万物の理論

ケン・ウィルバー

 

これなら人類に未来はある!

 

万物の理論の原則:誰もがただしいこと

 

ウィルバー>世界はコスモスは、物でも心でもなく、ホロンからなっている。

岡野>それにどんな意味があるのか

ウィルバー>そこがポイントだ。世界がホロンの階層から成り立っていることは世界にはレベルの高い、低い、深い、浅いがあることを意味する。宇宙には少なくとも物質、生命、心という3つのレベルがある。あとのものが、前のものを「含んで超える」という形で進化している。

岡野>つまりそのレベルの高さが、深さが「意味」なのですか?

ウィルバー>そう、すなわち、宇宙には意味がある、あるいは宇宙は意味を生み出す方向に進化してきており、さらにより深い意味を生み出すべく進化し続けている。

岡野>だかだどうしたというのだ?

ウィルバー>一言でいうと「宇宙はただの物質の平板で並列的な寄せ集めではない」こと意味する。これが大切なポイントだ。

 

近代の科学は基本的に人間も含め全てを個別であれシステムであれ、「物質」に「還元」し「分析」して捉えてきた。

そころが<<<<物質に意味は無い>>>>。

人間についてそういうものの見方をつきつめると、所詮物の寄せ集めにすぎない人間にも意味は無いということになりかねない。

そういうもの見方からは、当然ながら、「いい」も「悪い」もでてこない。生きていることそのものに意味がないとすれば、何をしても意味はないし、何をしてはいけないということもないはずだからである。

倫理が完全に崩壊する。

ここが、現代人が子供から大人に至るまで直面しているもっとも深刻な心の問題なのではないだろうか?

「全ては物」という世界観では、子供が「関係ないだろ」「どうだっていいじゅやないか」「オレの勝手だろ」と言った時、大人は自身と説得力をもって「そういう考えは違う」と反論することができない。それどころが、大人自身にかけるブレーキもみあたらない。

しかし、よく・深く見ていくと、宇宙は平板な物質の寄せ集めでは無い。宇宙は階層をなしており、より高い深い秩序を生み出すべく進化し続けており、ただの物にとどまらず、「生命」を生み出し、いまや人間の「心」を含んでおり、やがてはさらに高次の心・「霊性」をも実現しようとしている。

なぜ「いけない」のか。それはコスモスの流れから逸脱し、それを裏切り、その開花を妨げるから。「絶対に-コスモス的普遍性に基づいて-そんなことをしてはいけない」のだ。私をコスモスは本質的に「関係がある」、だから「勝手」は許されないし、「どうでもいい」などということはないのだ。

ウィルバーコスモロジーの画期性は、ますそれが、近代の物理学科学主義に潜んでいたにニヒリズムを完ぺきに乗り越える理論を明らかにしているところにある。

しかも科学を含む近代の知をあやゆる分野の成果を否定せず、すべてを含んで超えているところに非常な妥当性・説得力があると思う。

コスモスの4つの顔

コスモスの4つの領域の全域にわたって見渡すことが大切である。

4象限

近代人は、世界観を物だけ、右だけ、の象限へと折りたたみ矮小化してしまった。だから、近代は価値や意味や真善美の見えない、単調で荒涼とした、フラットランド(平板な世界)になったのである。

近代−現代が、どんなに人間尊重(ヒューマニズム)、さらには全生命の尊重(エコロジー)を追及しても、なぜかうまくいかないのは、一つはどんなに善意から出発していても結局は意味を見失ってしまうような見方を基にして、一生懸命追求してきたからなのだ。ホラーキーな構造、4象限を見落とした、進歩的改良主義、平等主義、文化相対主義、エコロジー・・・・・・は意図がどんなによくても、結果はよくならなかったし、これかもよくならないだろう。

コスモスの再発見と進化への参加

ではどうすればいいのか。

 

シンプルに言えば、まずコスモス(これは、「神」や「空」とほぼ同義語)がホラーキー構造をなして四象限にわたて自己を展開・進化・自己超越しつつあること、そして私たち人間はそういうコスモスの進化の一部であり、ある意味で先端である(物・生命・心全てを含み、霊性spiritをも実現するよ可能性を含んでいるから)ことを再発見することである。

それはまず頭でわかること(認識)から始まり、全身心で獲得すること(意識の変容)に至る課題である。そして次にというか、同時にというか、コスモスの四象限すべてにわたる進化の開花に自覚的・能動的に参加することである。

我々はコスモスの進化の先端を担わされたものとして、意味も、権利も、責任も与えられている。

そして、その進化を自分自身において開花させる権利と責任、それらからコスモスのほかの部分−例えば、全人類や全生態系−の全面的な開花(ビッグブルーム)にも協力する権利と責任が与えられている。

 

そこに人間が人間として生きる意味がある。

 

ヒトの形をかぶり、物の心をもつ者が闊歩する−そんな世界にしてはならない。

ヒトとして生まれ、ヒトのこころを維持するのは、尊厳をもてることなのだ。

 


 

 


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