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人工知能の研究分野では「フレーム問題」というのがある。
有限の情報処理能力しかないAIには、与えられた世界の全てを処理するこはできないのである。
チェスやエキスパートシステムのように情報処理の枠を与えてあげれば計算可能だが、無限大の計算ができない限り原理的にはコンピューターはフレーム問題に突き当たり思考停止になる。
チェスの世界チャンピョンであるカスパロフ氏は1997年ディープブルーに負けたニュースはセンセーションを呼んだ。しかしこれとてフレーム問題を解決したわけではない。
動けないロボット
フレーム問題の困難さを哲学者のデネットはこんな逸話を創作して表現している。
あるロボット1号が時限爆弾を仕掛けられている部屋から、バッテリーを取り出すように指令を受けた。部屋に入ったロボットはバッテリーを見事もちだしたが、バッテリーの上に爆弾が乗っているのことに気がつかず、部屋の外で爆発に巻き込まれた。
この反省から作成されたロボット2号は「自分の意図したことにともなって 環境に起こる、副次的な結果を認識する機能」をプログラムされたものだった。2号機は、バッテリーの前までいって、推論を始めた。「バッテリーを動かしても、部屋の色は変わらない」「バッテリーを取り出すとき、音がする」「バッテリーの重さは……」無関係な推論をしているうちに時限爆弾が爆発した。
3号機ではさらに、「目的としている行為に関係している結果と、無関係な結果の区別を教えて、関係のないことは無視する機能」を付け加えた。しかし最新鋭の3号機は全く動かなかった。3号機に「何をしているのか」と質問をすると「ちょっと静かにして!今、関係の無いことを見つけて、それを無視する計算をしています。関係の無いことは何千もありますから……」3号機が動き出す前に時限爆弾は、爆発した。
チェスゲームのように推論範囲が版上に限定されているうちはよかったが、人工知能が一歩実験室を飛び出すと、全く動けなくなってしまうのである。
人間は赤ん坊でも、自分に関係のないことは無視することができる。「フレーム問題」に悩まない人間の知性の「設計原理」とはいったい如何なるものなのか。
んー?ちょっと違うなぁ…
フレーム問題は人間にも解けないのだろう。
人工知能との違いは
「それでも人間は思考停止にならない」ってことだ。Aさんにとって「これが世界だ」と思っているフレーム(枠)の外には意識が回らないことがある。(それ故に幸せでいられるということもある)
人間は有限な情報処理能力しかない。しかし、擬似的に解決しているのである。
全部を計算しないで、適度なところで、結論を出してしまうのが人間だ。
例えば、自分の生命が安全ならいい、痛くなければいい、快適であればいいとかね。(故にあやまちもある)
カオス・コンピュータの原理がここにある。(ではカオス・コンピューターも過ちを犯す?)
我々にあって機械にないのは、体である。
:我々が世界を認識するのは身体があって初めて可能になると考えるられる。もし身体がなかったら我々も無限の情報の下に思考停止に陥るだろう。
さらにもし情報をピックアップできても意味がなくなるでしょう。
例えば、「生きる意味が見つからない」ってことにもなりかねない。
身体はなにも自分の体とは限らない、家族や社会であってもいい。
身体性の知恵への反論
ではAIも同様な疑似的な身体をプログラムして解決すればいいのではないか?しょせん人間の身体も脳の中にあるともいえる。
そこであらわれたのがカオスコンピューターや複雑系だ。今後のどこまで進歩が出来るのだろうか?
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