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こころの再定義 |
ベイトソン1904〜80 |
一部の社会ダーウィニストたちはあくまでも淘汰、競争、闘争、破壊といった枠組みでした生命をとらえようとしない。
しかし例え捕食する生物をされる生物との関係であっても、全環境的視点に立ってみれば双方にとって有益なのである。
生態系にも精神を認めなければならない。
フィードバック・ループを駆け巡る通路全体に精神があると考えた。
適応をおこなって生存し続けるのも、たんに生物個体と考えるべきではなく、それをとります大きなシステム全体によって生存を許されている。
進化上エントロピーを悪玉と捉える考えも間違いである。
エントロピーも抱え込み、ネゲントロピーを積み重ねていうもので、それがないと進化は行われない。
我々の精神は内在的なものだが、ただ体のなかにあるものではない。
それは、身体の外側のさまざまな経路やメッセージのなかにも内在している。
われわれの思考プロセスと生物進化のプロセスをつなぐ相同的なパターンを認める事によって、それらがともに、学習し、進化し、自立性を持ったあらゆるシステムに内在する精神の発現である。
われわれが精神を持っているのではない。人間の精神とは、脳を含めたわれわれの身体と全環境の関係性のネットワークからいわば立ち上る作用なのだ。
われわれの唯一真実の自己とは人+社会+環境からなる全
サイバネティック・ネットワークである。参考:ベイトソン哲学第3期
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