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日本人の起源

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 私たち日本人のルーツは1つではない。

新興文化→
3万年前 ウラルアルタイ

当時地続き

縄文 縄文の大集落開墾

三内丸山

弥生紀元前3百年〜紀元3百年

2300年前

西暦紀元前二〇〇年、後三〇〇年位をさしていて

渡来人

稲作

中国山東省臨ズ

 

2500年くらい前 登呂遺跡での融合開墾+稲作高床式
 
2100年前     神奈川県中里遺跡

渡来と縄文の平和的融合

その融合=弥生

         
弥生時代中頃       日本人誕生

縄文系を基盤に渡来系の血が混ざっている。

鼻の付け根=縄文系

目のくぼみ=渡来系

       
後二五〇年位         邪馬台国

卑弥呼魏志倭人伝

場所はその年に日食のあったところだ

 

     
       

 

             出雲の国 

埴輪

黒曜石

日本書紀

古事記

銅鐸

   
4世紀ごろから7世紀中             ←戦争により滅ぼす 大和朝廷

奈良県大和盆地

ありとあらゆる土器がでる。

文化 戦争の概念のない世界 対立を戦争で解決するという行動様式をもつ人種
現代 北陸系 中国北部・韓国中国南部・朝鮮半島 天皇

出雲

大和朝廷に滅ぼされる出雲大社もとは45mの高層建築今のものは大和が滅ぼひた魂を静めるため、

青谷上寺地遺跡が栄えたのは起源前一〇〇年から後一〇〇年、
出雲の国が栄えたのは紀元前一〇〇年から後三〇〇年で、大和政権に無血譲渡をしたことになっている。
 

古事記(和銅5年、西暦712年)によると、肥河上(ひのかわかみ〜現、斐伊川の上流)でヤマタノオロチを退治された須佐之男命(スサノオノミコト)は宮(社=やしろ〜神社)を造るべき所を求めてここ出雲の国須我の地においでになった。

日本書紀(720年)は、659年に出雲国造(いずものくにのみやつこ)が斉明天皇の勅でこの神社を造営したと記し、出雲国風土記は国内186社で大社(おほやしろ)として別格の扱いをうけていたわけで、少なくとも平安時代の初期までは出雲国最高位の神として意宇郡のみならず出雲の人々に祭られていた

御祭神はスサノオノミコトとされているが、その実態は神聖な御食事を司るクシミケヌノミコト(櫛御気野命)であり、出雲の最高の食糧神と考えられている。
その証拠として、出雲大社の神餅を調理する際に用いられる火は、神聖なるものとして今日でも出雲大社から神官が火をもらいにいく習慣は絶えていない。
このことはまた、熊野大社が出雲大社よりも格が上であったことの名残でもある。