒否するところに存したと筆者は思う。それは究極的に時流に反する行為であり、彼は十字架にかけられた現代のイエスになるはずだった。

Gerry Lopez , Pipeline . Dec. 1975  
Photo : Asian Paradise

 浄土教のように、ただ念仏を唱えることによって救われるという宗旨は、浅薄なイージーゴーイングの精神のように外国では考えられているようだが、果たしてそうだろうか。念仏はふつう、<他力本願>といわれる。これに対して、禅やヨーガは、自力の法門であり、それは「聖道門」より入る<自力本願>だろう。ところで、わたくしは波乗りと禅・ヨーガ三位一体の関係について、<サ−フィン道>なる未見のものを念頭に、不十分ながらたどたどしく述べてきたつもりだが、そもそも波乗りは<自力道>か<他力道>かについて、残り十節あまりとなった少ない紙数でもって述べなければならい。しかし、そのまえに残っているいくつかの問題についても、ここで整理しておく必要をも感じている。偶然とはいえ、島で熟読した本についての結論も、まだ出たわけではない。われわれ人間には、自分を縛る枷から解放しようと願望とともに、自分自身を越えて、まず自分の持っているものをすべて与え、つぎには自分の持っている以上のものを与えようとする愛がまぎれもなく働いている。

 しかも、このことよりほかに、精神を定義する方法があるだろうか?精神は努力する。  第二次世界大戦で、「精神と物質の戦争」ということが言われたが、物質は努力を誘発し、努力を可能にする。ベルグソンはその『意識と生命』(1911)のなかで、精神と物質との関係を、「創造的な活動」として、次のように述べている。・・・物質と意識を対立させてみると、物質とは何よりもまず分割するものであり、明確にするものに違いない。しかし思考とは連続であり、およそ連続なるものには混沌がある。思考が判然とするためには、それをいくつかの言葉に分散し、さまざまな単語をひとつずつ切り離して一列にならべ、文章にしたときにのみ、われわれは自分の精神のなかに持っていたものをはっきり知ることができる。つまり、生命の根源的な躍動のうちに渾沌として溶け合っていたものを、物質は区別し、分離し、分解して個体にし、ついには人格とした。要するに、われわれの努力は、物質の持っている抵抗力によって、また物質のもつ従順さによって慣らしうるので、物質は障害であると同時に道具であり、刺激なのである。したがって、物質上に実現する場合においてのみ努力は要求され、そしてこの努力は、それが生み出した作品以上に尊いものである。なぜなら、努力にによって、人は自分の持っている以上のものを自分の中から引き出し、自分自身を自分より以上に高めるからである。だとすれば、この努力は、物質がなければ可能にはならなかっただろう。

ジェリー・ロペスは<解脱>に至る新しい方法として<サーフィン道>を提唱した。それはヒントにすぎない。しかし彼は<道>といったことで禅を、また実践を通してヨーガを奨励したので、それは仏教的、ヒンドゥー的な求道精神に通じ、キリストにはならなかった。彼の波乗りの精神はきわめて東洋的であり、西洋的ではないのである。彼は日本のサーファーに、偉大な宿題を与えた。これを日本人の徳としつつ、われわれは謙虚に反省し、応えなければならない。ニイチェを日本語に翻訳した竹山道雄は、日本人の徳として、武士の自己犠牲の精神と庶民の義理人情をあげた。武士の精神は禅や浄土教に見られ、義理人情は儒教の道徳観を反映している。しかし、仏教や儒教はともに、インドや中国から来た思想文化である。すなわち、われわれの徳といってもそれは外来のものであり、日本人には論理的に根本を固めた自己独自の考えがない。それが開国明治の維新によって、それまでと正反対に西洋の理知的思考を手本にし、功利主義・合理主義の世になった。一方の西洋ではこの功利的、合理的精神が、人間性の疎外というきわめて深刻な問題をひきおこし、「精神と物質の戦争」(第一次世界大戦)がおこる。それを対岸の火事ときめこんで見物した我が国は、西洋の合理主義批判を鵜呑みにして、エロ・グロ・ナンセンスを享楽するだけで理知的思考を忘れ、やみくもに「感情と理性の戦争」(太平洋戦争)に突入していった。われわれが波乗りと出会ったのは、この戦争の傷跡が風化し、経済復興を遂げたいわゆる「昭和元禄」のころではないか。司馬遼太郎が1967年(昭和四十二年)に熱海ではじめて見たという波乗りは、おそらくカリフォルニアで洗練されたサーフィン文化の無反省な模倣にすぎなかったのだろう。無反省な皮相的、外面的模倣に<NO>を突きつけることは、とりもなおさず、われわれの意識が真摯な反省とともに内面に向かうことだったのである。

