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ミーム |
リチャード・ドーキンス |
言語や行動様式、ファッション、理論、概念などは事実上、非物質的な遺伝子であると言える。当然ある一定以上の知性を備えて始めて可能となるわけだが、この進化のポイントは、DNAが発生したときと進化的意味上に同じものといえる。こうした現象の正体をドーキンスは「ミーム」となづけた。
このポイント以降、世代から世代へのDNAを通した遺伝子的なものよりも、非常に活動的な情報の伝達が可能になった。脳から脳へと飛び移り、模倣によって後天的な進化が可能となった生物はごくわずかだ。この点を考えるとミームは物理的遺伝子より優生と考えてもいいだろう。
ミームのもともとの定義は利己的なものであっった、
今ではその元の定義をはなれて一人歩きしている。
哲学的に拡張を受ける場合が多く、次のようなホーキングの使い方の方が多い。
ホーキング>私たちは洞窟に住んだ祖先に比べると強くもないし、また生まれつき知的でもない。しかしまさに私たちは遺伝子を超えた存在となりうる可能性を秘めている。ダーウィンの進化論の時間尺度は十万年単位であり、外面的、解剖学的で「ミーム」の進化というものを考えなかった。しかし「ミーム」も物理的な存在物と同じように自然淘汰の苦難をくぐり抜けなければならないことにはかわりないだろう。同じように生存のために戦い、同じようにもっとも適しているものが生き残るだろう。わたしたちは今までの進化とは異種の進化を経験して、いまそのまつただ中にいる。肉体的特長を持たない私たちはまさに「ミーム」によって自然淘汰をくぐり抜けてきた。それ故私たちの「ミーム」は自然界の現象として「優れていた」といっていいのだろう。
ホーキング>未来の世代への不安としては物理遺伝子の攻撃性を私たちが今後も持ち続けてしまうだろうかという事だ。巨大な力を持った人間が、いつ自己破滅の道を突き進むかそれこそいつ起こっても不思議はない。しかもそれは着々と進行していると言っていいのだろう。しかし私たちが、もっと知的になり善良になるようにダーウィン的進化を待つ時間はない。
私たちは今「自己設計進化」が可能な段階にあるといえる。
はたして私達は正しくミームを進化させられるだろうか?
ミーム・ラマルキズム
ハードはネオ・ダーウィニズムだとしてもミームはラマルキズムじぁないだろうか。進化の原理は一つではなかった。人はミームにより新しい形質を獲得できるか?例えば火星で十万年すんだとしよう。おそらく違った地球に残った人類と違う進化をすると思う。その進化はいずれ望みどおりになるかもしれない。