場の量子論 |
これからさらに難しい話をしなければならない。内容は理解できなくても、なぜ重要なのかはわかってもらいたい。
場の量子論とは物理学の2本柱であった力学と電磁気学を一つの枠組み内の統一した、現代物理学の基本的な考え方なのである。
場とはなにか?
そもそも「場」とはなにか?例えば、電気にはプラスとマイナスの2種類があるが、同極では、反発しあう。
しかし、なぜ離れているものの間に力が働くのか?それに答える為にいろいろな考え方が登場したが、エーテルもそのひとつだった。
しかしエーテルの存在は、マイケルソン・モーレーの実験によって一応否定され、その変わりに空間そのもの(正確には時空そのもの)の性質として、力を伝達する機能があると考えられるようになった。それが「場」であり、そくに電気力の場合には電場がある。
空間の性質
もうすこし具体的に説明しよう。まずプラスの電荷が一つあったとする。するとその影響により、周囲の空間各点が「電場」という、数であらわされる性質をもつようになると考える。なぜ、と考えてはいけない。これが、自然界の基本法則であると考えるのである。 (こんな説明しかできないのは現代物理の限界だな)
場から力を受ける
そこにもう一つ電荷をもってきたとしよう。後からきた電荷も空間に電場をつくる。そして先にあった電場の影響を受ける。
結局、力は離れている物体間に働くのではなく、空間が持つ電場という性質を通じて力が働いているのだ。
物体間の電気力と考えているだけではどちらとも言えない。しかし物体とは無関係に電場・磁場が伝わっていく現象、つまり電磁波が存在すつことが確実になり、また光も電磁波に他ならに事がわかり、「場」とは自然界を構成する不可欠な要素であると認識されることになる。
場と粒子は違う?
量子力学が登場する前の段階でみると、物理学者はこの世界を、電子なのの「粒子(物質)」と電場・磁場(光を含む)などの「場」という、2つの異質なものから成立しているとみなしていたことになる。ところが、量子力学の誕生の過程でこれが怪しくなってきた。粒子と場とは、それほど違わないことがわかってきたのである。
場の量子論になると
粒子と場のギャップを完全になくしてしまったのが、「場の量子論」の枠組みである。
波動関数も場、電子も場ということになる。粒子も実は粒子ではなく、場ととらえる。
粒子像の復活
電子はスクリーンの上に1点の痕跡をのこすという意味で確かに粒子だ。場だなどと、のんきなことをいっていられない。
ここでまた、いったん場であることになった電子や光を粒子あるとみなさなければならない。そのときに量子論の原理をつかうのである。
場に対する量子論
量子力学には「複数の状態が存在する」という原理があった。これを場に適用するのである。場そのものを量子的にとらえるのである。
場の量子論と呼ばれる由縁である。量子論の原理を2回つかったようなもので第二量子化とも呼ばれる。
粒子像の復活
なぜそのようなことをするのか?理由はそうすると望んでいた粒子像が復活するからである。といっても、古い意味の粒子像ではなく、まったく新しい、いわば量子論的粒子である。これが、電子や光子の本当の正体である、というのが場の量子論である。
粒子:(物体) |
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量子力学 |
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電磁波:(光) |
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場の量子論の登場によって、これまで異質のものとされていた、物質と光が統一的な枠組みで見られるようになった。
ある意味で、この世界の基本的枠組みがわかったと言えるかもしれない。(重力を除いて)
そして波と思われていた光が粒子的性質をもっていたり、粒子と思われていた電子が波のような性質をもっていたとしても、不思議ではないことがわかったのである。
空間に満ちているもの→真空のエネルギー、ダークマター、ニュートリノの質量
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