(写真)アメリカの雑誌に掲載された日本の記事。渡辺文好、新島。("SURFER" Mar. 1982 より)

 ベルグソンが『形而上学入門(序説)』で結論づけたのは、この<努力>と<直観>の関係においてだった。すなわち形而上学的直観の能力とは、何ら神秘的なものではなく、しばしば苦しい努力の連続によって得られる。そもそも実在について直観を得るためには、実在のもっとも内的な部分と精神的な共感をともにする必要があり、そのためには実在の表面的なもろもろの現われと長く親しみ、実在の信頼を得る必要がある。巨大な量の事実を集積し、それらをいっしょに溶解させ、その結果、既知の事実から素材のありのままの性質が現われてくるまで、観察者は知らず識らずにその観察の底にたくわえられた先入観念や早熟の観念の一切を、その溶解のなかでたしかに中和させなければならない。このようにして直観の努力を可能にするのは、まさに<苦行>に等しいものだろう。形而上学が近年衰えを見せたのは、あまりにも分化した実証科学と接触することに、哲学者が異常な困難を感じたからだといわれている。ラッセルあたりで、すでに、さじは投げられていた。

 自力道という場合、対になるのは他力道である。そして苦行道に対しては易行道という。それをここで「自力道と苦行道」としたのは、「他力道と易行道」を対比したのであり、どちらが波乗りの道であるかを考えるためである。筆者はジェリー・ロペスにしたがって、波乗りと禅とヨーガをもって三位一体とするつもりでこの稿を執筆しながら、その守備範囲を随時拡大してきた。禅は仏教のカテゴリーだが、ヨーガは仏教であるまえにヒンドゥーである。しかも波乗りを神秘主義の側面からみれば、キリスト教がきわめて重要であることは間違いない。その罪の意識は、他力道の浄土教とそっくりだという。波乗りはロペスがいうように、禅とヨーガの三位一体では、語り尽くせない問題が出てきたのである。なぜなら、それは自力道と苦行道という側面だけでなく、他力道であり、易行道である側面をあわせ持つからだ。そこには僧を悟りに導く<小乗>の教えから、万人を救済する<大乗> の教えへと、仏教そのものが大転換した跡がうかがえる。小乗は歴史的実在としての釈迦の教えだが、大乗仏教においては、実在から<法身仏>としての釈迦へと思想の転回があった。この法身仏は色も、形もない、空の仏であり、歴史的実在ではなく、形而上学的、観念的な存在である。大乗仏教は、すべてのものの空を瞑想することによって、空の仏と等しくひとつになる<空観>の知恵を説く。それは偉大な知恵かもしれないが、万人を救う大きな<乗りもの>としては、まだ難しすぎるのである。形而上学的直観の能力とは、神秘的なものではなく、<苦行>であるとベルグソンはいう。それは努力だ。それには到達すべき目標があり、目標到達がすなわち<歓喜>である。目標や到達は、ともに未来を志向し、時間の領域に属す。それでは時間に縛られて、われわれは永遠に、この現在にくつろげない。波乗りとは、この瞬間に、リラックスすることだ。いつくるかわからない未来ではない。たった今、この時にくつろぐ。難行・苦行の自力道はこの自分という存在を信じ、自己を恃(たの)んで修行することだろうが、ひとつまちがえればそれは非常に危うく、不遜な行動になりかねない。われわれの歓喜とは、目標到達ではなく、いまここに存在している喜びであり、その感謝である。なぜなら、われわれがいまここに存在していること自体がすでに奇跡として起こっており、それ以上の奇跡はないからである。
(写真)ナジアンズのグレゴリウス説教集より。キリスト生誕の物語をあらわす。

