<<プロローグ>>来たるべきものの予感


 科学の周辺にある淡い縁に心を奪われることが多い。現在解明されているレベルのすぐ下に浮かんでは消える、不可思議の影に魅入られてしまうのだ。

 科学の様々な発見は一見全ての謎を解きあかし全ての疑問に答えてくれるようだったが、その法則がかつて問題になったことがなかった物理学の分野でさえも、不確定性原理という屈辱を享受しなければならないでいる。

 この新しい物理学のおもしろいところは、全ての物は確率でしか測れなく、箱の中にいるネコも生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせであるとされている。

 科学にはもはや絶対的な真理はない。ますます混沌の中をさまよい、最近では科学の頼るところは、哲学的精神になってしまっている。

 生物界においても一度発見したと思った真理も明日には事情が一変してしまうことがよくある。例えば、五〇年前、博物学者はコウモリがガを捕まえるのを観察し満足した。その後、コウモリが人間の耳には聞こえない音を出し、餌の位置をみつけるためにエコーを使っていることが発見された。今ではガは防音装置をもっているばかりでなく、接近する敵の送信を聴取する特別設計の耳をもっていることもわかっている。この進歩に対抗するため、コウモリは不規則に飛行する径路を開発し、これにはガもめんくらったが、やがてガは今度は超音波妨害装置を備えるようになった。発見は次の疑問にぶつかる一段階にすぎないのだろうか?

 とにかく、コウモリは今でもガをつかまえており、自然界のエスカレートしたドラマの次の展開がいつか発見されるだろう。この次はどんな真理がやってくるのか楽しみでならない。

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