 わたくしががらにもなく形而上学などといったのは、ウィルバーのように、形而上学的直観について考えたからである。しかし、彼がベルグソンをよき伴侶としたのはその序説までであり、生命の進化に対する見解が両者においてはまるで違い、神秘主義に対しても同様である。ケン・ウィルバーはベルグソンの哲学を、彼のトランスパーソナル心理学の範疇で「ケンタウロス」に属するものとしているが、それこそ「カテゴリー・エラー」ではないだろうか。形而上学的直観は、苦行である。生命の意義や人間の進むべき目標について思索した哲学者として、ベルグソンは、目標到達のしるしを<歓喜>にあるとした。快楽ではなく、歓喜である。快楽とは、生物の生命を維持するために、自然が考案した技巧的手段にすぎず、生命が進むべき道を指し示すものではない。これに対して、歓喜はいつも生命が成功したこと、生命が成功したことを意味する。しかも、その成功は讃辞を必要とせず、名誉を越えたものである。なぜなら、歓喜のあるところには、いつも創造があり、その創造とは自己による自己の創造であって、少しのものからたくさんのものを引き出し、無から何ものかをひきだし、その努力によって人間を成長させるからにほかならない。  ここで、<サーフィン道>が自力道であるか、他力道であるかに加えて、もうひとつ新たな問題が浮上してきた。それはいうまでもなく、いま述べてきたような意味で、波乗りはそれ自体<苦行道>であるかという問題だ。波乗りが、禅とヨーガに密接な関係があり、あわせて三位一体となるべきものなら、それは自力道であると同時に、苦行道であるだろう。しかし、われわれは波乗りしている人をみて苦行者とは、誰も信じないであろう。ならば、われわれはいったい何者であろうか。・・・             ( May 31 , 2002 )

 

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90:戦争と平和

 近代哲学の巨匠たちとは、当時の科学の素材のいっさいを同化した人たちだったが、そのようなことが彼らに可能だったのは、せいぜい十九世紀までで、二十世紀になると極度に分化した実証科学がそれを拒否した。われわれの現代には、もはや、かつての巨匠はひとりたとも生存できないのである。二十世紀にもし、そのような哲学者が可能であったとすれば、ベルグソンはその数少ないひとりだろう。彼の哲学的著作の生涯の最後をかざる『道徳と宗教の二つの源泉』(1932)によって、われわれは少なからず負うところがあったように思うが、その結びの考察は<機械化と神秘精神>という、いっけん矛盾する精神の解明にほかならない。この結語にはしかし、「戦争と平和」という、人類が避けて通れない難問が控えていたのである。・・・人間はもともと、ごく小さな社会に合うようにつくられていた。人類のはじめは、散りぢりの、離ればなれの家族集団だったかもしれない。それは実のところまだ、社会の胎児でしかない。

 自然の手を離れたばかりの閉じた社会とは、その成員が相互に支え合いながら、自分たち以外には少しも顧慮を払わず、たえず他を攻撃するか、自らを防衛するかの態勢にある社会、要するに成員がひたすら戦闘態勢を強いられている社会である。自然は人間に知性を与えた以上、社会組織の形態もある程度自由に選ばせているとはいえ、人間が社会をなして生活を営むのは、自然の強制であって、われわれの自由ではない。個々人の意志を同じ方向に向かせて、集団の凝集を保証するのは、<道徳的責務>だった。自然的社会の特徴とは、要するに自己本位の姿勢、鞏固な団結、位階序列、首長の絶対的権威などに見てとれるが、こうしたものはすべて規律を意味し、闘いの精神を意味している  自然は人間に制作的知性を与えた。自然は大多数の動物種には道具を備えておいたが、人間に対しては、自力で道具を制作する能力を与えた。

シュメール初期王朝時代の「戦争の図」と「平和の図」。人類の歴史は、いつの時代も、戦争と戦争の間に束の間の平和があった。ウル王墓出土 紀元前三千年紀後半。

 ところが、自分が作った道具に対して人間は、所有権を持つことになる。この道具は、動物のそれと違い、人間のからだから離れているために、他人に奪われる恐れがでてくる。道具を新たにつくるより、出来上がった道具を奪うほうが楽だからである。そうした道具は、物質に対して有効に働きかけ、狩猟や漁労の武器になるとともに、狩り場や釣り場をめぐっては、彼の属している集団と他の集団との奪い合いにもなりかねない。それは耕作地の場合もあり、婦女の掠奪や奴隷の連行になったり、要するに奪取されるものが何であれ、闘いが起こるもとは、個人のであれ集団のであれ、その<所有権>であった。人間は動物とちがい、所有権を持たざるを得ないように、身体の構造上決めつられているので、闘いは自然である。

 そこで自己を防衛でき、戦闘体制を備え終わった社会の自然的政治体制とは、野蛮状態における「王制」ないしは「寡頭制」、または同時に両者である。ここには首長のように、特権的少数者が必ずいる。命令は絶対であり、服従も絶対であった。このような社会的生は必然のものであり、自然は人間の自由意志にすべてを任せきらず、一人または数人が命令し、他のものは服従するように、手配したものであろう。このように考えると、実際、<民主制>こそは、ありとあらゆる政治思想のうちで、自然からもっともかけ離れたものであり、閉じた社会の条件を、少なくとも意図のうえで、越えた唯一の政治思想である。民主主義は、人間に不可侵の権利を与え、義務に対しては変わることない忠誠を要求する。ここではじめて市民の全体、すなわち人民が主権者となる。そもそも民主主義は福音書的本質のものであり、その原動力は<同胞愛>だった。そしてこの感情的起源はルソーの魂のうちに、また哲学的原理はカントの著作のうちに、宗教的根底はルソー、カント両者のうちに見いだされるだろう。そしてアメリカの独立宣言(1776)と人権宣言(1791)には、清教徒(ピューリタン)の響きが聞き取れる。

 民主主義はひたすら一つの理想であり、むしろ人類が進みゆくべき一つの方向だった。しかし、それが世に持ち込まれたのは、なによりもまず抗議としてだった。人権宣言は、その一語一句が政治につきつけられた挑戦であり、問題は忍びがたい苦難を終わらせることだった。そして民主主義の公式は、明らかに妨害し、拒否し、転覆する目的によく適合していた。歴史に見られる交替現象は、潮の満ち引きに似ている。すなわち、ある方向へ続けられた作用は、かならず反対方向への反動を招き寄せる。政権の座にあるものは、その善政によって受ける讃辞は少なく、失政においては、きわめて些細なものでも見逃してもらえない。なぜなら、政府はもともと利福をもたらすためにあるからである。ここにベルグソンのいう<二重狂乱の法則>が成り立つ。対立政党が二つの場合、両派はどちらも、自分が責任をとらなくてよかった間中、外見無傷でいられたその政策によって威信を与えられ、政権へ再び復帰してくる。つまり、行なわれるべき政策は野党側にある。

現代が体験した二度の世界大戦の目的は、表向きは<餓死>を免れるためのものだったが、実際には過去とくらべものにならない豊かな生活水準の維持であり、そのさらなる発展であった。その結果、とっておきの秘密兵器を持った交戦国の一方が、相手をひとり残らず絶滅しうる状況になった。 原子爆弾が投下され一瞬にして廃虚と化した広島。

 開いた社会とは、原理上、全人類を包容するような社会である。この種の社会は間をおいて少数の選ばれた魂によって渇望され、幾分かずつは実現された。だが、そうした創造の力で閉じた社会の円運動がつかのま開かれても、そののちいつも再び閉じてしまう。閉じた社会が一時開いたあと、いつも再び閉じてしまうといった性質のものならば、その効用はあまり期待出来ない。本然のもの、起源にある閉じた社会は、人間のもって生まれた性質であり、もともと追い払ったりはできぬものだから、それは消えずに居すわっている。自然が望んだのは小さな社会だったが、自然の供してくれた生活条件では戦争は避けられず、自然もまた戦争を欲していたのだから、小さな社会が拡大される可能性は残っていた。事実、戦争の脅威には、多くの小社会が連合して共通の危険に対処するように仕向けるところがある。いくつもの帝国が征服によって生まれ、大きくなり過ぎた結果、生き続けられなくなって崩壊した。原始的本能がもつ<爆破作用>は、政治的構築物を解体するので、この爆破力に対抗するために近代国家は<統一原理>に服した。すなわち、祖国愛がそれだ。

 人間はもともと危険と冒険の生を目指して造られており、平和はあたかも、二つの戦争の間の休止にすぎないかのごとく見える。平和が戻った際に、戦争の惨禍が忘れ去られる速さはまったく驚くほかなく、婦人の出産の苦しみに対する特有の忘却機制にもたとえられる。完全に過ぎる記憶は、出産を繰り返す意欲をそいでしまうからである。戦争の恐怖に対しても、このような機制が働いており、とりわけ若い民族にあって顕著である。これを先ほどの世代間のギャップに当てはめてみれば、戦争を知らない若い世代は往時の艱難を経験しておらず、戦後復興の苦労を知らずに済んだ世代であった。親たちは現在の平和な状態を、それにもまして高価な代償が支払われたことを忘れず、それを一の成果として喜んでいるのに、子供たちはそれが当たり前だと思っている。そのかわり子供たちは、現状のさまざまな欠陥には敏感であり、この欠陥とは苦労して勝ち取られたその利点の裏面にほかならない。彼らはいったん棄てられたものの持っていた利点を浮き彫りにし、ついには、そこへ戻りたいという願望にまで発展させてゆくのである。この種の往復運動は近代国家の特徴をなす。

 ところで現代の戦争は、征服を征服の目的とするような必然性のない戦争とは違い、起こらずにはすまない性質のものであり、闘争本能は後者に根ざしている。その目的は、おもてむき餓死を免れるための戦争でありながら、その実それ以下では労して生きるに値しないと思い込まれた<一定の生活水準の保持>にほかならない。そしてその結果、とっておきの秘密兵器を持っている交戦国の一方が、相手をひとり残らず絶滅しうる状況になってきた。事態がこのような最悪のコースをたどらないように、国際連盟や国際連合がつくられたが、戦争を絶滅する困難はますます高まっている。このような事態で、何が危険かといって、本能のしたい放題にさせておくほど危険なことはない。  実際、万人がこぞって物質生活の向上を切望するようになったのは、近々、十五世紀ないし十六世紀以降のことといわれる。それまでの中世では、その全期間を通じて、禁欲の理想が断然支配していたのである。安楽は当時の誰にとっても、今日のわれわれにはとうてい想像もできぬほどに欠けていた。今日われわれが必需品と思っているものすら、彼らには余計な贅沢であり、富める者も貧しき者も、同様になしで済ませていた。ところが今日、人類の主要な関心事となった観のある<安楽>および<贅沢>への心づかいは、結局、この関心がどれほど<発明精神>を発達させてきたか。この発明がどれほど科学の応用であり、科学はまたいかに限りなく膨張して止まぬことか・・・。こうした諸相に目を注ぐなら、この方向への進歩には限りがなく、新しい発明によってそれまでの渇望が満たされても、それで満足するものではなしに、新たな欲望を生み出すばかりである。

核戦争の脅威は残されたまま、二十一世紀は大規模テロの同時多発という新たな局面を生み出した。高度に発達した物質文明が世界を二分した今日、その恩恵にあずかる先進国の発展が、一方で後進国の餓死者を増大させる貧困の原因になり、この不平等が宗教的不安を引き起こし、新たな<聖戦>が日常茶飯事の状況になっている。先進国は結束してテロ撲滅に対しては武力を行使することも辞さないが、不平等をエネルギーとする資本主義が果たして<正義>と言い切れるかどうか、この未曾有の社会不安は来るところまで来た。人類はあたかも、このまま、破滅を迎え入れようとしているかのようだ。 

ラングーン防空の図 鈴木亜夫画。

 われわれは快適を求め、幸福を求め、贅沢を求めている。われわれは現に、楽しみたがっている。このわれわれの生活が、仮にもっと厳しいものなったら、いったいどういうことが起こるだろう。道徳は、21世紀のいま、大規模な転形を迫られている。このような大転換の起源には、かならず神秘主義が見られることはもはや否定できまい。しかも、今日の人類は、この神秘主義からかつてないほどに離れてしまっている。だから、波乗りが今ほど、神秘主義に近づいたことはない。               

( June 3 , 2002 )

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